第19話 親心



「くそっ……! 何だってんだ、あんな奴……」


 教会を出てから、パオロはそんな取り止めのないことばかりを口にしていた。ミケーレに対して怒っているのだが、文句の1つも言えなかった自分に対しても腹を立てていた。良家の出自であるが故に、気位の高い男であったから、先ほどの体たらくは屈辱以外の何物でもなかったのだ。


 ミケーレがマリアと旧知であるのは、噂で知っていた。ミケーレがマリアを教会に連れてきたことも聞いている。

 しかし、その2人の仲がいい――ということには承服しかねた。それが嫉妬であることは彼のプライドが認めなかった。自らの家柄と出自を自信の拠り所としているパオロは、自分はそんな感情は抱かない、と無意識のうちに、気持ちをねじ伏せていたのだ。


 パオロは、自分がマリアに執着していることは自覚していた。それが、マリアに惚れているから――とは認識していなかった。だが、かつて、教会内で初めて見かけたマリアに、パオロが一瞬で心を奪われたのは事実であった。

 それ以来、理由を見つけては、マリアのところに頻繁に顔を出していた。マリアが困惑していたことに、彼はもちろん気付いてはいなかったが――。

 そんな彼だからこそ、自分の求婚をマリアが拒んだことは信じられなかった。求めれば、与えられる――ことが当然だと思い込んでいたのは、良家の跡取りとして甘やかされて育ったが故である。祖父の代から3代続けて枢機卿を輩出した名家の自負もあった。

 そんな自分が、けんもほろろに断られ続けている。

 今度こそ――と思っていた矢先に、マリアが任務で日本に旅立ったと聞いたパオロは、仕事が片付き次第、自分も向かうことにした。いつもと違って、日本まで追いかけて行けば、マリアの自分への認識を変えられるかも知れないと考えたのだ。

 ところが、そこでも予期せぬ事態が起きていた。それは、ミケーレがいたことだった。

 異端審問会に所属する別の枢機卿が、ミケーレに依頼したことは伝え聞いていたから、同じ任務で出向いたマリアとかち合うことくらいはあるだろう――とは想定していた。

 しかし、だ。そもそも、マリアとミケーレは仲が悪く、ともすればケンカを始めてしまうと聞いていたから、安心しきっていた。これはまったくの油断であった。


 とりあえず、自分の泊まっているホテルへと向かってはいたが、むしゃくしゃする気持ちのやり場が見つからない。この怒りの矛先をどこへ向ければいいか、パオロにも分からなかった。手頃な石ころが落ちていれば、大人気なく蹴っ飛ばしていたかもしれない。

 普段ならば清々しいはずの人通りのない早朝に、パオロはイラつきながら、ホテルへの道を進んでいた。そのずっと後ろを、肩に人形を乗せた少年――〝人形使い〟が、付かず離れずの距離を保って追けていることに、パオロは気付いていなかった。



 心地好い、ゆったりとした振動に、沙月は眼を開けた。


「お、眼が覚めたか?」

「えっ? ミケーレ?」


 ミケーレの声に、眼をしばたたいた。状況が少しずつ理解出来てきた。自分はミケーレの背に負ぶさっているのだ。だが、現在の状況は分かってきたが、そもそも、どうしてこのようになったのかが、思い出されない。

 確か――教会に出向いたはずだ。

 それから――?

 それから、どうしたっけ――?


