#2:脱柵とは

 青柳美鈴。

 俺の地元は愛知県岡崎市の片田舎だったから、保育園から中学校まで、ほとんどの生徒はエスカレーター式に同じところへ入る。だからまあ、幼馴染、という表現をわざわざ使ったりはしない。

 あくまで中学までの同級生である。

「依頼の話をするのに、こんなところでいいの?」

「あー、うん、まあ、いいんだ」

 注文をして席につき、俺たちは向き合った。

「国防軍の連中に探偵を雇ったとバレるとマズい。あくまで表向き、君は知り合いの俺に会いに来ただけという体でいく。尾行を撒いたのは向こうが勝手に見失ったということにしてな。こういう場所の方がその方便に都合がいい」

「ふうん」

 くすりと笑って、青柳はこっちを見る。

「プロの人みたいだね、理三郎くん」

「いや、そりゃ……プロだし」

 プロフェッショナル! ……という雰囲気でもないがな、俺は。でも社会的にはプロの探偵だ。そう言って差し支えない、はず。

「…………」

 隣に座ったマチルダはドーナツを食べながら、じっとこっちを見ている。その金色の瞳がやけに鋭く刺さってくるような気がしてならない。彼女は人の感情の機微に無頓着なのかと思っていたが、前回の件から考えて、依頼の遂行に関わる「上官の士気」にはある程度敏感なようだ。

 今はそれがなんというか、いやだ。

「それで、依頼の件だけど、えっと……」

 言葉に詰まる。どう呼べばいいのか分からなかった。俺は成人式以来地元には帰っていないが、それでも昔の知り合いの情報ってのはどこからともなく流れてくるものだ。青柳は確か結婚していて、今は苗字が違うはずだ。

「ああ、大丈夫」

 昔からそうだった記憶があるが、青柳は察しがいい。俺が言葉に詰まった理由を理解して頷く。

「あたし、離婚したから。今は青柳姓に戻ってるの」

「そう、か……」

 ちらりと、正面に座る彼女の左手の薬指を見る。そこに指輪ははまっていなかった。

「あー、じゃあ、青柳さん」

 周囲を見渡す。マチルダの腕を疑っているわけではないが、一応警戒は怠らない。当人いわく「鈍っている」ところもあるようだし。午後の遅い時間ということもあり、店内はガラガラだ。客は俺たちの他に老婦人の二人組がいるだけ。……今、二十代後半くらいのガタイのいい丸坊主の男が入ってきたところだ。

「弟さんが脱柵したって本当か?」

「そうなの。連絡を受けたときはまさかと思ったけれど……。そういえば理三郎くん、鈴郎れいろうは知ってたっけ?」

「……君に弟がいるのは知ってたけど、詳しくは。鈴郎くんっていうのか」

「うん。そっか。五歳も年下だと接点もないよね」

 じゃあ今年で三十か。

「小学校でも低学年と高学年ほどの差があるからな。俺は弟も妹もいないから知る機会もないし」

「末っ子だもんね理三郎くん。あたしはお兄さんたち知ってるけど」

「三歳ずつ年上だと知る機会もあるかもな」

「今お兄さんたちはどうしてるの?」

「さあな。地元には全然帰らないから……」

 さすがに兄弟の動向は知っている。一番上の兄は引きこもりニートで金食い虫。二番目の兄は犯罪心理学の研究をして北海道の研究機関でふんぞり返っている。あの馬鹿どものことは思い出すだけで苛つくから考えたくない。そもそも話の本題でもないしな。

