#7:あの日殺した幼き人よ

 相手の追跡は容易だった。連中、自分たちは尾行する側だと決め込んでいて、まさか尾行される側になるなど思ってもみなかったらしい。まったく警戒しておらず、悠々と尾行することができた。

 だが、電車を乗り継ぎ向かった先は……。

「ここは……」

 東京都二十五区、夢城区の入り口、城下町だった。

「カジノ特区の入り口に何の用だ、あいつ」

 東京都の行政特区再編により、従来の二十三区から二つの区が増えた。ひとつが国防軍の海外派遣隊を編成、練兵し一時駐留させるための基地を擁する国守区。つまるところわが社のある街だ。清瀬や東久留米ら一帯を新たに区として再編している。

 もうひとつが夢城区。かつて夢の国と呼ばれた大型レジャー施設のある一帯を中心としている。件のレジャー施設は二〇〇〇年代初頭に撤退し、残された場所をカジノ特区として再編したのである。

 城下町はその夢城区の入り口にあたる。夢城区はカジノ特区だから、出入りするのに検問……というのは大げさにしても一定の制限が課せられている。区としての性質は他の二十四区と異なり、いわば区全体が大きなレジャー施設のようなものだと考えればいい。成田国際空港から夢城区まで、海外からの観光客は地下鉄を使ってほぼフリーパスで区内へ入ることができるが、日本国民は地上ルートで城下町を通り、正門とも表現できるゲートをくぐって区内へ入る。

 元々カジノというのは外貨獲得が大きな目的だから海外からの観光客の入場はほぼ制限がないが、国民がギャンブル依存症になると困るのでそっちは厳しく制限するというケースは少なくない。依存症を気にするならそもそもカジノを作るなと思うが。

 で、カジノ特区内はカジノのみならずあらゆる娯楽施設があり、夢城区内で観光が完結するようにできている。だが区内のレジャー施設は海外向けに見せることのできる、いわゆるお仕着せというやつだ。もっと過激でホットな娯楽……つまり風俗関係はあまり準備されていないらしく、そういうのを求めた観光客が区外に出る。そこを狙って区の出入り口付近に多くの風俗店が軒を連ねるようになった。それが城下町である。ゆえに単純な話、治安がとても悪い。

 だからマチルダをあまり行かせたくはなかったんだが……。とはいえ海外観光客狙いの街であるから、あからさまに外国人的容姿をしたマチルダがそう問題に巻き込まれることもないだろうと踏んだ。ロシア系だと樺太紛争の影響でまた別の懸念があるんだが、それを加味しても歌舞伎町を歩くよりは安全だろうという予測は立つ。

 ちなみにカジノ特区は日本には他にもいくつかあり、有名どころは天京区夢洲などだろう。東京を除けば一番の歓楽街で、探偵として独立するとき、東京と大阪のどっちで事務所を開くかレオンといろいろ検討したものだ。

 さて……国防軍の捜索隊の連中がここに来たということは、俺の予想通りここに鈴郎がいるということだろうか。連中、尾行が素人なのでやや侮っていたところがあるが、さすがに大きな組織だけあって一定程度の捜査能力は有していたらしい。それに五日前から捜査していたわけで、こうなると先んじられるのもやむをえない側面がある。まあそんな言い訳をしていたら探偵は務まらないから、ここでトンビのようにかっさらうことを狙うわけだが。

 男を追っていく。てっきり鈴郎の居所に目星がついていて、そこを目指しているのかと思ったが……。男は大通りを突き進んでいき、やがてひとつの店の前で止まる。

 『キャバレー江戸前』と看板の出ている店だ。城下町には詳しくないが、それでも街中でひときわ大きな店だというのは、すぐに分かるくらいの立派な店構えをしている。

 男はその店に入っていく。あそこに鈴郎が……? いや、どうも違う気がするな。もし店内に鈴郎がいるのなら、逃げられないよう周囲を固めているはず。だがあの男以外の国防軍らしい人間は見かけていない。あの男も、これから探しているやつの隠れている場所に乗り込もうという気概を負っているようには感じられないし。

