第19話 原点 《sideダイス》

 ダイスはひとり車を走らせて、犯人の痕跡を追い続ける。聞き込みを続け、僅かな手がかりである“彼岸花”というパズルのピースを“血染め花のマリー”関連と思しき事件と照らし合わせていく。


「何事も原点へ戻る……か」


 助手席に放り投げてある当時の捜査資料を掴みあげ、目を細めた。


 “アマンダ・ホープ”彼女の息子が、十三年前いなくなった。


 そして見るも無惨な姿で戻って来ると、母親は気が……か。


 ダイスは資料を助手席に放り、そこにいるであろう人物の元へと向かう。幸い、“有名人”である彼女の行き先には常に誰かしらの目撃情報がある。


 ルームミラーの中の走って来た道が、鏡の世界で逆方向へと流れていく。


「鏡の世界だな……」


 ダイスは林に挟まれた道をぼんやりとした面持ちで走らせる。


 再度ルームミラーを見ると、後部座席に座る骸骨と目が合った。


 ダイスは驚き、慌ててハンドルをきった。車が蛇行して車道を外れ、やがて止まった。


 ダイスは目を瞑り頭を抱えた。


「八、九、十……頼む、頼む」


 開いた目の先、ルームミラーの向こう側で、白い頭蓋の奥、窪んだ闇の中にある、見えない目を向けてこちらを見ている。


「クソっ!」


 車を降りて頭を抱えながら、もう一度、十数える。胸ポケットからフラスクを取り出して中身のウイスキーを飲み干していく。今まではこれで何とか乗り切っていたが、今回はいつまで経っても幻は消えず、車内からこちらをじっと見ている。もう酒がない。空っぽのフラスクを上着越しにぎゅっと握る。ダイスは辺りをうろついて、戻って来ると黒い車体に蹴りを入れた。へこんだ部分を見て若干の後悔を覚えた。それでも、もう二度、三度蹴りを入れる。助手席を開けて、骸骨の方は見ないよう努め、グローブボックスからフラスクをもうひとつ取り出した。このフラスクには手をつけたくなかったダイスは、両目を瞑り、罪悪感から酒を飲む。


 骸骨はやがて妻に姿を変え、消えていった。


 “君は死んだんだ、エブリン”。


 ダイスは運転席に戻るともうひと口あおり涙を流した。垣間見えるエブリンは、当時の日を繰り返しているかのように振る舞う。時々見える幻覚だ。時にキッチンでウェンディのお弁当を作り、また、ベッドルームの洗面台に現れる。彼女は当時アルコール中毒になっていた。それでも運転することはやめなかった。そのうちなるであろう危険を承知しながら、それがある日現実になってしまった。エブリンと相手の車が正面衝突し、彼女と相手は呆気なく死んだ。この車の運転席で。このフラスクから酒を飲んで。


 エブリンが死んでからは頭の中のイカれた部分に住み着き、彼女は鏡の中に囚われているかのように存在している。現れては現実に侵食する。


 大抵は酒を飲み、十ほど数えれば消えるが、彼女への想いが消える事はない。この先も消えることはないが、幻の中に生きることは出来ないのだ。


「……エブリン、君に会いたいよ」


 同じだ。いつかの小説、“女神ミューズ”での恋人たちのように、そして作者“ルーク・アルバラード”が求めていたものと同じなんだと思い知る。


 “愛の証明”。そして会うためならどんな犠牲も払うつもりだ。


 ダイスは抗うことなく、この誰もいない場所で、しばらく涙で濡れるままにした。



 ***



 食料品店『N’sエヌ・ズマート』の駐車場に車で乗り入れると、急発進でタイヤをすり減らしながら走り去る車に、ホームレスらしき人物が罵声を浴びせていた。


「あいつは……」


 そこにいたのはダイスとロブが捕まえた暴走車両の男“ハンター・ブライト”とよく一緒にいたホームレスの男で、ダイス自身も一度ではなく何度もスリで捕まえた男だ。スリの緊張感は中毒性があってやめられなくなるらしい。


 なにかトラブルが起きたことは分かるが、関わり合いにならぬようダイスは助手席から帽子をとって被った。さらに上着のフードを目深にかぶり、見て見ぬふりをすることにした。“ハンター・ブライト”の件で、あの男を取り調べしたをしたことが過去ある。その顔見知りの自分だとバレるわけにもいかないし、今は休職中なんだと自分に言い聞かせる。


