第2話 吸血鬼、出逢う

 白馬に乗り、山道を駆ける。

 土と苔の匂いが段々と潮の匂いが混じり、煮炊きの煙が混じるともうそこは目的地であった。

思った以上に賑わいを見せる柴浜村に驚きつつも、陽ノ華は本来の役目を忘れぬよう背筋を正し馬から降りた。


 柴浜村は海辺の村だ。

 ヤマト国の西端に位置するそこは二週に一度市を催す。

 都へ続く航路の一つとして元は栄えていたという。海の荒れように遠方まで船が出せずにいたが、近年は穏やかさを取り戻し、寂れかけていた市も少しずつ賑やかさを取り戻しつつあるとのことだ。

行き交う人々にも明るい表情が多い。新鮮な魚、干し魚、昆布などの海藻が目につく中、時折海に関係のないものがある。

 この村のある意味特産といえるものの一つ、沈んだ外界の船の遺物を売り捌いているのだ。

 外海からこちらに来る船は何故か殆どいない。荒れ狂う大渦に呑まれるだとか、海の化物に船底を食い破られるだとか様々な噂が流れるが、誰も無事に降り立ったことがないので誰が本当かもわからない。逆も然りでこの村から外界へ漕ぎ出そうとすれば亡骸で戻ることになるだろうとも言われている。

どんな噂であれ幸いなことは海に全く出れないわけではないことと、陸路が塞がれていないことだ。

双子岩と言われるしめ縄の付けられた巨岩までは漁師の舟はひっきりなしに泳ぎ魚を漁れて市に並ばせる事ができ、陸路を通じて隣村まで流通している。

市に並ぶ外界の品は様々だ。特に宝飾品は貴重かつ海底に沈んでも遺りやすく、都に行く人々へのいい土産になりよく売れている模様だ。ぼろきれ同然の衣服や鯖の塊になりつつある武器よりかは価値があるのだろう。


「あのう、もし」


 呼び止められて陽ノ華は飛び上がりそうになる。

 振り向くと老齢の女性が杖をつき拝むように手を擦り付けていた。


「その花笠はもしや昼巫女様でありましょうか?」


 昼巫女(ひみこ)はヤマト国の帝の庇護にある宗教、天照の教えを受けた巫女を指す。

 霊力の高いものしか昼巫女には成れず、邪を退け善を尊ぶ。長きに渡り各地を行脚し、善行を積み重ねて邪を祓う修行をするその姿は歩き巫女とも称されその頭には桜と椿、菊を模した花飾りが付けられた美しい花笠を身につけている。

 そして声をかけられた陽ノ華も、若輩ながら昼巫女であった。


「は、はい!天照の桜花仙よりこちらへ参りました」

「それはそれは、こんな遠いところまで本当にありがとうございます。何もないところではありますが…」


 深々とお辞儀をし、何度も礼を言う老婆にいえいえと答える。だが若く旅を始めたばかりの身だからといって彼女の言いたい事が全てではないことを陽ノ華は知っていた。


「天照の光があまねく全てに届きますよう…私に何かできることはありますか?」


 腰を折り、覗き込むように老婆の顔を伺う。するとぱっと輝くように表情が明るくなり堰を切ったように話し出した。


「それがねぇ…最近の若い者が魚を捕るのが下手でねぇ、アタシはこの村に長くいるがあれほど役立たないのも珍しい」


 あぁまたこんなのか。

 陽ノ華は花笠を叩きつけたい気持ちを抑えながら強張る笑顔を引き続いて貼り付けた。

 歩き巫女は余所者だが、その力故に厄介ごとを押しつけられる。それが邪を祓うことに繋がるならいいが、野盗や村内の揉め事はどうにしたって出来そうにもないのによく打ち明けられてしまう。茶飲みついでの愚痴聞きならまだいいが…運の悪い時には素性の良くない男どもに取り囲まれたり、やれ身を売れと迫られることすらある。それを打ち払ってこその修行であるが正直なところクソ喰らえと言いたくなる。


