君の姿を僕は知らない

鷺島 馨

君の姿を僕は知らない

梶佐古かじさこ 朱莉あかりの声は茅野 愛衣さんがイメージかな

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飛鳥あすかくん、こんにちは」

ふわりと背後から僕の目に両手を当て目隠しをする彼女。

目隠しの後は耳元で囁く右葉に甘えた声を発する。

彼女は三歳年上の梶佐古かじさこ 朱莉あかりさん。

僕は彼女の声と手の感触と香ってくる少し甘い匂い以外を知らない。

いつも僕の後ろから目隠しをされて彼女と過ごす。


「外は少し風が強いけど、舞い散る桜の花弁はなびらがとても綺麗だよ」

部屋の窓は閉じられたまま。

この部屋からも桜並木は見えるけれど、桜の木の下で舞い散る花弁に包まれる方が綺麗だろう。


「さわさわと枝が擦れてその度に花弁が舞うの」

朱莉あかりさんの囁きと甘い匂いに僕は寒緋桜を思い浮かべる。

染井吉野より早い時期に咲き鮮やかな色を魅せてくれる。僕の好きな華。


「外に出てみない」

朱莉あかりさんは目隠しをしていた手を離し僕に立ち上がるように促してくる。


「こっちを見たらダメだからね」

僕たちの間で交わされた約束、朱莉あかりさんの姿を見ない事。

たわいのない会話から始まった約束。


「じゃあ、行こうか?」

僕は扉を開けて部屋を出る。

階下に降り、エントランスの扉が開いた瞬間に外の風が吹き込んできた。


「わあ〜、花弁が舞っていて、綺麗……」

エントランスに吹き込んだ風といっしょに花弁が舞っている。

目で追っていると朱莉あかりさんの方を向きそうになる。


「ダメだよ〜、約束だからね」

僕の頬に朱莉あかりさんの指が触れる。

照れ臭くなり頬が熱を帯びた気がする。


飛鳥あすかくんは、桜は好き?」

コクリと頷く。


「そっか〜、じゃあ、私のことは?」

耳に息を吹きかけるように甘く囁かれたその言葉が僕の中にけていく。

動きの止まった僕の体を背後からふわりと抱きしめてくれる。

僕はさっきよりもハッキリと首を縦に振る。


「ふふっ、照れてる?」

朱莉あかりさんの言葉とともにでた吐息が僕の首筋を甘く撫でていく。

今の僕は真っ赤な顔をしているに違いない。


「少し桜並木を歩こうか?」

エントランスから外に出た際に朱莉あかりさんの長い髪が風に舞い僕の体を包む。

毛先が桜と同じ淡い桜色の透けるように白い髪。

舞った朱莉あかりさんの髪に包まれると同時に朱莉あかりさんの匂いに包まれる。


「大丈夫?」

甘い匂いにくらりとして少しよろけた僕の肩を支えてくれる優しい手。耳元で囁かれる甘い声。

小柄な僕より、多分、朱莉あかりさんは身長が高いと思う。


「昨日より暖かくて風がなければ過ごし易いのにね〜」

コクリと頷いたけれど、本当は背中に触れている朱莉あかりさんの体温を感じて僕の体温はいつもより高いと思う。


「見て、あそこ!」

弾んだ声を上げた朱莉あかりさんが指差した先、桜並木を進んだところで旋風つむじかぜが巻いていて花弁が舞い踊っている。


「綺麗だね〜」

舞う花弁と共に僕に触れる朱莉さんの髪、視界いっぱいに広がる桜並木と菜の花、幻想的な景色に見惚れる。


「あ、魚が泳いでる!」

さらさらと並木道に沿って流れる小川は陽光をキラキラと反射している。

その中に時折、銀鱗を煌めかせて小さな魚が泳いでいる。

弾んだ声から、朱莉あかりさんが新しい発見を楽しんでいることが伝わってくる。


「あ〜、子供っぽいって思ってるでしょ」

僕の口角が上がっていたのかな?朱莉あかりさんは頬を膨らませているのかな?


