(3)旅立ちの日

 旅立ちの日は快晴だった。


 ここ数日雨続きだったので、いい日に旅が出られたなと嬉しくなった。ただ一方で、これから向かう国のことを考えると、最後に雨空を拝んでおきたかった気持ちもないわけではない。


 何しろ、旅の最初の目的地はエジプトだ。

 向こうの気候を詳しく調べたわけではないが、きっと雨が降る日も少ないだろう。照りつける熱射に当てられ続けたら、どんよりした曇り空が恋しくなるに違いない。


 東京駅に着くと、長いエスカレーターを下って総武線のホームに出た。ここから1時間半ほど電車に揺られて成田空港第1ターミナルを目指す。

 電車内で隣に座ったのは、ショートカットの綺麗な黒髪の女性だった。昼下がりの時間帯ということもあってか女性はうつらうつらと居眠りを始め、頭をこちらに傾けてくる。

 海外からの観光客が日本の電車に乗ると、車内で居眠りをしている人が多いことに驚くと聞いたことがある。それだけ平和であるということだが、防犯意識の低さの表れでもある。きっと自分も旅の中で“平和ボケ”の一端が出てしまうだろうなとふと考えた。


 千葉駅を過ぎた辺りから急に乗客が少なくなり、成田空港駅に着いた頃には同じ車両に乗っていたのは私を含めて3人だけだった。

 やはりまだ海外旅行客は少ないのかと寂しくなったが、4Fの国際線ターミナルに出ると意外にも多くの乗客が列を作りチェックインを待っていた。私はバックパックを背負い直すと、列の最後尾に並んだ。


 目的地はエジプトだが、一本の飛行機だけで直行できるわけではない。一度UAE(アラブ首長国連邦)のアブダビまで行って、飛行機を乗り換えてエジプトのカイロを目指す。


 日本からアブダビまでが10時間。

 アブダビでトランジット(乗り継ぎ)待ちをして10時間。

 そしてカイロまでが3時間半。


 合計で24時間近くにも及ぶ長旅となる。ほぼ丸一日を移動に費やすわけだ。


 機内に搭乗すると、アブダビ行きの航空機のエコノミー席はほぼ全て埋まっていた。日本人旅行客は3割ほどで、後は外国人という割合だ。

 私は指定していた窓際の席に座ると、することもなかったので作業員が忙しく動く滑走路の様子をぼんやりと眺めていた。


 同じ列の座席に細身の外国人の男性が座ってきた。軽く挨拶をすると、はにかんだような笑顔が返ってくる。私の発音が聞き取りづらかったのかなと不安になったのだが、添乗員とスマホで筆談しているところを見ると、この男性はどうやら口がきけないようだった。


 飛行機は予定より10分早い16時50分に動き出した。滑走路を走る機体は急激に加速し、離陸。瞬間的な浮遊感を感じたと思ったら、ぐんぐんと高度が上がっていく。

 窓から外の様子を見ると、若い稲が緑の絨毯のように広がる田園地帯が目に入った。3年前にベトナムを訪れた時にも空から似た光景を見たことを思い出し、「日本もアジアなんだなあ」とちょっとした感慨に浸った。


 機内食と合わせて『ハイネケン』のビールをいただき、食後に赤ワインを飲むと、ほどよくアルコールが入ったからか眠気に襲われる。

 一眠りしようと目をつぶったが、肌寒さを感じてすぐに起きた。持ち込んだモンベルのフリースを羽織り、ブランケットを膝にかけて体温を調整する。


 まどろみの中で隣の外国人の様子を伺うと、備え付けのディスプレイで映画を観ていた。車の中で男女が話すシーンが映されている。観たことのあるシーンだったが、それが何の映画だったか思い出すよりも早く私は眠りに落ちた。

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