「そ、それは大変ですね…」

「だろう!聞けばこの前は掟を破って夜の海へ出たという。海坊主に食われなかったことが幸いだが、それほど頭が回らないんだったら魚の餌にしちまった方がいい」


 がちゃがちゃの歯を見せ、唾を飛ばして捲し立てる老婆に一歩下がりつつも笑みは崩さなかった。誰も褒めてはくれないが陽ノ華が陽ノ華自身を褒めてあげたいくらいだった。


「海坊主?」

「あぁ、夜に双子岩まで出ると山のような化物が海から現れて舟を転覆させるんだ。村にいる連中もあの夜見たとは言っているが…逃げ出したなんて言う奴もいる。アレのおかげで外海の舟のお宝が来るっていうのに…」

「海坊主が外海の品を運んでいるんです?」

「あぁいや、それはいいんだ」


 老婆は咳払いを一つするとニコニコと人のいい顔に戻った。


「昼巫女様、あたしらこんな寂れた村の民のお願いでございます…若い衆に喝を入れてくれませんじゃろか」

「か、喝ですか?」

「そうです、同じくらいの歳の頃の娘がこれほど世のため人のためになっているというのにあぐらをかく馬鹿者どもにガツンと!あわよくば若い衆の嫁になってくれたってこの村の為になりますから」


 あーなるほどねーそうくるかー。

 陽ノ華は首を振りたい気持ちが勝りそうになるが、グッと堪えた。


「そんな私なんかが…」

「弱気なこと言わないでくださいね、ほら心ばかりですかこちらを…」


 老婆の皺だらけの手が陽ノ華の手を突然掴み、掌を開かせ何かを握らせる。突然のことに全く陽ノ華は反抗できなかった。老婆の面のように張り付いた笑顔にいよいよ恐怖を覚えつつも薄く笑うことしかできない自分が嫌になる。

 手を開くと円い形に削られた赤い宝石があった。


「若い衆は夜にはあちらに集まりますからね、いつでも構いませんからね」


 話すだけ話した老婆はそそくさと市の人混みに紛れて消えてしまった。

 陽ノ華の経験則上、老人の無茶苦茶なお願いは冗談半分に聞くぐらいが丁度いいのだ。真摯に捉えすぎると婿がいくらいても足りないし、それに生きる年月が限られているのだから、なあなあに延長し続けて反故にしても誰も怒らないのだなんて先輩巫女が行っていた気もする。

 だが無理矢理に握らされた赤い宝石が責任の重さを新人巫女に強く背負わせてしまっていた。


「どうしようね…」


 誰にも聞こえない声で呟き、ぎゅっと宝石を握りなおす。途端、砂を纏った風のようにざらついたような感覚が陽ノ華を襲った。


(もしかしたら…)


 心の隅で老婆に少し感謝しつつ、彼女は市を後にした。



 村の真ん中の喧騒から離れ、家々の集まる場所へ、そこからまた離れたところへと足を進める。

潮の香りは強くなり、波の押し寄せる音がひっきりなしに聞こえる。

 生まれてこの方ここまで近くで海を見たことがなかったかもしれない、と陽ノ華は砂の混じる細い道を踏み締めて考えた。

 道はだんだんと薄れ無くなるとハマナスの咲く砂地に変わる。そこを歩き、聳り立つ崖の近くまで来ると人が一人やっと通れるくらいの隙間を見つけた。


(ここから「来て」いるわね…)


 意を決し、宝石を握っていない右手を懐に添える。そこには昼巫女の霊力が強く込められた霊符がある。

 隙間は板切れで所々舗装されていた。少し進むと板で作られた通路が姿を現し、奥へ続いている。奥に広がる暗闇を続かせないよう、魚の油で補給された松明がほぼ等間隔に置かれている。

