第14話 吸血鬼、眷属と契る

 夜明けを迎えて活気が満ちる直前の都、大通りから数本細い路地を行った先に宿がある。宿の名前は「白露」で初老の親父と娘が切り盛りしている。

 その宿の二階に陽ノ華たちは座っていた。

 

「積もる話はあるでしょうが、朝飯が先でもいいでしょう」


 詠月はこの宿の親父と馴染みのようであった。そう言ってから親父と二言三言話して出払わさせ、朝飯の膳を部屋に並べ始めた。

 昨夜、橋の袂で何日かぶりの再開に五郎とつむじは踊るように喜んだ。木花咲耶院に入ってから陽ノ華とドラガに音沙汰が無いことを心から心配していたのか目元に隈が出来ており、それほど心配させてしまったことに陽ノ華は申し訳なさで一杯になる。

 一方の詠月は然程変わりがなかった。慌てて騒いで警吏の世話になったら元も子もないという信条があるためか、こんな時こそ冷静に努めていたのだという。この宿の部屋が木花咲耶院と橋を観察できる位置にあることがその信条の現れだった。


「つまりは陽ノ華さんとドラガさんは妖怪退治の任を承ったと。まぁえらいこっちゃですね」

「押し付けられた、いや命の保証のために働けという方が近いがな」


 詠月とドラガの会話に陽ノ華は耳を澄ましていた。

 木花咲耶院でも飯をとっていた筈なのだが、今ここで具の少ない味噌汁を啜る方が陽ノ華はやけに美味く感じている。ゆっくりと味わう横でドラガは握り飯を口に押し込んでいる。それでも怒りはまだあるようで詠月の言葉に刺々しく返していた。

 

「それでも命があってよかった。何かあったんじゃないかと気が気ではなかったんですから、僕は、本当に……」


 噛み締めるように五郎の手元はまだ少し震えている。

 昨日まで生きていた知り合いが今日になって姿を消す、陽ノ華としては慣れたくなくとも慣れ始めているつもりであったが普通の生活を送る五郎にとっては青天の霹靂に他ならない。つむじや詠月がいたとはいえ心細さがあったことだろう。


「心配をかけてごめんなさい。それに待っていてくれたこと、ありがとうございます。私としてもご無事で本当によかった」


 心からの言葉で陽ノ華は深々と礼をした。木花咲耶院での騒動に尽力していて考える隙もなく、ふとした時にどうしているだろうかと思い出しても確認する術を持っていなかった。橋向こうの様子を伺い見ることも出来ず、ただどうか無事であるように願うことが精一杯であった。

 だからこそドラガと共に帰った時、変わらない姿で出迎えてくれて嬉しかったのだ。目に薄ら涙を浮かべ自分らの帰りを心から歓迎した様子に涙を流しそうにもなった。

 ふと座る膝に何かが当たり、陽ノ華は顔を上げた。


「おいらも兄ちゃんたちと同じように帰ってこないんじゃないかって怖かったんだ。だから大将と陽ノ華が帰ってきてくれて、おいらからもありがとうって言わせて」

「そんな、私の方こそ皆に迷惑をかけてしまって」

「だってすごい強い嫌な感じがする……陽ノ華に近いけど、もっと濃くて刺々しい感じ。こんなのを喰らわされるくらい嫌な目にあってたんだろ?そんな仕打ちを受けても帰ってきてくれた。おいらたちは心配しか出来なかったんだよ」


 つむじの黒い目が潤む。視線を移すと五郎と詠月も無言で笑みを浮かべつつも静かに頷いた。

 ドラガの手が伸び、つむじの頭をぐりぐりと撫で回した。


「しんみりとしすぎては飯が冷めてしまいます。食って、少ししてからまた話し合いましょう?それくらいのお時間はいいですよね、陽ノ華さん」

「は、はい!そうですね。私も皆さんにお話ししなければならないことがありますから。ドラガ、あんたも寝てないで聞いてなさいよ」


 詠月の一声に止まっていた箸をみな進め始める。

 ドラガは何も返事をせず、外の景色を睨むように見つめていた。

 しばらくすると白露翁が部屋に入り、朝飯の膳が下げられ入れ替わるように茶が出された。そのままこれまでにあったことの報告とこれからの話をすることとなった。

 都の喧騒が始まり出すも、この部屋までは騒がしさに包まれない。

 陽ノ華はまず五郎、つむじ、詠月の同行を聞いた。

 都の南門前、宿にて丸一日二人と一匹は待機していた。しかし二人が帰ってこないことに心配し、都にて情報収集を始めたのが二日目であった。木花咲耶院に何か騒ぎがあった、早朝に誰かが歩いて行ったことを門番や通りの噂話を聞いていたらしい。そして別の収穫もあった。


