ジンクス

次第にクレアラの姿が歪んでいく。


クレアラの何もない部屋が……今から五年前のあの出来事が崩れてゆく。


目を開けた僕の視線の先に、ところどころ雨漏りでシミを作った天井が目につく。


 僕はソファーに横になって足を投げ出し、眠っていたみたいだ。


時計を見ると時刻は一一時三十分ごろを指している。


外から見られるのを防ぐ為に窓のカーテンは年中閉めている。だから、ほとんど明かりは入ってこない。天井にぶら下がった安物のライトの光が部屋の中を照らしている。


 ──本当に形ばかりの約束だった。


あの後、クレアラから連絡は二度と来なかったからだ。


僕達のことを忘れてしまったのか、それともクレアラの身に何かが起きたのか……

どちらが起きても辛い現実だ。


 でも、どちらかが起きてしまったのは間違いない。


前者の方だとしたら──クレアラの気持ちがどう変わったのか、今の僕には知るよしもない。それでも前者の方だったらと思う。ただ無事にいて欲しいと願うばかりだ。

なぜならば、クレアラを引き取った里親共々、彼女は姿を消してしまった。


 しばらくして、僕は音沙汰のない彼女の行方を暫くして探し始めた。養護施設の施設長であるスプリングも彼女の所在については掴めていないようだった。それだけじゃない、今までにも、養子に出された子供と里親が消えたことが何件もあったらしい。


「どうにかしたいけど、私の力ではどうにもならない。後は行政と警察に任せて、二度とそのようなことが起きないように祈るしかないわ」


 そうスプリングに諭されたが、僕は納得いかなかった。


 それを機にクレアラが居なくなって二年後──


僕は養護施設を飛び出して、クレアラを探しに街へ飛び出した。


 運が良かったか悪かったのか分からないが、何日も外で過ごしていたある夜の日、一人の男が僕に声を掛けてきた。泊まる所と食事を用意すると、その男は僕に言った。


 まる一日食べない日も多かった当時の僕は、その日も余りにお腹が空いていたから、その男に着いていった。


それがバッドデイとの出会いだ。


肝心なのは僕を誘った男が彼ではなく、その男の頭を銃で吹っ飛ばした男がバッドデイだったが──


 僕はその時にブレサイアという存在を知った。


夜に紛れて出歩く子供達を狙い、血と祝福を啜る存在。手っ取り早く手近な獲物をそうして見つける者。それ以外に生まれつき祝福の高い子供を狙って用意周到に子供をさらい犠牲にする者。後者の例が僕たちの養護施設から養子に出され消えていった子供達だった。


 何度かバッドデイに突き放されたが、僕は何とか彼を見つけだした。そして彼からブレサイアを狩る手段を教わった。半ば無理やりに押し掛けたから心底嫌そうにしていたけど。


アイリーからアイルに呼び名を変えたのはその時だ。


アイリーの名前よりも、クレアラや母さんが呼んでくれたアイルの名前の方がしっくりときていたし。苗字もメイスフィールドから、ジンバックに変えた。


ふざけた苗字だって自分だと思う。


バッドデイに比べたらそうでもないのかもしれないけど。


だって、バッドデイ・ジンバックなんだもの。


偽名ですと名乗ってるようなものだ。日常生活に困ることはないのだろうか?


 僕は部屋の中を見渡した。バッドデイの姿は見当たらない。


 僕の方が早く起きたのだけど、彼の姿はいつの間にかベッドから消えてしまっていた。二人分の朝食を用意して、ついうたた寝をしているうちに出掛けてしまったようだ。テーブルに用意しておいた目玉焼きに、焼いたベーコン。サラダと呼ぶには悲しい、ちぎってお皿に盛っただけのレタス。焼いてから時間が経って、冷めて美味しくなくなったトースト。


それらが皿の上から消えていた。そして油とパンくずで汚れた食器だけがテーブルの上に乗っている。


せめて自分の食べた食器くらいは片づけて欲しい。


彼は──いつものことだ。どうせ競馬場へお金と運を交換に行ったのだろう。


交換と言ったが、ただ損するだけの話のことを言ってる。


 なぜ分かるのかと言うと、それが、いつも彼が大事にしているジンクスのような行動様式だからだ。


穴馬に狙ってお金を賭けて外れて帰って来る。そうやって運を使っておけば仕事の時にツキが回って来る。なんの信憑性もないが彼はそう信じ、それを行ってきた。


 だからきっと今日もだろう。予定外の行動をする時には、なにかしら事前に連絡を寄越してくる。僕は一応、スマホを確認しメッセージが残ってないか見てみる。スマホの画面にはメッセージを知らせるものは来ていなかった。競馬場に行ったな、きっと。間違いない。


 さて、今日はどうしようかと思案してみる。どうせ彼も昼は帰ってこないから、昼食を用意しなくても良い。僕も朝食べれば、昼は抜いても大丈夫な人間だ。問題は夕食だ。昨日は例の仕事や準備の件で買い物に行けなかった。冷蔵庫の中にはたいした物は残っていない。  


だが生憎、家事は僕の仕事となっている。


ブレサイアと戦う方法を教えてもらう代わりに、家事をすることが、彼から提示された条件だった。


 お金もなにも持っていなかった僕には正直ありがたかった。でも、お金がある程度ある今となっては……めんどくさい。ただその一言に尽きる。


 唯一、助かるのは料理の味についてはなにも言わないことだ。美味しいも言ってくれないけど。


 そんなわけで買い物へ行かなくちゃいけなそうだ。厄介な仕事を片づけたところだ。


ブレサイアを三人も葬ったのだから、お祝いとして少し凝ったものを作ってやっても良い。実際にはブレサイアの二人は生け捕られてブラインドマンに連れていかれたのだけど。


きっと死ぬより悲惨な未来が待ち受けていることだろう。憐れには思うが自業自得だ。


鏡の中には犠牲になった子供達が映りこんでいた。あの子達の祝福を奪った罰だとしたら甘んじて、それを受け入れるべきだ。


 その時、手の中のスマホが振動し着信メロディが流れる。僕は着信画面に目を向ける。


 相手はバッドデイからだった。電話をかけて来るなんて珍しい。僕はスマホを耳に当てる。


そしてぞんざいに「何?」と言い、彼に用件を聞く。


「一応、伝えておこうと思ってな」


「だから何が?」


主語がないから、何のことについてるかサッパリ分からない。


「今日は勝った」


「喜んで良いの?」


「分からん。だから一応、伝えておこうと思ってな」


それだけ言い残して通話が切れた。


スマホに集中していた意識が分散される。


その瞬間、誰かが部屋の中にいるのに初めて気がついた。バッドデイ以外にこの家に入ってくる者は僕を除いて他にいない。危険を感じ取って枕替わりにしていたクッションの下から銃を取り出し、相手に銃口を向けた。

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