アクター・アフター

渡貫とゐち

偽装結婚

山路やまじさん……これから、よろしくお願いします……」


「……ふふ、私はもうあなたと同じ苗字なんですよ?」


 唐栗からくり、という珍しい苗字に目を引かれたと言えばそうだった。たとえばもしも、彼がありきたりな鈴木すずき田中たなかであれば、きっと目に止まらなかっただろう……、こうしてお付き合いもせずに結婚しようとも思わなかったはずだ。


 ――元を辿れば、助けを求めようとも思わなかった。


 彼が重症と言えるほど、お人好しであることが分かったのは、籍を入れてからのことだった。半ば騙したような形で籍を入れたのだ、プロポーズの言葉もなければ指輪だって用意していない。必要だったのは彼の名前……、そして隣に『実際にいる』という存在感だけだ。


 彼の日本人離れした大きな体格は、言葉を発していなくともかなりの威圧感を相手に与える……、父親と、勝手に決められた許嫁を黙らせるには都合の良い人だったのだ。


 娘が政略結婚を嫌っていることを知っていながら、強行突破をする二人だ、だったらこっちも同じ手を使うまで――。


 相手の都合などお構いなし、時間との勝負だったのだから、偶然、居酒屋で相席になった彼を泥酔させて言質を取り、ほろ酔い状態のまま『結婚』した……、

 彼女にとっては緊急避難と同じようなものなので躊躇いはなかった。


 こうしなければ、無理やり望まない相手と結婚させられるのだ、だったら自分で選んだ初対面の相手と一時的に結婚した方がマシである。


 その後、時期を見て離婚すればいいだけだ。


 ……父親を欺いた後は、自由恋愛をしよう――そう思っていた彼女は、意外と父親の監視の目が強いことを知り、先行き不安であることを感じ取る。


 いつかは離婚するとして、だ。……一体いつまで結婚したままでいればいい? 娘を勝手に奪われたことに憤っているものの、娘が見つけてきた彼のことを、絶対に認めないと突っぱねているわけではない。

 誰もを威圧するその見た目に、父親の方が気に入ってしまったのかもしれない……、お人好しの彼は父親との会話も、よく弾んでいたのを酒の席でよく目にした――よくもまあ、あの父親と話ができるものだ、と娘は思うが、娘だからこそである。


 世界的に有名な、大企業の社長である。酒の席でのコミュニケーション能力は高いはずだ。まさか一人で黙々と飲んでいるわけでもなく……、話題は尽きない。


 仕事の話であれば限りがあるが、娘の話題になれば口が回る回る。そんな父親の話に一から十まで付き合っていたのが、彼だったのだ――。


 旦那と父親の仲が良好なのは良しとしよう……母親も反対意見はなかった。母親は政略結婚に反対だったのだから、娘が恋人を連れてきて安心したらしい……、まさか数日前に見つけた一時的な恋人であることも知らずに――。


 いや、勘付いているか?


『上手くいって良かったわね』と耳打ちされた時はなにも考えずに頷いたものの、それってつまり、『政略結婚を回避する策として』だったとしたら……考え過ぎか?


 単純に、お付き合いが上手くいって――という意味だろう。


 そう思うことにした。



 とりあえず。


 身内だけの結婚式をおこない(父親は大々的にやりたかったみたいだが、彼女が絶対に嫌だと言い張ったのだ――父親を招待しないことを条件に出されてしまえば、父親も折れるしかなかった……)、とりあえず、政略結婚を強いられることは回避できた。


 そして――、用意された新居に引っ越して、ばたばたとしながら荷解きをし、ある程度の片づけが終わってからの――、一夜明けての、朝である。


 二人は正座で向き合っていた。


 言わんとしていることはお互いに分かっている。周りが騒いで祝福してくれたが、結局これは政略結婚を回避するための緊急避難であって、当人たちにとっては、本当に結婚したつもりはなかった。経歴にバツは付くものの、好きで結婚したわけではないのだから、ノーカンだろう、と思っているのは彼女だけかもしれない……。


 彼の場合は?


 唐栗 秋里あきさとは、彼女のことをどう思っている?



「そうですね、同じ苗字ですから……、真雪まゆきさん、とお呼びしても?」

「構いませんよ。というかお父さんたちの前ではそうだったじゃないですか」


「あれは恋人に見せるための演技でしょう? こうして監視の目がない以上、僕たちは赤の他人です。気軽に名前を呼び合うのも不快では?」


 彼が言いたいのは、彼女の名前を呼ぶことが、彼女にとっては不快なのではないか? とのことだったが、彼女はそれを、『真雪に名前を呼ばれるのは不快だ』と解釈した。……散々、利用してきたのだ、嫌われていて当然である。


「……、では、苗字呼びでも構いませんけど……」


 山路さん、唐栗さん、しっくりくる呼び名である。


 実際、二人の距離感はこれなのだから。


「では山路さん……これからどうしますか?」

「どう……とは?」


「政略結婚を回避することができました。しかし、僕とこのまま夫婦生活を続けるわけにもいかないでしょう。さすがにすぐ離婚すると怪しまれますが……。

 一年ですか? それとも五年? 

