ハイスクール青春絵本百科

篤永ぎゃ丸

紙芝居と絵本は似て非なるもの!


 とある高校の教室内。既に放課後になった室内はガランとしつつも、部活に切磋琢磨する生徒達の声が賑やかに反響している。そんな教室の中心で見合わせるように着席する、男子生徒と女子生徒。


 胸躍る青春の一ページを切り取ったような構図にも関わらず、二人の表情は一触即発の如くピリピリした空気を漂わせている。


「よろしいですか? 真兵衛しんべえ君」


「おう。俺は準備出来てるぜ、キノケイ」


 親しげなあだ名を交わすも、敵同士と言いたくなる様な口調の二人。するとドンッと陣太鼓を打つ様に、お互い何かを机の上で立てた。


 両肘を折って『紙芝居』を持ち掲げている女子生徒の名は、木之下景きのしたけい。眼鏡に三つ編みと文学少女の様な見た目、豊満な胸で顔も体形も整った彼女は、美術部に所属している。


 対して、片手で支える様に絵本を立てて掲げる男子生徒は真壁康介まかべこうすけ。普通の見た目な彼だが、絵本に情熱があるようで自信満々な表情だ。


「ほう……『キツネの窓』ですか。小学校教材にも使われている、児童文学の一つ! 藤色に染まった指の窓から覗き見えるは幸せな過去であり、失ってもなお、縛られてしまうのは猟師とキツネも共通である事をしっかり描いています。そして、夢は儚いものであるという読後感を残す作品です」


「そっちは『にじになったきつね』じゃねぇか。イタズラ好きだが、どっか憎めねぇのは最初の『紙抜き』の仕掛けが、印象に作用してるからだろうな。キツネが化けていると知ってる上で、お爺さん目線で見る虹には、面白さの立体感がある。いい事をすれば、いい事が返ってくるという教えを手軽に叩き込むには、最適な紙芝居だ」


 相手が見せた手札を、的確に解説する康介と景の後ろで、それを離れて眺めている女子生徒が二人。クラスメイトの五十嵐咲耶いがらしさやと康介の幼馴染、樋口由衣ひぐちゆいである。


「あの二人も懲りないよね〜。毎週ああやって絵本と紙芝居どっちが優れているかなんて、討論しちゃってさぁ〜。……今日は、キツネがテーマ?」


「みたいだよ。私は『ごんぎつね』にしたらって言ったけど、あっちの方がいいって。……康介の考えが私には、分からないよ」


「で? ゆいゆいはここで何してるの?」


「一緒に帰るから、康介の事を待ってるだけだよ?」


「……。ゆいゆいも懲りない子だよねぇ〜」


「どういうこと?」


 やれやれと首を振る咲耶の隣で、由衣は何がおかしいか分からない表情で首を傾げる。目の前にいる景と康介は、唾をかけ合う勢いで絵本と紙芝居の利点、持って来た作品の良さをぶつけ合っている。


「っていうかさぁ〜咲耶ちゃん的には、絵本も紙芝居も一緒だと思うんだけど?」


「「全ッ然違う!!」」


 ガタッッとけたたましい椅子の音と、同じ言葉を重ねた景と康介は、その発言の訂正をする為にズカズカと棒立ちしていた咲耶に迫り、壁に追いやる。


「その考えは間違ってんぞ五十嵐さん! 絵本は絵と文章のセットで物語が完成するが、紙芝居は絵だけで物語が出来上がるんだよッ! それに絵本は、世界各国で親しまれてる一方、紙芝居はの文化なんだぞッ!」


「どぅええ⁉︎ でも、結局読み聞かせるなら同じじゃなあい……?」


「似て非なるものです! いいですか、絵本の強みが『感化』とするならば、紙芝居の強みは『共感』なんですよ! それに絵本は一人でも成立しますが、紙芝居は演じ手と観客がいなければ成立しませんからッ!」