「いこっ、まだまだ桜並木は続いてるんだから」

僕の肩に置いた手に少しだけ押される感触が伝わってくる。

僕と朱莉あかりさんはまた、歩き始める。


「きゃっ」

強く風が吹き僕たちを花弁が包む。

視界いっぱいの桜吹雪。

肩に置いている朱莉あかりさんの手に僕の手を重ねる。

細くしなやかな指、僕の指と違う感触に心が弾む。


「ふふっ、ありがと。急な風でビックリしちゃったね」

少し照れを含んだ朱莉あかりさんの声に僕は手を離す。

降ろした腕が少し寂しい。もっと朱莉あかりさんと触れていたかった……


「あそこ、メジロがいるよ!」

桜の枝をトンっと渡るメジロの姿が見えた。

こちらに気づいているのか花弁の影に隠れるように移動している。


「あそこにもいるよ」

よく見れば、もう何羽かのメジロが桜の枝に止まっている。

桜色にメジロの背中のうぐいす色とお腹の鮮やかな黄緑色が映えている。

綺麗だなと僕も思った。


「可愛らしいね」

立ち止まり二人でしばし眺める。


「あ、ミツバチもいる」

桜の花に近づいてみるとブンブンと小さな羽音をたててミツバチが蜜を集めていた。

僕たちが近づいてもミツバチは蜜を集める事をやめず飛び回っている。

そういえば、昔刺されたことがあったな。


「あそこのベンチに座ろっか?」

桜並木の脇に東屋あずまやがあった。

東家の屋根あずまやは舞い散る花弁で桜色に彩られている。

僕たちはゆっくりと東屋へ歩いていく。


「歩いたら、身体がぽかぽかしてきたね。飛鳥くんは大丈夫?」

飛鳥さんはパタパタと手で身体を仰いでいるようだ。

僕もだいぶ上気していたけど大丈夫。


「こっち、見たらダメだよ〜」

並んでベンチに腰掛ける。

横目に朱莉あかりさんの姿を捉えないように僕は少しだけ身体を前に傾ける。

足首まである淡いパステルグリーンのスカートが目に入る。

ふわりと軽やかに揺れる触りごごちの良さそうな生地。

でも、本当の僕は朱莉あかりさんと触れ合っていたい。


「はい、冷たいお茶」

水筒のコップに入れたお茶を受け取り喉を潤す。

火照った身体が内側から冷やされていく。

心地いい。

コップを返すと、水筒からお茶を注ぎ朱莉あかりさんもお茶を飲む。


「あ、間接キス、しちゃった、ね」

朱莉あかりさんが照れ臭そうに囁いた言葉によって、僕の顔が急速に熱を帯びていく。


「サンドイッチもあるけど食べる?」

僕の肩にもたれかかった朱莉さんが耳元で囁く。

それだけで心地いい。

サンドイッチの入ったバスケットを膝の上におき一つを手に取り、僕の口元へ持ってくる。


「はい、あ〜ん」

口を開けサンドイッチを咥える。

朱莉あかりさんの手から受け取り咀嚼する。


「どう?味付けは大丈夫?」

朱莉あかりさんはハラハラとした表情。緊張しているようだ。

グッっと親指をたて美味しい事を伝える。


「よかった〜」

朱莉あかりさんは安堵したようだ。

緊張した雰囲気が解けいつもの優しい朱莉あかりさんがそこにいた。

僕は朱莉あかりさんのこの雰囲気が好きだ。

何気ない優しさを与えてくれる朱莉あかりさんの包容力が好きだ。

でも、今はこの気持ちを伝えることはできない。

もうすぐ朱莉あかりさんと僕の道は分たれる。

進路のことは今までに何度も話し合ったこと。


飛鳥あすかくん、私はもうすぐ、このまちを離れないといけない……本当はもっと、飛鳥あすかくんと一緒にいたい。それでもこれは仕方のないことなの」

声のトーンを少し落としてこれからのことを話してくれる。

