第四章:鋼鉄の時代 The Equalizer
#1:一週間後
戦場は、様々な音に満ちている。
それは心地のいいハーモニー、などではなく。
ノイズの集合体だった。
銃声、爆音、車両や戦車の駆動音。兵士たちが走る足音。
建物が瓦礫の山になる崩落の音。混乱する人々の絶叫。怪我人のうめき声。
そんなものが、俺の耳をずっと触り続けている。
「レオン……」
「無事か? デュイット」
レオンは軽口をたたくように、そんなことを言った。
血だまりの中で、倒れながら。
腹部に酷い損傷を受けている。そこから大量の血と内臓がこぼれ出て、生きているのが不思議なくらいだった。
何が起きたのか。
混乱する最中でも、よく把握している。
味方が手榴弾を投げようとした。その直前で投擲手が撃たれて死に、ピンの抜けた手榴弾がこっちに転がってきた。
ちょうど、俺の足元に。
レオンは咄嗟に俺を突き飛ばし、手榴弾の上に覆いかぶさった。
手榴弾には炸薬を用いて爆発の威力そのもので相手を殺傷する
その中でもフラグは爆発によって破片を飛ばすという構造上、爆発の威力自体はそう大きくない。破片は十メートル以上飛び付近の人間をズタズタにするが、有効殺傷範囲に限らず単純に破片が飛散する距離だけなら最大でも二〇〇メートルにもなるという。だが裏返せば破片の拡散さえ防げれば、被害を抑えることができる。
例えば爆発する手榴弾の上に、何かが覆いかぶさるなどすれば。
「お前……なんで」
「俺からここに呼んどいて、死なせるわけにはいかないだろ、相棒」
レオンの負傷が致命的であることは、医学の素人でもすぐに分かる。いくら爆発の威力自体が低いと言っても、人を殺すための道具だ。そんなものが至近距離で爆発すれば命の危険は免れられない。仮にボディアーマーがあったとすれば破片が人体を傷つけることは防げるかもしれないが、それでも爆発の衝撃は肉体を傷つける。
そしてレオンはボディアーマーなど、上等なものは身に着けていなかった。
ここはそういう場所だ。いつどこから攻撃されるか分からないが、兵士が身を守るための道具……どころか相手を殺すための武器さえ不足している。
人は攫ってくるなりなんなり増やすことができるが、武器は畑から取れるわけでもなし。レオンが言ったことだ。
ここが、樺太だ。
「呼ばれたわけじゃない。俺が勝手に来ただけだ。お前を信じて待っていればよかったのに……。そんな」
「いいんだ。お前に死なれたら困る」
酷い負傷にも関わらず、レオンはいつも通りの態度を崩さない。軍人というのはそういうものなのだろうか。いや、傷を負って泣きわめく兵士の姿を俺はここに来てから嫌と言うほど見ている。
レオンだからこうなのだ。
「ひとつ、頼まれてくれないか?」
「…………なにをだ?」
「心残りがある。前線に子どもをひとり、置いてきてしまった。この状況なら、死んでない限り日本側に捕虜として捕らえられるだろう。だからお前が、彼女を救ってくれ」
「分かった。分かったから……」
「頼んだぜ、相棒」
それが、俺とレオンの、最後の会話だった。
「……………………」
久々に、夢を見た。
レオンが死ぬ、そのときの夢だ。
直後からしばらくはいつもその夢を見てうなされていたのに、一週間くらいすると夢を見なくなって、だから俺は冷たい人間なのかもしれないと思っていた。
レオンの死は悲しい。だが俺はもういい年をした大人だ。人ひとりが死んでいつまでも嘆き悲しむ暇もない。身内でもなんでもない人間の死に、忌引きは使えないことだしな。
樺太から戻った俺は、レオンからあらかじめ渡されていた鍵で事務所を開いた。そこには必要な書類がきっちり準備されていて、開業するのに手間はかからなかった。その辺、あいつはいつも手際がいい。ゆえに俺はひとりでも、探偵の仕事をやっていけていた。