「この宿を見つけられたのは本当に行幸でした。つむじがまさか『あいつは妖怪じゃないか?』なんて言い出したものだから肝が冷えたけれど」

「それはこっちの台詞だ。あぁクソ、喋る鼬なんざ無視すればよかった」


 白露翁は口をひん曲げてぼやいた。

 話の順を追っていくと、まず都に入り情報収集をしていた五郎とつむじは亀甲の宿の主人である白露翁に偶然出会った。その際つむじは五郎の懐に隠れていたが、彼から妖怪の匂いを感知してつい叫んでしまったのだ。五郎も白露翁も驚愕したが、通りの他の人間も突然鼬が言葉を話したことに目を丸くしていた。

 途端、白露翁は猛然と細い路地裏を走って逃げた。つられてつむじ、五郎も走り彼を追いかけた。都の人間にあの鼬は何か詰められること、妖怪ではないかと警吏に追われること、白露翁が何者かを確かめるためであった。

 しかし彼等は翁を見失ってしまった。初老とは思えぬ素早さで走っていってしまったからだ。

 だが白露翁と入れ替わるように詠月が現れた。


「元々妖怪みたいな爺様だと思ってたが本当に妖怪だったとはなぁ」

「よりにもよってツケで転々とするお前に知られたくはなかったよ」


 詠月は白露翁を知っていた。詠月が都を訪れる時にたまに使う宿の主人だと告げ、二人と一匹は彼の宿に先回りをすることとしたのである。そして見込み通り白露翁は戻ってきた。

 警戒する白露翁に対し、詠月は間を取り持つように交渉した。つむじのあの場での発言の謝罪と共に白露翁が妖怪というのは周り含め勿論伏せること。自分たちも妖怪である仲間がおり、可能であればこの宿を拠点としたいこと。ついでに白梅号を近くの馬宿に停めて置きたいこと。都に潜む異分子同士支えられないかと持ちかけ、白露翁は渋渋了承して手を組んだとのことだった。

 そしてこうやって陽ノ華らの前に現れている。詠月が特に気にしなくていい、と言って宿に招いたのもこの理由があってこそだった。


「まさか昼巫女が来るなんてな。だがそっちの兄ちゃんといい、詠月の話といい何か訳ありなのは察するぜ」

「ご協力ありがとうございます」

「……あんた、俺が妖怪だと知ってどうこうする気は無いんだな?」

「はい、ありません」

「そうかい」


 そう言って白露翁は部屋から去った。

 翁が下の階に降りたのを確認すると陽ノ華は襖を閉め、改めて全員に向き直り説明を始めた。

 木花咲耶院に向かったところドラガは拘束されたこと。桜花仙の尋問を予想して己に術をかけたこと。それはドラガを助けるためでもあるが、桜花仙の方針への疑念に対する一抹の希望をかけた策であること。その結果として妖怪退治の任を与えられたこと。それらを出来る限り簡潔に話した。

 ドラガはその間何も言わなかった。桜花仙の尋問、つまり陽ノ華が自白の術を掛けられて記憶がない時のことを話したとき、何か話したそうな表情であったがすぐ外に顔を向けてしまった。

 陽ノ華が話し終わると部屋の中は静寂に満ちていた。五郎やつむじは想像が追いつかないようで、陽ノ華とドラガを交互に見て不安そうな顔を見せている。


「それはまた難儀なことになりましたねぇ。で、どちらへ行かれるんです?」


 水面に石を入れるように詠月の声が部屋に響く。声色には労わる気持ち半分、興味半分が混じっていた。

 そうだ、ここからが本題なのだ。

 陽ノ華はふう、と息を吐き姿勢を正した。懐からの手紙を全員から見えるように広げると全員の顔を見回す。


「此度、桜花仙から命じられたのは『天狗討伐』になります。ここから北東、打幌山うちほろやまに棲む天狗が人々に害をなしているとこれには書かれています。この天狗を無害化することが我々への指令です」

