第10話 雨宿り(過去の話)

 男は床を転げまわる。

 顔は鼻から頬まで真っ赤で、銃弾が入っていないリボルバーを握りしめている。

 無精ひげとぼさぼさの黒髪。胸を上下に速く動かし、身体を起こした。

 薄暗い部屋から逃げ出すように扉を開けて、林に囲まれた外へ。

 家の庭は人為的に作られた芝生と馬小屋があった。

 土が露出した場所に枝や薪を置いて、火を起こしている赤ずきんと体長160センチの大柄な狼が男の視界に映る。


「何やってんだ?! もう訓練の時間だ!!」

 

 男は激昂して叫ぶ。

 赤ずきんは怯え、狼の後ろに隠れてしまう。

 琥珀の左目で男を睨んだ。


『まだ酔っ払ってるのか?』


 言葉を話す狼を数秒ほど黙って眺めた後、男は鼻で笑う。


「まぁたいつもの幻覚か……」

『酔いが覚めてから噛みちぎってやろうか』

「うるせえ! 訓練だ、訓練を始めるぞ!!」


 突然のことに何も言葉が出てこない赤ずきん。


『こいつ、いかれてるな』


 男はタイヤ付きの台を庭へ運び、上に空っぽのワインボトルを並べていく。


「銃の扱い方も知らねぇから間違ったことに使うんだ! ほら、持て!!」


 戸惑う赤ずきんに黒塗りのライフル銃を乱暴に渡す。

 咄嗟に受け取った赤ずきんは狼に不安げな表情を見せる。


『せっかくのライフル銃がただの御守りになるよりマシだろう。諦めろ』

 

 赤ずきんは俯いてしまう。


『おい人間、名前は?』

「この前も教えただろうが、化け物め!!」

『はぁ……あーオレは忘れやすいんだ。教えてくれ』


 丸太をイスがわりに腰掛けた男は、赤いワインが入ったボトルの栓を噛み、頑丈な顎で外す。

 味わうよりも飲み込む、アルコール摂取が目的としているような速度で喉の奥へ通した。

 半分まで飲んだ後、赤ずきんと狼を睨む。


「……カイル」


 カイルは続ける。


「それは訓練用のライフル銃だ。操作は本物と変わらねぇが、特殊な低殺傷の銃弾が装填されている。それでボトルを狙って撃つ。それを繰り返す。構えて、サイトで的を狙い、迷わず撃ち、すぐに排莢と装填。完璧にできるまで続けるからな!!」


 瞳孔が開いているカイルの眼差しに、赤ずきんは涙目で何度も頷いた。狼は黙って訓練を見守ることになる。


「やる気あんのか? 撃ったらすぐ装填。殺されるぞ!!」


「こんのクソガキ、酒飲んでも俺の方がうまく撃てるぞぁあ!!」


「撃ったらすぐにボルトハンドルを引け、押せ、倒せ! すぐ構えて次を狙え!!」


 そんな怒号と、ワインボトルがいくつも割れる音が林の中に響き渡る。

 その間、狼は退屈を噛み殺すように林の中を動き回った。

 途中鼻を刺激する腐った臭いがして、狼は左目を細くさせる。


『これは……』


 数時間、数週間、赤ずきんはくたくたになって、丸太に腰掛けた。

 焚き火以外の明かりがない夜。薪や枝が燃えて弾ける音と、虫の鳴き声がよく聴こえる。

 狼は隣に伏せた。


『だいぶ様になってきたんじゃないのか? あの狩人より』

「……どの人? 私が、たすけられなかった人? それとも……わたしが」


 赤ずきんの名前を強めに呼び、続きを止めさせる。


『すまん、忘れろ。カイルはどうやらお前を新米兵士だと思い込んでいるようだな。酒のせいか、それとも精神的な何かか』

 

 赤ずきんは悲しそうに眉を下げて、頷いた。


「となりから、うなり声が聞こえてくる」

『よほど何かトラウマがあるのかもしれん……最悪、奴を殺す必要も、あるな』


 俯く赤ずきんに、狼は鼻息を出して空に昇る火を眺める。





 翌朝、赤ずきんは薄暗い早朝と共に起きて、訓練用のライフル銃を手に取った。

 木箱からワインボトルを取り出し、台の上に並べていく。

 少し離れた位置で特殊な弾を排莢口から入れ込み、レバーを押し、戻して倒す。

 ストックを肩の付け根に引いて固定し、頬を乗せる。

 頭は垂直に、丸い穴があいたリアサイトから覗き込んでワインボトルを狙う。

 1発、ワインボトルの真ん中に撃ち込み、ビンが割れる音が響き渡った。

 排莢、装填を素早く行い、次のワインボトルを狙い撃つ。

 カイルは窓からその様子を眺めている。狼はカイルの傍に寄り、声をかける。


『おい、カイル。ここに住んでいる奴に何があった?』


 赤ワインが入っているボトルを手に、カイルは一口を多めに飲んだ。


「ここにいた奴らは敵だった。それだけだ」

『裏の林に人の骨があった……人だけじゃない、馬も。腐敗した子供の骨もあったんだが』

「爆弾を抱えていたかもしれない、だから撃った」


 狼は黙り込んでしまう。カイルは不敵に笑う。


「あの小さいガキは、人を殺したことあんのか?」

『…………あぁ、1人だけ撃った。もう1人は、刺した』


 ワインボトルが空になる勢いで、カイルは飲み干した。

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