 思い出すのは、歌舞伎町で見かけた国防軍のことだ。もしかすると…………。

「ミスター所長代理」

 気づくと、隣にマチルダが来て敬礼で挨拶する。街のネオンに当てられて銀髪がキラキラと輝いている。

「君も来ていたのか」

「はい。街を捜索していると、国防軍らしい男が動いているのを見かけたので。青柳鈴郎の居場所を掴んだのかと思い追跡しましたが、この店に消えていきました」

 マチルダがキャバレーを見上げる。

「ここに目的の人物がいるということでしょうか」

「君はどう思う?」

「ここではないように思います。一日街を見て回りましたが、この店は街の中でも最も大きい部類です。隠れたい人間が使うには目立ちすぎます」

「そうだな。それにこれだけ店構えが立派だと、それなりに経営には気をつかう。身元の不明な人間をボーイとしては雇わないだろう」

「では、どうして国防軍の兵士がこの店に吸い込まれていくのでしょうか。少しの間観察していましたが、十人ほど入っていきました」

「そうだな……。そういえば君のいた軍隊では、やる気はないけど甘い汁だけは吸いたいみたいな上官は見かけたことある?」

「上官のすべてを見ていたわけではないので分かりかねます。ただ、戦闘行為そのものが快楽になったような上官は何人か見かけました」

「なるほど……。戦争そのものが目的化した軍隊ってのはそんなもんか。じゃあ社会見学だ。軍隊に限らず組織ってのは、腐るとこうなるってもののお手本を見に行こう」

 俺は店に向かう。後をマチルダがついてくる。

「乗り込むのですか? 国防軍に隠れて捜査をするという方針だったはずですが」

「段階が変わった。連中と直接コンタクトを取り、確認した事項によって素早く行動を取る。連中から鈴郎をかすめ取るためにな」

「ここからは時間と手際の勝負、ということですね」

「そういうこと」

 店に近づく。俺は仕事と接待以外でこの手の店に入ったことはないのだが、こういう店は入り口に店員がいて、客を案内するようになっているのは知っている。これが問題だ。こっそり入る、というわけにはいかない。

「すみませんお客様」

 俺たちを見つけた店員がこっちに寄ってくる。

「お連れの方は未成年ですよね? うちはアルコール類を提供する店ですので、未成年の方のご入場は……」

「ああ、失礼。俺たちは客じゃないんです」

 探偵バッジを見せる。

「ここに国防軍の人が来ているでしょう。彼らと共同で捜査をしておりまして、その打ち合わせに。彼女はわが社の社員です」

「はあ、そうですか……」

 店員は怪訝そうにマチルダを見る。未成年が探偵社に勤めていることを怪しんだのか、ロシア系なのをいぶかしんだのか、どちらかは分からないが……。

「かしこまりました。ではご入場ください。国防軍の方々は二階のボックス席にいらっしゃいますので」

「ありがとうございます」

 ふう。なんとか入ることができたな。マチルダの身分証を見せろと要求されていたら危なかった。

 探偵制度において、探偵には助手を三名まで付けることができる。探偵は一般人より強力な銃器の所持などいくつかの点で行動を容認されているが、助手は探偵の監督下においてそれに近しい権限を持つことができる。俺が持っている金バッジの銀色版が助手の証であり、これを持っていないと助手を名乗るは本来違法である。まあ方便ってやつだな。マチルダの身分証を確認しなかった向こうの落ち度だ。

 中に入る。キャバレーというのはキャバクラとまた経営形態が微妙に違う。キャバクラは単に女性が男性の相手をするという感じだが、キャバレーは店構え自体がキャバクラよりも大きい。その理由は、正面にあるステージだ。あのステージで演奏などを見せつつ、女性ホストによる接待を行う。キャバクラの拡張版と思えばいい。実態は、キャバレーの縮小版がキャバクラ、と表現するのが登場した順序的には正しいのかもしれないが。

 正面にステージ。それを扇状に囲むソファ席がいくつもある。店内はなかなか盛況だった。満員御礼とまではいかないが、店員としても客としても忙しすぎず寂しすぎずのちょうどいい具合だ。今がバカンスシーズンでないことを考えれば、十分な客入りだろう。

 二階に上がる。ステージでのパフォーマンスを見物する都合上、いわゆるVIP席にあたる二階部分も完全な個室とはなっていない。その辺の采配は店にもよるところだが、この店は個室を用意していないらしい。仕切られたボックス席はほどよく客のプライバシーを守り、他の客を気にせず楽しめるようになっている。