「天狗、というのは……?」

「長い鼻に高下駄、山伏の姿をしているなんて聞いたことはあるね。そして神通力を使い、空を飛び風を巻き起こすなんてのも。といっても僕は見たことないですが」

「おいらの村には天狗はいなかったなぁ」

「ヤマブシとは何だ」


 各々が勝手に話し始める中、陽ノ華は手紙に添えられた地図を広げた。墨で描かれた地図は、お世辞にも丁寧とは言えず、左端には都と書かれた点と右上の打幌山と書かれた点を曲がった線で繋いでいる。曲がりくねった線の外には黒く大きな円が、線の上には二点小さな点が描かれている。小さい方の点には都側に近い方から「宇賀田町」「奈槌村」と文字が添えられている。

 陽ノ華は落胆の溜息をついた。こんな乱雑な地図でどうやって妖怪の討伐場所まで辿り着けというのか。ここまで雑だとは思っていなかった。まだ山の名前だけ分かっているだけ御の字かもしれない。これから危険な仕事をするというのに支援としてこれはどうなのかと問い詰めたい気持ちもあるが、その前に地図に描かれた町と村の名が気になった。

 横から五郎が覗き込み、これは地図なんですか?と問う。多分、と返すと眉を下げて憐憫の視線を向けた。言いたいことはわかる。

 詠月も地図を見ると、何かに気付いたように口を開いた。


「奈槌村は知りませんが宇賀田町に僕、訪れたことがありますよ。北門から出た先、織物で栄えたとても賑やかな町です。打幌山の名前もどこかで聞いたことがある気がしたんですが、ここで聞いたのかな?」


 詠月の言葉に陽ノ華は胸を撫で下ろした。とりあえず架空の村ではないらしい。行く当てもない旅に出され放逐されたわけではなさそうだ。


「そこで妖怪の噂を聞いたことはあります?」

「うーん、訪れたのはかなり前だったし聞いたことないですねぇ。件の山から離れているのもあるけれど。ところで、あえてこの地図に書いてあるということは、陽ノ華さんたちはこの町に訪れる必要があるんですか?」

「ええと、それがですね」


 そう言って手紙の重なっていた二枚目を見せる。そこには歳刑衆から監察のための人員を出す、ここにて合流し行動を共にすべし、と書かれている。

 首を捻る五郎とつむじに対して陽ノ華は説明を始めた。


「歳刑衆というのは朝廷の中でも妖怪退治に特化した組織、ならびにそこに所属する武士もののふを指すの」

「都の中でも刀を持っている人がいたけど、それ?」

「いえ、彼らは一般的な役人だと思う。役人は帯刀を許されているから。でも歳刑衆ではないわ。歳刑衆の本部は木花咲耶院と同じく都の中心にあるけれど、上層部を除いては都の外へ赴いてる。らしいの」

「らしい、っていうのは……」

「実は、私もちゃんと彼等と仕事をしたことがないんです。どちらかと言うと歳刑衆は妖怪の動きが激しい東部に派遣されたり、封印や術を必要としない討伐へ向かう。私たち昼巫女はその後始末だったり、東への派遣はもっと高位の昼巫女が出向くのが殆どなので」

「とどのつまり同業他社みたいなものですかね。妖怪を退治する目的は同じですが、力にて抑え込むは歳刑衆。術にて封じ込むは昼巫女。ただ、この場合は監視兼警備といったところかな」

「その通り、私を含めた人間への危害をドラガが加えないかの監視と、万が一暴れた場合を考えての護衛。天狗討伐を遂行出来たかの第三者としての確認要員と見ています」

「サイキョーシューとやらは見てるだけで、天狗とやらを討伐するのは俺だけか。腰抜けだな」

「まさか、全く手伝わないってことはないわよ。多分」

「どうだかな、護衛だかなんだかと称して俺を殺そうとしても不思議じゃない」


 首をとんとんと叩き、不適な笑みをドラガは浮かべた。己の生死に関することなのにどこか楽しそうな、簡単に殺させなどしない、殺せるものならやってみろとでも言いたそうに余裕ぶった態度であった。

