3ー①

       3

 大門と桐生に連れていかれたのは銀座の泰明小学校近くの路地だった。

「あの割烹に自動車六部の部長を含む三名の当社社員がやってくる。代理店を招いての接待だ。よく顔を覚えておくように」

 そう言い、大門が示した先には、『かなざわ』と書かれた看板が出ていた。間口は小さく店がまえは簡素だが、僕のようなぺーぺーが入れるような雰囲気ではない。

「酒も入れて一人一万五千円程度という価格帯で、自動車六部は接待によく使っている。部長が金沢出身で店の味を気に入っているからだそうだ」

 僕と大門は路地の陰に身を潜めていた。桐生は大門の指示で別の場所に向かっている。『またあとで』と言われたのでこのあと合流するということかもしれない。と、店の前にタクシーが停まり、男が三人降りてくる。

「今、後部シートから最後に降りた彼が自動車六部の水野部長。隣にいるのが二課の土屋課長。助手席から降りてきたのが加藤主任。顔、覚えた?」

「は、はい」

 彼らが店に入るまでの時間は十秒程度。既に薄暗くなっているので正直、顔はよく見えなかった。霞みそうになる記憶を何とか奮い起こし、今の映像を頭に刻み込む。

「二時間くらいで出てくるかな。それまで怪しまれないよう気をつけつつ、彼らが出てくるのを待とう」

「…………」

 返事が遅れてしまったのは、さも当然のように二時間この場で待てという彼の指示に衝撃を受けたからだった。

「わかった?」

 確認を取られたので慌てて「はい」と頷く。要は今の三人が店から出てくるのを見張れということなんだろうが、なぜそんなことをするのか、理由がわからない。

 と、店の前にタクシーが停まり、恰幅のいい男と痩せた男の二人が後部シートから降りてきた。助手席で運転手に支払いをしていた若めの男が最後に降り、三人は店へと入っていく。

「あれが今日の接待相手。山内産業の山内専務と日下部課長、それに山下課長代理。こっちの三人も顔を覚えておいてね」

 大門の指示に、「はい」と返事をし、またも三人の顔を記憶に焼き付けようとする。山内専務は柔道家のような印象で、髪型も角刈りっぽく覚えやすかった。あとの二人はどこにでもいる感じで、街で擦れ違ったらわからないかもしれない。しかしそんなことは言っていられないと、先に見た自動車六部の三人とあわせ、復習よろしく何度も顔を思い浮かべる。

 それからの二時間は長かった。二人で立っていると目立つということで、大門はすぐ、どこかへ行ってしまった。誰か出てきたら電話かメールをするようにと言われたので、僕はずっと店の入口を見張っていたが、数名の客が入っただけで出てきた人間は誰もいなかった。

 約二時間後、ようやく大門が戻ってきた。缶コーヒーを渡してくれながら問い掛けてくる。

「出てきた?」

「まだです」

 礼を言ったあと答えると、

「お疲れ。トイレ、行くなら行ってきていいよ」

 と言われたが、特に行きたくなかったので大丈夫と答えた。間もなく店の前にタクシーが三台停まる。それから十分ほどして店の格子戸が開き、男たちが歓談しながらぞろぞろと外に出てきた。

「今日はありがとうございました」

 手土産らしい百貨店の紙袋を持った山内専務が、自動車六部の水野部長に笑顔で声をかける。

「どうぞこちら、お使いください」

 水野部長の横から加藤主任が山内専務らに何か――タクシーチケットと思われた――を手渡し、専務たちはそれぞれタクシーに乗り込んだ。

「ありがとうございました」

 水野部長、土屋課長、加藤主任が頭を下げたあと、並んでタクシーを見送る。三台のタクシーが走り去ると、三人は、やれやれというように顔を見合わせ、笑い合った。

「まさか山内専務が退任とは思わなかった。何があったか調べておいてもらえるか?」

 水野部長の指示に土屋課長が「わかりました」と頷く横で、加藤主任も神妙な顔で立っている。

「それじゃあ、今日はお疲れ」

「部長、車、呼びますが」

「いやいい、地下鉄で帰るよ。それじゃ、お先に」

 駅へと向かって歩き出す部長を二人が「お疲れ様でした」と頭を下げ、見送る。

「行くか」

「はい」

 部長の後ろ姿が見えなくなると、土屋と加藤は頭を上げたあと、声を掛け合い歩き出した。

「追うよ」

「えっ」

 大門に耳元で囁かれ、驚いて彼を振り返る。追うって二人を? 尾行? 刑事ドラマのように?

