第1話 赤ずきん

「狼さん、右目の調子はどう?」

『平気だ、今はなんとも』


 老齢の狼は琥珀の左目で少女を映し、低い声で答えた。

 体長160センチの大柄で、足元は白く胴体にいくにつれ濃い茶と灰の毛が混じる。

 テント一式が入るリュックを担ぎ、お座りの姿勢。


「そう、良かった」


 少女は優しい笑みを浮かべる。

 赤い前開きフード付きコートに細身のパンツスタイル。

 ボルトアクションライフル銃を背負い、腰に巻いたベルトにはホルスター、そこに銃身が短い15㎝のダブルアクションリボルバーが収まっている。

 狼の顎や横顔を撫で、閉じた右目にリップ音をつけて口づけ。


「さて、行きますか」


 準備が整い、少女が歩くと狼はゆっくりとした弱々しい足取りでついていく。



 長閑な小さな町。外壁はなく、誰もがどこからでも出入りできる。

 少女が町に踏み込めば、狼は大人しく町の外で伏せて待つ。

 町の誰もが注目している。

 美人、武器、狩人、赤ずきん、そんな評価が耳に届く。

 少女は雑貨屋のお店へ入り、店主に訊ねた。

 

「何か困りごとはありませんか?」


 きょとん、とした表情を浮かべて、すぐに何もないと首を振る。

 少女は残念がることもなく、淡々と頷く。

 干し肉とワインを購入して立ち去ろうとした少女を、店主は呼び止めた。


「そういや隣に住むシェリアおばあさんが、何か悩んでるみたいだよ」


 少女は情報を元にお店の隣に建つ小さな家をノックした。

 奥から返事が聞こえたような気がして、少女はそっとドアを開ける。

 暖かい照明がついている室内、ロッキングチェアに腰掛けているおばあさん、シェリアは見知らぬ訪問者に目を丸くした。


「えーと、ども失礼します」

「……どなた?」


 少し警戒しているような口調で、肩に力が入っている様子。


「隣のお店からシェリアさんが困っているとお話を聞きました。私は何でも屋の赤ずきんと申します。家事手伝いや人食い狼さん退治等々を請け負っています、その代わり食料や弾薬を報酬として頂戴していますが、いかがでしょうか?」