「その鈴郎くんだが、まさか国防軍にいるとはな。しかも国守基地に配属されていたってことは、どこか海外に派遣される予定があったのか?」

「うーん、あたしは詳しく知らないんだよね。でも樺太紛争には行ってね、そこですごい戦果を出したって聞いたよ。鈴郎はあんまり話したがらないけど。あの子シャイだから」

「………………」

 マチルダはじっと青柳を見ていた。

「樺太紛争か。つい一年くらい前まで戦闘に参加して、それでまた派遣されるとは忙しいな……。それが脱柵の理由だったりしないよな?」

「そんなことないよ」

 青柳は言い切った。

「あの子、昔から軍人さんに憧れてたから。国を守るために戦うんだって意気込んでて。国防軍にだって高校を出たらすぐに入隊したんだから」

「それで今三十なら大ベテランだな」

 マチルダより軍歴長いんじゃないか。彼女がいつから兵士をしていたかは知らないが。

「……ミスター所長代理」

「ああ」

 ドーナツを食べ終えたマチルダが、俺に注意を促す。俺もさすがに気づいていた。

「どうしたの?」

 青柳はぽかんとする。これは彼女が鈍い……のではなく、単に座っている位置のせいだ。俺たちが警戒していた客に彼女は背を向けていたから、気づかなくて当然。

「そこでさっきからドーナツを齧ってもない君、尾行が下手じゃないか?」

 俺が呼びかける。俺たちの座っているテーブルのひとつ奥のテーブルで、こっちに背を向けて座っていた男性客が振り向いた。

 さっき店に入ってきたあの客だ。

「そう、君だ。国防軍の尾行だな。脱柵者の捜索要員なら、さしずめMPミリタリーポリスか」

「気づかれてましたか」

「そりゃあな。ドーナツ一個だけ頼んで手もつけない客は怪しいだろ。おおかた、俺たちの会話がどれだけ続くか分からなかったから、店にいても不自然じゃないようにドーナツを食べ終えることができなかった。だが俺たちがいざ店を出たとき、すぐに追うためにドーナツを片付けるのが楽なよう一個しか注文しなかったってところか」

「さすがに本職の人は誤魔化せませんか」

「これで飯食わないと生きていけないからな。君たちが鉄砲を撃たないといけないのと同じだ」

 俺は彼を招き入れた。

「こっちは尾行を撒くのに失敗した。君は尾行に失敗した。手落ちがある者同士、ここは話し合わないか?」

「……いいでしょう」

 思ったより素直に男は言うことを聞き、こちらの席についた。こちらとしてもありがたい。こっちもこっちで、国防軍に隠れて仕事をするという思惑が初手からしくじっているからな。なんとかリカバリーを利かせないと。

「自己紹介をしましょう。オレは国防軍国守基地の警務科隊員、赤貝潮あかがいうしおと言います。今回、青柳鈴郎の捜査に動員されました」

「どうも。俺は404NF社の所長代理、羽柴理三郎。こっちは社員……じゃないんだが、まあ協力者だ。マチルダ・ポートマン」

「ロシア系じゃないの?」

 青柳が聞く。

「なんだ……見た目がそれっぽいから勘違いされるが、ロシア系じゃない」

「ロ――――シア系ではない、です。はい」

 言って、マチルダに目線を送る。彼女は訂正しようと口を開いたが、俺の視線をキャッチして方向転換した。ロシア系だとバレるといろいろ厄介だ。正直に話す義理もないことだし、適当に嘘をついておこう。

「しかし赤貝くん……だったな。マチルダに撒かれなかった割に店内に入ってからは杜撰じゃなかったか?」

「それですが……俺は正確には尾行していたわけではなく」

 赤貝はバツが悪そうに頬を掻く。

「聞き込みでこの辺にいたんです。そしたら偶然、あなた方を見かけたので追いかけた次第で」

「ああ、なるほど」

 マチルダは東久留米の時点で尾行を撒いたと思っていたが、偶然清瀬に着いてから彼に見つかったわけだ。

 しかしわざわざ正直に言うか。ここははったり利かせてもバチの当たらないタイミングだと思うが。

「申し訳ありません所長代理。しくじりました」

「かまわないさ。そもそもここに来てから一週間程度しか経ってない。土地勘もない場所で尾行を撒くのは限界があるだろう」

 それで、話を戻そう。

「青柳鈴郎くんが脱柵したということで、三日前から捜査が始まっているんだったな。……そもそも彼は具体的に国防軍でどういう立場だったんだ? 青柳さん……お姉さんも完全には把握していないようだが」