 教会近くまで行ったら、気分が悪くなってきて、それでも何とか辿り着いたものの、それで精一杯。扉にもたれかかって休んでいたら、マリアが声を掛けてくれたのだ。


「家に着くまで、眠ってていいぞ」


 ミケーレの声に、我に返った。沙月は戸惑いつつも、疑問に思ったことを問うことにした。

 ――したが、聞きにくいことだ。


「ミケーレ、あ、あの……ね」

「どこから、聞いてた?」


 ミケーレに先を取られ、逆に聞き返された。その問い掛けに、叱られる前の子供のように、沙月の鼓動がどくり、と鳴った。身体も反射的に、ビクリとしたのだろう。


「ああ、怒ってるんじゃない。確認しただけだよ」


と、ミケーレに断りを入れられた。それで、緊張が少しだけ解れた。


「え……と……、マリアさんが、男の人にプロポーズ……されてるところ……から……かな」


 沙月は記憶を辿るように、視線を斜め上へ向けながら、そう言った。


「良い耳をしてるな。よく聞こえたもんだ」


 ミケーレが独り言のように、ぽつりと言った。その物言いには落胆の色が含まれていたが、沙月は気付かない。

 パオロがマリアにその話をしていた時、ミケーレは扉の裏にいたのだ。付近に沙月の姿はなかった。それは間違いない。

 いったい、どれほどの距離を隔てて、沙月はその話を聞いていたのか――?

 沙月が続けた。


「それから……」

「うん」

「なんか……200歳……みたいなこと」

「うん」


 言ったものか――と沙月は躊躇いがちに言ったが、ミケーレはさらりと受け止めた。あまりにあっさりとミケーレが相槌を打ったものだから、沙月のほうが、きちんと話を聞いていてくれたのか、と疑ったぐらいだった。


「ほんと……?」

「……」


 ミケーレは少し黙った後、小さく息を吐いて、


「ああ」


と言った。沙月は途切れ途切れに、口を開いた。


「え……だって……。マリアさん、若いじゃない。10代にだって見えるのに……」

「俺はいくつに見える?」


 ぽつりと問うたミケーレの声に、その質問に、沙月がハッとした。

 思い出したのだ。

 そうだ、ミケーレは――。


 今も、間近に迫った初冬の寒気を肌で感じる早朝に、暖かな陽射しを浴びる中を、沙月を背負って歩いていたり――とらしくない行動ばかりで忘れがちになってしまうが、ミケーレは吸血鬼で、不老不死の存在である。そのことを思い出しはしたものの、やはり違和感を覚えて、沙月は苦笑した。それを知ってか知らずか、ミケーレは言葉を繋ぐ。


「つまり、そういうことさ。マリアのを見たかい? 気付かなかったかも知れんが、あのの影はより薄いんだ。マリアにいろいろ聞いたんだろ? 母親の話はしなかったかい? あの娘は吸血鬼と人間の母親との混血なんだ。この国なら〝ダンピール〟とか〝ヴァンピール〟、それとも〝ヴァンパイア・ハーフ〟とでも言えば、分かりやすいのかな? それはともかくだ。俺があの娘と初めて会ったのは、200年以上も前だ」


 ミケーレは静かに言った。口調は穏やかだが、何だか寂しげでもあった。

 まるで、のに――と言うように。


「俺がマリアの村をある事件で訪れた時、あの娘はまだ9つだったよ。教会に預けて10年もしないうちに、あの娘の成長は止まった。まあ、その時はそうだとは思ってなかったんだが、あの娘が初の任務の折に、怪我をしてね。普通なら死んじまうくらいの大怪我さ。でも、あの娘は死ぬどころか、すぐに治っちまった。傷跡も残さずにね。それではっきりと分かった。それ以降、マリアはあのままさ。あの娘は身体能力の優れたtipaティーパ――タイプでね。本当の父親が誰かは知らんが、そいつがその口なんだろうな。そのせいか、特殊な能力なんてのは、さ。使えるのは簡単な〝結界〟くらいかな。それも護符を使ってだからな。他は……うん、そうだな。いろいろと回復が速い程度か」


 最後のところはどことなく、自慢の娘の話をする父親のように思えて、沙月は自然と口元が緩むのを感じた。


「マリアの素性は、教会では知れ渡っていてね。上役の大半は苦々しく思ってる。

〝役に立つから使ってる〟――ってとこだ。さっきの男もその口さ。部下や同僚になると、まあ……半々だな。マリアは優しいし、よく気が付くからな。世話を焼いてやることも多いだろうから、あの娘の人柄を知った者はマリアを好いてくれるようだ」