 二階席中央。ステージを一番楽しめる大きなボックス席。そこに国防軍の連中はいた。マチルダが見た通り、数は全部で十人ほど。口ひげを蓄えたどこか滑稽な中年男を中心にホステスと兵士たちが席に着いていることから、口ひげがこの場で最も偉い人間なのはすぐに分かる。

「どのように応じますか?」

「そうだな。じゃあこうしよう」

 突撃する前に、少しだけ打ち合わせる。やることは簡単だ。相手に俺たちとの対話を必要とせざるをえない状態を作る。そのためのはったりをマチルダに利かせてもらう。

 暴力的な出自や背景を持つ人間とのやり取りは、さすがに仕事で何度もしてきた。国防軍の人間は、その中ではかなりやりやすい部類だ。上の命令を遵守するだけの低能集団なので御しやすいし、そもそも公務員なので向こうはこちらを無下にできない。暴力に訴えれば困るのはあいつらの方だ。兵士というのは粗野で凶暴というイメージがあるし、実際頭に血の上りやすい集団だが、実のところ立場的優位はこっちにある。それさえ自覚していれば立ち回るのに苦労がない。

 よっぽど暴力団構成員ひとりを相手取る方が大変だ。それに比べれば軍人など十人だろうが百人だろうが困りはしない。なにせ俺は連中が守るべき自国民様だからな。

「ちょっと失礼するぞ」

 俺はずかずかとボックス席に向かっていき、空いている席に腰を落とした。ちょうど、口ひげの正面である。実に都合のいい配置だ。

「なんだお前?」

 兵士のひとりが応じるが、かろうじて言葉にしたという様子だった。そりゃあな、いきなり見ず知らずのやつが入ってきたら困惑する。それは兵士であれ同じだ。

 これでまず、心理的に優位を取る。

 こうした場面で、丁寧に割って入っていくことは厳禁だ。慇懃無礼という言葉がある通り、表面上の丁寧さは腰の低さを必ずしも意味しない。だがそれは表向きの態度の裏をきちんと読める相手にしか通じない。そして俺の経験上、この手の連中はそんな能力がない。ゆえに裏表なく、「俺はお前たちに対し対等かそれ以上の立場でものを言っている」ということを態度で表す必要がある。

「ずいぶんいい酒飲んでるな。獺祭か。一時期かなり話題になったよな。今でも安定して人気の酒だ。しかしこんなキャバレーで日本酒は合わないだろ。センスないな」

 言って、空いているグラスに獺祭を注いで煽った。酒は好まないが、付き合いで飲むくらいはできる。幸い、アルコールに強い体質ではあるらしく、この程度では酔わない。

「お前、何してる!?」

 兵士たちが立ち上がり、俺を取り囲む。そこをするりと潜り抜けるようにマチルダが割り込んで、俺の背後に立つ。

 そして、テーブルに銃を置く。

「あ……」

 その銃は、連中が腰に吊るしていたものの一丁である。

「オレの銃! いつの間に……」

「マチルダ、どうだ? ここの連中は」

「どの程度の訓練を受けているかは分かりかねます。ただ、前線での勤務経験がないのははっきりしています。自身が体に帯びている銃を取られて気づかないなど前線に数時間でもいればありえませんから」

 マチルダが明朗に答える。

「ふうん。なるほど、鈴郎くんのように樺太紛争で戦ってまた国守基地に配属……ってパターンは案外少ないのかな?」

 鈴郎の名前を出しつつ、口ひげの様子を見る。表向き、どっしりと構えて動じていないふうを演出しているが、目線が俺とマチルダの間を泳いでいる。闖入者にどう対応していいか悩んでいるようだ。鈴郎の名前が出た手前、すぐに追っ払えとも言えないわけか。

 ならばよし。食いつける話題エサをくれてやろう。

「五日前からそちらの国守基地を脱柵した青柳鈴郎くんの件だよ。分かってんだろ。なにせ姉をずっと尾行していたんだ。俺とマチルダが彼女の周囲を動いていたのは把握しているはず。まあ、俺たちが探偵だということに気づいていたかどうかは知らないがな」

