第5話 葉巻(過去の話)
「あぁーお腹空いたぁ……」
赤い前開きフード付きコートに細身のパンツ、ブーツ姿の15歳になる赤ずきんはお腹を押さえて悲し気に呟いた。
ボルトアクションライフルを背負い、腰のホルスターには銃身が短いダブルアクションリボルバー。
先頭を歩くのは体長160センチの大柄な狼。
足元は白く、胴体にいくにつれて茶と灰の毛が混じる。
琥珀の左目は赤ずきんを睨んだ。
『町までもうすぐだ。ほら歩け!』
数メートル先から強めの口調で赤ずきんを呼ぶ。
「厳しいなぁ」
赤ずきんは眉を下げて渋々と、言われたとおりに足を動かした。
足取り重い赤ずきんを置き去りにする速度でどんどん狼は進んでいく。
『……何かがいる、気を付けろ』
警戒した狼は赤ずきんのもとへ戻る。
町の手前、街道に1頭の牡馬が草を食べていた。
手綱、鞍、鐙もついている。
赤ずきんが近づいても怖がる素振りを見せない。
「わ、立派なお馬さん」
牡馬の首筋辺りに手を伸ばして、軽く叩くように撫でてみた。
特に嫌がる素振りは見せず、牡馬は大人しく円らな瞳をしている。
『おい、人間が倒れているぞ』
狼は街道から外れた草原で、仰向けに倒れた男性の周りをくるくる歩く。
ふくよかな体型で、シャツの裾が捲れてお腹丸出しの男は幸福に満ちた表情をしている。
頭に古びたハンチング帽、ボーダー柄のシャツに、青いオーバーオール、黒いブーツ姿。
赤ずきんはゆっくり近寄り、男を見下ろす。
近くにはリュックが転がり、茶色い小さな棒が散らばる。
「食料とか持ってるかな? ついでに銃弾とか」
『おい……盗人に育てた覚えはないぞ。軍の矯正プログラムに連れて行ってやろうか?』
「う、冗談だってば。あのー大丈夫ですかー?」
男は赤ずきんの声に眉をぴくりと動かした。そして、パッと瞼を開ける。
狼は警戒されないよう男から離れる。
「う、うぅーん……うん?」
赤ずきんが見守るなか、男は上体を起こしてハンチング帽をかぶりなおす。
「おじさん大丈夫ですか? こんな外で寝てたら風邪ひきますよ」
「あぁいや、すまんすまん大丈夫だ。ちょいと香りが強すぎてな、そのまま倒れてしまったのだ」
ニコニコと、男はリュックから散らばってしまった茶色の棒を小さな容器に戻していく。
「なんですか、これ?」
「葉巻じゃよ。このワシお手製のいい香りがする葉巻。趣味で作っとる」
男はマッチを取り出し、葉巻の先端にゆっくりと火をつけて甘い香りを漂わせた。
不思議とうっとりする香りに、赤ずきんは目を細める。
「わ、いい香りー」
「そうだろそうだろ! 若いのにこの良さが分かるか! ワシはエミリオ、農業と狩人で独り生計を立てとる寂しい男だ……おぉ?!」
エミリオと名乗った男は目線を上げていき、赤ずきんの後で伏せて隠れている大柄の狼に気付くと、身を縮ませた。
「ひ、人食い狼、ではない?」
赤ずきんは慌てて訂正するように早口で、
「彼は私の大切な相棒なんです! 決して人に襲ったりしません! 大柄で怖いかもれませんが、ホントに大人しいんです!」
エミリオは赤ずきんの必死な訴えに、焦りながらも何度か頷いた。
大人しく待つ牡馬を見上げて、エミリオは微笑んで息を吐く。
「大切な相棒ならワシにもおる。よく分かるぞ、だから安心しなさい、少し驚いただけじゃ」
安堵した赤ずきんは微笑み、狼はゆっくりと赤ずきんのもとへ。
しゃがみ込む赤ずきんの背丈を軽々と超える狼に、エミリオは思わず身を反らして、急いで立ち上がった。
赤ずきんも立ち上がり、改めてお腹を押さえる。
「安心したら、お腹空いてきた……」
狼は呆れるように鼻息を出した。
エミリオは微笑み、牡馬の首筋を軽くマッサージをしてから手綱を掴んだ。
「心配させてすまんな。お詫びといっちゃなんだが、ご飯をご馳走しようじゃないか、どうかね?」
赤ずきんは狼と目を合わせた。狼はエミリオの提案に賛成していない様子。
だが、赤ずきんは元気よくエミリオに頷く。
「ぜひ!」
近くの町から少しだけ離れた小屋と畑があるところへ案内される。エミリオは牡馬を馬小屋に入れた後、