そういえば、用意された書類の中にはマチルダの身元を証明するためのものも準備されていたな。するとあいつは、最初からどっかのタイミングで彼女を引き連れて日本に戻るつもりだったんだろう。
レオンが指導していた少年兵はマチルダだけじゃないはずだが、どうして彼女にそこまで入れ込んだのかは、聞いていなかった。
あの、人を殺すことだけしかできない子どもにどうして…………。
ベッドから起き上がる。目覚ましはセットしていなかったが、昔からの習慣で自然と朝の七時には目を覚ます。
一週間が経過していた。
マチルダが青柳を撃ち殺したあの日から。
その間、俺は事務所に出勤しておらず、自主休業を決め込んでいた。だから事務所のあるガレージハウスの三階に住むマチルダとも顔を合わせていない。
どういう顔をして彼女に会えばいいか分からない。
彼女に対して何を思うべきなのか。
マチルダが人を撃ち殺すのを止められなかったことを後悔するべきなのか。昔からの知り合いを容赦なく殺したことを怒るべきなのか。当たり前に人を撃ち殺せてしまう彼女を悲しむべきなのか。
自分が悪いのか、青柳が悪いのか、マチルダが悪いのか。
何も分からないのだ。
元少年兵。戦場で人を殺すことだけを教え込まれた存在。そんな彼女を引き取るにあたり、ある程度覚悟はしていたことだが。
覚悟など、いざ実際の現場に立ち会えば何の意味もない。必要なのは覚悟などというざっくりとした精神的何かではなく、もっと具体的な対人方針なのだから。三十年以上生きてきて、それにまだ気づいていなかった。
そりゃあ、今まで非正規雇用で低給にあえぐのも当然だよな。普通なら大学を出てすぐに身に着ける社会人としての常識を持っていないんだから。そんな人間はまともな職を与えられなくて当たり前だ。
俺は何となく、ベッドの下からあるものを引っ張り出した。
それは小型のガンケースである。レオンからの預かりもので、事務所に置いてあったのだがマチルダに見られるとあまりよろしくないだろうと思って自宅に持ち帰っていたものだ。
中を開く。
そこには一丁の拳銃とマガジンが三本。それから
ライセンス。
レオン――宍道志郎の金バッジである。
マチルダにはレオンは仕事で遠くに行っていると説明している。だから彼の愛銃だったこれと、金バッジが事務所にあると不審がられるかもしれないと思った。戦場にこの銃は持って行かなかったらしいから、ひょっとするとマチルダはこの銃を知らないかもしれないが、念のためだ。
銃を取り上げる。金属製ではない、プラスチックの
H&KVP70。
強化プラスチックを使用した拳銃は今ではポピュラーで、それに先鞭をつけた世界初のポリマーフレーム拳銃はグロックだと思われている。だがグロックはあくまで世界で初めて商業的に成功したポリマーフレーム拳銃であり、実際に世界で初めて強化プラスチックを使用した拳銃とされるのがVP70だ。
その特徴はプラスチックを多用したことで軽量であること、そしてストックを取り付けることでマシンピストル化することだ。ストックを銃に取り付けると三点バースト――つまり一回引き金を引くと三発の弾丸を発射することが可能になる。単にストックをつければ、それだけ精密な射撃も可能だしな。
動作の信頼性が低かったために商業的には成功しなかった。この銃はH&K社の製品ではなく、中国の銃器メーカーが製造した模造品で動作も安定化しているということだが、レオンが戦場に持っていかなかったということはそれでもやや不安があるのかもしれない。
珍しい銃だが、日本では有名ゾンビゲームの主人公が使った銃として知名度があり、それなりに人気の代物だ。あいつはあまり、その手のゲームには詳しくなかったはずなので単に外観や機能を気に入ったのかもしれない。