「知っているとも」

 口ひげが重々しく口を開く。

「姉が我々より先にあのバカを見つけるために寄越したんだろう」

「実はそれで困っていてねえ。情報がさっぱりない」

「それでここに来たのか」

 途端に、口ひげの態度に余裕が出始める。鈴郎捜索レースで自分たちの方が先んじていると確信したな。分かりやすいやつ。逆にこっちは、その情報こそ欲しかったんだ。知りたいことのひとつは、質問するまでもなく分かってしまった。

「なにせ東京は広い上に人も多いからな。砂漠に落ちた針を探すようなものだ。特にうちは零細探偵事務所と来ている。人手も全然足りない」

「ウィンドブレーカーのロゴからPJ社かと思ったが違うようだな。なら手を引け」

 口ひげはグラスを手に取る。

「どうせ前金はふんだくっているんだろう。成功報酬は手に入らずとも赤字にはなるまい」

「しかしこの件には個人的な興味もあってね。手を引きたいのは山々だが、その興味を満たさないとどうにも……」

 いかにも探偵らしい台詞を吐いてみる。探偵とは言い条、小規模経営のPMCなのでこの言葉は全然そぐわないのだが、連中にはそれっぽく見えるだろう。

「ところでずいぶんお楽しみだな。確かに脱柵者の捜索期限は一か月。まだ一週間も経っていないから余裕はあるが、それにしたってかなりゆったりしているようだが」

「お前ら一般人には分からないだろうが、我々兵士ってのは外出するのも一苦労でな。こういう機会でもないと羽を伸ばせん。その点、青柳には感謝してもいい」

「そういえば、捜索に掛かった費用は脱柵者持ちだったか。鈴郎くんにツケたってわけだ」

「人の金で食う肉と飲む酒ほど美味いものはないからな」

「そいつは同感だな」

 連中の目的は捜査をダシにして楽しむことだ。だから歌舞伎町でも、捜査に関係なさそうな店に入っていた。鈴郎を見つけさえすれば金は全部彼持ち。タダ酒が好きなだけ飲めるという寸法だ。

 裏返せば見つけられなければアウトだろう。まさか公務員がこの手の店で飲み食いした領収書を公費で落とせまい。それを言ったら鈴郎への請求でも同じことなんだが……。脱柵した落ち度のある相手になら経費だと言い張るのはそう難しくもないか。

「それで、聞きたいことってのはなんだ?」

 口ひげは自分から話題を振ってきた。

「まさか青柳の居場所ということではあるまい?」

「ああ。俺が気になったのは脱柵の理由だよ。なにせ自分から軍に志願しておいて逃げ出すなんて論理的に考え難いからな。俺みたいに合理性で動く人間には理解できない思考だ。ゆえに興味がある」

 あくまで俺個人の興味ということにするため、かなり誇大な表現を使った。

「姉から聞いたよ。鈴郎くんは樺太紛争でも活躍したそうじゃないか。それほどの人間が軍を逃げ出す理由は想像できないな」

「なんだ。あいつ、親族には話してなかったんだな」

 何か知ったようなことを口ひげが言ってせせら笑う。本当に知っているのかどうかは、これから分かるさ。

「何か知っているようだな」

「ああ。青柳のやつはやたら隠したがっているが、気にすることではあるまい」

 口ひげの顔はサディスティックに歪んだ。人の秘密を暴くことの快感に浸っているわけだ。こりゃ、思いのほか情報を得るのが楽そうだ。

「そこの小娘……ロシア系か東欧系だな? 銃をスった手際といい、東欧か樺太での戦闘経験がある少年兵だろう。ふん。ならここにいる若造どもは相手にならんか」

「その口ぶりだと、あんたは樺太の経験があるようだな」

警務科ミリタリーポリスとしてな。前線では戦わなかったが、場所特有のプレッシャーは強く感じた。それに前線から一歩引いた場所だからこそ入ってくる情報というのもある」

 それで鈴郎の件についても知っていると。

「どうにも、奇妙な戦闘だと聞いている。まるで第二次大戦の頃の戦いが再現されたかのようだったとな。前線に出た兵士には中東帰りもそれなりにいたが、そいつらも困惑していたよ」

「靖国にもそんな展示があったな。にわかには信じがたいが」

「ロシアの軍事力は強大だと思われていたが、蓋を開けてみれば戦術レベルは第二次大戦のままだった。それに対応すれば、必然こちらも第二次大戦の戦い方を強いられる。妙な話だ」

