第15話 メイと今泉

 母親の、何としてでも、お医者様に嫁がせたい、との要望を受けて、ユイが送った相手の資料を見て、母親は大喜びしたと言う。39歳。地元にある私立医大病院に勤務する外科医だった。真面目そのものの人柄が、撮り直した見合い用の写真からはにじみ出ていた。

 ところが、メイさんは、その写真をひと目見るなり、NOと返事したのだった。

 顔がイヤだ。陰気臭い。一緒にいても楽しそうじゃない、というのが理由だった。

 母親はせめてお見合いだけでもしてみなさい。直接お会いして、話をすれば、気持ちも変わるかもしれないじゃない、と何度も説得したようだが、メイさんはガンとして受け入れようとはしなかった。

 母親からかかってきた電話は、

 「申し訳ありません。良い人を紹介していただいたのに、あの子ときたら・・・。また、別の方を紹介してもらえないでしょうか? あっ、それと次の方も是非、お医者様ということで、よろしくお願いします」

 というものだった。

 ユイは、傍で電話に聞き耳を立てていたルカに向かって、口をへの字に曲げ、声には出さずに、OUT、と告げた。

 ユイはすぐに、次のお相手になる男性の資料を、メイさんの母親のもとへと送った。すばやい対応に、母親は大喜びだったが、結果は同じだった。

 36歳。国立がんセンターの勤務医だった。やはり、顔がイヤ。それに、背が165センチと低いのも気に入らない、とのことだった。メイ自身、身長150センチ。丸顔でコロコロした体形だった(ユイは内心、メイさんのことを豆ダヌキ、と呼んでいた)。ダンナの背が低いと、生まれてくる子供までが背が低くなるかもしれないのが、イヤなのだそうだ。

 ルカは、そんなメイさんの反応を聞かされて、心底不思議そうな表情を浮かべ、

 「恋人なら、見た目を気にするのも、分からないではないですけど、結婚相手となると、話は別だと思えるんですけどね・・・」

 と、ユイに聞いた。

 ユイは薄く笑いながら、こう答えた。

 「その通り。正論ね。でも、こればっかりはね・・・。内面なんて、何度デートを重ねたところで、ホントのところはよく分からない。だけど、外見は分かりやすい。分かりやすいところで、判断するというのも、一理ある選択法なのよ。

 人間だって、動物の一種。生きてる目的なんて、つまるところ、生存と生殖のためじゃない? 左右のバランスのとれた顔を美しいと感じ、生殖の相手に選ぶ根拠としては、それが健康体であるとの証明であって、そういう健康な相手とつがいになった方が、生存と繁殖のためには、有利になると考えられる。だから、見た目で判断するのも、合理的なわけ。背の高さもそう。背の高い人を選んだ方が、生き残るためには好都合だ、と考えるのも、あり、ってこと。分かる? 」

 ルカは小首をかしげて、分かったような、分からないような顔をした。

 そのときだった。事務所のドアが勢いよく開き、ものも言わずに、女性が入ってきた。ロングコートで全身を包み、色の濃い派手なサングラスをかけている。メイさんだった。

 「いらっしゃいませ」

 と、蚊の鳴くような声で、ルカが挨拶した。しかし、メイさんは無視した。

 ロングコートの上からブランド物のバッグをたすきがけしていた!? 身につけている物は、全て高級品ばかりなのに、それらをトータルに使いこなすファッションセンスに難あり、という残念な女性であった。

 ユイは、にこやかな営業スマイルを浮かべて、メイさんに聞いた。柔らかで、涼やかな声音だった。

 「今日は、お母様はご一緒ではないのですね? 」

 すると、その問いに、すぐには答えず、誰に勧められたわけでもないのに、勝手に椅子にどっかりと腰を下ろした。そして、たすきがけにしたバッグを窮屈そうに外して、横の椅子に置くと、不機嫌そうな声で、こう言った。まだサングラスをかけたままだ。

 「今日は、母には内緒で来たのよ。ユイさんに確かめたいことがあって。傍に母がいると、邪魔なだけだから」

 とげとげしい物言いだった。でも、これがこの人の地なのだろう、とユイは思った。前回、母親同伴でやってきたときにも、感じたことではあったが。

 そして、平静さを装いながら、聞いた。

 「私に確かめたいこととは、何なのでしょうか? 」

 その問いにかぶせるようにして、メイさんは明らかに不愉快そうな口調で喋り出した。

 「故意か、偶然か、知らないけど、紹介してもらった二人とも医者でしたよね? そんなことはどうでもいいんですけど、二人とも、揃いも揃って地味すぎて、見合いしたいと思えるような男性じゃないんですよ。私の希望は、もっとイケメンで、背がすらりと高くて、お金持ちで、趣味も豊かな、デートしていて楽しい魅力的な男性を望んでるんです。最初にここへやってきたときに、私の希望を、あなたにはっきり伝えましたよね? それなのに、どうしてなんです? 高収入なのはイイにしても、あんなさえない男ばかり!