「……綺麗な子が、狩人みたいな武器を持っているなんて……」


 赤ずきんはシェリアの返事を待つ。

 シェリアは物騒な武器や風貌に警戒したまま、続けた。


「主人のペンダントを、森の小屋に置いたままなの。取りに行きたいけど子供や周りに止められていて……」


 シェリアは棚の上に飾られた写真立てに写る誇らしげに笑う男性を、愛しい目で眺める。


「分かりました。行ってきます」

「本当に? でも、大丈夫なの? 森には人食い狼がいて危険なのよ」


 にっこりと赤ずきんは自慢げに親指を自分に指す。


「ご安心ください、私には相棒もいます。報酬を用意してお待ちください」


 戸惑うシェリアに背中を向けて、外へ出た。

 赤ずきんの姿が見え、狼は体を起こして近寄っていく。


『森に行くのか?』

「うん、森の奥に、そこにご主人さんの遺品があるみたい」

『……森か』

「おやおや、森は怖いかい? 狼さん」


 茶化すような言い方に、顔を逸らした狼はさっさと森に進んでしまう。


「もー冗談だってばぁ」


 赤ずきんは笑顔でついていく。

 明るい時間帯でも、森に入れば薄暗く、ほとんど日の光は感じられない。

 赤ずきんは怯えることなく狼の弱々しい足取りを追いかけ、森の小屋を目指す。

 すると、草が何かに擦れるような、騒がしい音がした。

 赤ずきんはリボルバーを手に構えて周囲を見回す。


『人食い狼の臭いがする。多いな、気を付けろ』

「りょーかい、優しい狼さん」


 警戒しながら進み、人工的に伐採されて陽の光が大量に差し込む広い場所に到着した。

 小屋があり、人が住んでいる気配がないほど寂れて、窓は割れている。


『見張っておく』


 狼は小屋の前で座り、その間に赤ずきんはドアノブを掴んで引いてみる。だが、動かない。


「かったい、鍵しまってるのかな? 劣化? えぇ、こんなことで弾を使いたくないし……」


 赤ずきんはブツブツと渋るように独り言。


『割れた窓から入ればいい』


 狼の助言に赤ずきんは笑顔で頷く。


「さっすが賢い狼さん、それじゃちょっと失礼しまーす」


 窓枠に残っている破片をグリップで壊し、グローブで破片を取り除き、窓から小屋に侵入。

 室内は暗く、赤ずきんはカバンから電池式のランタンを取り出す。

 ほのかに光る照明の中、家具がそのままで埃まみれの室内で目的の物を探す。

 棚、ベッド、クローゼットの中をこれでもかと探すと、小さな黒い細長い箱を見つけた。

 手に取って、蓋を開けてみると綺麗なまま輝く指輪がついたシルバーペンダントが入っている。

 扉を内側から開けて、


「見つけた、あったよペンダント」

『そうか、こっちは厄介なのが来ている』


 生い茂る草むらから姿を現した、涎を垂らす二足歩行の狼達(人食い狼)。


「あー人食い狼さん」


 赤ずきんは銃口を空に向けて発砲。鼓膜を刺激するには十分の爆発に似た破裂音が響いた。


『うるさぁ!』


 狼は驚いてよろけるように転んでしまう。


「ごめんごめん、あーもう邪魔だからじっとしてて」


 怯んだ人食い狼達2、3匹は逃げだして行く。

 それでも襲い掛かろうとする人食い狼もいた。

 赤ずきんはリボルバーで後ろ脚を撃ち込んだ。

 前のめりに倒れた人食い狼は唸り、涎を垂らしながら前脚で這い、赤ずきんに近づいてくる。

 草と土に血の轍が出来上がり、赤ずきんは眉を少し歪ませ、心臓部位に発砲。 

 破裂音が何度も森中に寂しく響く。 

 動かなくなった人食い狼を数匹眺めた後、赤ずきんは呼吸を整えた。


『赤ずきん……平気か?』

「うん、平気。狼さんは?」

『何も問題ない』

「それは何より、行こう」


 赤ずきんは狼と共に町に戻る。狼は町の外で待機する。

 シェリアの家に入ると、シェリアはロッキングチェアから慌てるように立ち上がる。


「アナタ、無事だったのね! 森からすごい銃声がしたから心配したのよ」


 口を手で押さえて、ホッとした表情で赤ずきんを迎える。


「大丈夫ですって。見つけましたよ、旦那さんの宝物」


 ポケットから取り出したシルバーペンダントをシェリアに見せた。

 瞳を潤ませて、呼吸を微かに乱したシェリアに渡す。


「あぁ……これよ。良かった、結婚指輪なの。主人は、狩人をしていたのだけど、ある日森から帰ってこなくて……でも本当に良かった」


 ペンダントを大事に抱え、再会を噛みしめるシェリア。

 赤ずきんは目を細める。


「ありがとう。これでいつでも主人と一緒にいられるわ。報酬になるかどうか分からないけど、作り過ぎて余っちゃった物があるの、良かったら貰って」


 シェリアは冷蔵庫から、濃い茶色のクリームが塗りたくられたケーキを取り出し、包丁で切り分けて一部を紙箱に入れる。

 赤ずきんはシェリアからケーキが入った紙箱を受け取り、にっこり笑顔。


「ありがとうシェリアさん!」

「森は危なかったでしょうに、感謝するのは私の方、本当にありがとう。アナタ、お名前は?」


 赤ずきんは首を横に振り、かぶっている赤いフードを指した。


「名乗るほどの者じゃないですよ。私を知ってる人は皆、赤ずきんと呼んでくれます。それじゃ、お邪魔しました」


 赤ずきんは立ち去る。






 平坦な地形を探し、そこにワンポールテントを立てた。

 ライフル銃を置いて、赤ずきんは骨組みに布を張っただけの軽量なイスに腰掛けた。

 折り畳み式のミニテーブルに細長い葉巻用の灰皿、小さな容器から取り出した葉巻を乗せ、マッチで火をつけると、少し窪んだ先端から煙と甘い香りが漂い始める。


「はぁーいい香り」

『いつも思うが、吸わないのか?』

「香りを堪能するのが乙ってもんだよ、狼さん」

『全く分からん』

「それはもったいないなぁ」


 赤ずきんは目を細め、狼の顎下を撫でた。


『……シェリアという人間は、どうだった?』

「すごーく喜んでたよ、愛し合っていたんだろうなって思う」

『……愛し合っていた?』


 狼は疑問を浮かべる。


「そう、不思議な感情なんだ。きっと胸がギューッとなる、かもね」

『意味が分からんぞ』

「ふふ、難しいね。難しい話はここまでにして、報酬のケーキをデザートに、まず夕食をとろう」


 辺りは薄暗くなり、夕食を取るには問題のない時間帯。

 干し肉をナイフで薄く切って、小さなボトルワインをアルミ製のコップに注ぐ。

 狼には余った干し肉と、ワインをアルミ製の皿に注ぐ。


「それじゃ狼さん、乾杯」


 にっこり微笑む赤ずきんに、狼は呆れるように鼻息を出して、


『……乾杯』


 干し肉に頑丈な顎で食らいついた。

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