街のケーキ

 それからシャーロットの目まぐるしい一週間が始まった。朝から夜まで礼儀や作法、教養、それに周辺国との関係や話すことになるであろう人物について、といった講義が続く。そして講義が終わったあともそれらの復習を深夜まで続ける。もちろん食事やお茶の時間も王族らしい振る舞いを身につけるために気が抜けない。こんなに頭を使ったのは人生で初めてだ、と流石のシャーロットも一日目から疲労困憊だった。


 ただシャーロットにとっても予想外だったのは、彼女に様々なことを教えてくれる人々が皆彼女に好意的だったことだ。事情が事情なため。彼女の先生役となったのは今回の話を知る、つまりは比較的高位の貴族の夫人が中心だ。そのため庶民である自分はどういびられるのか、と内心不安に思っていた彼女だが、いがいと婦人たちは皆シャーロットに優しかった。


 彼女が講義の内容を覚えると大げさな程に褒めてくれるし、逆に詰まったところがあれば根気よく教えてくれる。


 内容こそ難しいものの、想像していたような厳しい講義ではなくシャーロットは少し安心していた。


 さらに驚いたのが、彼女達の中には花売り時代のシャーロットを知っているものがいたことだ。特にエルドランドの貴族についておしえてくれる、というフランベル伯爵夫人、社交界のボスと言われる人物とは思えない程柔和な笑みが印象に残る夫人だ、は何度もシャーロットから花を買ってくれた常連だった。彼女は突然城に連れてこられ詰め込み教育を受けるシャーロットを気遣ってくれ、彼女にとって特に頼れる女性だった。


 そうして姫に扮するための作法と知識を詰め込んで5日目。フランベル夫人と表向きは談笑、実際は貴族会の力関係について必死に詰め込んでいた時、「ところで」と彼女が話題を替えた。


「実は、このあとテイラー殿下があなたの勉強の成果を見たいとおっしゃってお茶に誘っていらっしゃるわ」

「お茶にございますか?」

「そうよ。殿下も本当に何を考えているかわからない人だから。それでなくても詰め込み詰め込みであなたは大変なのに、ちょっとした空き時間ぐらいゆっくりさせてあげれば良いのにね」

「いえ、殿下もきっと私の出来が気になされていらっしゃるのだと思います。私が上手く出来るかが今回の作戦の鍵なのですから」

「何度も言っているけどそう気負わなくても良いのよ。そもそも悪いのは姫様なのだし、シェリル王国は替え玉がバレて怒らせてもそこまで怖い国ではないわ。まあ、それになにかああってもあの殿下ならなんとかしてくださいそうですしね」


 その言葉にシャーロットはクスリと上品に笑う。


「確かに強引ですが、困ったときには助けてくださりそうなところがあります」

「そうでしょう、あなたも本番は遠慮なく頼りなさいね。それではもう少し頑張りましょうか」

「はい、夫人」


 そうして二人は勉強に戻っていった。





 あれからさらに1時間程エルドランドの社交界について教わったシャーロットはフランベル夫人に丁寧にお礼を言い別れてから、王太子の使いだ、という従僕に案内され、王太子の元へ向かった。




 今回のお茶会の会場は王太子の執務室のすぐ近くの応接室に設けられたらしい。移動時間も惜しい王太子の忙しさが斟酌されたのだろう。これに限らずシャーロットは城に来てから王族達の忙しさに驚いていた。


 もちろん新聞などである程度王族の動向は見ていたから、彼らが遊び暮らしている、とは思っていなかったが実際はそれどころではない。一日のスケジュールは分刻みで動いているようだ。特に子供の頃から優秀だった上に、王太子として早くから次代の王になることが期待されていた王太子は、国王が日々の執務に追われ、なかなか融通の利いた動きができない分、ややこしい問題が彼のもとに集中することになったようで、なかなか忙しい日々を送っている、自負するシャーロットもびっくりの忙しさだった。


 そんなわけで、少しお怒り気味のフランベル夫人とは裏腹に、シャーロットとしてはむしろ自分の出来の確認のために王太子の貴重な時間を使うことを申し訳なく感じていた。


 そんなことを考えつつ、用意された部屋に入るとそこにはすでにお茶の準備がなされていた。一目で上等とわかる磨かれたティーセットに机の真ん中には輝くような焼き菓子が積まれている。


 シャーロットが席につくと、ほとんど待たずに王太子が現れ、彼女は席を立って、深く礼をする。その姿に王太子は感嘆の息を漏らした。


「うん、素晴らしいね、シャーロット嬢。もともと良い素材だと思っていたが、一流の教育を受けて仕草が何倍も洗練されている。この短期間でそこまで身につけるとは流石だ」


 王太子の手放しの褒め言葉に居心地を悪く感じつつシャーロットは首肯したまま答える。


「過分なお言葉にございます。私などまだまだ未熟ですわ」

「謙遜することはない。事実これなら誰が見ても生粋の姫君だとしか思わないよ、さぁ、せっかくお茶の用意があるんだ、そなたも座って、まずはお茶にすることにしよう」


 そう言って王太子がシャーロットを促す。それに従い彼女が席につくと、控えていた侍女たちが給仕を始める。王族として当然とは言え、この大瀬の使用人達が周りにいる状況にはまだまだ慣れそうになかった。


