第11話ハクと交渉をする話
さんさんと輝く太陽の下、平穏な日々を送っていたある日のこと。
大学帰りにコンビニに寄って、アイスを買っているときにふと思った。
「服を買いに行こう」
「……開口一番からそれなのは、どういうことじゃ」
ハクの待つ家に入ってすぐ、思い立ったが吉日と、アイスの入ったビニール袋を持ったままで提案する。
俺の急な提案にも随分と慣れてきたようで、呆れたような顔をしながらも、まったりとお茶を飲んで返される。
一人暮らしのころと比べると格段に綺麗になった冷蔵庫の中にアイスを入れ、リビングに戻ると、ハクがゆらゆらと尻尾を揺らして待っている。
「外に出ても問題なくなったし、明日は休みだし。ハクの服を買いに行こうかと」
「動機についてはよう知っておるんじゃがな。ふむ……」
穏やかに揺れていた尻尾が、ピタリと止まる。
目を閉じてなにやら悩み始めたハクを見つつ、淹れてくれたお茶をいただく。
これまでに比べると非常に好感触ではあるのだが、やっぱり服を買いに行くことにすぐさま同意はしてくれない。
分かっていたとはいえ、そこを何とかしなければ、俺の夏の目標の一つは達成できないと言っていい。
ひとまずは、なぜ悩んでいるのかを見抜かねばならないので、お茶を飲んでほっと一息つきながらハクの様子を観察する。
「うむ。まあ良かろう」
観察を始めてほんの数秒で、考えをまとめて目を開く。
返答も色よく、観察が無駄になるかというと、そうでもない。
悩んでいた時間が短いから深刻な悩みではないが、耳の様子がおかしい。
言葉の上では服を買いに行くことに同意しているが、どうもせわしなく耳をピコピコさせている。気がかりなことがあるときの仕草だ。
「どうしたの? 服が要らないのは知ってるけども……。なんというか、もっと根本的な問題がある感じだよね」
「ぬ? ああ、全く。そこまで気にせんでもよいというに……。おぬし、服が少ないじゃろ」
ちょっと困ったように片耳を曲げながらも、少し嬉しそうに口元を緩めた、そんな複雑な表情で、ハクは話を続ける。
確かに、俺の持っている服は上下ともろもろを合わせてもカラーボックスと同じくらいの大きさのタンスに収まる程度である。
しかし、それをハクが気にする理由が見えず、首をかしげる。
「あまり、かさばる荷物が増えては困るじゃろ?」
そういえば、ハクはここに来るまでは同族である妖狐の家を転々としながら暮らしていたんだっけ。
俺も荷物は少ない方だが、ハクは見た通りの着の身着のままである。
旅行で困る荷物と言えば、衣服と答える人は多いように、あまり多く持っていると移動の邪魔になってしまう。
つまり、服を買うと身軽でなくなることが、気がかりなようだ。
「ハクが着物を妖力で済ませてるのも、そういう理由?」
「まあ、そうじゃな。身軽な方が良いこともある」
薄く笑いながら、幼い身体で達観したような雰囲気を出すハク。
今にも消えてしまいそうなほど儚い笑みに、少し目を細める。
それが強がりでも何でもない、等身大の意見でなければ、俺も心を揺らしただろうけども。
それは単純に、そういうこともある、という事実の確認でしかない。
言うなれば、これはハクのありのままの意見であり、姿なのだ。
だからといって、いつもの楽しそうなハクが偽りというわけでもない。
幼い体に、成熟した精神。まさに、ハクらしいあり方に、ちょっと感動する。
「なんじゃ、その顔は。……おぬしは、ほんとわしのことが好きじゃなぁ」
「もちろんですとも。なので、服を貢がせてください」
「だめじゃ」
即答だった。
しかし、何度も玉砕してきたのは伊達ではない。
今回こそは、俺の目標の為にも貢ぐのを許可してもらわなければならないのである。
「こちらにも考えがあるんですよ」
「言ってみよ」
「俺の金で買ったものなら、ハクが処分する必要が無いでしょ」
「持って帰るつもりか?」
言い方が悪かったのか、ハクがさげすむような目で見てくる。
ハクが身軽でいられるようにというだけであって、よこしまな気持ちはあんまり無い。
とはいえレアな表情にちょっとグッとくるのも事実。
「あ、その顔もいい……。じゃなくて」
「冗談じゃ。そのくらい、わしでも何とでもするぞ。むしろ、ゴミ処理をおぬしに任せるわけがないじゃろ」
ふっ、と笑って俺の言い分を両断するハク。
これまでもそうだったが、生半可な理由では貢がせてくれない。
いやしかし、まだまだ俺のバトルフェイズは終了していない。
「俺が着て欲しいから、俺が払うのは当然!」
「恩返しするために、わしが着るのじゃろ?」
「ハクは服が要らないんだから、ハクに払わせる訳には……」
「わしとて、服が着たいときはあるんじゃがな」
「貢がせてください」
「だめじゃ」
はい。ことごとく断ち切られました。
手札も尽きたので、がっくりと机につっぷす。
そんな俺の様子を、ハクはゆったりとお茶を淹れなおしながら見つめている。