「そうですね。青柳鈴郎……レーさんは俺の先輩になります」

 レーさんねえ……。かなり親しい仲のようだ。

「国防軍でもレンジャー課程を修了した人で、近いうちに特殊作戦群への入隊試験を受けるかもしれない、と噂もされていました。ですから脱柵と聞いて驚いています」

「鈴郎くんを知っている君から見ても意外、か」

 とはいえ特殊作戦群――自衛隊時代から続く国防軍の特殊部隊だ――の入隊試験云々はあくまで噂だ。そういうのはえてして勝手に流れるもの。あまり真に受けても仕方ないな。

「ただ、そうですね…………」

 赤貝は何かを言いたげに言葉を濁らせた。しかしちらりと青柳の方を見て、発する言葉を変えた。

「ともかく、国防軍としてはすぐにレーさんの行方を探す必要がありますが……。打ち明けた話、オレ個人としてはレーさんには自発的に戻ってきてほしいと思っています。その方がいろいろ、大事にならずに済みますし……」

「それで俺の誘いに乗ったというわけか」

「はい。正直、探偵が動くのはオレとしてはありがたいところです」

 国防軍も一枚岩じゃない。というか、それだけ赤貝が鈴郎を慕っているということか。

「捜査開始から三日……既に国守区のめぼしい滞在場所は軍が洗い出しているはずだな。するともう国守区から外に出ているかもしれない。下手すると東京の外ということもあるが……。そこまで本気で逃げられたらお手上げだな。俺も国防軍も、警察と違って行方不明者の捜索は本領じゃない」

 マンパワーの違いだ。俺はあくまで個人だし、軍は人一人を探すのに全精力を傾けられるわけじゃない。

「もちろん警察とも後々連携することにはなりますが……」

「国防軍的には面子があるから警察には頼りたくない、か」

「はい、そうなります」

 軍隊ってのはどうしても体面が大事だ。軍隊に限らず、力を示す必要のある仕事は程度差こそあれそういうところがある。PMCも似たようなもので、PJ社時代も、それでいろいろ苦労したな……。たいてい、そういう面倒な折衝になると俺たち非正規が矢面に立たされるし。

「そもそも、なんだけど」

 青柳が俺に尋ねてくる。

「鈴郎がこのまま見つからなかったらどうなるの?」

「あー、そうだな……。そもそも青柳さん、脱柵って分かる?」

「国防軍から逃亡したってことでしょ?」

「そう。自衛隊時代から、逃亡を脱柵と呼んでいて……。マチルダは?」

「ダッサクという言葉は聞いたことがありません」

「漢字はどうかな。こう書くんだが……」

 紙ナプキンを取って、ボールペンで字を書いてみせる。

「はい。この漢字なら知っています。柵から脱出すると……」

 やはりマチルダの言語能力はハイレベルだな。これもレオンが教えたのだろうか。さすがに変なことばかり覚えさせたわけではないらしい。

「ふふっ」

 不意に青柳が笑う。

「理三郎くん、なんだかそうしてるとお父さんみたいだね」

「いや、まだ十代半ばの娘がいるような年じゃないんだが」

「そうかな? 二十代前半で結婚したらそろそろじゃない?」

「うーん……いやそれはともかく」

 いかんな。中学時代の同級生と久しぶりに会うと、どうしても話の内容が逸れる。

「基本的に国防軍基地から兵士が外出するのには許可がいるんだが、許可なく外へ出たり、帰る時間になっても戻らなかったりすると脱柵ということになる。まあ、音信不通というだけなら事故に巻き込まれたケースも想定されるんだが……脱柵で確定しているということは、何か確証があるんだな?」