僕は咀嚼していたサンドイッチを嚥下してそれを静かに聞く。

僕は朱莉あかりさんの手に手を重ねて握りしめる。


「そうだね。今はこの桜を、この季節を楽しもうか」

僕は頷き、もう一つサンドイッチを手にする。

そんな僕を見て朱莉あかりさんは微笑みを浮かべている気がする。


ゆったりとした気分で風を受け、舞いおどる桜の花弁を眺める。

桜の開花期間は長くない。

この桜が散ってしまう前に朱莉あかりさんはこのまちを離れてしまう。

僕が朱莉あかりさんの後を追いかけられる、いや、追うのではなく、隣に立てるのは三年後のこと。

歯がゆい思いはあるけれどこれは仕方のないこと。


桜を見る度に今日のことは思い出されるだろう、最愛の人と過ごした日として。


風が弱まってきて体感温度が上がってくる。

ぽかぽかとした暖かな気温と心地よい風、サワサワと揺れる桜の枝、離れたところを流れるサラサラとした水の音。

優しく僕の頬を撫でる朱莉あかりさんの髪、そして朱莉あかりさんから香る甘い匂い。

僕の瞼はいつの間にか閉じられて行く。

そして朱莉あかりさんの柔らかな太ももの上に着地させられた。




俯瞰で見ている今の状況は僕の思い出だと思う。

朱莉あかりさんと出会った時のことだろう。


朱莉あかりさんとは入学して間もない頃に出会った。

庭園にある二段の段を上がったときにふざけ合っていた女子が僕にぶつかってきた。その子は僕にぶつかったことで体制を立て直したが、僕が後ろ向きに倒れることになった。

ぶつかってきた女子は倒れていく僕を見て悲鳴をあげている。


二段とはいえ後ろ向きに倒れたならば怪我をするだろう。

今、僕の腕には落とすことのできない荷物がある。顎を引いて後頭部だけでも守らなくては。


ここで朱莉あかりさんが僕を背後から支えてくれた。

振り返りお礼を告げようとした僕の頬をその細くしなやかな指でおさえる。


「当たり前のことをしただけだから、お礼はいらないよ〜」

ゆる〜く告げられた言葉。

頬から指が離れた時に振り返ったけれどその時には朱莉あかりさんは踵を返して立ち去っていた。


それからも朱莉あかりさんと会うことはあったけれど、そのどれもが僕が困っているときに手を差し伸べてくれた時だった。

それでも、顔は見せてくれないし僕も無理に見ようとしない。出会ってから変わらない暗黙のルール。


ある時、僕は朱莉あかりさんにどうしてこんなに助けてくれるのかと尋ねた。


『君がなんだか危なっかしくて、つい目で追ってしまうの』

クスクスと笑い声が聞こえる。

優しさと朱莉あかりさんの甘い匂いが好き。


何度かの邂逅ののちに僕と朱莉あかりさんは連絡先の交換をした。

連絡先の交換をしたときにアイコンに登録するからと朱莉あかりさんのスマホのインカメラで写真を撮られた。その時スマホの画面に映り込んだ朱莉あかりさんのあおい瞳が印象的だった。


去年の冬、朱莉あかりさんと約束をした。


飛鳥あすかくん、約束をしましょう』

悪戯っぽくいう朱莉あかりさんの声は少し弾んでいた。


飛鳥あすかくんが私のことを憎からず思ってくれているのを感じます。まぁ、勘違いだったら恥ずかしいけれど……』

最後の方は照れたのか小さくなって聞き取れなかった…

けれど朱莉あかりさんの考えていることに間違いはないので肯定を示す。


『ありがと。その気持ちは嬉しいよ。それでね、私は来年卒業します。飛鳥あすかくんがこのまま、私の容姿が分からないそのままで私が卒業できたのなら、飛鳥あすかくんの卒業の日に私は君を迎えにきます』