 勿論その可能性もあり得ないことはない。昼巫女が出陣しない分を巻き取ったが故に戦場で散らす命が増えているからと桜花仙の目論見に反発する歳刑衆の上層部もいるという。陽ノ華は柿李からそう聞いてはいた。かといって会わないと決めれば、命に背いたと言われても反論ができないだろう。


「……会ってみないことにはまだ分からないわ。あんたにしろ天狗討伐にしろ妖怪に関わるし、歳刑衆から見たら同じ討伐対象なんでしょう。安全が保障されてはいないことに変わりはないから、厳しく当たる可能性だってある」


 今はそうとしか言えない。そして安全だと保障できないと自分で口にして気付いた。

 そうだ、ここからの旅は今までと違うのだ。

 ここからが本題である。


「皆さん。ざっと説明しましたが、ここからの私とドラガで行く先はここまでの道程と違って危険と隣り合わせです。ドラガの強さを示す必要がある指令なのだから、簡単な妖怪討伐で終わらないと予想しています。つまりは下手をしたら命を落とす場合だって有り得ます」


 そう言って周りを見る。誰も何も言わないが陽ノ華の次の言葉を誰もが予想していた。


「……五郎さん。ここまで長い旅を共にして下さって本当にありがとうございました。初めてお会いして助けてくださったこと、道案内に白梅のお世話まで。感謝が尽きません。それでも、いや、だからこそどうかここからは柴浜村までお戻りください」


 五郎は目を丸くした。狼狽えるも、分かっていたかのように唇を噛み締めた。

 

「陽ノ華さん……それは」

「貴方を危険な目に遭わせたくありません。どうかお願い致します」


 陽ノ華は姿勢を正し深く礼をした。

 昼巫女としてヤマト国の民たちを妖怪から守るのは義務である。危険から遠ざけ、安寧の日々を過ごしてほしい。陽ノ華の性根に染みついた理念であった。

 それでいてここまでの旅路に常に居てくれた五郎には尚のこと、生きていてほしい。危険な目に遭わせたくない。その気持ちも無視できないほど大きくなっていった。

 共に旅をしたい気持ちを抑えてでも、陽ノ華はそう伝えたかった。どうか妖怪とは無縁の日々に戻って欲しいと。

 五郎は目を伏せていた。彼もまた何かを考えているのだろう。

 二人の沈黙を破ったのは詠月だった。


「五郎さん。陽ノ華さんの言う通りにしましょう。天狗もそうですし、打幌山までの道はの側だから荒くれの妖怪が出る可能性がある。逃げるが勝ちです」

「そういう詠月さん、貴方もです」

「えっ?そうですか?」

「というか貴方は干し魚を濃縹さんに持ってくる約束をしていたじゃないですか」

「あー……そうだったぁ」


 忘れてた、と呟きながら詠月はばつが悪そうに頭を掻いた。

 一方で陽ノ華の近くまでつむじが近寄ってきた。


「おいらはまだ村の仇を見つけてない。まだ一緒に居させてもいい?」

「……そうね、つむじは鎌鼬だから全く戦えないわけでもないし、東部にその妖怪たちがいる可能性もある。私こそ協力してくれると助かるわ」


 そう言って笑い、つむじの差し出した両手を陽ノ華は優しく握り返した。

 五郎はまだ俯いていた。途端、まだ迷いを含んだ目で陽ノ華を見つめると、か細い声を出した。


「それでも、僕をどうかお側に置いてはくれませんか」

「五郎さん……」

「どんな旅でもついて行きます!荷物持ちでも何でもします!それくらいここまでの旅は楽しかった。あの村に戻っても家族も何も僕には無いんです!天狗や妖怪の退治で死んだって僕は構わな」

「端的に言うと五郎。お前は足手纏いだ」


 悲痛さが滲む五郎の言葉をドラガは断ち切った。

 怒気の込められた声だった。今までの投げやりだったり馬鹿にするような軽さはそこには無い。陽ノ華が視線を移すとドラガの赤い眼は怒りを映したように静かに、しかし爛々と光っていた。