 タクシーに乗られたらどうするんだろう。『前の車をつけてください』という例のアレをドラマよろしくやるんだろうか。そんな馬鹿げたことを考えているのを見抜かれたのか、大門に睨まれてしまう。

「行き先の予想はついているんだ。しかし万一ということもあるから、絶対見失わないように」

「わかりました」

 相変わらず頭の中は疑問符だらけだが、質問できるような空気ではなく、僕は大門と共に土屋と加藤のあとを少し距離を取りつつつけ始めた。

 二人は新橋方面に向かっているようだった。時刻は十時前。向かう先に色とりどりのネオンの看板が現れる。

 ここはいわゆる銀座のクラブ街ではあるまいか。話には聞いたことがあるが、当然ながら縁などあろうはずもなく、足を踏み入れたこともない。

 細い通りの両側のビルには一体いくつあるんだろうと思えるほど、たくさんの店が入っている。二人はその中の細いビルへと進み、エレベーターへと向かっていった。

「ここでいい。あとは二人が出てくるのを待つ。で、君の仕事だ」

 と、大門が僕の目を見ながら問うてくる。

「山内産業の三人の顔は覚えたね?」

「はい」

「その三人の誰かがこのビルに入っていくかどうかを見張るんだ。目立たないようにね」

 指示を出すと大門はまたふらりとどこかに行ってしまった。僕はわけがわからないまま、ビルに出入りするサラリーマンやホステスさんたちの顔を一人一人確認し、先程タクシーに乗った山内産業の三人がいるかどうかに意識を集中させ続けた。

 どのくらい時間が経っただろう。そろそろ終電が出るのではと時計を見ようとしたとき、背後から軽く頭を叩かれ、はっとして振り返った。

「余所見しない。なんちゃって」

 いつの間にか近づいてきていた桐生がそう言い、にっこりと笑ってみせる。

「すみません……っ」

「冗談だって。そろそろ出てくると思うから」

 桐生がそう言ったとき、ビルから土屋と加藤が大声で笑いながら出てきた。見送りにホステスさんも二人、一緒に降りてきたようだ。

「あ、ミキちゃん、ちゃんと請求書、二つに分けてくれたよね?」

 加藤が聞いた相手は背の高いほうのホステスだった。すらりとした細い身体に光沢のある生地の白いドレスを纏っている。ロングの巻き髪に乱れはなく、ザ・銀座のホステスという感じがする。紅い唇が印象的だなと思わず綺麗なその顔に見入ってしまって、加藤が何を聞いたのか、意味を解するまでには至っていなかった。

「わかってますって。いつもどおり、日付もブランクにするんでしょう?」

「さすがミキちゃん。それじゃ、またね」

 土屋と加藤がひらひらと手を振り、千鳥足で駅へと向かう。彼らのあとをつけたほうがいいかと振り返り、桐生に問おうとした僕の視界に、『ミキちゃん』と呼ばれていたホステスがつかつかと近づいてくる姿が飛び込んできた。

「えっ」

 じろじろ見すぎたのだろうか。土屋や加藤には気づかれないよう身を隠していたが、彼女には気づかれてしまったと? どうしよう、と桐生を振り返るも、桐生はニコニコしながら、近づいてくるミキを真っ直ぐ見つめている。

 結局ミキは、僕たちのすぐ前までやってきて、腕を組んだ状態でじろ、と僕と桐生を睨んできた。近くで見ると美貌が際立つ。しかしどうしたらいいのかとその場に固まっていたのは僕ばかりだった。

「よ、お疲れ」

 桐生が笑顔で彼女にそう声をかけたのだ。

「本当に疲れました。今日で終われそうでほっとしてますよ」

 やれやれというような口調でミキが肩を竦める。この声、どこかで聞いたことがあるような、と首を傾げた僕の肩に桐生の腕が回る。

「宗正君がわからないみたいだから自己紹介したら? 三条さん」

「え? 三条さんって……っ」

 あの、パソコン画面ばかり凝視していた、化粧っ気のない地味な服装の? 驚きの声を上げたあと、まじまじと顔を見ると、確かに面影はある。しかしあまりに変わりすぎだろうと、気づけば僕は口をあんぐり開けた状態で彼女の顔を凝視していたようだ。

 三条に眉を顰められ、気づいて慌てて目を伏せる。

「す、すみません」

「お店に挨拶してきます。証拠持ってきますんで」

 僕の謝罪を無視し、三条は桐生にそう言うと踵を返し立ち去っていった。カツカツとハイヒールの踵がアスファルトを叩く音が遠のいていく。

「さて、それじゃ、車、回してくるよ」

「車!?」

 いつの間に? と驚いていた僕を残し、桐生が立ち去っていく。と、またも横から声をかけられ、僕はぎょっとして声の主を振り返った。

「わかったかい? 自分が何を見張っていたか」

「うわっ」

 桐生も大門も、気配を消すのがうますぎる。いや、僕がぼんやりしすぎているだけか。いつの間にかすぐ近くに立っていた大門の出現に驚いたせいで、彼の問い掛けに答えるより前に、思わず大きな声を上げてしまった。

「失礼しました! ええと……」

 慌てて謝り、答えを考える。山内産業との接待のあと、水野部長は帰宅し、土屋課長と加藤主任の二人がクラブに飲みに来て帰るところまでを見張っていた――が答えだろうが、なぜ見張っていたのかとなると、理由はよくわからない。

「打合せまでの間に考えておいて」

 大門は僕の背を叩くと、行こう、と促し、大通りに出る。少し待つと桐生の運転する白い車が目の前に停まり、僕は助手席に、大門は後部シートに乗り込んだ。そのまま待つこと五分あまり、コートを羽織った三条がやってきて、後部シートに乗り込んでくる。

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