「ヒィッ、ご、ごめんなさいごめんなさいッ咲耶ちゃんが、にわかちゃんでしたぁッ!」


 ぎゃあぎゃあ声を上げる三人を座って見ていた由衣は、はぁ……とため息をついた。そこに康介が、絵本を持って席に迫る。


「なぁ、由衣。保育士を目指してるお前なら分かるだろ、俺が選んだ『キツネの窓』の方がいいよなあ?」


「どっちも子供からしたら見応えあるんだから、どっちだっていいよ! 優劣なんて付けないで、早く帰ろうよ康介」


「いーやッ! キノケイの言ってる事が正しい以上、俺は引き下がれねぇよ!」


「またくだらない意地張ってさ」


 フイッと由衣は不機嫌にそっぽを向いた。保育士という仕事を目指しているだけの由衣には、児童文化財の事が分からない。故にイライラを隠せずに、景に尋ねた。


「そもそも、木之下さんって何でそんなに紙芝居に入れ込んでるの?」


「確かに〜! 紙芝居って今じゃ見かける機会がないもんねぇ、真壁君の絵本好きもよく分からないけど、木之下ちゃんが紙芝居オタクになったきっかけ超気になる!」


 咲耶が目を輝かせてその経緯に興味を示していると、紙芝居を脇に抱えた景は静かに空席の机に腰を預けた。


「元々私は、漫画家かデザイナー志望だったんです。なので美術部に所属しながら、画力を磨いていました。そんな時、真兵衛しんべえ君が『油絵』の事を学びに、部室に来たんです」


「へぇ〜、それが真壁君と木之下ちゃんの出会いってやつ〜? 超、運命的じゃーんッ! ねー、ゆいゆい!」


「……知らないよ」


「残念ながら、私の真兵衛しんべえ君の第一印象は、最悪なものでした。……何の取り柄も無さそうな、冴えない帰宅部の男子生徒でしたし」


「失礼だなオイッ!」


「加えて、真兵衛しんべえ君の持ち込んだポートフォリオが私を嫉妬させたんです。デッサン力が人並み以上にあって——努力を開花させる手本というものを、見せ付けられました」


 景は康介をジッと睨む。眼鏡の奥から覗く瞳には、敵意もあるが敬意も含まれている。その後、景は片脇に抱えていた紙芝居を目の前に持ってきて、絵の具のみで描かれた印象的な表紙である『にじになったきつね』を見つめた。


「私の画力は、恥ずかしながら稚拙なものです。絵を描くのが好きですが、真似するのがとにかく嫌で。……故に、模写の努力を怠ったんです——これで絵を描いて食べていきたいと、胸を張った自身をどれだけ恥じたか——」


 後悔に手の力が抜け、紙芝居が隠していた胸元が強調される。一瞬そこに視点がいく康介の腰を、ギュッとつねったのは由衣だった。


「……ッィイッゥ⁉︎」


 康介はそっぽを向いている由衣に、何故男子のさががバレたと困惑しながら痛みの解放を望んで彼女の腕を静かにペチペチ叩く。そんな中でも、景の話は続いていった。


「聞く話によると、真兵衛しんべえ君は絵本に関心があるようで。油絵の事を美術部の顧問から教わりに来たのも、絵本に関する目的があってこそでしょう」


「へー……ねぇねぇ! 呼び名が真兵衛しんべえ君なのは、なんでなの? 真壁君のキノケイはなんとなく分かるけどさぁ」


「彼の苗字の『真壁まかべえ』から来ています。後の由来は、五十嵐さんの想像にお任せしますが——そんな真兵衛しんべえ君に、私は突っかかったんです」


「ぃッ……ててて。あん時のキノケイ、急に俺に話しかけてきて『どうせ私の絵は子供にすら下手と言われる代物ですよ』ってブチギレてさ」


「感情的に流されて最低な事をしたと、後悔の念は今でも消えません。ですが、反論した真兵衛しんべえ君の言葉で、私の意識は変わりました」


「……康介は、なんて言ったの?」


 未だにそっぽを向く由衣の一言に、康介はフフンとキメ顔をした後、ビシッと景を指差して言った。


「俺はキノケイにこう言ってやったんだ『子供は、上手い絵が見たいんじゃねえ。作者の絵が見たいんだよ』——とな!」


「もっと逆上した言い方でしたし、実際は違いますよ。私は真兵衛しんべえ君に、お尻をパンパンされながら言われたんです。……屈辱的な出来事でした」


 万を辞して言った直後の問題発言に、すぐさま反応したのは咲耶だった。康介の制服のネクタイをグイッと引っ張り、やらかしおってと深刻な顔をしながら、ぐわんぐわんと揺らす。