 つまり自分以外の他の誰かがここを使っている、あるいは使っていたことを示しているのだ。

恐れる暇はない、陽ノ華は腹に力を込めて通路へ歩みを進めた。

 一歩進むごとにぎぃ、と足場が鳴り息を呑む。もうここからは敵地、獣の巣と言っても過言ではない。野盗が出ても化け物が出ても頼れるものは己一つ。

 何事も避けたいのは退路の封鎖とこちらが気付かず相手は気付いている、と言う状況だ。

 精神を集中させ、足の指の末端の速度を限りなく落とし、魚をくすねる猫よりも静かに進んだ。

 静かに、ゆっくりと、でも確実に。

 通路はどんどんと深くなる、深くなるにつれ波の音は大きくなる。前を向いても後ろを向いても同じ景色が三回ほど見えたとき、もう振り返ることをやめにした。


(うっ!何この臭い)


 磯臭さに混じり、魚か動物の腐臭が混じっていることに気付いた。

 咄嗟に宝石を持った手で口と鼻を塞ぐが肺にいくらか入った汚物感が陽ノ華の集中を乱れさせる。

 辛さに涙まで溢れかけ、歩みを早めさせる。


(あっ!)


 途端、目の前に延々と続く通路が途切れた。

 岩場と思しき地形が通路の終わりに続いている。

陽ノ華は足先が違う感触を踏んだ後周囲を見回した。

 頭上から周囲にかけては全て黒々とした岩壁であり、一方だけはなにも遮ることはなく海へと続いている。

 自然が作った船着場と言ってもいいかもしれない、その気になればここから海へと行けることが、壁の端に寄せられた壊れた小舟が証明していた。

 波が寄せては返し岩の床を濯いていく。おそらく長い時をかけて波に削られた岸壁なのだろう。

 最近の村の若者が見つけたのか、それとも昔からあるのかは定かではないが、何かしらの隠れ家としてはうってつけだ。

 後は何を隠しているのか。

 考えられるなら市で真っ当に出すことのできない沈んだ外海からの船の積荷かもしれない。あるいは魚や貝の密漁か。村ぐるみで隠しているにはあまりにも警備は薄かったので個人か数人規模の隠れ家と見ていいだろう。