 別にロシアの戦術レベルだけが原因というわけでもないと思うがな。

「塹壕を掘り、掩体壕を潜り抜け……。そんな戦いだったと兵士たちは口々に言っていた。市街地戦もあるにはあったが、樺太は北へ行くほど街がさびれていたからな」

「ロシアにとっても日本にとっても辺境の地だ。むしろ、豊原のあたりが一年ちょっとで日本化しているのが早すぎるくらいだろう」

「行ったことがあるようだな」

「諸事情あってね」

 つい最近な。

「それで? 鈴郎くんはその奇妙な前線で何を見たんだ? いや……何をやらかした?」

「お前も、おおかたの想像はついているんじゃないか?」

 言って、口ひげはマチルダを見た。

「少年兵だよ。ちょうどそこの小娘と同じくらいか、少し年下くらいのガキだったらしい」

 置手紙にあった「幼い人」。その正体が少年兵であることは、想像していた。

 表現としてやや不自然だったからな。敵の若い兵士を殺すことに忌避感を覚えたというのなら普通に「兵士」とか、せめて「若い人」とか、そういう表現になっただろう。わざわざ「幼い」と表現したのは、それほどまでに戦場で見ることが異常な年齢層の人間を、彼が見たからなのだろうと推測していた。

 実際、ロシアは東欧から攫ってきた子どもを樺太の警備に使っていたわけだし。彼が少年兵を見ていても不思議じゃない。

 いや、見るだけではなく……。

「あいつが投げ込まれた手榴弾を敵のトーチカに投げ返したときのことだ」

 口ひげが話を続ける。

「そのトーチカの中に、ガキがいたらしい。銃を持ったガキだ。当然そのガキは死んだ。青柳はそれをずっと気にしているようだな。あんなもんは不慮の事故だ。殺さなければこっちが殺されている。気に病むことじゃないんだがな」

「だが、鈴郎くんはそれを後悔していたと」

 ゆえに、武勇伝でもあるその話を姉にも黙っていた。少年兵を手にかけてしまったことを悔いて。

 これはまた、想像よりまともな感性の持ち主らしいな、鈴郎くんは。

 だからこそ、「姉に殺される」という言葉の不可解さが際立つ。彼の価値観がとち狂ったわけではない。手紙の内容が理路整然としていることから錯乱しているとも考えにくい。そのせいで「姉に殺される」という一文だけがぼんやり浮かび上がってしまう。

「仮にだが」

 聞きたいことは分かった。ここから先はアディショナルタイム。口ひげに聞いて、それなりの答えが返ってくるなら儲けものくらいのおまけだ。

「肉体的および精神的に負傷し勤務が困難となった兵士はどういう扱いを受ける?」

「事務に回されるケースもあるが、事務員はそんなに必要ない。除隊するのが普通だな」

「それで、除隊後の年金で暮らしていくことになるわけか」

「そうなるな」

「だがその年金の額が少なくて生きていけなかったらどうする? PMCの仕事を斡旋するか?」

「負傷が原因で除隊したのにPMCの仕事はできまい」

「俺は樺太で実際に、負傷退役した兵士がPMCに雇用されているケースを見た」

「そうか?」

 思ったより素の反応というか、意外そうな顔を口ひげがする。

「樺太方面隊はそうなのかもしれん。あそこは地元のPMCと結びつきが強いと聞くからな」

「樺太警備局だな」

「詳しいことは我々も知らない。組織的にも物理的にも距離が離れすぎている」

 それは事実らしい。単にこいつが興味なくて知らない、というより軍内部にいてもなかなか知る機会がないらしい。

 独立志向の強い軍隊を野放しにしていると後が大変そうだが、大丈夫なのか?