「ちょっと真壁くぅんッ! ゆいゆいって娘がありながら、我慢できなかったのぉ——ッ⁉︎」


「待って五十嵐さん、とんでもない誤解してるって! おいッキノケイッ! オノマトペ間違ってんぞぉ!」


「あー、失礼しました。実際はお尻をペンペンされたんです、二回ほど」


「二回もお尻を攻めたのッ⁉︎ ……真壁君って意外に精力絶り……ッ」


 パァンッッと咲耶と康介のお尻が叩かれ、悶絶した二人は同時に膝を曲げた。後ろにいた由衣が、丸めたノートを両手に持っている。それでお仕置きしたのだろう。


「咲耶はうるさいし、康介はセクハラだよ」


「……。今の樋口さんのように、勢い良く叩かれましたがそれで私は目が覚めたんです。結局、好きな事で承認欲求を満たしたいだけ。絵で認められたいだけだった——」


 景は再び持ち上げて、紙芝居を見つめる。素描に基づくと、キツネの造形も背景のパースも決して丁寧とは言えない絵。しかし、それすら気にならなくなるほどに、紙芝居は見る者を四角い紙の中にある世界へといざなう。


「そんな唯我独尊な私が、目指せる絵の世界は児童図書であると気付いたんです。真兵衛しんべえ君の後追いを避ける為に、私は絵本ではなく紙芝居の道を極める事にしました」


「……。そうなんだ、すごいね木之下さんは」


「いいえ、樋口さん。私は褒められる器ではないですよ。ですが——この紙芝居で、真兵衛しんべえ君を超えると、決めたんです」


「いっでで……おうよ。つまり俺は、キノケイにとって、永遠のライバルって訳だ」


「そういう事です。今や『紙芝居』は発展の無い古き良き文化として認知されている。なら、私はこれで現代をひっくり返す作品を世に出してみせます。……それにはまず、絵本に心酔する真兵衛しんべえ君を納得させる他ないのです」


 全てを話した景と、痛みが引いて立ち上がった康介は、譲らない意志の元、お互いに見つめる。それを感じた由衣は唇をギュッと締め付けた後、目を背けた。


「……そっか」


「てなわけで、討論続行です。次は『鬼』がテーマの作品ですよ、真兵衛しんべえ君」


「おうよ。次こそ、キノケイを完全論破する作品だからな!」


 景と康介は肩を並べて、再び絵本と紙芝居のどちらが勝るか確かめ合う為、中央の席に向かっていく。闘志を燃やす二人に咲耶が感心していると、待つと言っていた由衣が、学生カバンに手を伸ばしていた。


「私、帰る」

「うぇ⁉︎ ゆいゆい⁉︎」


 康介に何も告げずに帰っていく由衣を、咲耶もリュックを背負って慌てて追いかけた。教室を出て早歩きで廊下を通り抜けていく由衣に、やっと咲耶は追い付く。


「どーしたのさぁ急に。真壁君に何も言わないで」


「どうもしないよ」


 真顔で昇降口を目指す由衣を見た、からかい好きの咲耶はニヤリとして、隣から冷やかしを入れてみる。


「はーん、流石にやきもち妬いちゃった?」


「……そうかも」


「でっしょー! ゆいゆいがこれ如きで嫉妬するわけが……はぁッ⁉︎」


 いつもの様にドライにスルーされると思っていた咲耶は、びっくり仰天と声を上げた。由衣が明確に嫉妬を見せた事に驚きを隠せない。



「同じ分野で競えるって……羨ましいよ」



 そのまま由衣は足を加速させ、咲耶を置いて先に行ってしまった。追い付けないと悟った沙耶は足を止め、うむむと腕を組んで考える。


「……何これ、修羅場なの……? 児童図書って怖い世界なんだなぁ……」

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