 十年までいくと、さすがにあなたの時間を奪い過ぎな気がします」


「それを言い出したら、私は唐栗さんの時間を多大に奪ってしまって、」


「いえ、お気になさらず。嫌なら断っていますし、それでも強行突破するなら訴えています……そもそも全てをお義父さんに打ち明けていますし」


「…………」


「怯えなくとも、今更そんなことしませんよ。たとえ喧嘩しても、やり返しの意味で暴露をする、なんてことはしませんから。あなたのお話に乗り続けた僕も同罪になります……、少なくとも、僕は山路さんのことを、放っておけなかった――。

 それくらいには好意を持っていると思ってくれて構いません。あなたをどうこうしようとは思いませんが、向き合ってお酒を飲める関係性が続けば良いな、とは思っていますので」


「……ここまで付き合ってくれたのですから、見返りとして体を要求しても、私は断固拒否する立場にはいませんよ?」


「では、しますか? ……一瞬でも嫌な顔をしたのが答えでしょうし、そんな顔をするあなたを襲っても嬉しくありませんよ。

 こうして図体がでかいだけで小心者なんです。それに、か細いあなたを抱きしめて壊してしまいそうで……。怯えがある以上、性欲が勝ることはありません。

 あなたが過剰な誘惑さえしなければ――僕はなにもしませんよ」


 彼女にその気があればいけるところまでいく、と言っているようなものだったが、そんな真意を知ったところで、彼女が心を許すことはなかった。

 どこまでいこうと、彼はあくまでも回避手段であり、本当の夫ではない。


 自由恋愛を求めていたのに、回避のための結婚を続けていたら、自由なんてないじゃないか。


「先のことは不透明ですから、様子を見ながら結婚生活を続けましょう。一応、夫婦ではありますが、シェアハウス、もしくは一時的な拠点と思って生活すればいいのではないでしょうか?

 この家での過ごし方など、強制することはありませんし。

 稼ぎも貯金も、おのおの自由にしましょう。人の趣味に口を出さない、食事も自由に摂る、転職もオッケー、というところで、どうでしょう」


「構いません。ただ、お義父さんとお義母さんの監視もあるでしょうから、ある程度の夫婦らしいことはしておいた方がいいのでは?

 たとえば、食事は一緒に摂る、とか。忙しければ別々でも構いませんが……、僕は料理ができるので、任せてもらっても大丈夫です」


「……いえ、お父さんにグチグチと言われそうなのでそれは私がやります」


 家事は女性がやるべき、という古い時代の考えを持ったままの人だ……、旦那にやらせていると知れば、絶対に文句を言ってくるに決まっている。


 母親が一歩引いて、家事に専念しているところを見れば明らかである。


「そうですね、まあ役割分担、でいきましょう」


 こうして、『演じる』結婚生活が始まった。



 それから――、


 求めていた自由恋愛を始められる理由がなんなのか探してみた。


 離婚、というのは、やはり父親に疑われる要素である……。

 お互いの考えが合わなくなって――という理由での離婚は、父親に『お前が合わせなさい』と言われるだろうことは予想がついた。


 旦那優先の考えである父親を納得させる離婚は、やはり旦那の浮気くらいなものだろうが……、しかし、父親も過去に何度かしているらしく、肯定される可能性もある。


 モテる男性は家の誇りだ、とでも言うかもしれない……。そうなると、浮気でもなく、考えの違いでもなく、じゃあ離婚という形を取らずに旦那と別れることができ、あと腐れなく新しい自由恋愛を求めることができる理由とは――、



「うん、旦那が死ねばいいのよね」



 ――そして。


 旦那の遺影の前で両手を合わせる――唐栗真雪はこれで一人になった。


 さあ、十代の頃から夢見ていた、自由恋愛をするための時間がやってき、



「—―おばーちゃんっ!」


 と、孫の真穂まほが、彼女の背中にしがみついてきた。



「あいたたた……、真穂ちゃん、どうしたの?」

「真穂! おばあちゃんは腰が弱いんだから……ごめんね、お母さん」


「大丈夫だけど……雪穂ゆきほ、棚の上にある果物、切ってくれる?」


 娘の雪穂が、これ? と聞いてくる。


「うん。秋里さんにお供えする分と、可愛い真穂ちゃんにあげる分。もちろん、あなたの分もあるから……美味しいのよお。お父さんの知り合いの人が送ってくれてねえ……」


「ふーん。じゃあ切ってみるね。……ねえお母さん」


 ん? と彼女が振り向くと、


「お父さんがいなくなって……寂しくない?」


「寂しくないわ。これで私は、新しい恋が始められるもの」


「ええ……、九十代に乗ったばかりでまだ恋がしたいの……?」


「そうよ、ここからが本番なんだからっ」


「ちょっとっ、これまでが練習みたいに言わないで! しかもお父さんの遺影の前で! 聞いていたらどうすんの、化けて出るかもしれないでしょ!?」


 それはない、と彼女は言える。


 だって、最初からこの夫婦は、『演技』だったのだから。



『いっておいで』



 旦那の声が聞こえてきた気がして、白髪交じりの髪を耳にかけ、彼女が笑う。


 自由でも恋愛でもなかったけど……それでも楽しい、『夫婦生活』だった。



 ―― おわり ――

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アクター・アフター 渡貫とゐち @josho

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