 学校での我が娘を心配する父親みたい、と沙月は微笑んだ。ミケーレはそこで言葉を一旦切り、


「上役には恵まれんことが多いようだが、まあ、何とかやってるみたいだ。マリアについちゃ、こんなとこだ。他に聞きたいことはあるか?」


と、沙月に聞いた。問われた沙月は、「う~ん」と小首を傾げた。あったような気がするが思い出せない。


「思いつかないなら、大したことじゃないんだろうさ。それに、もう家だ」


 ミケーレの声に、沙月は前を向いた。確かに自分の家だ。玄関前まで来てミケーレは、負ぶっていた沙月を降ろすと、


「1人……じゃ、無理そうだな。鍵は?」


と、聞いた。沙月が多少、フラフラしていたからだ。まだ足元が覚束ないようだ。


「あ、ここに」


 沙月が慌ててポケットから鍵を取り出すと、ドアのロックを外した。その途端、ミケーレがまた沙月を抱き上げた。沙月は突然のことに、顔を紅らめた。

 

「だ、大丈夫よ……」

「無理するな。頼れる時は頼ればいいんだ」


 ミケーレは降ろすように懇願する沙月を無視して、そのまま玄関に入った。


「沙月の部屋は?」

「あ、う、上……2階」


 抱き上げたまま、器用に沙月の靴を脱がし、自分も靴を脱ぎ、ミケーレは階段を上がった。


「そこの部屋」

「入ってもいいのか? ここまでにしとくか?」

「あ……、大丈夫。入って……」


 こくりと頷く沙月を抱いたまま、ミケーレは部屋へと入った。昨夜出かけた時のまま、教科書やら、参考書が載ったままの勉強机、それからベッドが窓際に置かれており、本棚が2つ。衣類はクローセットの中だろう。

 ベッドの上にぬいぐるみがあったり、棚に可愛らしい小物が置いていたりと女子高生らしい部屋だった。

 ミケーレはベッドに近づきながら、


「着替えるなら、出てるぞ」


と告げた。沙月は頬を染めながら、


「いい。このままで……」


と答えた。ミケーレは沙月をベッドに降ろすと、布団を掛けてやった。

 降ろす時に沙月が一瞬、ミケーレの首元に眼を見開き、大きく口を開けて噛みつかんばかりだったことにミケーレは気付いていたのか。

 それとも、すっ呆けているのか。

 だが、それも一瞬の出来事で、沙月はベッドの中から、ミケーレを見つめた。普段通りの表情だった。そんな沙月のおでこに手をやりながら、


「じゃあ、ゆっくりと寝てろ。鍵は掛けた後で、郵便受けに入れとくよ」


と、ミケーレは優しく声をかけた。


「う、うん……」


と答える沙月の頬が、さらに紅らんでいた。

 沙月は目を瞑ると、途端に睡魔が襲ってきた。ミケーレが見ている間に、ゆっくりとした寝息が聞こえてきた。それを確認すると、ミケーレは部屋を出て、階を下りた。

 通りかかった居間を、開いているドアから覗いた。留守番電話にメッセージが残されているのか、赤い『留守』と表記されたボタンが点滅を繰り返している。近付いて液晶部分を見れば、1件のメッセージとある。さすがに勝手に聞くわけにはいかないし、もちろんミケーレにもその気はなかった。

 だが突然、何か確信めいたものを感じたのか、ミケーレは再生ボタンを押した。ピッ、と電子音がして、メッセージが再生される。


『おはよう、沙月。父さんだよ。残念ながら、今年も年末年始は帰れそうにない。1人で寂しい思いをさせてるが、我慢しておくれ。来年度――4月からはそっちに戻れることになったから、それまでは苦労をかけるな。また電話するよ。じゃあ』


と、聞けば、そんな内容の伝言であった。メッセージを聞いている間、ミケーレは微動だにしなかったが、やがて、沙月が寝ている2階の部屋を見透すように振り仰いだ。その顔を暗い影が覆っていた。

 それは、これから起こるであろう出来事を憂いてか。


 メッセージを聞き終わり、留守番電話の状態が元通りであることを確認すると、今度こそミケーレはそっとドアを閉じ、玄関で靴を履いて鍵を閉め、ひっそりと出て行った。 



 

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