 

「生きることを諦める奴は殺したくなるほど嫌いだが、考えなしに周りまで死に引き込もうとする奴も同様だ。お前がやろうとしていたのはそんなことだ。力が無くとも生き延びる機会を与えられたならそれでいいだろうが」

「そんな!でも、僕には」

「お前がいることでお前じゃない奴が死ぬ可能性を考えたか?つむじがお前を狙った牙から庇うことを、呪いを陽ノ華が背負うことを想像したか?」

「そ、れは……」

「お前には戦う力は無い。妖怪を倒せる能力は無い。自覚しろ。俺たちから離れて村へ帰れ。それでもまだ駄々をこねるのなら俺がお前をはっ倒す」


 ドラガの言葉に五郎は衝撃を受けた。両手で顔を覆い苦悶して頭を振る。

 五郎も分かっていたのだ。磯撫やつむじと相対した時、陽ノ華やドラガのように猛然と立ち向かうことが出来なかった。その爪や牙に貫かれる想像が血の気を引かせ、今でも想像するだけで足が震える。そんな妖怪という存在に、時にはドラガでさえもあの月夜を思い出して、背筋が冷たいものが走ることもあった。

 勿論、濃縹のように話してみれば分かりあえる可能性があることも理解している。しかし陽ノ華やドラガのように対抗できる術を持たないため、彼等の後ろに隠れて機会を伺うことしか出来ない己に対して、猛烈な見窄らしい気持ちが襲いかかっていた。

 ドラガと陽ノ華が都からすぐ戻らなかったことに一番狼狽していたのも五郎であった。詠月の説得により単身探しに行く事態は避けられたが、それでも何も助けになれない自分にこれほど申し訳なさを感じることはなかった。あの二人に何かあったら、と胸を掻きむしり数日を過ごしていたのである。

 自分にも何か力があれば、無くとも彼等の旅の助けになるならば。何度も何日も思い巡らして唸れども、現実は何も変えてはくれなかった。


「五郎」

「……僕も本当は分かっています。何もお力になれないことは」

「それは違うな」

「え?」

「確かに天狗とやらを倒すのに同行するのは足手纏いだからやめろとは言った。だがお前が村に戻ること、いやは俺の助けになるんだ」


 陽ノ華は気づいた。一見厳しい言葉で突き放すようであるが、ドラガはドラガなりに五郎を気遣っていたのだ。自分の手足として乱雑に使わず、戦えない仲間として保身優先で安全なところで見守っていてくれることも自分たちの力になる。陽ノ華としても菫のように安全なところに居てくれることへの安心は計り知れない。とても不器用な口ぶりであるが、ドラガなりの信頼と懇願なのだろう。

 と、思い込んでいた。この時までは。


「五郎さん、私からもどうかお願いします。見守ってくださる、それだけで私たちの力になっています!」

「見守る?違うぞ」

「え?」

「それは、どういう……?」

「お前には俺のための大切な仕事がある」


 首を傾げる他を気にせず、ドラガはひょいと窓辺から腰を上げて五郎へと歩み寄る。そして日に焼けた腕を掴んだ。

 五郎は未だ先の発言を飲み込みきれずされるがままにドラガの様子を見ていた。

 ドラガの形のいい朱の唇が勢いよく開く。狼と見間違えるほどに鋭い牙と赤い舌がてらりと光り、腕に近付いた。


 がぶり


「っつ……!ドラガさん何を!?」

「何してるのよドラガ!」


 硬くがさついた肌をものともせず、牙はするりと差し込まれる。ぴりりと走る僅かな痛みの後、五郎は何も感じなくなったが赤い血は噛み跡から静かに流れ出していた。

 その血を掬うように舐め取り、ドラガは涼しい顔で嚥下した。

 陽ノ華は叫び、つむじと詠月は驚いて飛び退いていた。


「五郎、あの夜にお前は俺の眷属となった。それを忘れてはないだろう。その時お前はほんの僅かに妖怪になったようだ。故にお前は俺に血を捧げることが出来る。人間ではなく妖怪としてな!」