淹れたお茶を一口飲んで唇を湿らせると、小さく首をかしげて口を開く。
「どうして、そこまでわしに貢ぐことにこだわるんじゃ?」
「んー、意地?」
「なんじゃ、それは」
言っといて、自分でもどうかと思う。
確かに、考えてみるとハクに貢ぎたい理由ってなんだっけ。
色々な服をハクに着せたい、というのはもちろんなんだけど。
それだけなら、何か服を買ってきて押し付けるだけでもいいので、そうしていない時点で第一の理由には上がらないという事になる。
もっと、初心に立ち戻って、ハクに貢ぎたい理由。
「ハクと、一緒に居たいから?」
「ふむ。それなら貢がなくてもできるではないか」
「ハクに楽しんでほしいんだよ。うん、それだ」
頭を上げて、ハクをまっすぐに見つめる。
そう、ハクに楽しんで……、いや、ハクと楽しみたいのである。
そのために、俺はハクが喜んでいる姿が見れて嬉しい、ハクはただでお洒落ができて嬉しい、そんなウィンウィンの関係で楽しみたいのである。
ハクは、そんな俺の訴えを聞いて、不思議そうに首と尻尾をかしげる。
「いや、貢がれずともわしは楽しいぞ?」
「こう……、キャッキャしてほしいの。いつものハクも好きだけど、もっとこう……、無邪気に」
何も考えず、純真な心と感覚で楽しんでほしいのである。
年齢相応の落ち着きをもっていて、いつも人に対する気配りを忘れない、優し気な微笑みを浮かべているハクも大好きなのだが。
それはそれとして、いつもとは違うハクを見たいのも事実なのだ。
可愛い服や、綺麗な装飾を見て、無邪気にはしゃいでいるハクも見たいのだ。
「無邪気に……と言われると、確かに難しいのう」
「まあ、別に無理にとは言わないのだけども。単純にお金のことを考えたり、俺のことを気にしたりするんじゃなくて、自分のために遊んでほしいの」
熱烈な俺の訴えに、ハクは眉を下げて困ったように笑う。
たしかにハクの性格を考えると、そこまで無邪気さを発揮するのは難しいだろうけども。
単純にハクが自分のことだけを考えて楽しんでくれればいいのだ。
「そのために、投資はおしまぬ。ということじゃな」
「そういうことになる」
納得がいったのか、耳を立ててまとめるハク。
しかし、そこまで聞いてもなお、ハクの表情は晴れない。
反論するでもなく、どこか寂しそうに、尻尾を垂らす。
「わしとしては、おぬしばかりに負担を強いたくはないんじゃがな」
「うぐ」
じっと、寂し気な光をたたえた瞳で見つめられてたじろぐ。
そんな顔をされると、罪悪感がすごい。
ハクの性格は、奉仕向けというか、人のために頑張ることに喜びを見出すタイプで、人から施しを受けるのを嫌がるのは良く知っている。
とはいえ、ここは俺も折れるわけにはいかない部分である。
「一着だけ。一着だけで良いので、ハクの好きなものを買わせてください」
「……そこまで、わしに贈りたいのか?」
「正直なところ、ハクが俺の買った服を着てくれると思うと、言いようのない興奮が……」
「おぬしは時々気持ち悪くなるのう」
レアな表情を何度も見せてくれるハクに心の中でお礼を言っておく。
まあ、言ってることは嘘ではないが、すべてでもない。
ハクにもっと、人からの好意を受け取ってほしいという思いがあるのだ。
あわよくば、俺に頼り切って堕落してほしいまである。
呆れたような目と見つめ合っていると、ハクが根負けしてため息をついた。
「一着だけじゃな」
「お」
「ただし」
ついに認められて、やったと声を上げかけたところに待ったがかかる。
珍しく、眉を吊り上げて耳を後ろに倒し、怒っていることを示すハクに、スンと縮こまる俺。
お叱りを受けるのも致し方ないほどの強行なので、しずしずと床に正座して、お説教を受ける姿勢を整える。
「おぬしが選ぶのじゃ、よいな」
「え、はい」
きゅっと眉間にしわを寄せた状態で言われたことに、脳が混乱する。
説教されるものとばかり思っていたのだが。
「思えば、おぬしから素直に物を受け取ったことはないのじゃから。一つくらいは、もろうても良かろう」
うっすらと、頬を染めたハクが、耳を後ろに倒したままで続ける。
目をぱちくりとさせながら、ゆっくりと咀嚼する。
確かに、ハク個人にプレゼントを贈ったことは無いけども。
「よろしいので?」
「……期待しておるぞ」
ぷい、とそっぽを向いて話を切り上げられる。
じわじわと、嬉しさが胸の奥から湧き上がる。
あのハクが、プレゼントを受け取ってくれるのだ。
「明日、最高の服を買ってあげるからね!」
「おぬしは夕飯まで正座じゃ」
「はい」
俺はニコニコとしながら正座をしなおして、ハクが夕飯を作るのを見つめる。
その表情はうかがえないが、気持ち早く揺れる尻尾を見れれば十分だ。
明日のために、今夜は眠れないな!
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