第31話 ホテルを後にするふたり

「荷物はこれだけでいいの」

「だいたいの荷物は実家に置いてあるから大丈夫だよ」

 ホテルでチェックアウトを済ませて、荷物をまとめた。当初持ってきていた荷物は少なかったけれども、追加で肌着やら衣服を数着買ったので荷物は少し増えていた。


「腫れもおさまって良かった」

 琴音がちょっと背伸びをして上目遣いに顔を近づける。髪の毛が揺れてふわりと琴音の匂いがする。近すぎて胸がくすぐったく感じて、視線を逸らした。


「ごめん、ごめん近かったね」

 顔を少し離して後ろ手に今度はじっと顔を眺めた。


「何かついてる?」

「うううん、何もついてない」

「そっか、それは良かった、どうかした?」

「なんでも、……ないよ」

「そっか、じゃあ行こうか」

「うん」

 琴音の現在の家は宝塚。実家は西宮だから途中までは一緒に帰ることになる。


「うわ、寒……」

 ホテルから出ると肌を刺す寒さを感じた。調整された環境にいたので、より強く寒さを感じる。慣れない寒さに耐えるために四肢に力を入れる。身体が震えた。


「仕方がないよ、身体が慣れてないんだから」

「そうだよなあ、半袖でも充分な空間にいて、それが当たり前になってたよなあ」

「こうすれば、暖かいかも」

 琴音が腕に手を回して、自分に引き寄せた。自然と胸が腕に当たる。視線を向けると結構大きい。


「これは流石に勘違いされちゃうだろ」

「そっかな、わたしは別にいいけども」

 社長や由美の姿が浮かぶ。他にも誰が見ているか分からない。琴音が意識してなくても、側からみればこれは浮気になってしまう。


「やめとこうよ。ありがとう、寒さは少しマシになったしな」

「そう、それなら良かった」

 組んでいた腕をゆっくりと離した。琴音の顔色がわずかに曇ったが、すぐにいつもの琴音に戻る。


「あーあ、観覧車乗りたかったなあ」

 1週間の間、ずっとホテルに泊まっていたので、乗る機会はなかった。鈴木と由美の追跡の途中必ず乗ることにはなると思ってたのだけれど。約束は結局流れてしまった。


「また、この件が解決したら乗りに来ようよ」

 その時にふたりの関係が変わってしまわなければ。隣に歩く琴音の姿をチラッと見る。気づいた琴音が少し微笑んだ。


「そうねえ、そうしよか」

 本気とも話を合わしただけとも捉えられる言葉。二人を繋げているのは、表向きには浮気の調査だけだ。終わったらどうなるのか、今の圭吾にはわからない。


 フラワーロードを引き返して、花時計のところまで戻ってきた。

 スマホのバイブレータが震えた。確認すると茜からのメールが届いていた。


「琴音、先帰ってよ」

「え、なんで、西宮まで一緒に帰れるよね」

「いや、茜のうちに寄って帰るから」

「えっ、なんで」

 明らかに不満を口にする。少し頬が膨らんでいた。意識してるのかしてないのか、こう言う表情を琴音は良くする。幼く見えるのは喜怒哀楽がハッキリしてるからなのだろう。


「一通り音声ソフトの解析ができたらしい。ちょっと聞きにきてと言われてるんだ」

「それ、わたしは行ったらダメ?」

「茜が遅くまでかかりそうだから、一人で来いって送ってきたからさ」

「えー、ちょっと残念」

「それに打ち合わせはラインでもできるから、これから暫くクリスマスのイベントにエントリーしてからは鈴木と一緒にいた方がいいかもしれない」

「なんで?」

「仮にもベストカップルに選ばれようとしてるのだから、鈴木に変な疑惑を与えないほうがいいかもって」

「うーん、なら仕方がないか」

 少し悲しいような微妙な表情をする琴音。琴音には暫く鈴木の彼女を演じて欲しい。由美と違って鈴木との関係は、あまりないような気がする。琴音は望まないだろうが、さっきのように手を組んで歩くくらいはして欲しい。考えてると胸のうちがどうしようもなく痛くなる。嫉妬か。無意識下でも俺は鈴木に嫉妬をしているようだった。


「じゃあさ、ホームまで送ってよ。電車が来るまでだから。それならいいでしょ」

「分かった」

 プリペイドカードでタッチして改札を潜りホームに入った。電車の案内板をみる。


「次の電車まで後5分くらいだな」

「じゃあ、そこに座ろうか」

 俺と琴音は並んでホーム前のベンチに腰を下ろした。しばらく会話が止まる。数週間前の俺であれば会話が止まると、次の会話を慌てて探したものだが、今は会話のない時間もゆったりと感じられる。


「あっ……」

 電気が流れた。琴音の指が俺の指に絡まり握られる。冷たい手が俺の温もりで暖められていくように感じた。


「指、暖かい」

「俺は冷たいけどな」

 空いた手を口につけて笑う。何かおもちゃを見つけた時の幼女のような視線で圭吾を見た。


「このくらいなら、いいよね」

「このくらいって、それ恋人繋ぎ」

「いいじゃん、このくらい特別感あって。五分間だしね」

「いや別にいいんだけどよ」

「ねえ、圭吾くん」

「なんだ」

「茜ちゃんの名前聞いた時、少し胸が痛くなった」

「心臓病?」

「バカ、んなわけないじゃん」

「信じてるからね」

「何を」

「うるさいなあ、もう。とにかくそれだけ」

 会話をしているとホームに阪急電車の深い赤色の車輛が見えた。


「それじゃあ、またラインするね」

「わかった」

 列車に乗る琴音。窓に立って手を振る。圭吾も振りかえした。

 暫くホームに琴音の匂いが残っているような気がした。


―――

すみません

ちょっと遅くなりました。

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