①-4

 十四時発の電車にギリギリで飛び乗って潔乃たちは木蘇へ向かった。三十分程度で円窟神社の最寄り駅に到着するらしい。木蘇地域は山間部にあるため全体的に交通の便が悪く、最寄りと言っても神社までは駅からさらに車で二十分程かかるそうだ。


〝詳しく説明するから円窟神社へ来てほしい〟


 彦一にそう促され勢いでそのまま電車に乗ってしまった。百瀬には早退すると伝えたが、親には何の連絡も入れていない。誰にもこの状況を説明できる自信がなかった。八年前の事件の時も大人は誰一人信じてくれなかった。仕方のないことだが、本当はずっと心のどこかで孤独を感じていた。でも今は、初めて理解者が現れた事に胸が高鳴っていた。神隠しも今日の襲撃も本当に起こった事なのだと、彦一の存在が証明していた。

 ボックス席の斜め前に座る彦一にちらりと視線をやった。彼は黙って車窓から見える景色を眺めていた。聞きたい事がたくさんある。電車の中で話せる内容ではないのがもどかしい。初めて授業を抜け出した後ろめたさとこれから起こる事への不安や期待が入り混じって、ふわふわとした落ち着かない気持ちでいた。


 木製の小さな無人駅に着いて二人は降車した。平日の昼間とはいえ周囲に誰一人見当たらない閑散とした場所だった。彦一の話によると円窟神社の人間が迎えに来ることになっているそうだが……

 潔乃が辺りをきょろきょろと見回していると、一人の男が車から降りてこちらへ近付いてきた。

「やあ、初めまして。俺は八柳孝二郎やつなぎこうじろう。彦一の兄です。君は伊澄潔乃さんだね?」

 男はそう言って人好きのする爽やかな笑顔を潔乃に向けた。年齢は二十代後半くらいだろうか。丁寧にセットされたアッシュブラウンの短い髪に目鼻立ちのはっきりした容姿。品質の良さそうなジャケットをやや着崩し堅苦しすぎないスマートな印象を受ける。背が高くスタイルも良いので、そのまま雑誌にでも載っていそうな雰囲気のある男だった。

「遠かったでしょう。わざわざありがとうね」

「いえ、そんな、こちらこそ」

「彦一から聞いたよ。大変な思いをしたね……でももう安心して。これからは我々講社の人間がしっかりと君をサポートするから」

「え、えっと……」

 相手の迫力に思わずたじろいでしまう。俳優のような凄みのある大人の男にどう接していいか分からないでいると、

「……伊澄さん」

「えっ? はい」

「こいつとはまともに取り合わない方がいい」

 彦一が呆れたように目を細めている。孝二郎がピクリと反応し、浮かべた笑みが張り付いたような気がした。まともに取り合うなとは一体どういう意味だろう?

「ヒコイチクン、何を言っているのかな?」

「取り繕うなよ。どうせすぐボロが出る」

「ハハッ、おかしなことを言うねえヒコイチクンは」

 二人の会話を聞きながら彼らの顔を交互に見やる。二人にしか分からないやり取りに戸惑っているとおもむろに孝二郎が、

「……ハァ、つまんねー。彦一が余計な口挟むから台無しじゃねえか。しばらくはカッコいい大人のお兄さんでいたかったんだけどなあ」

 と言って上げた前髪をくしゃくしゃとさらに掻き上げた。先程までのキリっとした隙のない様子とは打って変わって、言葉遣いも砕けてフランクな印象だ。姿勢もだらりと崩している。

「てか伊澄さんにどこまで説明したんだ? 俺たちの事は話した?」

「いや全く」

「げ。丸投げかよ。まあいいか俺もばーさんに丸投げしよーっと」

 投げやりな態度でそう呟くと孝二郎は潔乃に向かってニカッと笑い掛けた。

「ま、というわけで色々聞きたい事あると思うけどもう少し我慢して。後でまとめて説明するからさ。ちなみに俺はただの気さくなお兄さんなんで全然気ィ遣わなくていいからね。そいじゃあ早速出発しますか」

 そう言って孝二郎は右手で車のキーをくるくると回し左手をポケットに突っ込んで歩き出した。彦一は彼の後ろ姿を指差しながら「気さくっていうか雑だから。約束は忘れるし生活態度も悪い」と付け加えた。

「おい! 印象悪くなるからいらんこと言うな!」

 孝二郎が振り返り反論する。その後も何やら口喧嘩をしていたが、二人のやり取りが微笑ましくて潔乃はつい笑ってしまった。普段は物静かな彦一でも親しい相手には憎まれ口を叩くことがあるのだと分かって、少し安心した。


