第3話 機械仕掛けの腕時計

 ちくたく、ちくたく、ちくたく……。

 時計の音は、意識しない時は蚊帳の外だが、変に意識すると頭の中にこびりついて離れなくなる不思議な音色だ。

 一番煩わしいのは寝る時だろう。睡眠妨害が鬱陶しいので、今部屋にある時計は針の音がしないものを揃えてある。

 だが、静寂の中で一番主張をしているのは、この部屋に存在しないはずの時計の音だった。


「うん、うん。いいですね……」


 普段ならいないはずの声音がそこに重なる。自由同盟は、今日も元気に活動中だ。


「やっぱり、腕時計は最高です」


 佳奈美はうっとりした表情で、テーブルの上の腕時計を見つめている。

 ブロンズ色のそれは一般的な腕時計とは違った。


「これは自動巻きなんですよ」


 聞こえてくるのはちくたくという針の音……だけではない。それよりもとてもか細くゼンマイなどの内部音が鳴っている。それは耳元に当ててようやく気付くか気づかないか程度の微細な音色であり、意識しなければないものと同じだ。


電池式クォーツもいいんですが、自分で巻くあの感覚が素晴らしいんですよね。付けないである程度の時間が経つと止まっちゃって、また巻く必要があるんですけど」


 つまり純粋に時計の機能を求める場合は不便だということだ。

 そもそも、と思考を進める。今の時代、時計を求めるならわざわざ腕時計を着用する必要はない。

 なぜならば――。


「あ、今腕時計なんてなくてもスマホで十分って思いましたね!? この現代っ子め!」


 現役女子高生から発せられるとは思えないセリフ。

 彼女は腕時計を身に着けると、作業用デスクの上に置いてあるスマホを指した。


「あなたはスマホをポケットにしまってください。早く! 普段のように!」


 指示に従い、ズボンの後ろポケットに滑り込ませる。すると佳奈美は大声を出した。


「じゃあ行きます! 今何時何分!?」


 慌ててズボンの後ろに手を伸ばす。そして、スマホの電源ボタンを軽く押し、画面へと目を落とす――。


「11時34分22秒! よっしゃー!」


 こちらが時間を認識する前に、彼女は時刻を読み上げていた。


「見ましたか? 私の勝ちです! どうです?」


 ドヤアという擬音が聞こえてきそうなほどの勝ち誇った表情。


「これが時間読みだったからいいものを。もし早撃ち対決なら負けてますよ! ……以前、後出し有利だって言ってた? それでも限度があります! もたもたしている相手の眉間を狙い撃つのは容易いですから。そう! 映画の主人公ならね!」


 ここで突っ込むと話の長さが倍になる。肯定するに留めると、佳奈美は不服そうに唸った。


「むう、本当に納得してます? なんか大人的妥協の匂いを感じますけど?」


 疑惑の眼差しを向けた佳奈美はまぁいいです、と気を取り直し、


「とにかく、腕時計は素晴らしいんですよ。特に大活躍するのはどこかお出かけした時、でしょうか。実際、時間確認だけならスマホでも不便ではないんですよ。ですけど、旅先でもスマホは使いますよね。電車で暇な時にとか、いい景色とか見つけて写真を撮ったり。道に迷わないように地図アプリを開いたり……あ、現地の地図を買って、印をつけたりしながらルートを見つけていく楽しさについての話します?」


 首を横に振る。おほん、と佳奈美は咳払い。


「というように、スマホの使い道って多岐に渡りますよね。特に理由なく使ってしまう現代の必須アイテム。それがスマホです。けど、その充電も無限じゃないんですよ。近所なら別に充電が切れても困ると思いますけどね、ですが、それが見知らぬ土地なら話は別です。と言っても秘境巡りをしているわけでもあるまいし、道に迷うことはないでしょう。ですが、時間がわからないのは困ってしまいますよね? そういう状況の保険になるのが腕時計なんです。電車に合わせて駅へ向かう時にスマホの充電が切れていたら? ヤバいぞ今が何時何分かわからないどうしよーあーっそうだ私の左腕には伝家の宝刀腕時計がッ! ってな感じで」


 最近のスマホのバッテリーは大容量のことも多いし、携帯用充電器もコンビニで買えたりする。

 と、言うのは簡単だが、あえて指摘はしない。


「にこにこしてどうしました? 感銘を受けてくれましたか!?」


 とても嬉しそうな佳奈美は、自身のコレクションである腕時計を見せてくれた。


「今腕につけてるこれはおじいちゃんがくれたんです。自動巻きの時計って高いですからね。流石に買えません。それに、激しい運動が伴う時はあまりオススメできませんし。毎日使っていないと巻き直す必要があるので、どうしても使用頻度は少ないですかね。なので普段使いはこっちにしてます」


 持ち出したのはいわゆる一般的な腕時計だった。銀色でベルトも金属製だ。


「クォーツなので誤差が出る心配もありません。値段がお手頃なのも多いし、電池交換も年単位ですので、持っておいて損がないタイプですね。どこかに出かけようって時に帽子の隣に置いておけば速やかに出立できます。他には……」


