第6話 ユイとルカ

 その日、ルカはこの結婚相談所が入っている雑居ビルの一階にある花屋にいた。白菊を中心に供花を選んでいた。花屋でアルバイトををしたことがあったものだから、自分で手際よく花を選びとっていった。

 墓はこの雑居ビルから歩いていっても、二十分ばかりのところにある小さな寺にあった。墓には両親が眠っていた。だが、ルカに両親の記憶はない。彼女が赤ちゃんだった頃、家が火事になり、ルカだけが奇跡的に救出され、両親は焼死した。放火だった。犯人はまだ捕まっていない。

 全焼した家から発見された焼け焦げた二枚の写真だけが、両親を知る手がかりだった。一枚は自宅前で母親に抱かれたルカと寄り添って立つ両親の写真。そして、もう一枚は両親の結婚式の写真だ。

 ルカが物心ついた頃に見た、その二枚の写真は、既に色あせていた。両親の記憶のないルカには、そのぼやけた両親の顔は、両親の存在と血のつながりをいっそう希薄に感じさせた。

 放火事件が起きたときには、祖父母はすでになく、付き合いのある親戚もいなかった。ルカを養子にもらい受けてくれる人はいなかった。

 ルカは養護施設に18歳までいた。高校を卒業すると、会計事務所に就職したが、長続きしなかった。誰とも親密に付き合うことが出来ない、陰気な子、というレッテルが貼られ、職場で浮いた存在になった。退職したいと申し出ても、誰からも引きとめられることすらなかった。

 ルカの心には、幼いころから癒しがたい寂しさが巣食っていた。当たり前になってしまった寂しさが、周囲の人々との交流を阻害し、結果として、ルカには居場所がなくなり、流れていくしかなかった。その繰り返しだった。

 この日は両親の命日で、墓参りに向かう途中、寄り道をしたせいでたまたま通りかかった花屋が目に留まり、立ち寄ったまでのことだった。

 手にした花を確認していたとき、店の影から姿を現した女性と目が合った。

 白いブラウスに黒のストライプスーツを身にまとった姿から、いかにもデキる女性を連想させた。ユイだった。ユイは、ルカの手にしていた花に目を留めた。ルカは、なんとなく軽く会釈した。ユイも会釈を返してきた。それから、ユイはルカの方へ近寄っていった。

 「お墓参り? 」

 透明感のある声だった。 

 「ハイ、死んだ両親の・・・」

 と言いかけて、言葉を飲み込んだ。初対面の人に言うべき話ではなかった。ユイは真剣な眼差しをルカに向けてきた。何を考えているのか、分からない眼差し。でも、その眼差しには、あきらかに意図のあることを感じさせる強さがあった。

 (こんな眼差しで、私のことを見つめてくる人とは、出会ったことがない・・・)

 ルカは、何かを言わねばならないと思いつつも、気持ちが空回りするばかりで、言葉が出てこなかった。すると、思ってもいなかった言葉が、ユイの口から飛び出した。

 「もし良かったら、墓参りの後で、ウチに寄ってくれない? このビルの三階に、私の事務所があるの」

 透明感のある声。しかも、ひきつけられる不思議な響きのある声だった。ユイは慣れた手つきで、名刺を差し出した。


 ユイ・マリアージュ・オフィス 所長 神宮院 結


 名刺には、そう記されていた。

 結婚―自分のような人間には無縁な、最も遠くにある人と人との愛情に基ずく結びつき。憧れさえ起きなかったが、そんな男女の出会いを仕事とする結婚相談所に、ルカの興味はかきたてられた。

 不思議な感覚がルカの体を突き抜けていた。何の記憶もない、赤の他人も同然の両親の墓参りよりも、ユイの誘いに乗って、彼女の事務所を訪れることの方が重要だ、とルカには思われた。そして、墓参りもそこそこに、本当にルカはユイの事務所を訪れていた。

 

 大きく切りとられた窓ガラスから差し込む日差しで、事務所の中は明るかった。窓際にしつらえられた二段の棚には、ガラス製の工芸品がズラリと並んでいた。シックな美しさをたたえたアンティークな品々であった。

 その中の幾つかのガラス器は釣り糸のようなもので固定されていた。地震が起きても、転倒しないようにするためだろう。

 (・・・ということは、由緒あるアンティークで、高額なのだろうか? )

 そんなことを考えながらも、ガラス工芸品以上に気になっていたのが、棚の最も奥まった場所に座っていた西洋人形だった。これといった理由はなかったが、ルカは人形が怖かった。ただの作り物で、人間の形をしているけれども、中身は空っぽで魂なんかない、と頭では分かっていても、魂の存在を否定しきれなかった。青い目は正面を向いていたが、実は、自分のことをちゃんと見ている・・・。そんな