 孝二郎の運転で旧街道を走る。円窟神社は龍麟岳のふもとに創建された千年以上の歴史を誇る国内でも有数の神社だ。龍麟岳は全国の山岳修験者から信仰される霊山であり、街道沿いの宿場町には修験者が宿泊する施設として多くの宿坊が作られ発展していったそうだ。

「着いたぞー。お疲れさま」

 観光客向けの広い駐車場に車を停めて降車した。正面に立派な鳥居が見える。この場所は記憶にあった。八年前の事件以降初めて足を踏み入れた事に複雑な感慨が沸いていた。

天里あまさとは奥社で待ってるんだろ? 車で行かないのか?」

「時間あるしせっかくだから歩いていこうぜ。伊澄ちゃんに神社のこと知ってもらいたいしさ」

 三十分くらい歩くけど大丈夫かと尋ねられ潔乃は了承した。奥社という場所で今の状況とこれからのことを説明してもらえることになっているが、いきなり本題に入るのも躊躇われるので緊張をほぐすには良いかもしれない。

 鳥居をくぐり古木に囲まれた石段を登ると目の前に荘厳な社殿が現れた。円窟神社は宝来社ほうらいしゃ、中社、奥社の三社を配している。参拝客が最初に目にするのはこの宝来社で、円窟神社の建造物の中では一番新しいがそれでも二百年程前に建てられたものだという。奥行きのある構造で破風を鳳凰や龍の彫刻が飾っている。孝二郎が建物横の柱群は屋根に積もる雪の重みを支えるためにあると教えてくれた。

 宝来社からさらに奥へ進むと中社が見えてくる。社殿は宝来社に比べると質素だが成り立ちは一番古く、千年前に遡る。災害や火災で立て直しはされているが建設当時のまま残っている部分もあるとのことだ。円窟神社は中社を中心にして広がっていったらしい。社務所が置かれており、祭事は主にこの中社で行われる。八月の例祭では宝来社に祀られた豊穣の神の御神輿が参道を通って中社まで渡御される。八年前、潔乃はこの例祭を見に行ったのだ。

 潔乃は社殿のそばに聳え立つ注連縄を巻かれた大きな御神木を見上げた。立派な巨木だ。きっと何百年と生きているのだろう。子供の時に見た姿と変わらぬままそこに存在していた。

「奥社でアマサトっていうばーさんが待ってるんだけどさ、そのばーさんはこの御神木の化身なんだ。千里先も見通せる力を持ってるスゲー神様なんだぜ」

「そんな力があるんですね……すごい……」

 潔乃が感嘆していると孝二郎は「まあそのせいで隠し事ができないのが厄介なんだけど……」と言って力なく笑った。大変そうですねとフォローしたが孝二郎が隠し事とやらのせいで叱られている様子をなんとなく想像できてしまい、潔乃は苦笑した。

 先へ進むと随神門と呼ばれる、神域に邪悪なものが入ってくる事を防ぐ門がある。萱葺屋根に朱色の門。狛犬ではなくお座りをした狐の像が左右に並んでいる。そこから先二百メートルは奥社参道になっていて樹齢三百年以上の檜林が両側に広がっている。

(わあ……きれい……)

 木々の間から差し込んだ光が白く輝いて神聖な雰囲気を作り出している。空気も澄んでおり息を吸うたびに肺が冷涼な気で満たされた。長袖の制服を着ていても肌寒いくらいで、松元とは違う山岳地帯の気候を身に味わっていた。

 檜林を抜けると龍麟岳の岩壁直下に建つ奥社が見えてきた。社の半分は洞の中に埋まっており冬の間は閉鎖されて一般の参拝者は入れないという。本殿の横にある参集殿と書かれた建物の入口に女性が一人立っており、こちらの姿を確認するとにこりと微笑み近付いてきた。

「ようこそおいで下さいました。天里様が中でお待ちです」

 たっぷりとした黒い髪を後ろで束ねた着物姿の妙齢の女性だった。恭しく礼をしている。潔乃もつられて「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「この人は春枝はるえさん。住み込みで裏方の仕事をやってもらってる。料理がめちゃくちゃ上手いから今度伊澄ちゃんもご馳走してもらおうぜー」

 孝二郎がそう提案するとふふふと春枝が笑った。切れ長の目をさらに細めている。春枝は「こちらへどうぞ」と言って先導し潔乃たちは参集殿の中へと入って行った。

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