第19話 可愛い来訪者(妹)

「ハァ……ッ! ハァ……ッ!」


 自室から出た香織は、タタタタッと階段を駆け上がった。


 借りたハンカチを綺麗にして、返しに行くためだ。


 涙を拭くために貸してくれたのに、鼻をかんじゃったから……。


 ……恥ずかしいところを見られちゃったな……。


 二階に上がったところで、香織はふと立ち止まった。


 でも……真ちゃんが告白されたと知ったとき、どうしてあんなに心がモヤモヤしたんだろう?

 

 自分のことなのに、自分でもわからない。


「うーん……まぁいっか♪」


 考え過ぎないのが、香織のいいところと言っていい。


 ピンポーン。


「はーいって、管理人さん? どうしたんですか?」

「これっ、貸してくれてありがとうっ!」


 と言って、キレイに畳まれたハンカチを渡した。


「ちゃんと洗ったからっ!」

「ありがとうございます。でも、別に気にしてないのに」

「私が気にするのーっ! ……んん?」

「どうしたんですか?」

「クンクンっ、クンクンっ」


 甘い匂いがする。


 そう思った香織の視線は、キッキンの方へと向けられた。


 そこには、皿の上に乗ったケーキがあった。


「苺タルト?」

「あ、はいっ。この前、体調が悪かったときに姫川先輩が持ってきてくれた苺タルトを作ってみたんです」

「ああぁ、あれ美味しかったよね〜」

「一度作ってみたいと思って、レシピを教えてもらったんです。管理人さんもよかったら…――」


 真はこのとき、香織にレシピを教えようと思ったのだけど。このまま教えて作らせたら――


『じゃ〜んっ♪ 野菜炒めタルト〜っ♪ 美味しいよ~、栄養満点っ♪』


 ……あり得る。いや、ある。


「…………」

「真ちゃん、考える人みたいな顔になってるよ?」

「ちょっ、ちょっと考え事です。あっ、せっかくですから、食べて行きませんか?」

「いいのっ!? 食べる〜っ♪」


 一瞬にして苺タルトのことで頭がいっぱいになった香織が靴を脱いでいると、


「あれ、梨奈ちゃんたちは?」


 そう。玄関にさっきまであった二人の靴がなかったのだ。


「管理人さんが出た後、すぐに帰りましたよ」


 ピンポーン。


「あ、すみません、ちょっと出ますね」

「うんっ」


 香織が上がってから扉を開けると――――


「ママぁぁあああああああああああ~っ!」


 突然、少女が真に抱きついた。


「!!?」


 その状況を前に、呆気に取られる香織。


「琴美!? どうしてここに……!?」


 どっ、どういうこと……!?


 真ちゃんに突然、女の子が抱きついて……。

 

 ……恋愛に興味がないって言ってたけど、あれは嘘だったの……!?


 すると、謎の少女と目が合った。


「………………」

「………………」


 目をパチパチする動きがシンクロする二人。


(こっ、ここは、大人である私が先に話しかけないと……っ!)


 先手必勝とは違うが、この状況が続くのはまずいと直感が囁いたのだった。


「こっ、こんちゃ~すっ……」

「……ッ!!!???」


 謎の少女はバァッと離れると、背筋をピンッと伸ばした。


 それは、言葉が見つからないほど綺麗な佇まいだった。




「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………」

 ローテーブルを挟んで向き合う二人と、それを見守る真。


 アパートの一室で、高度な駆け引きが繰り広げられていた。


 どっちが先に話を振るのか。あまりにも気まず過ぎる……。


「えっ、えええぇぇ……っとととと……鈴川すずかわ……琴美ことみです……っ。ママ、じゃなくて……兄がいつもお世話になっております……」


 と言って、紙袋をテーブルの上に置いた。


「あの……これ、つまらないものですが……」

「あっ、これはどうもご丁寧に……」

 

 さっきまでとは、まるで別人のような変貌ぶりだ。

 

