6 コール

 またすぐに試合が始まっちゃうから、少しだけ風を浴びよう。

 私は体育館を出て、会場の入り口近くのベンチに腰掛けた。窓も開いているし、酔いを醒ますのにはちょうど良さそうだ。


「でもなんで私、こんな無駄なスキル持っているんだろ。どうせならバドの才能くれればいいのになぁ……うぇ」


 思春期に入ってから私は、人様と顔を合わせるとブラのカップ数が頭の中に浮かんできてしまうという、訳の分からない能力を得た。まぁ一度接触すれば数字は流れ込んで来なくなるから、最初だけの我慢なんだけどね。

 でも今日は大会だから、試合に響かないようになるべく下を向いて過ごしていたんだけれど、こう人が多いと挨拶も頻繁で、なかなか大変だったのだ。


 窓の外に広がる空と、そよそよと葉が揺れる木々の音を聴いていると、段々と気分が落ち着いて来た。

 うん。そろそろ戻ってアップしなきゃ。


「そう言えば、中学の大会の時もこうしていたよね私……」


『綾海ー! 早くしないと試合始まっちゃうよー?』


「……え?」

「うわっ、すまない邪魔をした!」


 座っているベンチにペットボトルを置かれて、何だろうと顔を上げたら、数センチ先に会長がいた。


「来ていたんですか? もう、だったら声を掛けてくださいって。めっちゃびっくりしたじゃないですかっ」


 驚きのあまり、思ったことをそのまま口に出してしまった。

 ちょっと失礼だったかも。なんか会長、大人しくなっちゃったな。


「ええっと、会長これは……?」

「え? あ、ああ水分補給にでもと思って持ってきたんだ」

「私にですか?」


「ああ」と、妹のように眼鏡をくい上げして答える会長がくれたのは、私が以前よく好んで飲んでいたみかんジュースだった。

 手書き風のハートがみかん色で描かれたラッピングが可愛くて、つい買ってしまったのが最初だったっけ。広告に出てくる男の子もかっこ良かったし、ジュースも粒入りで美味しかったのを覚えている。


「スキです、か。懐かしいな」

「懐かしい……って言うことは、今は飲んでいないのか。すまない、そうとは知らずに……」

「もう会長、謝ってばかりですね。いいえ、好きですよ。いただきますっ」


 最後の大会以来飲んでいなかったから少し勇気が要ったけれど、口に含むと意外とちゃんと美味しく感じた。

 味が全然変わっていない。なんて当たり前か。でもなんか、苦い思い出に上書きを出来たような気がした。


「良かった」

「え? ああすみません。すごく美味しいですよ? ありがとうございます」

「いや、そうじゃなくてだな……」


「ん?」と小首を傾げていると、会長は私から視線を逸らした。

 くい上げする眼鏡の掛かる耳が赤い。相変わらず恥ずかしがり屋さんである。


「いいと思う。そういう明るい表情……」

「え。なんですか急に。会長……もしかして私のこと口説いてます?」


「は?」と、会長は目を丸くする。顔が真っ赤になっちゃった。


「ばばば、馬鹿っ。何を言っているんだ君はっ!?」

「あはは、冗談ですって。そんな思い上がりじゃないですから私。でもそうやって面白い反応がもらえるなら、またからかっちゃおうかな~?」


 ふふ。いつも美鳥たちにされている分、会長で憂さ晴らしだ。

 けれど会長は、さっきの試合のことで落ち込む私を励ましに来てくれたのか。……うん。やっぱり悪いし、からかうのは止めよう。


「会長も好きですか?」

「へ?」

「スキです、好きですか?」

「そ、そんなに何度も好きですって――てぇぇ、それのことか!」


 ん? どうしてそんなに慌てているの会長?


「はい、これのことです。ですからそのぅ、会長も飲みますか……?」


「へ? それをか?」と、スキですを指差す会長。なんか真っ赤な顔で口をぱくぱくさせていて可愛い。金魚じゃん。


「はいっ、飲みますか?」

「そ、それはいやその、まずいんじゃないのか?」

「何を言っているんですか、ちゃんと美味しいですよー」


「いや、そうじゃなくてだな……」と、さっき聞いたばかりの台詞が返ってきた。なんなの、もう。


「要らないんですね?」

「いや! そんなことは言っていない!」

「ふふ。分かりました。じゃあ最後に一口いただきますね……」


 そう言いながらも二口飲んだ欲張りな私を、会長は食い入るように見ていた。


「はぁぁ美味しかった♪」

「あ、ああ!」

「ではもう私戻らないといけないので、会長の分は後で買ってお渡ししますねっ?」


 私が駆け出しながら言うと、会長は早く飲みたかったのか、拍子抜けしたような声を漏らした。

 ……あ。そうだ、いけない。ちゃんと伝えないと。


「会長、色々とありがとうございますっ。お陰で気持ちが晴れましたっ。次もみんなで勝ちます!」


 そう振り向いてお礼を言うと、会長は優しく眉を下げて笑ってくれた。

 さぁ、試合だ!

 意気込んで体育館の扉を開けると、ちょうど睦高にマイクでコールが入る。


「気力は十分そうですね」

「うん!」


 美鳥に向かって駆けると、手に持ったスキですの粒が軽やかに弾んで舞った。

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