第9話


土曜日の診察室には小さな音でクラシックが流れている。


僕はあまりクラシックに詳しくないので、心地良く流れている音色の曲名は判らない。


櫻井 舞:「目黒先生、今日の診察は次の方で終わりです」


櫻井舞は可愛らしく微笑み、次の患者のカルテを差し出した。


目黒 修:「珍しく今日は診察だけだったね」


僕は受け取ったカルテに目を通しながら笑みを浮かべる。


いつもなら緊急搬送された患者の対応や、容態が急変した入院患者の対応なども行っているので、今日のような穏やかな日は稀だった。


櫻井 舞:「いつもこうだと良いんですけどね」


櫻井舞は安堵の溜息をもらしながら微笑み、次の患者を呼びに診察室を出る。


壁に掛かった時計を見ると18時になるところだった。


何気なく窓の外に目を向ける。


夕日に照らされて建ち並ぶビルはオレンジ色に輝いていた。


燃えるような景色を眺めながら、會澤小春は僕が与えた食事をちゃんと食べているだろうか、とぼんやり考える。


本当なら何も食べさせずに水だけを与えて、三日ほど生きたままコレクションしたい。


だが美しいと思った瞬間の肉体を維持するためには、少量でも食事を与えなければならなかった。


水だけで生かしていたら、美しい曲線を描く肉体は痩せ細り、コレクションにする価値が無くなってしまうからだ。


僕はせっかく手に入れた自然の作品を無駄にはしたくない。


地下室の會澤小春の事を考えていると、診察室にノックの低い音が響き、櫻井舞が患者を連れて入ってきた。


患者は櫻井舞に誘導され、僕の目の前にある椅子に腰掛ける。


患者の名は林田真矢はやしだまや、37歳。


白髪の無い腰まで伸びた綺麗な髪。


年齢よりも若く見える。


目黒 修:「今日はどうされましたか?」


僕の診察時の決まり文句。


と言うよりも診察時は何処の医者もこう言うだろう。


子供の頃、その言葉を聞くと不思議と安心したものだ。


林田真矢:「あの・・・最近、だるくて胸が痛くなったりするんです」


目黒 修:「息切れや息苦しさはありますか?」


林田真矢は眉を顰め、頷く。


問診だけで考えると、林田真矢は心筋症の可能性がある。


目黒 修:「心臓の音を確認してみますね」


林田真矢:「はい……」


林田真矢が服の裾を持ち上げる。


僕は隙間の空いた裾から手を入れて彼女の胸に聴診器を押し当てるが、残念ながら正常な心臓の音はしなかった。


林田真矢にはこのまま入院してもらう事になった。


病院の都合上、診察は週明けに行い、その結果次第で入院を続けてもらう。


不安気な林田真矢の背中を見送ると、僕は立ち上がり両腕を突き上げて大きく背伸びをした。


櫻井 舞:「目黒先生、お疲れ様でした」


櫻井舞はニッコリ笑う。


目黒 修:「櫻井さんもお疲れ様」


僕は優しく微笑む。


櫻井 舞:「明日は何か予定でもあるんですか?」


明日は日曜日。


僕の休日。


月曜日は病院が休診なので、緊急事態がない限り僕は連休なのだ。


目黒 修:「最近は忙しかったから家でゆっくりするよ。櫻井さんは?」


今度は僕が聞く。


櫻井 舞:「私は……」


櫻井舞は人差し指を顎に付け、しばらく考える仕草を見せる。


櫻井 舞:「予定はないです」


櫻井舞は恥ずかしそうに苦笑いをした。


目黒 修:「櫻井さんも、ゆっくり休みなよ」


仕事を終えた僕は帰り支度を済ませ、愛車を走らせ自宅へと向かった。


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