「ぼろいが、独りで暮らすには十分な小屋だろう? 雨以外は外で食べとるんだ」
小屋の前に置いた木製のテーブルとイスへ赤ずきんを案内。狼は赤ずきんの足元近くで座る。
『毒かもしれないぞ』
「狼さんは疑い過ぎだよ」
狼は鼻息を出して伏せの姿勢になる。
小屋からニコニコと、エミリオは鉄鍋を丸ごと持ち出してテーブルに置く。平皿とアルミ製のコップを2人分、それと硬めのパン。
「豆の煮込みスープと、サンドイッチじゃ、おかわりはあるから安心しなさい」
薄桃のハムと白いとろけたチーズ、トマトソースが絡むミートボールが挟まれているパンに目を輝かせる赤ずきん。
「ありがとうございます! 久し振りのご馳走です!!」
笑いながら席についたエミリオと一緒に食事を摂り、狼は伏せたまま左目は鋭く警戒している。
「お嬢さん名前は?」
「名乗るほどの者じゃありません。皆からは赤ずきんと呼ばれています。ちょっと訳ありでして、色々と」
はっきりと答えられない赤ずきんは目を細めた。
皿に盛りつけた豆の煮込みスープをスプーンで掬い、口に運んだエミリオは、にこやかに頷く。
「そうかそうか、人は色々あるな。ワシは昔軍人でな、退役してもう10年は経つかの」
「じゃあどうして狩人に?」
エミリオは葉巻を細長い灰皿に置いて、甘い香りが漂う空間を作った。
それから、寂し気に赤ずきんを見る。
「この町にいた若い狩人が人食い狼にやられてな、急遽軍に呼ばれて渋々狩人になったんじゃ。人食い狼を狩るのは、苦手なんじゃが……」
「どうしてですか?」
エミリオは遠くにある森に目を向けた。
「狼は別れの時まで番と添い遂げる。ワシは以前別の町で狩人をしていた……ある日森から出てきた親狼を撃った。その時の光景が今も浮かんでくる……死の狭間で必死に家族を守ろうと動く姿が頭の奥にずっと」
「……」
『……』
赤ずきんは静かに聞き、狼は軽く唸り、そっぽを向いて左目を閉ざす。
「赤ずきん、君も武器を持っているということは、何かと経験はあるじゃろう」
「はい、でも、ほとんど狼さんに守られてばかりです」
「それでもいつか、同じようなことが幾つも起きる。それが人でも、狼でも……きっと悲しくなり、自分を責めてしまう時が来る。赤ずきん、どんな時も己を律することが大切じゃよ」
「おのれをりっする?」
赤ずきんは首を傾げた。
エミリオはにっこり穏やかに微笑んだ。
「まぁ気を強く持て、ということじゃ」
『…………』
狼は左の琥珀を細め、鼻から息を吐き出す。
「だから狩りを終えた後はいつも葉巻を灰皿に、相棒とここから平和な町を眺める。ワシにとって魔法の葉巻。吸わずにただ香りを愉しむ、これが乙ってもんじゃ」
しわくちゃに微笑むエミリオはサンドイッチを頬張り、スープを飲む。赤ずきんは微笑み返した。
ゆっくりと時間が過ぎていくような、穏やかな空気が流れる町と鼻腔をくすぐる甘い香り、足元には丸まった大きな狼。
赤ずきんは冷めないうちにご馳走を完食した。
「ご馳走様でした」
「いやいやこっちこそ迷惑をかけてすまんかった。久し振りに若い子と話せて楽しかったんで、気にせんでいい。そうじゃ、出会えた記念に葉巻を受け取っておくれ」
エミリオは葉巻と保管できる専用の小さな容器を赤ずきんに渡す。
太い葉巻はエミリオのお手製で、火をつければ思わずうっとりしてしまうような甘い香りの葉巻が10本入っている。
「いいんですか?」
「旅のお供に使ってくれい。マッチと灰皿もつけよう。結構長持ちするぞい」
「ありがとうございます!」
斜め掛けカバンに葉巻のセットを入れて、赤ずきんは手を振って町の方に向かう。
『体に異変はないか?』
「大丈夫。とっても素敵なおじさんだったね」
『どうだか……それにまた、変な趣味が増えた』
「そうかなぁ? ワインも葉巻も、素敵な物だよ」
赤ずきんは首を傾げつつも、どこか楽しい気持ちを抱えて表情を綻ばせた……――。
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