 何か、裏があるんじゃないの? それとも、ああいう男性が、あなたのご趣味とか? 」

 終わりの方は、まるでケンカを売っているような調子だった。

 それでも、ユイは、一切表情を崩さない。メイさんのにらみつけるような目を真っ直ぐに見返しながら、メイさんの訴えを静かに聞いていた。

 ルカは、スゴイ、と思った。ユイのきもの太さに驚いていた。

 あんなケンカ腰でまくし立てられたなら、私なんか、ひとたまりもない。心が委縮してしまい、ひたすら、ゴメンナサイと平身低頭、謝るばかりになってしまうだろう。泣いてしまうかもしれない。とてもじゃないが、こんな男と女の剥き出しの欲望が渦巻く結婚相談所の所長なんて、絶対に務まらない・・・。

 ルカは、テーブルを挟んで向かい合うユイとメイさんとの両方を視界に収められる位置に座って、身を縮めていた。

 感情を表に出さないよう、意識しながら、ユイはゆっくりとした調子で話し始めた。

 「私の趣味を、会員の方に押しつけるような真似など、するはずがありません。写真から、さえない、と感じられたとしたら、それも仕方ありませんが、実際に会ってお話すると、お二人とも良い方ですよ。出会いはご縁ですから、今となっては、どうしようもありませんけどね。

 それと、私は嘘をつきたくありませんから、可能な範囲で、正直に申し上げますが、お医者様が続いたのは偶然ではありません。裏がある、という言い方はどうかと思いますが・・・ある方から・・・ご希望があっての上のことだ、とご理解下さい。

 まあ、こんなことを言ってしまったら、バレバレですけどね」

 と言った後、フフフ・・・と含み笑いした。

 その途端、メイさんの表情が一変し、険悪になった。そして、言葉が溢れるように、唇から漏れ出した。

 「クソババア! 」

 その怒気の強さに、ルカの体は凍りついた。そんな言葉をぶつけられる母親という存在を知らないルカには、想像のつかない言葉であり、感情だった。

 もう一つ、その一瞬に、ユイの表情に現れた変化を、ルカは見逃さなかった。意識的に、にこやかにしていたユイの顔が、素に戻ったのだ。

 ユイさんは、怒っている・・・

 ルカは、ユイの怒りにも脅えたのだ。

 そんなユイやルカのことなど、まるで眼中にないメイさんは、ほんのわずかの間だったが、何かを思案する顔つきになった。それから、意外なほどに穏やかな口調で、ユイに聞いた。

 「ねえ、ユイさん。今、ここで紹介出来る男性って、いませんか? もし、いたら、その人の写真とプロフィールを見せてほしいんだけど」

 メイさんに気付かれないよう、瞬時に営業スマイルに戻っていたユイは、即答した。

 「いますよ。メイさんのご希望に添えそうな方が、お一人だけ」

 そう告げると、椅子から立ち上がり、事務机に並べられたファイルの中から、ためらうことなく、一つのファイルを取り出した。そのファイルの中に挟まれていた写真を、メイさんの前に差し出した。

 「34歳の方ですけど、全然見えないでしょ? 20代半ばと言っても通る若々しさ。大学生の時に、IT関連の企業をベンチャーで立ち上げて、業界でも注目されている青年実業家なんですって。今泉隼人さん、と言うの。直接会って、分かったんですけど、経験豊富で次から次へとビックリするような話が飛び出してくる、とっても楽しい方よ。

 お見合いが成立したら、あなたもきっと気に入ると思うんですけどね。

 帰ったら、必ずお母様にも話を通しておいて下さいね。私の方からも、お母様には一報入れますけど、よろしいですね? 」

 メイさんは、ユイからの念押しに答えようとはせず、写真とプロフィールを食い入るように見つめていた。そして、言った。

 「最初に、この方を紹介してくだされば良かったのに。そうすれば、余計な手間もはぶけたんですよ」

 ユイは呆れたような表情を浮かべたが、メイさんの目にはまらなかった。

 他人の気持ちを汲み取るなんて芸当を、この人に求めても無理なんだ、と傍で二人の様子を観察していたルカは思った。

 メイさんは、プロフィールにもう一度、目を戻してから、ユイにこんな質問をぶつけてきた。さらりとした口調だった。

 「年収欄に3000万円とありますけど、この方の経営している会社の決算書って、見せて下さる? 」

 ユイの目つきが厳しくなったのを、ルカは見落とさなかった。

 ユイさんは、どう答えるのだろう?

 と、ルカはドキドキしながら、ユイの口が開くのを待った。

 「年収というのは、あくまでも自己申告というのが、当結婚相談所の建て前になっています。結婚相談所は税務署ではありません。それに、年収を証明する書類が、事前に必要となるならば、公正を期す意味で、あなたやあなたのご両親の源泉徴収票、確定申告書、個人資産の額を示す正式な書類などの提出を求めなければならなくなりますが、よろしいのですか? 