「しかしその兵士は樺太紛争を戦って負傷していた。にもかかわらず生きていくのに足りない額の年金しか支給されないとは、案外貧相なんだな国防軍は」

「再編されて日が浅い。制度の整備に時間がかかっているんだろう」

「二十年以上経って整備されない制度は、もう整備する気がないと判断するべきだと思うがな」

 それ以前に……。

「軍隊にとって負傷し戦えなくなった兵士など、どうでもいいということなんじゃないか? お前たちには嫌な話かもしれないが」

「なにを……?」

「おいおい、まさか軍隊にいてこんなことも理解してないはずがないだろう」

 例えば、だ。

「地雷って知ってるよな。兵士なら……いや存在を知らないやつがいるならただの馬鹿だな。よくアフリカとかで埋められて、民間人が踏んづけて足を吹っ飛ばすやつだ。しかしあれ、おかしいと思わないか?」

「なにがだ?」

「殺傷能力の低さだよ。まあ単に死んだやつは表に出てこないだけかもしれないが。それにしたって対人地雷の殺傷能力の低さは気にかかるよな。足を吹っ飛ばすだけで終わるケースも相当あるだろ、あれ。なんでだと思う?」

 俺は周囲を囲んでいる若い兵士たちを見た。彼らは俺の話の進む先が分からず困惑しているようだった。ただひとり、口ひげだけは憮然として、手元のグラスを傾けていた。

「答えは簡単だ。殺すより負傷させるだけにした方が都合がいいからだよ。実際その辺、どうなんだ、マチルダ」

「はい。敵兵士を殺害せず負傷させるにとどめるのは一般的な戦術です」

 マチルダがよどみなく答える。

「地雷のみならず、狙撃においても敵を負傷させるだけで殺害しないケースはあります。その理由は、です。死亡した場合、後々死体を回収する必要はあるにしても当座は捨て置くほかありません。しかし負傷者は、今すぐに対処する必要が生じます」

 死体はもう死んでいるから放置するしかない。だが負傷者は、処置すれば生きるかもしれないから即時の対応が迫られる。ゆえにそれだけ、相手のリソースを削ぐことになる。

「さらに仲間の兵士が死亡した場合、隊全体の士気が上昇する可能性があります。戦友を殺害された怒りが死の恐怖を上回るのです。しかし負傷した仲間を見た場合、その苦痛にうめく姿は逆に士気を下げる効果があります」

 人は死に対し想像力があまり働かない。死とは人間の最終到達点であり、そこから先がないからだ。誰も死んだ後のことなど知らないし、伝えようもない。だから想像できない。だが傷を負う痛みは想像できる。今まさに負傷した仲間が苦しみを訴えているわけだし、大小あれど傷を負う経験は誰もが持つから、想像しやすいのだ。

「これらはレオン大尉の教えです。ただ、短期的に言えば殺す方がメリットが大きいとも指導されました」

「そうか?」

「はい。少なくともわたしのように前線でただ戦うだけの兵士ならば、殺す方がいいのです。生かすか殺すかの判断を個別に行えばそれだけで脳内の情報処理はパンクします。生殺与奪の権限を握っているということ自体がストレスになりえます。そして殺さなかった相手が反撃をするリスクもあります。ゆえに機械的に、自動的に全員を殺す方が一兵卒としては合理的ではあります」

 まあ、そうかもしれない。生かすか殺すか判断するということは、自分の意志で、自覚的に相手を殺すことを意味している。その行為はストレスの元だ。加えて生かした兵士が最後の力で反撃するということもありえる。いちいち判断して、その結果判断ミスをしていたら世話ない。だったら「全部殺す」と最初から決めておくのがいい。

 レオンらしい割り切り方な気もする反面、それをマチルダに――年端もいかない少女に教えたのはらしくない気もした。だが案外、そういう機能的な戦い方を彼女に身に着けさせることで、心が砕けるのを防いでいたのかもしれない。

 そのせいで今、俺は苦労しているんだが……。件の男子高校生三人も殺しちゃったし、下手したら根津も撃っていたからな。今思うと根津を殺さずに済んだの、すごい奇跡だと思う。

「結局何が言いたいんだ、お前は」

 口ひげがグラスを置く。

「兵士ってのは負傷するくらいなら死んだ方が都合がいいってことだよ。手間がかからないからな。実際、日本じゃ死んだ兵士は靖国で英霊様だが、生き残った兵士はブラック企業で過労自殺だ」

 立ち上がる。

「ごちそうさん。それじゃ、俺たちはお暇させてもらうかね」

 その場を去る。

 聞きたいことは聞けた。

 確信は持てた。

 連中は、鈴郎の居場所を掴んでいる。

 そしてそれは、この城下町のどこかだ。

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