「そ、そんなわけないわ!私の霊符で解呪した筈よ」

「俺もそう思っていたがな。空腹が続いたおかげで気配に鋭くなったらしい。集中すれば俺と五郎がとても細い何か、主従の線とでもいうのか?そんなもので繋がっていることが感じ取れた」

「嘘……妖怪の気配なんて全く五郎さんからしないわ」

「だが俺が噛み付いてもお前の術で昏倒しなかった。つまりは術をかける前から既に五郎は妖怪である、あるいはなりかけているからじゃないのか」


 陽ノ華が混乱する横で五郎は血の止まりかけた腕を見つめた。ドラガは唇に付いた血を舐め、満足そうに見下ろしている。


「眷属であるお前の仕事は俺に飯を運ぶことだ。この旅が落ち着いて、たらふく食える時が来た時に必ずお前を呼ぶ。その時まで待て。お前が俺の力になるのはその時だ」


 不適な笑みが五郎を捉える。

 その時五郎の心臓に駆け巡ったのは恐怖でも驚愕でもなく、熱い高揚感であった。

 ドラガの眷属になってしまったからなのかは分からない。しかし不思議と悲壮感はない。

 彼の赤い眼に映る自分が、まるでその身まで捕らわれたような錯覚を見せていた。


「五郎さん!ドラガさんみたいに怪力になったとかそういうわけではないんですよね?」


 突然、詠月が覗き込んだ。


「うーん、何も変わった気はしないですね」

「それは良かった。いや良くはない?だって妖怪になりかけているから陽ノ華さんじゃない昼巫女や妖怪に狙われて退治される可能性があるのでは?なのに何の力もないので?」

「だから僅かだといっただろう。あいつが感じ取れないし俺でも集中しないと分からん。側から見れば只の人だ」


 不躾に詠月は五郎を見回す。五郎は驚いて身を固くさせるも、首を傾げるだけで詠月は座り直した。

 

「ふぅむ。確かに何日も一緒に過ごしましたが何も変わったところは見てないです。今も変わらず」

「そうだ。力が無いことには変わりない。だからエイゲツ、お前がこいつを村まで無事に送れ」

「ええっ!何ですかその突然の無茶振り!柴浜村まではご同行するつもりではありましたけども」

「付き添いの駄賃は陽ノ華に払ってもらえ」

「ちょっと!話を進めないで!……いや大体賛成ではあるけれど」

「賛成なんですか!?」

「詠月さん、改めて私からも柴浜村への付き添いをお願いしていいですか?道中で恐ろしい妖怪に遭ったわけではないですが、一人より二人の方が安全です。口八丁で生き延びることに長けている貴方だからこそです!こんな煙に巻くことで信頼できる方はおられません」

「う、うーむ?そんなに陽ノ華さんに言われるとぉ……。というより褒めてます?」


 陽ノ華は五郎の腕を手当てしつつ声をかけた。痛みはないか何度も確認するが軽やかな様子で五郎は問題ないと繰り返している。

 突然話の矢先を向けられた詠月は困惑するも、遂には折れたように膝を打つ。陽ノ華に目配せしつつ五郎の肩に手を置いて詠月は大声で答えた。


「よいでしょう!引き受けました!この詠月、五郎さんと共に柴浜村なるところまで参ります。あ、でも少しくらいは融通のほどお願いしますね」


 手を添えられた五郎も覚悟が決まった目でドラガにまた向き直る。

 

「この血、必要ならばいつだって呼んでください」


 おうとドラガはそっけなく、されど薄く笑みをたたえて頷いた。

 しかし一方の陽ノ華はまだ飲み込めていなかった。眷属の件についてドラガに問い詰めたい気持ちもある。しかし憑き物が取れたように、いや逆に憑いたようなものなのに、先程までの苦悶が嘘のように無くなった五郎の様子に何も言えなくなり、無事に村へ戻ってくれる手筈になることに感謝せざるを得なくなった。なので今はドラガの言葉を信用するしかないだろう。

 陽ノ華も覚悟を決めた。


「五郎さん、詠月さん。どうかご無事で」


 そして、この日は都にて各々旅支度を調えることとなった。

 翌朝に南門から五郎と詠月は柴浜村へ旅立ち、陽ノ華らは北門から打幌山へと向かうこととなった。

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