 お見合いが上手くいって、お二人の関係が深まってから、個人的に、会社の決算書でも何でも、お好きなものを見せてもらってはいかがですか? お互いの信頼の証として。私としては、そちらの方をお勧めしますが、どうでしょうか? 」

 言い回しは丁寧であったが、ルカはその言葉からユイの怒気を、はっきり感じとっていた。

 だが、メイさんは顔色ひとつ変えなかった。

 「あらっ、そうなの? 」

 と言ったきり、口を閉ざしてしまった。

 ルカは、その様子に、心の中でガッツポーズを決めていた。


 メイさんが事務所に顔を出した翌日。ユイは、ルカにだけ聞こえるぐらいの小声で、

 「仕方ない。豆ダヌキのために動いてあげましょう」

 と言ってから、メイさんの資料を今泉さんに送った後で、メイさんとの見合いを勧める電話を、今泉さんにかけた。検討してもらってから、見合いを受けるかどうか、返答してくれるように頼んだ。後日、今泉さんから、快諾する、との返事が届いた。

 メイさんサイドでは、やはり、母親がネックになった。相手が医者でなかったことに、不満を抱いたのだ。メイさんなりに、母親を説得しようと努力したようだったが、すぐには首を縦に振らなかった。ユイも電話をかけ、見合いだけでも認めてあげたらどうですか? と勧めたのだが、なかなか折れるそぶりを見せなかった。けれども、最後はメイさんの粘り勝ちで、渋々認めざるをえなくなった。

 見合い前に、一度自分の家に戻るというメイさんに、ユイは親切心から、手土産を買ってきてはどうか? とアドバイスした。メイさんが住んでいる県ならば、名物も多い。手土産には事欠かない。今泉さんの印象を少しでも良くするよう、努力した方が賢明だ(特に、気配りの出来ないメイさんの場合)、との思いからだった。

 ところが、(というか、案の定というか)、メイさんは、必要ない、と断った。なぜ、自分だけ、そんなモノを用意しなければならないのか、合点がいかない、と言うのだ。そういう問題ではない、とユイは何度も言ったのだが、聞く耳を持たなかった。老婆心といえば、老婆心なのだが、ユイの、メイさんのためを思う気持ちなど、まるで理解出来ない女性であった。

 そして、いよいよ見合い当日。

 いつものホテルのラウンジに、母親を伴って現れたメイさんの身なりに、皆の目は釘付けとなった。

 裾をひきずるような真っ白なロングドレス。それだけでも充分に人目を惹く衣装であったが、こんな特別な日にも、そのドレスの上から、派手なブランド物のバッグを、たすきがけにした異様なファッションで、姿を現したのだった。

 ルカは、下を向き、笑いを嚙み殺すのに必死だった。ユイにひじで小突かれたのだが、そのユイも笑いをこらえるのに、頬をひきつらせていた。今泉さんも、複雑な表情を見せていた。

 このに及んでは、さすがに打つ手はない。ユイは覚悟を決めたように粛々と見合いを進行させていくほかなかった。

 見合いの翌日、午前中の早い時間に、事務所の電話が鳴った。今泉さんからだった。彼は、これまでに二度、この結婚相談所で仲介した女性と見合いをしていた。二度とも見合いは成功し、一人の女性とは本交際まで進んだのだが、最終的に双方の将来の生き方について意見が合わず、破談してしまった。もう一人とは、仮交際中の期間で、住む家の場所の件で折り合いがつかずに流れてしまっていた。今泉さんは、これまでに見合いした女性の人格について、悪口を言ったことはなかった。根っからの紳士だったのだ。

 電話口で、今泉さんは、これまでの二度の見合いを振り返りながら、昨日の見合いでの様子を語った。

 「急に会社の決算書をみせてくれませんか? と切り出されたときには、びっくりしましたよ」

 と、笑って話してくれた。

 ユイは、自分の身内の不始末を聞かされているような気分で、申し訳ありません、と詫びるしかなかった。

 「もうすぐ、会議が始まるので、結論だけ伝えますけど」

 と、前置きをした上で、きっぱりとこう言った。

 「あれほど性格の良くない女性とお会いしたのは初めてです。さすがに、あれじゃあ・・・今回は、ご縁がなかったということで、相手の方にはご連絡下さい」

 プツン、と電話は切れた。ユイは、無言になった受話器を握りしめたまま、暫く動けなくなった。そして、気を取り直したように、無言の受話器に向かって、声に出して、こう語りかけた。

 「まことに到りませんで、申し訳ございませんでした。罪滅ぼしに、次こそは、今泉さんに気に入っていただけるような女性を紹介しますので、お許し下さい」

 受話器をおしいただくような格好で、ユイは深々と頭を下げた。受話器を置いてから、一転、

 「くっそー、メイの奴! 退会させてやろうか! 」

 と、毒突くユイを、ルカはじっとみつめていた。

 (ユイさんはメイさんを退会させない・・・。優しさ? 面倒見の良さ? それとも、所長としての責任感? いったい、ユイさんは何をひきずっているんだろう? )

 ルカは聞いてみたい気もしたが、なぜだか、知ってしまうことに怖さも感じていた。

 

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