理解しているかの確認に頬をプニプニと押される。

それまでの間、僕たちは触れ合うことはできるけどプラトニックな関係で過ごすことになる。

この歳になってプラトニックな関係など何をやってるんだという者も出てくるだろう。

でも、それでいいと思えた。


『その時はお互いに学生じゃあないから飛鳥あすかくんが私との関係をどうしたいのか決めてください』

朱莉あかりさんははっきりと僕との関係を続ける方法を教えてくれた。

会えない期間があるけれど、それを乗り越えられるのかと問われた気分だ。

それでも僕の朱莉あかりさんに対する思いは揺るがないと思う。

僕は朱莉あかりさんと一緒にいたい。たとえ一時いっとき離れることがあろうとも。

決意を込めて僕は頷く。


『一緒にいられない時も気持ちを持っていられるように、沢山、思い出を作ろうね』

それから僕たちはいろいろなところに行った。

僕は朱莉あかりさんの容姿を見ないように待ち合わせの時は、到着したことを朱莉あかりさんに連絡して、その後に朱莉あかりさんがやってくるようにした。

朱莉あかりさんが後ろから来れるに場所を選び、そういった場所がなければ朱莉あかりさんと相談して待ち合わせ方法を工夫した。

こういった工夫もなんだか面白かった。


朱莉あかりさんと過ごした日々はとても大切な思い出。

これから先の三年間を過ごすための大切な宝物。


不意に強く拭いた風に朱莉あかりさんが身体を震わせたことで僕は目を覚ました。

視界に入ってきたのは朱莉あかりさんの豊満な胸。

よかった、朱莉あかりさんの顔は見えてない。そっと目を瞑り身体を起こす。




「あ、起きちゃった」

名残惜しそうな朱莉あかりさんの手が僕の頭から離れる。

ずっと、頭を撫でていてくれたんだろうか?


疑問に思っていると、

「眠っていたのは20分に満たないですよ。もっと、眠っててもよかったんですけど……」

少し拗ねたような、甘えるような朱莉あかりさんのつぶやきが可愛らしくて、愛おしい。

まだ、僕は朱莉あかりさんと今を歩んでいける。


飛鳥あすかくん、もっと歩きます?」

首肯すると朱莉あかりさんは先に立ち、僕の後ろに回る。

これも僕たちの決めたこと。

僕が立ち上がると朱莉あかりさんの手が肩にそっと触れる。

その感触を感じながら歩み始める。


桜並木を端まで歩いていく。

せせらぎと枝の擦れる音の他は僕たちの足音。


もう少しで朱莉あかりさんは僕の前から去っていく。

行かないでくれと叫びたい。でも、その気持ちを告げることはできない。

朱莉あかりさんを困らせてしまうから。

もしこの気持ちを告げることがあるとすれば、三年後、朱莉あかりさんと再会した時にあの時僕はこんな気持ちだったと笑って言えるようになりたい。


飛鳥あすかくん、そろそろ桜並木も終わりですね……」

桜並木を歩き始めた頃に比べると朱莉あかりさんの声が沈んでいる。

朱莉あかりさんも寂しく思ってくれているのだろうか?


「私は、飛鳥あすかくんに出会えてよかったと思っています」

足をとめ僕の耳元で囁く朱莉あかりさんの心地よい声が響く。


「始まりは偶然でした。でも、何度か見かける度に、色々困っている飛鳥あすかくんを見かけていると、放っておけなくなりました。いつの間にか私は飛鳥あすかくんを探すようになりました。飛鳥あすかくんの柔らかくて少しクセのある黒髪を探したり、少し小柄な飛鳥あすかくんを探したりとずっと探していました」

僕の頬に朱莉あかりさんの手が触れる。

少しだけ震えていた。

その手に僕の手を添える。


「いつの頃からか、飛鳥あすかくんと一緒にいることが楽しくなり、心が安らぎました……私の容姿ではなく、私自身を受け入れてくれている。そう感じることができました」

僕の頬にあった手がスルリと前にのび、後ろから抱きしめられる。

右の頬に朱莉あかりさんの頬が触れている。

僕は目を瞑り続きをまった。


「私は飛鳥あすかくんのことをいつからか好きになっていたんだと思います。その気持ちに気づいた時に私はあの『約束』を飛鳥あすかくんに伝えました。卒業までに約束を違えるようなことになれば飛鳥あすかくんを諦めようと決めていたのです」

朱莉あかりさんと触れ合う僕の頬に涙が伝っている。


「だって、余りにも身勝手な約束を押し付けているのだから……私が、卒業した後、会えない時間が増えて行くのに、飛鳥あすかくんに待っていてほしい。好きでい続けてほしい、なんていうのは我儘が過ぎています……」

涙を流し独白を続ける朱莉あかりさんの頭に手をやり優しく撫でる。

その事を負担に感じる必要はない。

これは僕が朱莉あかりさんと一緒にいるために果たすと決めた約束なのだから。

そう伝えられるように優しく頭を撫でる。


「ありがとう飛鳥あすかくん。あなたはその約束を果たしてくれた。今日、私は卒業を迎えました。明日からはこの町を離れます。連絡はできるけどすぐに帰ってくることはできません。それでも私を待っていてくれるのですか?飛鳥あすかくんを縛るつもりはないので、他の恋をしてもいいんですよ」

