第26話 ヒロミと斉木

 棚に並べられていたガラス器の大半は、倒れてしまった。ルカはため息をつき、並べ直そうと、棚の前にしゃがみこんでいた。

 すると、ユイの冷たい声が飛んできた。

 「いいよ。そんなもの。いずれ、母がやってきて直すだろうから。それに、あんな大きな地震だったもの、暫くの間は、余震が続くと思うよ。並べ直しても、元の木阿弥もとのもくあみ。やっても無駄だから。放っておけばいいよ」

 その声に、伸ばしかけていた手をひっこめたルカは、事務机に座り、崩れてしまったファイルを元の状態に戻しているユイに向かって、こう言った。

 「斉木さんとヒロミさん、大丈夫でしょうか? 時間から言って、まだお見合いの真最中だったと思うんですけど」

 ユイも同じことを案じていたのだろう。ファイルを戻す手を止めて、ルカの方を振り返り、口を開いた。

 「長いこと、この仕事してるけど、お見合いに地震がバッティングしたのは初めてね~。

 たぶん、電話は通じないだろうから、メールを入れておくわ。ラウンジのマネージャーから連絡が入るだろうから」

 言い終わると、すぐにユイはスマホを手にし、メールした。それでも、ユイの顔はさえなかった。その表情を読み取ったルカは、遠慮がちに聞いてみた。

 「ホテルに行った方が、いいんじゃないですか? ここで連絡を待っていても、落ち着かないし・・・ 」

 ユイは思案顔になった。ルカに言われるまでもなく、一度は考えたことだった。そして、自らの胸の内を探るような口ぶりで、こう言った。

 「うん、そうね~。・・・でも、もうちょっと待ちましょ。二人は、もう子供じゃない。自分たちで考えて、何とかするでしょ。今はまだ、ジタバタ動かない方がいいような気がするのよ。もう少し、二人にまかせてみましょ」

 ルカに向かってというよりも、自分自身に言い聞かせているような話し方だった。

 そのとき、窓の下を、パトカーと救急車がサイレンを鳴らしながら、通り過ぎていった。ルカは窓辺に近寄り、パトカーと救急車の走っていった方に目をやった。赤信号の交差点に差しかかったのだろう、パトカーのスピーカーから、注意を促す声が響いた。

 (ホテルのある方へむかってるんじゃないかしら? )

 ルカの心の中で不安が芽生えると、その不安はどんどん膨らんでいった。

 「あっ、メール。・・・つい今し方、二人は揃ってホテルを出ていったそうよ。ケガとかはしてないみたい。マネージャーからよ」

 ユイの声には安堵感があった。だが、それは長続きしなかった。すぐにまた緊張した声に戻り、ルカに告げた。

 「さあ、これからが勝負よ。いずれ二人から連絡がくるはず。そこで、的確に対応して、手を打てれば・・・ 」

 ルカは、ユイの目に、獲物に狙いをつけたハンターのようなすごみを見てとった。これから獲物がどんな動きをするか、事前に予期し、正確に読み取らなければ、ハンティングは成功しない。その緊迫感とワクワク感が、ユイの鋭さを増した目つきを通して、ルカにも伝わってきた。

 (地震という予想もしなかった非常事態に身を置くことで、二人に起きたかもしれない変化について、ユイさんは、何かを感じとっている。私には、何もわからないけど、見えない世界をみられるユイさんって、やっぱりスゴイ・・・ )

 これから、何が、どうなっていくのか、さっぱり分からなくても、スゴ腕のハンター、ユイの傍にいるだけで、ルカは全身にあわ立つものを感じていた。


 30分ばかり経った頃、事務所の電話が鳴った。ワンコールで、ユイが受話器を取った。

 「ヒロミさんね、どうだった? ・・・うん、うん、大変だったね~。・・・うん、ああ、そう。それで? ・・・カッコイイ! 惚れたでしょ? 」

 そう言って、ユイは、ケラケラと笑った。暫くは、ヒロミさんの話を聞き続けた。忙しげにペンを走らせ、手帳にメモをとっていく。そして、ペンを置いた途端、受話器に向かって、ユイは断言した。

 「ヒロミさん、自分の気持ちに正直になるのよ。あなたは、今、恋してる。恋に落ちたのよ! 分かる? 恋に落ちるときって、そんなものよ。早いも遅いもない。・・・分かった。すぐに、ちゃんとした場を押さえるから。あなた、明日もお休みよね? 折り返し連絡を入れるわ。いつでも、連絡をとれるように、今日は待機していて。あなたにとって、今日は特別な日。この日を逃すと、暫くはチャンスはやってこないかもしれない。所長である私の経験とカンが、そう告げている。私を信じて。いい? じゃあ、いったん切るわね」

 受話器を戻した途端、次なるコールが鳴り出した。コールと同時に、ユイは受話器をとった。

 「斉木さんね。たった今、ヒロミさんから電話があったばかり。彼女は本気よ。・・・ホントだってば! 後は、あなたがどう動くか次第よ。えっ? 迷ってる!? バカなことを言ってちゃあ、駄目よ。あなたは、本気で彼女を守ろうとした。自分の生命を犠牲にしてまでね。心は噓つきだけど、カラダは正直者よ。カラダが発する声を聞きなさい。そうすれば、今、あなたがなすべきことは、ただ一つだってことが分かるはずよ。・・・そう、そう、あなたは、いい子ね」

 そう言って、またユイはケラケラと笑い声を上げた。

 「あなたが、その気なら、明日にでも場を設定してあげるわ。お見合いが途中で終わっちゃったんだから、明日は第二ラウンドよ。ヒロミさんは待ってる。しかも、ノーガードよ。あなたは、とどめを刺すだけなの。何? 早すぎるって? 善は急げ、ってことわざ知ってる? 鉄は熱いうちに打て、とも言うわよ。分かった? 見る前に跳べ! 今のあなたに必要な精神は、それよ。場所がとれたら、すぐに連絡するから、明日の予定は明けといてよ。いいわね。じゃあ」

 ユイの手は止まらない。ホテルのラウンジマネージャーに連絡を入れた。幸いにして、被害はほとんどなく、明日も通常営業するとのことだった。そこで、事のいきさつについて、簡略に説明し、明日も今日と同じ二人のために席をとってほしい、とお願いした。快諾だった。

 スゴ腕ハンター、ユイの目は爛々らんらんと輝いていた。そして、傍らにいたルカに言い放った。

 「一気に行くわよ! 」

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