そらのひまわり

曹灰海空

そらのひまわり

 気づくと私は暗がりの中にいた。

 ゆっくりと鮮明になってくる感覚の中で、突然体に感じる冷たさに思わず身震いをする。

 私はどうしてこんな所に居るんだろう? ううん、そもそも自分自身の事すら全然思い出せない。


(えっと……)


 自分の事を思い出そうとして辺りを見回したのだけど、すぐに手がかりになりそうな物はどうにも見当たらず、ただ寂しい暗闇が広がっていることに、私は不安でしょうがなかった。


(こういうときはどうするのが正解なんだっけ。確か落ち着くことが正解だったような……)


 それならばと、慌てる自分をまずは落ち着かせてみる。


(落ち着いてー、落ち着いてー)


 誰の教えだったか、自分に言葉を言い聞かせることが有用だったと思い出した私はひとまずその手順に乗っ取って自分に言い聞かせてみることにした。

 幸いこの手順は正しかったようで、徐々に混乱の波が去って行くのを感じた私は、今度はゆっくりともう一度自分のことを思い出せそうな記憶はないか思考を巡らせてみる。


 相変わらずいろいろと混濁している頭では途方もない作業の気もしていたけど、しばらく格闘しているうちに私はようやくこの状況になる前の記憶を一つ思い出すことが出来た。


(えっと、たしか私は白い服の人達に囲まれていて――)


 あれは広いがらんとした空間でのことだったっけ。

 その人達は私には理解の出来ない言葉でしきりに何か話していたのだけど、せいぜい私にわかったのはそれが私に関係する何かということだけだった。

 自分の事について話されているのにわからないのは気持ち悪かったけれど、その白衣の人達が温かく見守ってくれている事にどこか安心感も覚えていた気がする。


 頑張ってなんとか一つ記憶を思い出したからか、そこからは波が広がるように関係する記憶が徐々に思い出されていくのを感じ、私は「ふぅ」とひとまず安堵の息を漏らした。


 そうそう、あそこに居たのは一日だけじゃなかったっけ。

 何日も何年も、私はあの場所で過ごしていたのよね。


(ふふっ、あの人たちにはたくさん迷惑をかけちゃったな)


 ふと、突拍子もなくそんな思いが湧き出てきた。

 なぜそんな事を思うのかは自分でもとっても不思議だったけれど、「これ」はそういうものなのだろうか?