僕が待てなくて心変わりしたとしても、許してくれると朱莉あかりさんは伝えている。

でも、僕は朱莉あかりさんと一緒にいたいから、そんな事を言う朱莉あかりさんのほっぺたを少しだけ引っ張って抗議した。


「ごめんなさい。本心では、待っていてほしいです」

引っ張っていた手を離し頬を撫でる。


飛鳥あすかくんは待っていてくれるって信じていていいんですね。ここで頷いたらもう取り消しできませんよ」

僕は首肯し朱莉あかりさんの頭を撫でる。朱莉あかりさんの頬をまた涙が伝っている。

僕に回している腕がぎゅっと締め付けられる。

僕と朱莉あかりさんの熱が混ざり合ってるみたいだ。


暫くして気持ちが落ち着いたのか朱莉あかりさんは腕を緩め僕の耳元で囁く。


「ありがとう飛鳥あすかくん。あなたに出会えて幸せです。三年後、あなたと再会できた時には、私もあなたを幸せにしたいです」

甘く優しく告げられた言葉。

僕の心にゆっくりと染み渡ってゆく。


僕たちは桜並木の最後の桜の木のところまで歩いた。


飛鳥あすかくん、本当はもっと一緒にいたいけど、これ以上一緒にいると抑えが効かなくなりそうだから、ここでお別れしましょう。きっと寂しくなって連絡すると思うけど、触れ合っていられるのは今日までだから」

僕は朱莉あかりさんに抱きしめられる。僕も朱莉あかりさんの手に手を重ねる。

これから三年間、朱莉あかりさんと触れ合うことはできない。

朱莉あかりさんにもらった温もりを忘れないように心に刻んでおこう。

三年後、胸を張って朱莉あかりさんの前に立てるように。

朱莉あかりさんが安心して帰って来れる僕であるために。


飛鳥あすかくん、『さようなら』は言わないわ、三年後、あなたをあの東屋あずまやで待っています。帰ってきたら『お帰りなさい』といってください。それじゃあ『行ってきます』」