 宝石を懐に入れ、岩壁を背に周りを歩いて物色することにする。

 足元に染みる海水の不快さを振り払いながら奥へ進むと、鼻と口を抑える手が強まり、ついには足を止めた。


「何よこれ…!」


 死骸の山だった。

 大小の魚、海亀、海鳥、野犬、野兎、鹿、牛、鶏、鳶、野鼠、栗鼠、蛇、蜥蜴、鴉。

 あらゆる生き物が血を抜かれて死んでいた。

 乾涸びたその身に水が浸かってしまった故に腐り始めているのだろう。

 蛆が沸き始めたものもあれば、完全に乾き切ったものもある。

 衝撃的な光景に胃の中が戻りそうになる。

 目を逸らし下を向いてうずくまる。


「腹が減ったから食った。それだけだが?」


 突然、声が上から降ってきた。

 陽ノ華はすぐさま立ち上がり、視線を眼前に戻した。

 だがいない。何も目の前にはいない。


「もっと上だ」


 視線をもっと上に上げる。岸壁を通り越して天井、そこに天地を逆さにしてぶら下がる男がいた。


「女、俺の棲家に無断で入るのは感心せんぞ」


 低い声は岩壁に響き、頭を揺らす。

 絹織物のように煌めく銀の髪が潮風に揺れ、沈みかけた夕日で橙に染まりかけていた。

 紅い目は静かに陽ノ華を見つめ、見定めるような値踏みするかのような不躾な視線を投げかけていた。

 すぐさま陽ノ華は飛び退き距離をとる一方で目の前の逆さの男は一向に立ち尽くしたままだった。


「妖怪、私の言うことにだけ答えなさい。下手なことをしたらあなたを攻撃するわ」


 気丈に振る舞い霊符を取り出す。気配に気付かなかったことは痛手ではあるが、相手がすぐ攻撃的な様子を見せないことが幸いであった。


「それはお前の出方次第だ」


 身を翻し、逆さまになった状態から陽ノ華と同じ岩の床に着地する。そしてそのままゆっくりと足元にある黒い大きな箱に座り込んだ。


「あなたは…妖怪なの?」

「ヨウカイ?なんだそれは」


 緊張を解かない陽ノ華に対して男は警戒をしていないようにも見えた。膝上に肘をつきため息をついて早く続きを話せと無言でせかす。


「妖怪がわからない…?えっとあなたは陰界から来た、のよね」

「インカイ…ゴローの言っていたことか…?よくわからん」


 なんとも出鼻をくじかれる答えである。

 陰界もわからないのか!と頭を抱えそうになったがぐっと堪え一歩近付いた。


「私たちの今いる世界は陽界、手でいうなら掌、銅貨でいうなら表よ。あなたたちはそことは違う世界、つまり手の甲で裏…陰界の生物である妖怪じゃないかってことなんだけど」

「ヨウカイなのにヨウカイにいないのか、紛らわしいぞ」


 この世つまり陽界と対極にある世界、陰界とその生物「妖怪」。

 修行の座学で講師の巫女から聞いた話を思い出して復唱するが、聞いてくれる筈の生徒役はどうでもいい風に水の滴る床に這う蟹をぼーっと目で追っていた。

 要領を得ない答えに苛立ちを隠せないが陽ノ華はここでじゃあ何でもないです、と立ち去ることも出来なかった。

 昼巫女の使命として邪を祓う、つまり妖怪の討伐がある。人に害を成す妖怪を霊符や呪文、破魔矢などで討ち払うことは昼巫女でしか出来ないのだ。

 この男は食えない回答をしているが人に害をなしていない証拠にはならない。

 何より男の後ろに積まれた様々な生物の死骸が彼の手によるものならば、尚更危険視せざるをえない。

 だがここで問答無用に男に攻撃出来ない理由も陽ノ華にあった。


(桜花仙様、これが貴女からの使命にあった者なのか、申し訳ありませんが確認させてください…!)


 心の中で深く謝りながら陽ノ華は霊符を男に投げつけた。

 大きな音と共に爆発が黒い箱から上がる。死骸の山が崩れ、埃や砂が舞い上がるが男は立ち上がる様子を見せない。


「効かない!?」


 続けて二枚目を投げようと構えた途端、煙の中から黒い腕が伸びて陽ノ華の手元を掴み引き倒した。


「探し物を持ってきてくれたから丁重に迎えてやったものの、ここまで暴れ回ってくれるとなるとただでは帰してやれぬな」


 無傷の男がぬうと現れる。怪我一つなくそこに立ち、怒ることなく薄く笑みをたたえ悠々とする様に背筋が凍る。

 陽ノ華が祓ってきた妖怪の中で人の言葉を話すものはいくつか目にしてきたが、そのどれもがかなりの戦闘能力であった。時には先輩である巫女の力も借りるほどに。

 だがこの男は陽ノ華の出逢ったどの妖怪よりも力が強いことをこの一瞬で理解した。

 掴む手の力は男の人間が持つ力と同等かもしれない、それならば霊力を手に込めることで陽ノ華は振り解くことは簡単だった。

 だが簡単にさせない理由が男の手に込められた魔力、陽界の霊力の対極に位置する妖怪の持つ目に見えぬ力、それがかなりのものだったためである。


「くっ…」


 身を捩っても男の手からは逃れられない。

 男の身体が迫るにつれ自分の鼓動がうるさくなってくる。


「だが礼はしてやろう…この俺の飢えを満たし眷属にする、それだけで許してやる」


 男の小刀にも匹敵する鋭さを持った犬歯が鈍くきらめく。

 飢えを満たす、陽ノ華の脳裏に先ほどの死骸の山が走り、体をこわばらせた。

 歯の先が陽ノ華の首筋に触れぷつり、と小さな痛みが襲う。

 少し待って赤い線、血の筋が垂れ男の舌先が首筋と共に触れた。

 途端、体がふっと楽になった。


「ウェッ、ゲホッ!がっ、ぐっ…まっっず!」


 男の手が陽ノ華から外れ、岩の床の上で海に上がった魚のようにのたうち回っていた。

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