第5話 しわくちゃのスカート

「んっ、んん〜……っ」


 ゆっくりと目を開けると、ぼんやりとした視界がクリアになっていった。


(今日から始まるんだ……高校生活……っ)


 昨日は一日中緊張していたけど。いざ当日を迎えると、なんとかなる気がしてきた。


「ふぬぬぬぬ〜っ!」


 ベッドに横になったまま、腕を天井に向かってグッと伸ばす。


 寝不足でもないし、寝違いもしていない。いいスタートが切れそうだ。


 ふとベッドから起き上がってカーテンを開けると、


「ん……っ」


 眩しい光に目を慣らすと、清々しい青空が広がっていた。


 まさに、絶好の入学式日和と言ったところか。


「……ふふっ」


 日光を全身に浴びてエネルギーも充電できたし、すっかり目も覚めた。


 真は、手のひらで軽く頬をパンパンと叩いた。


「よしっ!」




 朝食を済ませてから食器を片付けて部屋に戻ると、枕元の時計を見た。


 時間的に、そろそろ準備を始めた方がいいだろう。


(さすがに、入学式に遅刻するのはまずいし……)


 真は着ていたエプロンを脱ぎ、クローゼットの前に立つと、ハンガーラックから制服一式を手に取った。


 ……。


 …………。


 ………………。


 制服に着替え終えたところで、ちょうどいい時間になっていた。


 真は戸締りを確認してから、玄関で靴を履いて立ち上がると、振り返って言った。


「行ってきます」


 誰もいないけど、なんとなく言いたくなった。


 寂しさを紛らわすためだったり?


 そんなことを思いながら扉を開けると、吹き抜ける風でサラサラの髪がなびいた。


 どうやら、気持ちいい風が出迎えてくれたらしい。


 鍵をかけてから階段を下りると、香織が箒で掃除をしていた。


「管理人さん、おはようございます」

「あっ、真……ちゃん?」


 呼ばれて振り返った香織が目にしたのは、ネイビーのスクールバッグを肩にかけた真だった。


 しかし、その口がポカーンっと開いているのには、理由があった。


 真が……女子の制服を着ていたからだ。


(スカート……リボン……)


 真の体型が元々華奢きゃしゃなこともあって、とてもよく似合っていた。


 ひざ丈の長さのプリーツスカート、赤のリボン、白のシャツ、ネイビーのブレザー。


 ここに住んでいる子たちと同じ制服なのだから、そこに驚きはなかった。だが、


(……あっ、そっか)


 香織はふとあることを思い出した。


 天凛てんりん学園は、一昨年おととしから男女関係なく自由に制服を選べるようになっていたのだった。


 どうして、こんな大事なことを……っ。


 なぜか悔しそうに拳を握りしめている香織を見て、真はコクリと首を傾げた。


「あの、管理人さん。僕、もう行かないと……」

「そ、そうだねっ。入学式、頑張ってっ!」


 入学式を頑張るって……まあ、いいか。


「はいっ、頑張ってきますっ!」


 それは、朝の日差し以上に眩しい笑顔だった。




 ツコツとローファーが地面を叩く音を耳にしながら、学校へと続く道を進んでいた。


 まだ見慣れない街並みと景色。そして、これから何度も通ることになる、この道。


 ドキッ……ドキッ……。


 やっぱり、自分が思っているより緊張しているのかもしれない。


 なにか別のことでも考えて、気をまぎらわすとしよう。


 すると、ちょうど信号が赤になったため、立ち止まってカバンからスマホを取り出した。


(今週の日程は、えっと……今日は入学式があって、明日は始業式、その後に授業か……)


 なんとか思考を巡らせていると、


 じーーーーーっ。


 後ろから視線を感じた。


「…………ッ!」


 バァッと振り返ると、なにかが電柱の裏に隠れた。


「………………管理人さん」


 ビクッと震えると、頭を撫でながら香織が出てきた。


「あははは……きっ、奇遇だねぇー?」

「そこでなにをしていたんですか?」

「え? それは……そ、掃除をしていたんだよ~っ」

「……本当は?」

「……ま、真ちゃんが、ちゃんと学校に着けるのかなって思ったら、居ても立っても居られなくなって……」

「えっ、心配して……くれたんですか?」

「うんうんっ!」

「……ふっ。大丈夫ですよ、こう見えて、方向音痴ではありませんから」


 さっきまでの緊張がちょっとだけほぐれた気がする。


「そう? じゃあ、行ってらっしゃい♪」

「行ってきますっ」


 そう言って歩き出そうとしたとき、


「あっ、真ちゃん!」

「?」


 呼ばれて振り返ると、


「笑顔だよ、笑顔っ!」

「…………はいっ」


 香織から貰ったアドバイスを胸に、道を進んでいると、徐々に同じ制服の人が増えてきた。


「ここが……。はぁ……ふぅ……」


 真は、校門の前まで来ると、一度深呼吸をして中へと入った。


 そのとき、周りの視線が一斉に真に向けられた。


 所々でザワついているのが、嫌でもわかる。


 だが、それを自覚したとき、


 ――――――――――――――――――――――――突然、視界が歪んだ。


 周りから感じる無数の視線。


「ハァ……ッ、ハァ……ッ、ハァ……ッ」


 真はスカートをギュッと握った。キレイに整っていた形が崩れるほどに……。


 そして、それと同時に、頭の中に『あの』光景が浮かんだ。


「う……うっ……ぐっ」


 フラフラになる体が倒れないように、なんとかその場に踏み止まる。


『真ちゃん! 笑顔だよ、笑顔っ!』

「……はぁ……はぁ……」


 呼吸が落ち着くまでその場で待ってから、真はゆっくりと歩き出した。


 ……過去は過去だ。僕は……これから前に進むんだ……っ。




 それから数時間後。


「う~ん……」


 香織は花壇に水をやりながら、ぼーっと考え事をしていた。


「真ちゃん……大丈夫かな……?」


 うまくクラスに馴染んでいるといいけど……。


「管理人さん」


 もし、うまく馴染めなかったら……? 孤立……蚊帳かやそと……一人ぼっち…………。


 ネガティブな思考が頭の中を駆け巡る。


「うぅ~~ん…………」

「管理人さん?」

「うぅぅ~~~ん………………」

「……管理人さんっ!」

「!! はっ、はい……っ!」


 慌てて振り返ると、


「まっ、真ちゃん!?」


 目をパチパチしたが、目の前にいるのは正真正銘、本物の真ちゃんだった。


「お、おかえりっ!!」

「ただいま帰りました。あの、さっきの…――」

「えっ、な、なんでもないよっ!」

「そう……ですか。では、僕は部屋に帰ります」

「あははは……。あっ、真ちゃん、スカートがしわくちゃになってるよ?」

「え? ……ああぁ、緊張しすぎて、ずっと握っちゃっていたみたいです」

「ふーん。と、ところで、学校はどうだった!?」

「…………」


 一瞬、真の顔に影が差した気がした。


「ま、真……ちゃん?」

「よかったですよ。たくさんの人が話かけてくれて……明日からとても楽しみですっ」


 と言って、ニコッと笑みを浮かべた。


「そっか、よかったー……」


 ホッと胸を撫で下ろす。


 ぐうぅぅぅ……。


「お昼まだだったんですか?」

「あははは……つい心配事が頭に浮かんじゃって……」

「心配事?」

「! いや、き、気にしないでっ!」


 手をブンブン振る香織を、不思議そうに見つめる真なのだった。

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