「ええ。置手紙がありました」

 赤貝が答える。

「置手紙……。何が書いてあった?」

「それは分かりません。オレは見てないので。ただそれを確認した上官が脱柵と判断したので、相応の内容だったはずです」

「もしかすると逃亡先についてヒントが書いてあるかもしれない。後で写真で撮るかして内容を送ってくれないか?」

「分かりました」

 彼は協力的だ。この分なら、少しは動きやすいだろう。

「軍からの脱走となると……」

 マチルダが呟く。

「敵前逃亡ということになります。銃殺等の処罰が下される可能性が高いでしょう。見つけて軍に戻しても処罰は免れないのでは?」

「いやいや、軍事政権の独裁国家じゃないんだからさすがに銃殺はない」

 まあ二〇〇〇年代から同じ与党が一強状態で自衛隊を改編して現在に至るから、それ軍事独裁と何が違うのと言われたら反論する余地はないんだが。民主主義的選挙で選ばれたという建前は、独裁を否定する根拠にはならないことだし。でも軍事独裁ではないか。軍人が政治を握っているわけではないし。国防軍と政権与党の政治スタンスの近さを考えると、似たようなもんと言えるかもしれないが。

「でもそのあたり、俺も詳しくは知らないんだよな。やっぱり自発的に軍へ戻った方がいいのか?」

「はい。温情の余地がありますし、世間体も悪くならないかと」

「世間体ねえ」

 気にしたことないが、人によっては大事なのだろうか。俺なんて三十超えるまで非正規雇用一人暮らしで、最近になって独立だからな。世間的には非正規職で適当に過ごして、なお我慢できず独立して適当やってる中年男と見られているだろうから、今更気にしない。

「ただ戻らないとなると……一か月逃げ切った方が場合によってはいいかもしれません」

「逃げ切る?」

「脱柵者の捜索は一か月を目途に打ち切られます。一か月見つからなければそれ以上は追跡されません。ただ一か月以内に見つかって軍に戻されれば、厳しい処罰は免れないでしょう。捜索にかかった費用もすべて請求されますし」

「それは手痛いな」

 軍内部での処罰を聞かされてもピンとこないが、現金換算されると分かりやすい。個人事業主のサガである。

「昔はここまで厳しくはなかったそうですが……」

 赤貝が述懐する。

「自衛隊時代はともかく、国防軍に改編されてから脱柵者が相次いだので、処罰も厳しくなったそうです」

「そんなに脱柵者が増えたの?」

 青柳が驚くが、注意を引いたのは処罰の厳しさではなく脱柵者の多さの方だったらしい。

「自分から入ったのに、どうして逃亡なんて……。それに辞めたかったらちゃんと手続きを踏めばいいのに」

「いや青柳さん、今まで災害救助くらいが関の山だった組織が突然ドンパチどんと来いって方針に変わったらそら誰だって逃げ出すよ」

 俺は両手をテーブルの下に潜らせた。いつの間にか、指が鎖の刺青をなぞっていたからだ。

「それに辞めるにしたって手続きも大変だろう。普通の会社と違って公務員だし、いろいろ守秘義務のある情報にも触れているはずだ。加えて、辞めたところで食っていけない」

 辞めて次の仕事がすぐ見つかるくらいこの国が豊かなら、そう問題にはならなかっただろう。実際は転職なんて簡単にできるものじゃない。それが国防軍を逃げ出した意気地なしの烙印を押されればなおのことだ。生きるために国防軍で働かざるをえず、しかし限界を迎えて脱柵……ということはありえる。

 そういう事態への対策が厳罰化なのが、実にこの国らしい。

「…………」

 などと、自分で青柳さんに言ってみて、そこであらためて気になった。

 鈴郎くんはどうして脱柵したのだろう。動機如何によっては、どこに逃げたのか推測する手がかりになるかもしれない。

 それ以前に……。姉いわく志の高いはずの彼が逃亡した理由というのは、純粋に気にかかるところではある。当初は樺太で戦ってさらに別のところに派遣されるのが嫌なのかと思ったが……。さすがに樺太紛争に参加した兵士が別の派遣を断れないなんてことあるかな。いや日本の軍隊だと普通にありえそうなのがあれだが……。転属希望を出す余地はあったはず。にもかかわらず脱柵するほどに追い詰められた。

「いずれにせよ、彼を探して話を聞くしかないな」

 どういう対応を取るにせよ、当人を探し出さなければ先には進めない。

 とはいえ、気持ち的には軽い仕事だ。

 少なくとも人殺しの警備よりは、な。

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