第3話 恋ヶ窪菜月①

「あ、彰人……? もしかして今日って二人きり……?」

「ああ、まあそうなるな……」


 去年までは父と母と一緒に暮らしていた。

 だが、俺が高校に上がるタイミングで父が転勤になったのだ。一緒に引っ越して転校するという選択肢もあったが、俺と冬子はアパートを借りてこちらに残ることになった。


 それまでは菜月と隣の家だったけど、今は徒歩で五分ほど離れている。

 だから菜月も知っていたはずだが、今になって認識したらしい。


「ま、まあ昔からよくお泊りとかしてたもんね!」

「そう、だな。とりあえず、風呂でも入るか。沸かしてくるわ」

「う、うん。お願い」


 菜月が少しぎこちない。

 少し疑問に思いながら立ち上がり、給湯器に電源を入れ、湯船の蛇口をひねる。


 部屋に戻ると、菜月が部屋の角でひざを抱えていた。


「なんでそんな隅っこにいるんだ……?」

「べ、べつに? なんともないよ?」

「俺と二人なのがそんなに嫌か……」


 中身は菜月とはいえ、見た目は冬子だ。妹に避けられているようで、軽くショックを受ける。


「ち、ちがうよ! でも、お泊りする時っていつも冬子がいたし、彰人と二人だとさすがに緊張するっていうか……」

「なんで今さら緊張なんか……。別に、普通に寝るだけだろ。俺はリビングで寝ればいいし」


 1LDKだから、寝室の他にリビングもあり、ソファも置いてある。少々寝づらいが、寝られないほどではない。

 寝室は冬子と俺の二人で使っている部屋だけど、さすがに一緒というわけにはいかないからな。


「私、帰る」

「お前の家はここだ。身体は冬子なの忘れたか」

「うう……」


 突然立ち上がったかと思えば、また座り込んだ。


 膝に顔を埋める。隙間から、少し赤くなった頬が見えた。


「そっか、私、彰人の妹になったんだ……てことは……」

「ん? なんか言ったか?」

「ううん! なんでもないよ!」

「突然元気になったな……」

「私、お風呂行ってくるね」

「おう」


 さて、俺は夕飯の準備でもしようか。

 家事は分担していて、料理と洗濯はもっぱら冬子の役目だ。俺は掃除と買い出し担当。

 しかし、今は菜月だから、俺がやったほうがいいだろう。俺の家だし。


 幸い、三日分は冬子のお節が用意してある。

 今日はそれを出すだけだ。


「あ、彰人……? 一緒にお風呂入らないの?」


 キッチンに立つと、脱衣所にいる菜月がとんでもないことを言い始めた。


「……なにを言ってるんだ?」

「だって、兄妹だからお風呂くらい一緒に入るよね?」

「入るわけないだろ。くだらないことを言ってないで、さっさと入ってくれ」


 小学生くらいの時はたしかに一緒に入っていた時期もあったけど、今はお互い高校生だ。さすがにない。

 というか、今は菜月だし。


「はーい……」


 なぜか残念そうにしながら、扉が閉められた。しばらくして、シャワーの音が聞こえ始める。


 一人になると、改めて考えてしまう。

 なんだ、この現象は。意味がわからん。


 これから、冬子になった菜月と一緒に暮らしていくのか? それはいつまで?

 身体は冬子とはいえ、今まで通りというわけにはいかないだろう。気を遣うことも増える。


「はぁ……。どうするか」


 菜月とも気の置けない中だけど、幼馴染と妹は違う。


 思考に没頭しながらも、手は止めない。

 テーブルに並べ終わったころ、浴室の扉が開く音が聞こえた。

 広くはない家だから、生活音が丸聞こえなのだ。冬子だと気にならないのに、菜月だと思うと妙に意識してしまう。


「上がったよー。知ってたけど、冬子めちゃくちゃ肌綺麗だね! あと、身体が小さいから違和感すごい」


 二十分ほど経って、脱衣所から声が聞こえてきた。

 いちいち報告しなくていい。


「私、お風呂で考えたんだよね。考えても仕方ないから、とりあえず楽しもうって!」

「思考放棄じゃねえか。それは考えたとは言わん」

「えー、いいじゃん。こんな機会滅多にないよ。あ、ドライヤー借りるね」


 ぶうぉーっというドライヤーの音が響く。


 まったく、騒がしい奴だ。

 だが、あんまり深刻に考えるのはたしかに、菜月らしくない。このくらい能天気でいてくれたほうが俺も気が楽というものだ。


「はい、どうぞ。入っていいよー」


 菜月が櫛で髪を梳かしながら、脱衣所から出て来た。

 ……バスタオルを身体に巻いただけの格好で。


「お、おい! なんて格好してんだ!」

「あれれ? このくらい家族なら普通じゃない? それとも、彰人は妹の身体に欲情しちゃう変態なのかな?」


 菜月がバスタオルに指を掛けて、ひらひらと動かす。


 思わず、身体のラインを追ってしまう。

 冬子はラフな格好で過ごすことはあれど、せいぜいキャミソール姿までだ。こんなことはしない。


「菜月」

「え、なになに? もしかして、襲われちゃう?」

「冬子を汚すな。冬子はもっとおしとやかで可愛い妹なんだよ!」

「予想と違う反応!?」


 これはお説教だな……。


 冬子の身体で勝手なことをしないでほしい。

 菜月を正座させ、それを言い聞かせる。


「ちゃんと冬子として恥ずかしくない行動をするように」

「あい……」

「いいか、いつもの適当な生活は、菜月だから許されるんだ」

「私のことそんな風に思ってたの!?」

「そりゃそうだろ」


 菜月はしくしくと泣いたフリをしながら、脱衣所に戻っていった。しっかりと寝巻に着替えて、戻ってくる。

 それを見てから、俺も風呂に入った。

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