第26話 琴音に迫り来る危機
今はわたしひとりだ。しっかりしないと。数十メートルの距離を取り、琴音は鈴木と由美の後を追う。
鈴木達はホテルを離れ、すぐ隣の施設に入った。MOSAICと書かれた大きなモニュメントが特徴。様々なショップが連なる複合施設のようだった。
恋人同士の鈴木と由美は、雑貨屋、服屋、小物屋に入って色々と見ては話し合い。また他の店に入るを繰り返していた。ひとつの場所に長い時間いないふたりを監視し続けるのは大変だ。
何度か人にぶつかった。その度にごめんなさいと謝る。尾行などやったことがないので慣れていないのだ。どちらかと言うとストーカーされることが多かった気がする。
同じ人に何度となくぶつかっていたら、囲まれていた。当たった拍子にメガネが落ちた。慌てて拾う。視線を上げた瞬間、目が合った。
「君可愛いね、名前なんて言うの?」
「ごめんなさい」
「えっ、名前ごめんなさいって言うの」
名前なんて言う訳がない。いつもならこの手の人たちを見たら、逃げるのだ。今回ばかりは尾行しないといけないので、あまり持ち場を離れられない。
「ちょっと、無視はないんじゃないか」
複数人に囲まれて、ちょっとやばい雰囲気。距離を取ろうと後退した。
「逃げなくても大丈夫だって、俺らだって悪いようにはしないからさ」
後ろに立たれた、逃げられない。大声を出せばいいのだが、鈴木と由美に気づかれてしまう。牽制のために連絡を取ろうとスマホをだした。
「どうした?」
電話から聞こえた優しい声にほっとした。しかし状況はなにも変わらない。目の前の男たちはスマホで連絡している姿を見ても逃げたりはしない。
「なんか変な人達に絡まれてます」
目の前の茶髪のいかにも軽そうな男がわたしに近づいてきた。
「美少女ちゃん、もしかして彼氏に電話してるの? 間に合わないと思うけどなあ」
流石にやばい。わたしを囲むように5人くらいいる。もう一度大声を出すか迷った。出したら鈴木や由美に気づかれる。気づかれたら全てが水の泡だ。大声を出すのを踏み留まり、電話で一言。
「ごめんなさい、助けてくれるとありがたいかも」
「大丈夫、俺たちが楽しませてあげるから、……ね」
卑猥な顔をした男たちが近づいてくる。怖い……、流石に限界。わたしは逃げようと後ろを振り返った。
「どこにいる!」
「わたし、ダメダメだね」
スマホからは圭吾くんの焦った声が聞こえてきた。一言発した瞬間スマホを取られる。
こいつら本当にやばい。
「えと、スマホ返してくれないかな」
「何にもしないからさ、スマホ返す代わりにちょっとドライブしない?」
なんにもしないなんて嘘だ。車に乗ったらおしまいだ。幼女じゃあるまいし、流石に無理矢理と言うわけにもいかないだろう。
助けを求めて人の姿を探す。今日は人気がやけに少なかった。
最大の危険を感じたわたしは隙を見て逃げようとする。その瞬間、後ろから鼻をハンカチで塞がれた。わたしは医者の娘。この匂いは流石にわかる。クロロホルムだ。今更分かっても遅い。琴音は意識が遠のくのを感じた。圭吾くんごめん、わたしこんな人たちに……。
――――――
琴音の電話が切られたと言うことは切迫した状況であることを表していた。
間に合ってくれ、圭吾と茜は急いでモザイクに向かって走る。茜は小柄な身体とは思えないくらい足が早かった。
「モザイクだよね」
「琴音がそう言っていた。動いてなければ」
「たぶん大丈夫のはず、あれからそんなに時間は経ってはいないから。ハーバーランド周辺にはラブホは存在しないから、気をつけないといけないのは車よ」
確かにそうだ。この街は大阪などに比べると安全なのだ。路地裏に連れ込まれて、ホテルへと言う展開はまずない。ただし、その分車に気をつける必要がある。
走りながらモザイクのモニュメントを目指して走る。信号を超えて左手にホテルを見やり、一階の店舗スペースに飛び込んだ。鈴木と由美が服を選んでいる姿を横目に、通り過ぎた。
近くにいるはずだ。しかし見当たらない。
一階、二階、三階、手分けして見て回った。やはりどこにもいない。
「茜、どこにもいない。どうしようか」
ここにいないと言うことは、極めて深刻な事態だった。