表現は適切ではないが、ある種の呪いをかけられている気分に襲われた。

 にもかかわらず、ルカは人形から目が離せなくなった。魅入られてしまったのだろうか? 人形の前にしゃがみこみ、青い目をのぞきこんだ。頭の上からユイの言葉が降ってきた。人形にまつわる祖父母の物語。物語が終わっても、ルカは青い目を見続けていた。どれくらい経っただろうか、椅子に座るよう、促された。

 ルカが椅子に座るのを見届けてから、ユイが真面目な顔つきで、改めてこう言った。

 「『ユイ・マリアージュ・オフィス』にようこそ。よく来てくださったわね。

・・・必ず来てくれるって、思ってたけど。」

 透明感のある声、そして、片眉をピクリと上げると、いたずらっ子のような表情を浮かべた。

 (呪いは人形じゃなくて、この人がかけていたんだ・・・)

 ルカは心の中でつぶやいた。でも、怖くはなかった。

 (この人なら、たとえ魔女であっても、呪いをかけられたっていいかも)

 そんな風に考えた。

 再び真顔になったユイが問いかけてきた。

 「さっき、両親のお墓っていってたけど・・・」

 やっぱりユイは魔女で、ルカは呪いをかけられ、すっかり警戒心を解かれてしまったようだ。

 27年前に、両親は焼死してしまったこと。その後のことを聞かれるでもなく、あらいざらい語ってしまった。

 なぜか、今日初めて会ったばかりなのに、この人には、自分のことを全て知ってほしいと願っていた。閉ざしていた心をオープンにする解放感を、ルカは生まれて初めて味わったような気がした。

 ルカの語る生い立ちを、ユイは柔和な表情を浮かべて聞いていた。その表情に、そしてユイの全身から出る空気感に、ルカは包み込まれるような感覚を覚えた。

 一通り語り終え、束の間の沈黙が訪れたとき、ユイはバッグから二本のペットボトルを取り出した。

 「悪いけど、今日、気になっていた会員の方の結婚話をまとめたところで、疲れてるの。お茶を淹れる気力もなくて、これで許してね。あなた、ミルクティーでいい?私はストレートティーをもらうわね」

 そう言うと、ミルクティーのペットボトルをルカに差し出した。

 「ご両親が眠ってるお寺って、栄勝寺よね? 偶然だけど、そこに私の祖母と父親も眠ってるの」

 ユイの目はルカの顔から離れ、窓の外へと向けられた。

 「ウチの家系・・・男運がないのよね。祖父は放浪癖のあるロクデナシ。父親は私が子供のときに蒸発。大きくなってから、母から聞いたんだけど、いなくなってから半年後、日本海で浮いてたのを発見されたんだって・・・。私も・・・父親に抱き締められた記憶がない。写真の中に残っている父親の姿だけが、全てなの。祖母といい、母といい、どうしてそんな男ばっかりに捕まっちゃったんだろううね~。因果応報って言うけど、私もごたぶんに漏れず・・・男運に恵まれないのよね」

 最後は消え入るような声で、自嘲気味の薄笑いを浮かべて語った。

 (男運に恵まれないのに、結婚相談所を経営しているのか? それとも、男運に恵まれないから、なのか? 何のために、何を目的にして、ユイさんはこの仕事をしているんだろう・・・? )

 ルカがあれこれ想像をたくましくしかけたとき、ユイはいきなり切り出した。

 「ウチで、私の助手として、働いてみない? 」

 ルカは慌てた。心の中で漠然と願っていたことを、ユイが言葉にしたからだった。

ルカは返事が出来ず、その代わりに、大きく首を縦に振った。

 ユイはその様子に目を細め、フフフッ、と含み笑いをした。

 ルカは心の中でずっと溜め込んでいたものを大きく吐き出した後で、一つの思いが胸の中いっぱいに広がっていくのを、はっきりと感じていた。その思いとは―

 (27年間、居場所が見つからず、あてどなく流れてきて、とうとうたどり着くべき人にたどりつけた。心の奥底に溜まってしまった寂しさから解放される日がやってくるのかもしれない・・・)

 ユイは、ペットボトルのキャップをはずし、持ち上げた。ルカもその真似をした。テーブルの中央で、二本のペットボトルが軽く触れ合い、二人の口から同じ言葉が漏れた。


 カンパーイ!!



 

 

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