酔闇

lampsprout

酔闇

 カラン、コロン――


 夕暮れ時、下駄の音が軽快に鳴り響く。おろしたての鼻緒が擦れたが、少女は歯牙にもかけなかった。

 十六、七と見える容姿に似合わない、浴衣姿での駆け足。紅潮した頬に反して、夏祭りへ向かう人の流れに真っ直ぐ逆行していく。

 少女は裏通りの茂みを掻き分け、古い寺社の敷地に入った。暗がりに見つけた後ろ姿に、近づくまで待てずに呼びかける。


「お待たせ」


 振り返る、白地に紺色の桔梗を纏った少女。手にはかき氷の入ったカップが2つ。


「久しぶり」


 宵闇に陰る微笑みは不思議と輝いて、少女の胸を高鳴らせた。


「浴衣、新しい?」

「うん、よく覚えてるね」


 くるりと回り、藍色の朝顔を自慢する。


「綺麗?」

「うん、綺麗」

「あなたも綺麗」

「前と一緒だよ」

「そうだけど」


 食い下がっても彼女は聞こうとしない。


「こっち、来て」


 近寄れば手首をぐっと掴まれ、敷地のさらに奥へと導かれる。取り落としそうになりながら、何とかかき氷を受け取った。

 この流れも、毎年のことだった。ひんやりとした体温が愛おしい。

 少女たちは、辛うじて花火が観える草木の陰に縺れ合うように潜り込み、『親友』とぎゅう、と抱き合った。

 今更、言葉は要らなかった。



 ◇◇◇◇



 2人は、昔から何度も逢ってきた。


 一番最初は、少女が小学校に上がる前のこと。夏休み、母の実家に帰省していたときだった。

 祭りの最中、人混みで母と逸れた少女は、気付けば此処に彼女といた。同い年くらいに見える少女は、にこにこ笑って、かき氷やリンゴ飴、甘いカステラを渡してくれた。

 たっぷり遊んで、仲良くなって。何時間もしてから母親のところへ帰してくれた。翌日母は、30分ほど探し回ってようやく見つけたのだと言った。

 次の年も、裏通りへ迷い込めば彼女に出逢った。また来たの、と彼女は嬉しそうに文句を垂れて、1年ぶりとは思えないほどに2人は打ち解けた。


 それからは毎年、浴衣を着てはここへ忍んだ。一緒に屋台のお菓子を食べ、花火を眺めてお喋りをした。

 ところで、少女がいつ見ても、彼女は一人きりだった。賑やかな夏祭りだというのに、家族の気配がどこにもない。それがどうにも不思議だった。

 もうひとつ、不思議と、ここで過ごした後の少女は家族に怒られなかった。夜が更けすぎて叱られたことなど全くない。

 散々楽しんで家に帰っても、時計の針が、ほとんど進んでいなかった。祭りからこんなに早く帰ったのかと、驚かれるくらいだった。


 ある年少女は、晴れた昼間に逢瀬の場所を訪れた。そこには何の他意も無く、ただ昼間も親友と遊びたいだけだった。

 はやる気持ちを落ち着かせ、炎天下を小走りで向かっていく。これからは、祖母の家にいる間は毎日遊ぼう。そう誘うのが楽しみだった。

 ――しかし、息を切らせてやっと辿り着いたそこは、寂れた祠。夜に見た風景は、影も形もなかった。少女は愕然として立ち竦んだ。


 二、三度それを繰り返し、彼女は何も考えないと決めた。今までの全てが夢かもしれないと思っても、醒めたくはなかった。次の夏祭りも、きっと夢を見るのだと。

 もしかしたら人では無いのかもしれない。不憫な幽霊か、はたまた元来人外か。ぐるぐる少女は考えた。

 だけれど、少女の正体が天使でも悪魔でも、どうでもよかった。優しく美しい彼女を信じていた。



 ◇◇◇◇



 それから年を重ね、少女の見目はやはり同い年のようだった。だが彼女は徐々に確信を強めていて、それでも何も問わなかった。

 きっと今までもこれからも、彼女は誰かと逢うのだろう。彼女と話しながら少女はそう思った。そしていつか彼女の中で、自分は有象無象に紛れていく。……否、もう既に、誰かの代わりかもしれない。

 湿度が高く、じっとりと背中が汗ばんだ。何も知らず、余裕そうな横顔に苛立った。

 ――自分より幼そうな見た目をして、だけどずっと落ち着いてみえた。同じように年を重ね、同じように成長したつもりでいたけれど。


 苔生した薄暗い祠の隅。湿った植物の匂いを掻き消すほど、息苦しく互いの香りだけを感じた。

 濡れた羽のような漆黒の髪と睫毛。一度も櫛を通す姿を見ていないのに、さらさらと絹糸の如く艷やかで。

 肩口で揃えられた髪が美しい。切れ長の大きな瞳が黒曜石に似た輝きを放つ。およそ現し世の者と思えない。

 掠れた喉奥に滲み込む濃厚な香気。それが、肺胞のひとつひとつまで行き渡るように。


 今宵主役の花火など、茂みに覆われ観えやしない。少女たちの浴衣越しに、轟音に震える空気が肌を擽る。

 ――次の夜まで1年間、彼女は誰を思い出し、どの景色に思いを馳せるのだろう。自分は、浴衣姿しか知らないのに。夏の、たった数時間しか知らないのに。


「ねえ、」

「……うん、わかってる」

「本当に?」

「冗談」


 ふふ、と小さな笑い声がする。熱を帯びて重なる声が、縛りを告げる。

 たとえ明日にでも、総てを忘れてしまっても。所詮、一時の睦言と知っていても、願わずにはいられない。


『約束よ』


 ――夏の夜。

 蒸し暑い、蜃気楼のような闇の中。

 酒に酔っているかの如く、夢なのかさえ定かでない状態で。

 少女たちは、かき氷に冷えた身体を寄せて。2人契りを交わすのだ。

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