ひとりにするんじゃ無かった。ただでさえ目立つ容姿だ。普段なら逃げる方法はいくらでもあっただろう。琴音のことだ。追跡を重視したため、結果的に最悪の事態になってしまった。警察に被害届を出せば、……いや無理だ。まだ事件になっていない、今は警察も大々的には動けない。レイプされそうという理由では真剣に動いてはくれない。こうしている間にも琴音に危機が迫る。
「スマホを貸して」
「どうするんだ?」
「あなたのスマホ、ペアスマホでしょ」
「お前、スマホにも詳しいのか」
「携帯屋でバイトしたことあるから、ちょっとだけね」
茜が俺から渡されたスマホで位置情報を検索した。茜の博識にはいつも驚かされる。位置情報から何かを割り出したようだった。
「外に停められてる車よ」
一台ずつ探してたら間に合わない。移動されたら終わりだ、どうしようか。
「大丈夫、この機種意外に位置情報正確なの」
圭吾と茜はモザイクの道路脇に出た。数台の車が止まっている。
「一番前の車よ、もう出発しそう」
「どうすればいい」
「圭吾、琴音ちゃんが好きなら命張りなさい」
無茶苦茶なことを言った。でも、もう時間がない。
「どうにでもなれ」
圭吾は出発する寸前の車の前に飛び出した。発進音と同時に強い急ブレーキがかかる。遅れてクラクション。音が同時に鳴り響いた。頼む、停まってくれ。圭吾は目を閉じて祈った。
目を開けると数センチ前にワンボックスカーが止まっている。車内から男が出てきて文句を言っている。圭吾はそいつらを無視して車内に乗り込んだ。
「お前、勝手に俺の車に乗って、何のつもりだ」
車内を見回す。後ろの座席に琴音がいた。良かった、いてくれた。
「お前なにやってんだ」
「おら、降りろよ」
圭吾は思い切り引っ張られた。降りたら全てが終わる。車からは絶対降りない、降りてたまるか。目の前の琴音は薬で眠らされているようだった。この状況で運ぶのはさすがに無理だ。
「琴音、起きろ」
身体を思い切り伸ばした。琴音の方に手を伸ばす。ギリギリ何とか届いた。大きく身体を揺する。琴音だけは、なんとしてでも助ける。
「お前、なに余計なことしてんだよ」
後ろから何度か蹴られる。
「ううん……、あれ圭吾くん」
クロロホルムの適量なんて分かってるわけない。吸い込んだだけなら割と眠りは浅い場合が多い。
「琴音、逃げろ!」
圭吾の声に今の状況がわかったようだった。
「でも、でも、でも……、圭吾くん血が出てるじゃない」
「そんなことどうでもいい。頼む、逃げてくれ」
「でも、……このままじゃ圭吾くん死んじゃうよ」
「頼むから自分のことだけ考えて、逃げろ」
「わたしが頼んだら、やめてくれる、かな」
琴音は、目の前の男たちに話しかけようとした。それは向こうの思う壺だ。奴らの要求はわかってる。そして、絶対受け入れちゃダメだ。
琴音は自分のことだけ考えてくれればいいんだ。
「警察を呼んで来てくれ」
これしかない、俺は琴音が出ていける理由を咄嗟に考えた。
恐らくもう、茜がやってるだろう。あいつはそつがない。近くにもいないしな。でも、今は逃げる理由が必要だった。
「琴音、行って呼んで来てくれ!」
「わかった、待っててね」
琴音が後ろのドアを開けた。その先には仲間がいた。
「逃すわけないだろ」
「どいて、圭吾くんを救うの」
琴音を捕まえようとした男に、右足からのロールキック。見事なクリーンヒットだった。まさか蹴ってくると思わなかったのか男は溜まらず勢い余って倒れる。窮鼠猫を噛むとはよく言ったものだ。琴音よくやった。これでもう思い残すことはない。
「お前なにやったか、わかってんのか」
気づけば車の中で男たちに囲まれていた。逃げ道は流石にないか。
「ぜってえ殺す」
「女の前で格好つけて、それで許されると思ってんのか」
「大して格好よくないのに、彼氏づらか。俺はそういう奴が一番ムカつくんだよ」
「死ね死ね死ね死ね、俺は最高にお前がムカついた。殺してやるから、覚悟しろよな」
琴音を逃したのが気に食わないのか。欲望を処理できなかった怒りからなのか知らないが。男たちは次々と罵声を口にする。
暴行がさっきよりも格段に酷くなった。