 駐車場の隅にいる女の姿を見て、ダイスは当たりだと思った。


 十三年前にこの『N’sエヌ・ズマート』の前で行方不明になったジェイソン・ホープの母親、アマンダだ。立ち尽くしたままなにをするでもなく、風に揺られる柳の木のように揺れ動いている。


 失踪事件を遡り続けているダイスは、ついにジェイソン・ホープへと行き着いた。“原点へと”。


 “血染め花のマリー事件”、この事件の唯一の生存者、マリー・コールマン。そして一連の事件の中、唯一と言っていいほど、遺体が残っているジェイソン・ホープ。


 ダイスは捜査資料を読み返し、当時の関係者を洗う事にした。それが例え、すでにしまっていても。


 ダイスは車を降り、アマンダへと歩み寄る。臆病な馬同様、真後ろには立たないよう努めて前方に周り、話しかけた。


「やあ、アマンダだね? 少し話しを聞かせてもらえないか?」


 アマンダは憎々しげに見つめ、相手の本質を無理やり引きずり出そうとしているように見える。


「……お前はだれだ? クソったれ警察か? それともクソったれマスコミか?」


「いや……クソったれ探偵だよ。十三年前の事を調べているんだ」


 咄嗟に二択以外の選択肢を選びとったダイスは、アマンダの光の失せたような瞳にも見えるように手帳を取り出すと、手のひらに開いて見せ、ペンを手に取って質問に移った。


「息子さんの事を話してくれないか? 少しでいいんだ。力にならせてくれないか?」


「……失せな」


 ダイスはバッグから飛び出している紙の束をちらりと見て、未だに消えぬ痛みを再確認、そして痛みの元にナイフを突っ込むように言った。


「……俺は息子さんを殺した犯人を探している」


 アマンダはダイスに掴みかかり叫んだ。


「あの子は生きている! 生きているんだ! ふざけんな!」


 アマンダの荒れ果て、まるで手入れなどされていない手に優しく触れ、ポケットからハンカチを差し出して、ありもしない事実を織り交ぜながら言った。


「……気持ちは分かるよ。アマンダ、俺も家族を奪われた被害者なんだ。犯人にはどうしても苦汁を味合わせてやりたいんだ。頼むよ」


 アマンダは何も言わずにハンカチを受け取って涙を拭う。


「苦汁なんかでは生ぬるい」


「……ああ、死が相応しいな」


 アマンダが悪魔めいた笑みを見せると、まったく手入れのされていない黄ばみと黒ずみのある歯が見えた。顔を顰めないように手帳に目を逸らす。


「さっそくで悪いが、聞かせてくれないか? “彼岸花”を買ってるのは何故だい?」


「それは……最後にあの子に供えられていたからさ」


「供えられていた?」


「そうだ。あの日行った地下室に横たわっていた肉の塊のそばに」


 どういう事だ? 殺した犯人が悔恨の念を覚え、供えたとでも? または――。


「――あの頃の事で大した事は言えない。ただ、あの検視官の男は、あの変わり果てた肉の塊を息子だと言った。それ以来、私はの息子を探しているんだ。どこかに囚われているの、ああ、かわいそうなジェイソン」


 アマンダは急に性格が変わったように母親らしい慈愛に満ちた涙を流した。だが、すぐに母親らしさはどこか遠くに行ってしまい、機械仕掛けの歯車が外れてしまったかのように豹変し、ダイスに掴みかかった。


「ねえ、あの子はどこ? なにか知らない? ジェイソンって言うの。そうだ! この子よ!」


 アマンダはバッグから紙を一枚出すとダイスの目の前でパンッと広げて見せた。


「……いや、分からないな」


 アマンダはまるで意地悪をされたかのように睨み、バッグの中に手を入れた。


 ダイスは“そこに”なにか嫌な予感がした。これ以上は得るものがないだろうと思い、この場から足早に立ち去ることを選択した。


「それじゃあ……」


 車へと向かうダイスが最後に見たのは、アマンダがぼんやりと夕陽を見つめ、ゆらゆらと陽炎のように立ち尽くしていた姿だった。

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