朱莉あかりさんは腕を解き僕の横を通り過ぎていく。

それでも朱莉あかりさんの横顔は美しい髪に隠されて見ることはできなかった。

これでいい。

僕が朱莉あかりさんの顔を見るのは三年後。

約束をしたのだ。


朱莉あかりさんを追いかけるように吹いた風は桜の花弁を舞い上がらせた。

僕は朱莉あかりさんの姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くした。




朱莉あかりさんが卒業してから、周りの友人からは、離れて三年間も思い続けることはできない。とか、遠距離恋愛でも三年間会えないことはないだろう。と言われた。


それでも、僕は朱莉あかりさんの事を好きになったことを後悔しない。

朱莉あかりさんは僕と一緒にいられない期間の事を申し訳なく思い、自分の気持ちを押し殺してまで、僕を朱莉あかりさんの元から解き放とうとしてくれた。

それでも、そう、それでもだ。

僕は朱莉あかりさん以外の女性ひとを好きになることはないだろう。

それは朱莉あかりさんとの関係が特別な始まり方をしたことが大きいと思う。


梶佐古かじさこ 朱莉あかりさん。

顔のわからない女性。

優しく僕を包み込んでくれたその女性を外見に捉われず僕は好きになっていった。

気遣いができ、相手のことを思いやれる性格。

優しく、慈愛にあふれた可愛らしい声。

スラリとのびた美しい指。

銀糸のようにのび、毛先の桜色が美しい髪。

唯一知っている優しい碧い瞳。

あげればキリが無いほど朱莉あかりさんの良いところは浮かんでくる。

ちょっぴり悪戯なところや拗ねたりする少し子供っぽいところ、案外涙脆いところも朱莉あかりさんの可愛いところ。


大丈夫、僕はこれからも朱莉あかりさんとの約束を守っていける。

海外に行った朱莉あかりさんとは毎日電話することはできないが連絡は取り続けている。

お互いの近況は伝え合っている。

気持ちも確かめ合っている。


それでも不安に駆られることがあるのだろう。

時々、朱莉あかりさんは僕にこう言ってくる。


飛鳥あすかくん、他に好きな子ができたとしたら、私のことは構わないから大切にしてあげなきゃダメよ』


その度に僕は朱莉あかりさんを好きになった理由や好きなところを朱莉あかりさんが『もういいです』と言うまで伝えてあげた。

僕を疑っているのではなく、朱莉あかりさんも寂しくなって甘えているのだと声の様子から察する。

これも僕たちが表情ではなく声に含まれた感情を読みとって関係を築いたからできていることだと思う。

表情を見て感情を読み取っていたならばこの関係は成り立たないだろう。



もうすぐ三年、朱莉あかりさんを思い続けるそんな僕を見て周りの友人たちの反応に変化があった。

もう少しで約束を果たせることを応援してくれる者。

卒業したらすぐに結婚するんだろ、結婚式には呼べよとからかってくる者。

遠距離恋愛を続ける秘訣を教えてくれと言う者までいた。

でも、僕にはそれに対するアドバイスは出せない。

僕たちは普通の恋をした訳では無いのだから。

ありきたりな『お互いのことを信頼しあって、まめに連絡を取りあって』なんて言っても、普通の恋をしている人には意味がない。

だって、彼らは相手の姿を見て触れ合うことができていたのだから。

遠距離恋愛をした時の喪失感は、心で惹かれあった僕と朱莉あかりさんより大きいはず。

僕たちでさえこれだけ辛いのに。

その喪失感を埋めるために、別れて新しい恋に進むんだと思う。

これはあくまで僕の想像だけど。


もうすぐ朱莉あかりさんに会える。

来週には僕は卒業する。

昨日は久しぶりに朱莉あかりさんと直接連絡をとった。


飛鳥あすかくんは元気にしてた?もうすぐ卒業式でしょ?』

僕は肯定して卒業式の日を告げる。


『私も来週には日本に帰れるから、早く飛鳥あすかくんに逢いたいな。飛鳥あすかくんは、私に逢いたい?』

少し緊張をはらんだ朱莉あかりさんの言葉に、早く逢いたいということを伝える。

物音がする。多分、電話の向こうで朱莉あかりさんは身悶えしているんだと思う。

本当に可愛らしい、僕の最愛の彼女ひと


それから確認しておかなければならないことを確認していく。


朱莉あかりさんは帰国後は仮抑えしている住居の確認やその他の事務処理などで、暫くはゆっくりできないみたいだ。


僕の方も今の住居を引き払う準備なんかもあって朱莉あかりさんと逢えるのは卒業式の日になりそうだ。


『早く逢いたいね。逢ってぎゅって飛鳥あすかくんを抱きしめたいな』

僕も早く逢いたい。

朱莉あかりさんと触れ合いたい。

そのことを告げると朱莉あかりさんはまた身悶えていた。


海外通話は電話代もバカにならないので名残惜しいと思いながらも通話終了を切り出した。


『それじゃあ、飛鳥あすかくん。後少ししたら会えるから、もう少しの辛抱だね』

それに首肯しておやすみなさいを告げる。


『おやすみなさい、飛鳥あすかくん。チュッ♡』

最後に電話口からキスの音が聞こえた。

朱莉あかりさんも本当に、待ち遠しく思ってくれているようで、僕は暖かい気持ちになって眠りについた。


待ちに待った卒業の日。

僕はいつもより早く目覚め、朱莉あかりさんに『おはよう』のメッセージを送信した。

朱莉あかりさんは帰国しているのだから、電話でもいいんだけど、まだ時差ボケが治っていないらしい。

少しズレた時間に連絡を取り合うことがこの所多かった。

それでも徐々に日本時間での連絡を取れるように意識してくれているらしい。


朝食を済ませ、身支度を整えて寛いでいた。

今日、朱莉あかりさんに逢える。

この三年間の思いを朱莉あかりさんに伝えたい。

僕は朱莉あかりさんに逢ったら最初になんて声をかけようか?

そんなことを考えていた。

正直、卒業式どころではない。


スマホの着信を知らせる通知がくる。


飛鳥あすかくん、おはよう」

朱莉あかりさんも今日を待ち侘びていたのだろうか?