 と。

 そんなことを思うと同時に、暗闇だった世界に一つの綺麗な光が見え始め、私は言葉にならない声を上げる。

 それは私が知っている言葉や知識ではおそらく表現出来ないとてもとても美しい光で、私は自然とその光に運命を感じていた。


 ああ、そうじゃない。私は――


 目の前の言葉に出来ない綺麗な光に導かれるように、私は自分のこと全てを一気に思い出す。

 その記憶にはここが故郷から遠く遠く離れた場所で、私はもう孤独なのだということも含まれていたけれど、それでも私は怖くなかった。

 片道切符のこの旅路の目的は、「彼ら」を見守ること。

 泣く様子も、ムスッとした様子も、もちろん満面の笑顔だってここからはよく見える。

 ううん、それだけじゃない。

 今ならはっきりと「彼」と夢見ていた景色を見ることができるのだ。


 青い青いその美しい眩しさからか、気付けば私は持ち合わせのない涙を流していた。


 ***


「主任、ここに居ましたか」

 そう後ろから声を掛けられたのは、ちょうど青空とその先のダークブルーが交わる場所を見上げている時だった。

 七月十四日の今日――ひまわりの日の由来に合わせた打ち上げが終わり感傷に浸ってる時に人が来るとは、なんとまあ間の悪いことか。

「はぁ、探しましたよもう。一体どこにいるかと思えば……」

 呆れ調子の聞きなじんだ声に私はしばらく言葉を返せる状況になかったのだけど、彼は様子を察して待ってくれているようだった。

 そんな気遣いに感謝しつつ、結局声の主である彼に顔を向ける事が出来たのは数分経った頃だっただろうか。

「ん、居たのか。気付かなくてすまない。だが、今日は皆が我を忘れて空を見上げる日じゃなかったかな?」

「おや、これは失礼しました。主任が涙を乾かし始めた時から一緒に空を見上げてるつもりだったのですが」

「はは、さすがは私の助手なことはある。これは一本とられたな」

 やっぱりと言うか、バレてないはずは無いのだが面と向かって涙に溺れかけていた事を言われるとやはり気恥ずかしい。

「まったくもう、主任はいつもふらっと外に消えちゃうんですから。それで、気はお済みになられましたか?」

「ああ、おかげさまでね」

「それはよかった。早く管制制御室に戻ってくださいよ? 打ち上げ成功の会見と祝杯が待っているんですから」

 そう言って、やけにそそくさとその場を後にしようとする助手の背中に、私はそういえばと言葉を投げかける。

「言った通り、私が居なくてもちゃんと『彼女』は目を覚ましただろう?」

 その言葉に彼はピタリと足を止めた。

「……ええ」

「で、それを計器越しに見ていた君は何が『彼女』に必要だったかは分かったかね?」

「…………」

 緩やかな風が吹く丘の上、さっきとは逆に今度は私が彼の沈黙が終わるのを待つことにする。

 だが数分後、彼の起こした行動はただうつむいて肩を震わせるだけだった。

 その様子に私はやれやれと少し微笑みながら彼の横に立つ。

「やっぱりわからなかったんだな?」

 返答は相変わらずなかったが、彼の肩に手を乗せれば彼が静かに泣いているのは誰でもわかっただろう。

 誰に似たんだか、弱い所を無理に隠すのは相変わらずだ。

「助手――ううん、今は周りに誰もいないし息子として接してあげるわ。そのままじゃ戻ろうに戻れないでしょうに」

「ごめんなさい……母さん」

「謝る必要なんてないわ。あなたが必死になって蘇らせようとした写身うつしみのことだもの。私の手を借りずによくあそこまで育てあげたものよ」

「でも、結局最後は主任の――母さんの手を借りないといけなかったから」

「本当に最後だけ、ね。でも、世界初の人間を再現したプログラムをあのゆかり深い衛星に乗せるなんて夢物語が現実になったのはあなたの功績よ」

 プログラム、なんて言い方はあまり好きじゃないわね、と言いながら私は空を見上げる。

 打ち上げ日和の夏空なつぞらはさっきと変わらず美しい青とダークブルーだ。

「本当は僕自身の手で見つけてあげたかったけど、打ち上げ日までに間に合わなかった……」

 相変わらずうつむいたままなのだろう、少しくぐもった声で私の一番の助手はつぶやく。

「主任、『彼女』の目覚めに――『彼女』の完成に足りてなかったものは何だったんですか?」

「んー、そうねぇ。それを知るにはず顔を上に向けないとダメね」

「はい……」

 一人の技術者として悔しさが見え隠れする息子の問いかけに、私は直接答えを教えるなんてことはしない。

 なにより、その答えには自分で気付いてもらいたかった。

「コホン。さて助手よ。空には、何が見える?」

「今日は雲がないから青空とか太陽とかでしょうか」

「うむ、まあ正解だな。で、君はその青空や太陽に何か感じるものはあるか?」

「感じるもの、ですか? 青いとか、眩しいとか、あとは夏なので暑いとか……」

「まあ、間違ってはないな。ただ、それは計器や機械越しにもわかることだ。青は色値、明るさは照度、暑さは温度として見れるからね」

「そ、それはそうですけど。それが何か『彼女』に足りなかったものと関係あるんですか?」

「そうだな。その『彼女』――君がその元にした死んでしまったのことを思い出してほしい」

「え?」

と過ごした夏、と初めて見た夏空なつぞらはさっき君が答えたようなものだっただろうか?」

「…………」

「そもそもなぜ君は写身うつしみとも言えるような、『彼女』をひまわり99号に載せようと思い立ったんだね?」

「そ、それは――」

「もっと言おう。ずっと開発室にもっていた君と私の違いはなんだろうか? の、『彼女』の夢を君は覚えていただろうか?」

 彼が隣で息をんだ気がした。

「その先にあるものがきっと求める答えさ。にしても、今日の天気は気象衛星ひまわりから見たらさぞ綺麗なんだろうね」

 私は答えに気付き始めた彼に微笑み、一人管制制御室へ向かって歩き始める。

「そういえば、君はひまわりの花言葉を知っているかね?」

 そして一言、息子への余計な言葉を置いてくのはもちろん忘れなかった。


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