 驚きを覚えつつ、お菓子のセットが入った紙袋を受け取った。


「私は、このアパートの管理人をしている甘乃香織あまのかおり。よろしくねっ、琴美ちゃんっ」

「かっ、管理人さん……っ!?」


 琴美は、目を見開いてびっくりしている。


 すると、琴美の視線が、顔、胸、顔、胸と二往復した。


「どうしたの?」

「!? なっ、なんでもないです……ほんとに……」


 落ち込んだように肩を落とすと、格の違いを見せつけられた少女の小さな声が漏れていた。


「メ、メロン……いや、スイカ……?」


 そんな様子を見て、香織はコクッと首を傾げたのだった。


「あ、ちょっと待っていてください。琴美も、ゆっくりしててね」


 真はなにかを思い出したのか、座椅子から立って部屋を出た。


 それから待つこと、数分後。


 真が、紅茶の入ったカップ三つを乗せたおぼんを運んできた。


 どうやら、お湯を沸かして紅茶を入れてくれたらしい。


「言ってくれたら手伝ったのにーっ」

「いえいえ、管理人さんも一応お客さんなので。あっ、お砂糖の数はお好みで。琴美も、どうぞ」

「ありがとうっ、ママ……お兄ちゃん」


 琴美は慌てて言い直すと、角砂糖を二つ入れた。


「管理人さんも」


 真がシュガーポットを渡すと、ポンポン、ポポンッと角砂糖を四つ入れたのだが、ポンポン、ポポンッ。


「えへへっ。砂糖は〜いっぱい入れるのだぁ〜♪」


 ポンポンッ。


 合計十個の角砂糖が紅茶の泉に沈んでいった。


 これが、超が付く甘党の本領発揮だった。


「はぁ〜染みる……」


 どうやら、今の管理人さんは心も体もポカポカのようだ。それが、表情からにじみ出ている。


 ちなみに、真は一つだけ入れた。


 苺タルトと一緒に食べるから、砂糖は入れなくてもよかったかもしれない。


「真ちゃんっ、ほれおいひぃ~♪」

「あはははっ、管理人さん、口の横にクリームが付いてますよ」

「え、どこどこ~?」

「今拭きますから、じっとしててください」

「はぁ~いっ」


 拭き~拭き~。


「いいですよ」

「えへへ、ありがと~っ♪」

「…………」


 そんな穏やかな二人のやり取りを見ていて、琴美は気になることがあった。


 なんだか、この二人……仲良過ぎない……?


 少女の頭の中は、穏やかではなかった。


 管理人と住人の関係とは思えない距離の近さだったからだ。


「ふぅ~。やっぱり、紅茶は甘ければ甘いほどいいよね~」

「でも、そんなに砂糖入れたら、紅茶の味がわからなくなるんじゃないですか?」

「どうだろー? わかると言えばわかるし」

「わからないと言えばわからない。ですか?」

「正解っ!」


 ……これは……怪しい。


(うーん……ハッ、もしかして――)


『管理人……さん……っ』

『真くん……♡』

「管理人さん……ダメ、ですよ……こんなの……』

『ふふっ、なにがダメなのかな?』

『……っ。…………いじわる』


 髪を耳に掛けた香織がベッドに押し倒すと、ギシッと軋む音が二人だけの空間に響き渡って――


『真くん……♡』

『管理人さん……♡』


 二人の顔は、次第に近づいていき、そして…――


(……ッ!!? マ、ママが……危ないっ!!)


「一個で十分だと思いますけど」

「それじゃ足りないよ~。だから、あと三つ、入れとく?」


(わ、わたしが守らないと、ママの大事なものが……)


「三つはさすがに入れすぎですよ」

「そうかなー?」


 二人の知らないところで、少女の妄想は膨らむばかりだった。


「ど、どうしよう……」

「あっ、そういえば……ん?」

「琴美?」

「うぅーん……」

「? おぉーいっ」

「!! な、なに!?」

「ずっと呼んでるのに返事がないから」

「つ、つい考え事を……ね? で、なに?」

「どうして急にここに来たのかなって思って」

すると、琴美の体が急にプルプルと震え出した。

「ママ、聞いてよーっ! お父さんがねっ!」


 ……。


 …………。


 ………………。


「お父さん、わたしが作った料理食べて『うっ……』って言ったんだよ!? せっかく、わたしが作ってあげたのに~~~っ!!」

「あはは……。ちなみに、そのときはなにを作ったの?」

「野菜炒めだよ」

「うっ……」

「ど、どうして、お父さんと同じ反応するの……っ!?」


 こっちに来てから、その言葉は『禁句』になりつつあるのだ。


「だっ、大丈夫だよ……」

「? まあ、そんなこんなで、こっちに来たってわけ」


 どうやら、学校が終わってそのままこっちに来たらしい。


「だからさ。しばらくの間、お世話になりますっ」

「事情はわかったけど。このことは、ちゃんと連絡したの?」

「ッ!! う、うん、したよ……バッチリ……」

「なら、いいけど」


 琴美はホッと胸を撫で下ろした。


「真ちゃんたちのパパのこと、まだ聞いてなかったっけ。どんな人なの?」

「父は、カメラマンをしてるんです」

「カメラマン!? かっこいいーっ♪ ねーねー、なにを撮ってるの?」

「人とか動物とか、あと景色とかだよね?」

「そうだね。ホントに色々な写真を撮るから」

「へぇ〜っ、そうなんだ〜っ」




(それにしても……琴美ちゃん、どうして…――)

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