第6話


僕のオフィスにある大きな水槽の蓋を開ける。


水に酸素を送り込むポンプからの気泡が揺らす水面に餌を入れると、自由に泳ぎ回っていた熱帯魚たちが、一斉に僕の指の下に集まって来た。


色鮮やかな可愛い熱帯魚たちが小さな口で餌を頬張る。


そんな中に混ざる白い熱帯魚が一際目立っている。


黄色い熱帯魚を品種改良してアルビノになったスノーホワイト・シクリッドという種類である。


栞は怖いと言っていたが僕は神秘的な白い体に赤い目という姿に魅了され、水槽の仲間入りを果たしたのだ。


大好きな熱帯魚たちを眺めて癒されながら、今日の予定を再確認する。


午前中は手術も診察も無く、緊急で訪れる人がいない限り午後の手術まで時間がある。


なので午前中は患者さんの状態を見回りに行くことになっていた。


僕は患者さんが入院している病棟に向かった。


僕のオフィスがある棟と患者が入院している棟は、渡り廊下で繋がっている。


擦れ違う患者や看護婦に挨拶をしながら四人部屋の病室に入り、窓際のベッドに近付く。


目黒 修:「大橋さん、今、大丈夫ですか?」


大橋美鈴おおはしみすずは一ヵ月半ほど前に、僕が心臓移植の手術を行った患者さんである。


ピンク色のカーテン越しに声を掛ける。


大橋美鈴:「大丈夫ですよ」


中から返事を貰い、僕はピンク色のカーテンを少し開けた。


目黒 修:「体調はいかがですか?」


ベッドに座って本を読んでいた大橋美鈴に優しく微笑む。


日の光が差し込むので、電気は点けていなかった。


目黒 修:「あ、すみません、読書中に……」


大橋美鈴:「いえ、大丈夫ですよ。一度読み終わってるやつなので」


大橋美鈴は読んでいたページにしおりを挟んで文庫本を閉じた。


表紙には【血だまりの少女】と書かれていた。


タイトルから連想される内容は恐ろしいものばかりで、大橋美鈴が読むには意外性があった。


目黒 修:「あ、そうだ。体調を窺いに来たんでした。でも大丈夫そうですね」


大橋美鈴の顔色は良く、話していても疲れた様子は無いので、問題なさそうだった。


大橋美鈴:「そうですね、前よりも、だるさが無くなりました」


目黒 修:「よかったですね。このまま順調に回復していけば、予定より早く退院できるかもしれませんね」


大橋美鈴:「本当ですか!?」


大橋美鈴はキラキラした目で僕を見つめる。


目黒 修:「検査をしてみないと、ですけど……。大橋さんはお若いから他の患者さんより回復力が高いんだと思います」


笑顔で答える。


目黒 修:「また様子を見に来ますね」


僕は大橋美鈴に軽く頭を下げてから病室を出た。


次に向かったのは先週、拡張型心筋症の手術を行った山野南やまのみなみの病室。


目黒 修:「今、大丈夫ですか?」


ピンク色のカーテン越しに、声を掛けるが返事が無い。


僕は様子を窺うために、指先をカーテンに引っ掛け中を覗く。


目黒 修:「失礼しますよ……」


ベッドに横たわる山野南に小さな声で問い掛ける。


備え付けのテレビを見ているわけではなかったが、返事が無い。


僕に背を向けている体勢なので顔を覗き込むと、山野南はスヤスヤと眠っていた。


その 無防備な寝顔はとても美しかった。


長い入院生活のおかげで紫外線から守られた透き通る様な白い肌。


密集した長い睫毛。


薄めだが綺麗な曲線を描く唇。


地毛の栗色の髪。


筋の通った 鼻。


くびれた腰。


引き締まった 太もも。


細長い手足。


何処を見ても美しい。


心臓が欠陥品なだけで、 外見に欠点は見当たらないので問題ない。


規則正しいリズムで胸が上下する山野南を堪能したあと、他にも僕が受け持つ患者の様子を確認しに向かった。


どの患者も順調に回復しているようで僕は一安心する。


僕はオフィスに戻る。


◇◇◇


窓辺にあるデスクの椅子に手を伸ばすと同時にノックがオフィスに響いた。


目黒 修:「どうぞ」


振り返り、扉に向かって許可を出しながら、引いた椅子に腰を下ろした。


入って来たのは若い看護婦の小山るう《こやまるう》だった。


小山 るう:「失礼します」


小山るうは薄ピンクのトレーを持っていた。


珈琲の香ばしい香りがオフィスに広がる。


小山 るう:「美味しい珈琲を見つけたんです。先生にも飲んでもらいたくて」


小山るうは大きな目を細めて微笑む。


目黒 修:「ありがとう。いい香りだね」


珈琲を受け取り、一口啜る。


少々甘いが、確かに美味い。


目黒 修:「美味しいよ」


僕は優しく微笑む。


小山 るう:「よかったです。……これ私の手作りなんですけど、よかったら食べてください」


デスクの上にそっと置いた白い皿には、チョコチップの目立つクッキーが盛られていた。


甘い物はあまり得意ではないが、有り難く受け取った。


嬉しそうに八重歯を見せて笑う小山るうを見ていると、僕まで嬉しくなる。


小山るうは腰までストレートの髪が伸びていて、艶やかな髪はとても美しい。


髪が揺れるたび、シャンプーのような香水が弾け、僕の鼻をくすぐるのだ。


人生で一度もダイエットをした事が無いと言う小山るうは、身長171㎝の僕と同じ目線だが、体重は僕よりも10㎏軽い45㎏らしい。


体脂肪が必要最低限しか付いていない細い体だが不健康には見えず、モデルと言っても疑う者は居ないだろう。


栞や他の看護婦と比べると少々目力が強いが美人な女性である。


どうして僕の周りには素敵な芸術作品で溢れているのだろ。


誰を招こうか迷ってしまう。


いつか小山るうも、僕の地下室に招待したい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る