ちなみにフルオートや三点バースト機能は民間人が所有できない銃器の能力だが、この銃のように外付けパーツが装着されることで初めて機能するような場合の法的処理は、日本では定まっていない。そもそもがレアケースなので想定していないというところだろう。ただストックによる肩付け射撃の姿勢を取れるかどうかは、その銃がピストルかライフルかを区別する重要な要素であり、拳銃にストックを取り付けたものでもライフルとして扱われることはままある。ゆえに俺の持っているモーゼルC96にも本来はストックを取り付ける機能があるのだが、俺のものはその機能をオミットされている。
レオンがこの銃をストックと一緒に保持できるのは、探偵ライセンスの金バッジによる特権である。
と、いうのが、だいたいやつからの受け売りだった。仕事で必要があれば知識を仕入れるが、そうでないなら銃に興味のない俺にはよく分からない話だ。わざわざ探偵ライセンスを利用してまで強力な銃火器を所持しようとも思わないしな。
この銃は俺が定期的にメンテナンスをしている。だから今すぐにでも撃てるが、そんなことに意味はないのだ。持ち主はもういないのだから。
銃とライセンスをケースに仕舞い、元通りベッドの下に戻した。銃を見たのは何となくだったが、見ているうちに余計に、事務所へ行ってマチルダと顔を合わせようという気力が削がれていく気がした。
そんな中、スマホに着信があった。
「…………」
画面を覗き込むと、知らない番号からだった。てっきりマチルダからかと思って身構えたが、彼女には身分の証明がなされるまでの間に合わせとしてプリペイド式の携帯を持たせてある。その番号は登録してあるから名前が出てこないはずもない。
だとすると誰だろう。
無視してもよかったが、今は青柳やマチルダのことから少しでも意識が逸れるなら何でもよかった。
電話に出る。
「もしもし」
『おう、オレだ。天竺だ。探偵だよな?』
電話の向こうにいたのは、銃器犯罪対策課の刑事、天竺夏至郎だった。
「天竺さん……何ですか?」
そういえば、影本の件で事情聴取がまたあると言っていたな。そこに今回、青柳の件もプラスされるわけで、既に一度聴取は受けている。事件現場こそ城下町だったが、もともとは国守区にある基地からの脱柵者に関わる一件ということで、国守分署の刑事である天竺たちが出張っているのだ。
『まったく……。大変なことしてくれたよな。ただでさえ影本の件とイコライザー事件で天手古舞だってのに、この上脱柵者の件までウチの管轄になっちまった』
「税金で飯食ってるんですから、たまには働いてくださいよ」
『よく言うぜ。市民が平和に暮らして俺らが暇なのが一番なんだがな。まあいい、お前今から出られるか?』
「はあ……別に用はないですけど」
唐突に何だ?
『聴取の続きがしたい』
「じゃあ警察に……」
『まあ待てよ。お前さんにそうがっつり聞きたいことがあるわけじゃねえ』
「と、言いますと?」
『影本の件でも脱柵者の件でも、実行犯はあのお嬢ちゃんだからな。探偵は監督責任こそあるが、それだって身元引き受けて一週間ばかりしか経ってない状況じゃあ責任問うのも無理がある。だから警察署に呼んで話聞くのはお嬢ちゃんだけだ』
「…………」
『それに今お前さん、お嬢ちゃんにあまり会いたくないって感じだろ』
お見通しというわけか。
『だからそっちは根津に任せた。俺たちは適当なところで話し合おうや』
「分かりました。どこで落ち合います?」
『池袋サンシャイン通りの裏手にイエローボーイってパブがある。行けば分かるが検索すればすぐ場所は出るだろ。そこで会おう』
「朝から酒飲む気ですか」
『こういうときは酒でも飲まんとやってられん。ああそうだ、探偵、気合い入れてけよ』
「……はい?」
天竺は、妙なことを言った。
『この店は、かなり面白いからな』
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