《将来について》

 中学二年生の頃から『夢』や『将来のこと』について聞かれることが増えた気がする。それは、進路相談や三者面談等様々な形で聞かれた。そのたび私はなんとなく

「適当に、生きていければそれでいい」

なんて答えていたが、気付けば本当にそれが『夢』のような物になっていて何事にも無気力で怠惰な生活が普通になっていた。

『ただの言い訳』

昼夜問わず唐突にこの言葉と同時に過去を思い出し不安になる。そのたび生きるのをやめたくなる、さながら『腐ったミカン』といったところだろうか

「どうでもいい」

「どうせ意味がない」

が口癖で周りの気力を奪うだけの存在。勿論、多くの若者から感じられる活気や覇気なんて物はなく、陰鬱な空気を纏っている。どう見ても自分の努力不足なのにそれすらも『環境』を言い訳にしている。物事に対する関心は希薄で行事事にも否定的、そのような人間性の最底辺を歩んでいる人間には人は寄ってこない。この一文も友人が少ないことを誤魔化しているに過ぎない。つまりは言い訳だ。私だってこんなすぐ腐って何もしなかった結果、本当に根腐れして何も出来ない人間なんて近くに置きたくない。人間は同じレベルで集まるというが私は、私と同じレベルの人間と話しすらしたくない。

 知人には

「好きなように生きたらいい」

と言われるがそれは当然のことだ。何故なら私の人生に何があってもその知人に責任は一切無いからだ。だが、私も『人生の当事者意識』が欠如しているからか

「わかった。適当に生きるわ」

なんてことを平然と言ってのける。本当に困った時は誰かに責任を擦り付けるということも想像出来てるのに。

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