第5話⁂母の佳代⁂

 

 


 戦後の動乱期と復興へ突き進む日本。

 そんな混沌とした時代に、事件は起きた。

 主婦の宿敵、男を惑わすあの色っぽい女初枝失踪事件。


 次から次へと男を魅了する、怪しげな魅力を解き放つ初枝失踪事件は、戦後のどさくさに紛れて起こるべきして起こってしまった。


 富山大空襲で大打撃を受け、やがて終戦を迎える。


 終戦直後の焼け野原には至る所に散らばる死骸やガレキの山、誰もかれも泥水をすする生活を余儀なくされていた敗戦国日本において、食べ物にも有り付けず物乞いをするのは当たり前、駅に野宿する子供等を尻目に、この時代に一張羅の高級品を身に付け男達を惑わす妖艶な女初枝。


 佳代がこの事件の首謀者なのだろうか?それとも女達の嫉妬が生み出した事件なのだろうか?

 この奇怪な失踪事件は世代を超えて小百合と江梨子に、覆いかぶさって来る。


 

 ◆▽◆

 それでは母佳代は、この初枝失踪事件に何か関与しているのだろうか?

 当時40代に差し掛かった佳代は、初枝が説法を聞きに訪れる時にコッソリ仏壇の影に隠れて様子を伺っていた。


 何故佳代はそんな卑劣な行動を、取らなくてはならなかったのか?


 あの女初枝は説法を聞くふりをして、男達を女の色香でイチコロにして、今度はこの町内一の権力者である夫の善吉を誑し込んで、味方に付けようとしているのではないだろうか?あの淫乱女どれだけ男を騙せば気が済むのだ!

 そう思い見張っていたのだ。


 そして度々夫の目を盗んで見張っていたある日。

 夫の善吉が、説法を説いていたかと思うと、ふっと立ち上がり初枝の後ろに回った。

 座禅の組み方と手の合わせ方の指導でもするのだろうか?


 初枝の手を握って手の合わせ方の指導と、足の組み方も初枝の足を持ちながら指導している。


 するとその時、初枝がよろけながら善吉の胸の中にしなだれた。


「あぁ~?どうしたのですか?はっ初枝さん?」


「私……私……今まで、ある事無い事散々言われて……それは、それは、辛くて……少しだけ……少しだけ和尚さんの胸の中で居させてくださいませ!」


 そして…善吉に抱き付いた。

 どれくらい経っただろうか………善吉も余りにも、かぐわしい香りと、着物のえり足から覗く、何とも雅で美しい細いうなじに、とうとう我慢できずに思い切り初枝を抱きしめた。


「あぁ~何か……今まで………思い悩んでいた事が噓みたい。この私をお助けくださいね……あぁ~もっと……もっと………強く抱きしめて下さい」


「ぼっ僕は、あんな下世話な叔母様達から、どんな事が有っても………初枝さんを……初枝さんを守って見せる。任せなさい」


「あぁ~嬉しい」


 そして…善吉の唇に、初枝の形の良い、それはまるで真珠や宝石のように艶のあるルージュで彩られた美しい唇(玉唇💋)をそっと押し当てた。


 どのくらいの時間接吻が続いたのか、その時何か……?ガタンと音がした。

 

 あの時代男尊女卑を地で行く時代、甲斐性のあるご主人様が愛人を持つことは当たり前の様な時代で、女性達は皆泣き寝入りをしていた。


 もしここで旦那様に食い下がったところで、何も良い結果は見出せない。反対に魅力も半減した何の取り柄もない自分なんか、三下り半を食らって追い出されるのがオチ。

 まだ女性の自立からは程遠い時代の事だ。

 

 だが、目の前で愛する夫の只ならぬ行為を、まざまざと見せつけられた佳代は、尋常な精神状態ではない。


 ましてや余りの妖艶さに、誰もが最も恐れている女性初枝が寄りによって、何者にも代えがたい夫を、完全に身も心も奪い尽くそうとしている。


 今この私の目の前で、完全に初枝の中に身も心も溶け込み、全て奪い尽くされてしまっているかのように映るのだ。


 今私が『あなた!妻はこの私よ!』と叫んだところで跳ね返されそうな『もうこの世の全て初枝しか見えない』そのとろけた目はそう物語っていた。


 こうして佳代は……恐ろしい事を……それは……取り返しのつかない?

 

 




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