「いよいよ、今日卒業だね」

朱莉あかりさんの声が弾んでいる。


「待ちきれなくて早くに目が覚めちゃった」

少し照れくさそうな朱莉あかりさんが可愛い。

いますぐ抱きしめたい。


「あ〜、待ちきれないよ〜、本当に三年間、長かったから。今すぐにでも飛鳥あすかくんを抱きしめに行きたいよ〜」

朱莉あかりさんも僕と一緒で、待ちきれなかったようだ。

いつもの落ち着いた感じじゃなくて少し子供っぽいところのある我儘な感じの朱莉あかりさんが可愛い。

僕も、今すぐ朱莉あかりさんのところに行きたい。

そして、抱きしめたい。


僕が大学に行く時間まで朱莉あかりさんと話を続けていた。


飛鳥あすかくん、そろそろ出かけないといけないんじゃない?」

時計を確認すると余裕を見て出かけるならそろそろ家を出なけねばならない。

家を出ようと思うことを伝える。


飛鳥あすかくん、気をつけて、いってらっしゃい。また後でね」

朱莉あかりさんに見送りの言葉をもらい家を出た。



卒業式が終わり学友たちとの別れを惜しんだ後、僕は朱莉あかりさんの待つ東屋あずまやへと向かう。


僕の心に舞い込んだ桜色をした彼女の顔を僕はまだ知らない。

けれど、僕と朱莉あかりさんは約束をした。

他人からすれば、『姿を知らない人との約束に意味はない』と言われるかも知れない。

それでも僕と朱莉あかりさんは恋をして、再会を誓い合った。


あの約束の日から三年、僕は今日、卒業した。

あの日と同じ桜並木を一人で歩いている。今、僕の後ろに朱莉あかりさんはいない。

それでも僕は歩いていく。

朱莉あかりさんとの約束を胸に。


そうしてあの日の東屋あずまやが見えてきた。

ベンチに座っている毛先が桜色の白く長い髪をなびかせている女性。

あの日に見た淡いパステルグリーンのロングスカート。


僕が近づいて行く足音に気がついた女性がこちらを振り返る。

僕の想像していたとおりに大きな優しい碧い瞳。

整った顔立ちは桜並木の中にあって妖精の様。

膝下まである白く長いストレートな髪は風になびいて広がっている。

華奢な体躯にスラリと伸びた手脚。

彼女のまとう雰囲気は出会って四年経ったいまも、変わらず優しいもの。

最愛の彼女がそこに佇んでいる。

初めてみる彼女の容姿に見惚れてしまう。


彼女からはあの時にかいだ甘い匂い。求めてやまなかった、懐かしい匂い。

僕たちはどちらからともなくお互いを抱きしめた。


朱莉あかりさん、お帰りなさい」

「ただいま。飛鳥あすかくん。卒業おめでとう」

「ありがとう」

「ふふっ、あの頃より逞しくなったね」

朱莉あかりさんは僕が想像していたより綺麗だ」

「まあ、お上手ね」


しばしの間、無言で抱き合い僕は告げるべき言葉を紡ぎ出す。


朱莉あかりさん。この先もずっと僕と一緒にいてください。僕はあなたの事を幸せにしたい。朱莉あかりさんには僕の事を幸せにしてほしい。それで、二人で幸せになりたい」

飛鳥あすかくんは本当に私でいいの?今日まで顔も知らなかったのに……」

朱莉あかりさんの顔は知らなかったけど、僕にかけてくれた気遣いや、与えてくれた優しさは朱莉あかりさんの内面でしょ。それなら、外見を知らなくても朱莉あかりさんの人柄を僕は知っている」


息を整えまっすぐに朱莉あかりさんの碧い瞳を見つめ大事な言葉を口にする。


「僕と結婚してください」

「はい、私でよければ……」


涙を浮かべ微笑む朱莉あかりさんと口づけを交わす。

あの日の間接キスではない、本当の口づけ。

最初は啄むように徐々にしっかりとお互いを確かめるように口づけを交わした。


周りにはあの日と同じように桜の花弁が舞い踊り、僕たちの再会を祝福してくれている。


あの日二人の道は分たれた。

それでも約束を胸にお互いを信じて三年間を過ごした。


この日、僕と朱莉あかりは再会を果たし、新しい約束をした。


二人で幸せになるために……


–了–

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