 黒色のごつい印象を与える腕時計。画面はデジタル式だ。


「多機能に渡るデジタル腕時計です。丈夫なのでアウトドアやスポーツに持ってこい。落としちゃっても簡単には壊れないし、突然の雨とかでも問題なく対応できます。ストップウォッチ機能とかついてたりもしますね。これはお父さんがくれたんですが、ピンポイントで活躍してくれますね。かゆいところに手が届くって感じで。などといろいろ紹介しましたが……」


 佳奈美は指をこちらに指してくる。あまり褒められる行為ではない、という自覚は彼女も持ち合わせていた。


「失礼を承知で言わせてもらいますが、あなたは今、そんなものかとどこか他人事ですねッ! それでは困り――はしないですけど、できれば私の好きな物を好きでいてくれると助かるというか嬉しいというか……」


 ごにょごにょと何かを言っている。とにかく、と佳奈美は推してくる。


「そんなロマンがわからない現代っ子にはコレ! スマートウォッチです!」


 時計の最先端とも言える存在を佳奈美は見せてくる。


「スマホと連動可能! 操作も可能! 多機能! バイタルもわかる! 連絡通知も即わかる! 通話可能! 音楽の操作可能! スマホ離れができない若者も、これなら何も文句はあるまいッ!」


 確かに一番興味が惹かれたのはスマートウォッチだった。現代人においても、持っていて損はない品だろう。

 とここまでの話を聞いた上での感想は。


「なんかセールスみたい……? 布教ですよ。……休日くらい時間に追われずに過ごしたい? 甘いですね! 休日こそ時間配分は大切ですよ! ありますよね? 朝起きて、今日は何しようかなと考えながらだらだら過ごして――いつの間にか日が落ちていた。そんな、悲劇的なことが! それを避けるためにも時計は必要なんです! さて、いろいろ紹介しましたが、ここで腕時計のもっとも大切な役割についてお教えします。それは――ファッションです!」


 さっきの熱弁が無に帰した瞬間である。ぽかんとしていると、彼女は同意してくる。


「ええ、ええ。わかりますよ。どういうことかって。ですが、時代は腕時計を必須アイテムじゃなくしました。懐中時計の出番が現代ではめっきり減ってしまっているように、腕時計をつけていなくても、問題がないことが多いでしょう。さっきの保険としての話も、ぶっちゃけたところ割と詭弁です。ですけど、どうです?」


 佳奈美は腕時計を外す。素肌を見せてくる。そして再び腕時計を付け直した。


「肌がすべすべ……ってそっちじゃないですよ! 寂しかったでしょ? あるとないとじゃ大違いです。別に高級品を使えばいい、というわけじゃないんですよ。好きなデザインのものを使う。そして、腕時計が映えるように服を選ぶ、もしくはその逆……。可能性は無限大です」


 うっとりした表情を見るのも、何度目だろうか。


「特別な品を一つ持っているだけでも違いますよ。例えば、さっきの自動巻き……おじいちゃんの腕時計ですけど、私は特別な日に使うようにしてます。前日に明日のことを想像しながらリューズを回すんです。その時間がとても愛おしくて……」


 これは普段使いじゃないと、佳奈美は最初に説明していた。そこで奇妙な違和感を覚える。

 なぜならだいぶ見覚えがある時計だった。今日のような休日には、必ず巻いてきている気がする。


「えっ……いや、そ、それはですね……えっと――」


 佳奈美はもじもじした後にこっちの手を掴んできた。


「その……その! 伝わりましたか魅力! ……腕時計の」


 その点は首肯する。必須ではないが、持っていても無駄にはならなそうだ。


「でしたら今度買いに行きませんか? ……ダメ、ですか?」


 震える声で確認してくる。答えは考えるまでもない。


「いいんですか!? そっそれならついでに他にもいろいろ見ましょう! プラモとかエアガンとか帽子とか! それと、見たい映画がありましてね、よろしければ、ですけど」


 断る理由はない。久しぶりに出かけるのも悪くなかった。


「やったあああああ! と、こ、こほん。じゃあ予定を決めなくちゃいけませんね! それなら……と」


 佳奈美は腕時計を見つめて固まった。大切な品で、何か思い出でも思い出しているのかもしれない。

 目を閉じて、深呼吸する。そして。


「あの……ありがとうございます。本当に。私みたいなキモくてうるさいオタクを、嫌がることなく受け入れてくれて。居場所をくれて。本当に……」


 ――ありがとう。

 その言葉にあたたかいものを感じる。

 佳奈美はというと赤面して硬直していた。そして恥ずかしさを誤魔化すようにスマホを取り出す。


「さっ、ささ早速予定を決めましょう! 自由同盟はやること盛りだくさんですから!」


 彼女のおかげで、こちらも元気に過ごせている。

 そのことを伝えるのは、もう少し先になりそうだ。


「タイムスケジュールをしっかりしないと大変ですからね。まず何時出発で何時に帰宅するか。始点と終点は大切です。そして、どこの店をどういう順番で回るか。ただでさえ大変なのに、今回は映画も見ますから。まず、今どこの映画館でやっているか、混雑具合はどうなのか。そういう下調べも大切です。映画館選びも大切ですよ。劇場によってはグッズの取り扱いとかの状況も違いますからね。それで、私がひいきにしている映画館はですね――」

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