 この暮らしが続くのは一週間ちょっとだけなのだから慣れる必要もない、といえばないが、しかしあまり物慣れない様子でもシェリル王国の人々に不審がられるだろう。早く傅かれるのが当然、という態度も身に着けなければ、とシャーロットは気持ちを引き締めつつ、目の前で美味しそうな香りを立てるお茶にゆっくりと口をつける。


 そんなお茶の作法も合格らしい。王太子も一つうなずき、お茶を口にしてから、「さて」と切り出した。


「じゃあ、せっかくだし勉強の成果を見せてもらおうか。そんなに気を張ることはないよ。別に間違えたからと言って罰があるわけではないし、むしろ満足いく結果ならご褒美をあげよう」


 そう言って笑う王太子に、シャーロットは少しだけむくれた顔をする。


「ご褒美、って子供ではありませんわ」

「まあ、たまには良いだろう。こういうのも。ではまずはシェリル王国の王位継承者の力関係について答えてくれるかい」

「かしこまりました、第一位王位継承者は王太子のブラハム殿下ですわね、彼は……」


 そうしてひとしきり彼女の答えを聞いた王太子は満足げに頷き声を上げた。


「素晴らしい。さすがはシャーロット嬢、まさかここまでやってくれるとは思ってなかったよ」


 王太子もどちらかと言うと感情を表に出さない方か、と思っていたがそうではないことが最近分かってきた。先程に続いての手放しの称賛にシャーロットは顔を赤らめつつ答える。


「教師を務めてくださる皆様のおかげですわ」

「もちろん彼女達は優秀だが、覚える側の苦労は相当だろう。私も似たような教育は受けてきたからそれを短時間でするのがいかに大変か一応理解はしている」


 じゃあ、他にもいくつか聞こうかな。そう言うと王太子はさらにシャーロットに質問を続けていった。


 あくまでもお茶を優雅に楽しみつつ、王太子の質問に答える。そんなことを繰り返していると、いくつかの質問が終わったところで、彼が何やら従僕に合図をする。すると従僕は赤いリボンが可愛らしくかけられた白い箱をシャーロットの前に置いた。


「よし、充分合格点だ。これならいつ第二王子が来ても問題ない」

「いえ、まだまだですわ」

「自信を持って構わない。さて、では約束のご褒美だ。その箱を開けてご覧?」


 そう王太子に促され、シャーロットは丁寧にその包みを開けていく。するとそこに入っていたのは甘い香りつややかな色のチョコレートケーキだった。


「これは、もしかして?」

「知っているようで良かった。ウェルナス菓子店のチョコレートケーキだ。もちろん王城の菓子も美味しいが、シャーロット嬢のような暮らしをしていれば、こういった菓子への憧れもあっただろう?」

「え、えぇもちろんですわ。本当に良いのですか?」


 ウェルナス菓子店は王都で知らない人はいない菓子店だ。なんといってもそれまで各々の家で焼く素朴なケーキか、もしくは貴族などが抱えるシェフが作る繊細なケーキしかなかったこの国にロンド帝国仕込のケーキを庶民にも少し手を伸ばせば買える値段で売り出した画期的な店だ。


 特に有名なのがチョコレートケーキ。この国ではまだまだ高級品のチョコレートをたっぷり混ぜて焼き、さらにチョコレートでコーティングもしたケーキは人々の憧れの的だ。


 とは言え、これが買える庶民は、ある程度生活にゆとりがある人だけ。それでも一年に一度できるかどうかの贅沢なのだ。日々の暮らしで精一杯の花売りの身では名前は知っていても、口に入れることなど夢のまた夢だった。


 おそらくこの城に来て初めて、そして王太子にとっても初めて見る素の笑顔に彼もまた微笑む。


「褒美だと言っただろう。それに買ってきてくれたのは従僕だ」

「でも、お願いしてくださったのは兄様ですわよね。とっても嬉しいですわ」

「そう喜んでくれると用意した甲斐もあったというものだ、さぁ食べなさい」


 そんな王太子に促され、シャーロットはフォークをケーキに刺し、一口サイズに切ったケーキを口に入れる。すると甘みとチョコレート特有のものであろう香りが口いっぱいに広がり感嘆の声を漏らした。


「美味しいですわ! これをいただくことが出来ただけで、このお仕事を引き受けて良かったと思いますわ」

「そんな大げさな」


 そう言って笑いつつ、王太子はフォークが止まらないらしいシャーロットを見つめる。彼が見ている時はほとんど仮面を被っているような彼女だし、それをさせているのも自分なのだが、こうしていると年相応の娘に見える。そんな彼女の姿から目を話せなくなっていることに、王太子はまだ気づいていなかった。

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