5人の男に代わる代わる、蹴られた。さすがに痛い。顔を殴られた。口の中から血が飛ぶ。手を踏まれた。黒く充血してくる。喉を殴られた。激しく咳き込む。腹を蹴られた。口から血と激しい咳き込み。数秒に数発飛んでくる。さすがに意識が朦朧としてきた。ある一定の痛みを超えると痛みも感じなくなるらしい。初めて経験した。死んでもいいと言ったけど、本当に死にそうだ。
数えられないくらいの蹴りやパンチ。こんなに殴られたのは初めてだった。もう一生分の暴行を受けたのではなかろうか。顔が腫れあがり、身体があざだらけだ。血が流れては止まり、止まっては流れ出す。流石にこれだけ殴られたら、骨折したかもしれない。顔から身体から手から足からたくさん血が流れていた。痛みがないからわからないが、流石に死んでも不思議ではなかった。
俺は死ぬのか、何とも短い人生だった。その短い人生に光り輝く記憶。琴音との思い出だった。そうだ琴音は無事逃げられただろうか。頭の中に琴音のことが浮かんだ。琴音を救えた事、琴音の身体に、心に大きな傷を負わせなくて済んだこと。それだけで充分だった。琴音に何もなくて本当によかった。しばらくすると記憶が混沌としはじめた、記憶が闇に沈んでいく。
「おい、あれ警察じゃね」
薄れゆく意識の中で、遠くの方でサイレンの音が聞こえた。幻聴まで聞こえるようになったのか。お迎えが来たのかもな。もう流石に限界。圭吾は突然、意識が途絶えた。
「圭吾くん、死んじゃいや、お願い誰か、助けて」
薄れていく記憶に琴音の叫び声が聞こえた。
気がつくと柔らかいベットの上だった。
「痛てててて……」
身体中痛いで済むレベルではない痛みを感じる。
「動かないで、包帯が外れてしまうから」
「琴音、大丈夫?」
「わたしは圭吾くんのおかげでなんともないよ」
琴音の安心した優しい声音がした。
「ほんとに、ほんとに圭吾くんありがとう」
あれ、ゆっくりと視線を上げると琴音の胸が目の前にある。琴音は泣いてた。驚いたことに俺の頭は琴音の膝の上だった。美少女の膝枕。柔らかい、それに琴音のすごくいい匂いがする。欲望より、身体中が安らぎで満たされる。不思議な気分だった。夢なのか夢なら覚めないで。
そう考えながら圭吾の意識はふたたび夢の世界に落ちていった。
――――
「圭吾くん、寝たよ」
「大袈裟だったよね。圭吾くんが死んじゃう、お願い助けてって。思いっきり泣いて」
「でも、でもでも……」
「危なかったのは確かだけどね。助かって良かった」
「お医者さんはどう言ってた?」
「奇跡的に命に別状はないって、一日も寝たら歩けるようになるだろって」
「奇跡だ、信じてよかった」
また泣くのか。ほんと良く泣くなあ。これで先輩だっていうのが未だ信じられない。でも、思った以上に美少女だった。これだけ可愛いときっと許されるんだろうね。
「ほんと、奇跡だよねえ、見た時はわたしも緊急入院を覚悟したよ」
わたしも少し泣けた。もらい涙かも。
「それにしてもホテルで良かったの。お医者さんは入院を勧めてたけども」
「私たちはやり遂げないとならないから」
声を震わせながらも、凛とした声で言った。そこには決意が感じられた。
「でも、茜さんは何故鈴木達の隣の部屋をわざわざとったの?」
「それは後で話すわ」
「それにしても膝枕とか驚いたよ」
「んー、いいじゃない」
耳まで真っ赤だ。分かりやすすぎるんだよ、あんたたち。これならわたしが入り込む余地はないではないか。わたしの片想いも、またしても叶わない、仕方ないか。この子には流石に勝てないわ。
「それより今日、時間ある? 本当は圭吾と話すつもりだったが使い物にならないからね」
「大丈夫、わたしが代わりに聞くよ」
「あなたに話したいことも、聞きたいことも沢山あるし、屋上のステーキ屋に行こうか」
「うん、わかった」
わたしと琴音は部屋に鍵をかけて出ていった。圭吾くん大丈夫かな、琴音は随分と置いていくのを心配していたけどね。
―――
平日、一番長い文章かも。このお話途中で切りたくなかった。クロロホルムにはウソが含まれてますが、ドラマでもよく使われるのでいいよね。
琴音ちゃん、何もなくて良かったと思ったら、星いただけると大変喜びます。
フォロー、いいねもよろしくお願い申し上げます。
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