『聖夜の沈黙』②

 「晴斗・・・・・・これって」

 「美天」


 驚きのあまり双眸を瞬かせる美天が問う前に、晴斗は名前を呼んだ。

 晴斗は、自動演奏箱の中央で踊る双子天使にかけられた”小さな輪っか”を、指ですくった。

 雪銀に煌めく美しい輪っかを、美天の左手にはめた。


 「僕も一緒」

 「っ・・・・・・晴、斗・・・・・・どうして、あなたはいつも、私をこんなにも・・・・・・っ」


 涙と幸せで満たしてくれるのか。

 無邪気に瞳を細める晴斗の左手にも、美天の左手と同じ雪銀の輪っかは、輝いている。

 いつだって晴斗は、慈しみの愛情も明るい未来も約束してくれる。

 それだけでも、十分なほど嬉しかったのに。

 今度は二人で交わした聖なる約束を、として贈ってくれた。

 人は幸せで死ねるのではないか、と怖くなるような歓喜に心が満ち照る。

 言葉にならない幸福を涙に溶かした美天を、晴斗は抱きしめた。

 もう離さない、とばかりに。


 「ありがとう・・・・・・ありがとう・・・・・・晴斗・・・・・・私、今とっても幸せなのに・・・・・・晴斗に幸せをあげ足りないよぉ・・・・・・」

 「ふふ、仕方がないね美天は。なら、一つ約束をくれる?」


  幸せの涙をポロポロと零す白いまぶたを撫でる唇は、無邪気に囁く。


 「ずっと僕のそばにいて。決して離れないで・・・・・・何があっても」


 普段にはない無垢で切実な声で囁かれた”願い”。

 晴斗の希望は実に素朴で、それくらいのこと自分にできるなら、幾らでも叶えてあげたい。


 「うん・・・・・・晴斗と一緒にいるよ」


 美天自身も強く抱いている同じ願いに、迷いなく肯いた。


 「約束、だよ?」


 念を押すように囁く晴斗は、母親にしがみつく小さな子どものように純粋で、庇護欲に近い愛おしさを掻き立てた。

 確かめるようにそっと顔を近づけてきた晴斗に、美天は笑顔で双眸を閉じて応えた。

 清らかな雪降る聖夜の氷気に包まれる露台。

 二人の佇む空間のみが、『アメイジング・グレイス』に奏でられた、温かな聖域を生み出していた。


 *


 やはりクリスマスは、二人を招待して正解だった――。

 窓ガラスの外に映る、雪闇の露台に浮かぶ二人の影を、遠目で眺めていた美菜はほくそ笑む。

 今年のクリスマスシーズンの始まり、親友の息子から相談された。

 ドイツ人男性と結婚した後も、美菜は同じ大学時代からの親友とは、国際ビデオチャットで連絡を取り合っていた。

 以前もドイツに招待したことのある親友の息子とも、何度か面識はあった。

 心優しく聡明な彼を、美菜も夫も気に入っていた。

 そんな親友の息子から、『ある話』を打ち明けられた時は、美菜も夫も素直に驚いた。


 「よかったわね・・・・・・晴斗君、美天ちゃん・・・・・・」


 正直な所、最初の暫くは返事に困窮した。

 しかし親友の息子きっての相談だったし、晴斗が真剣なのはひしひしと伝わってきた。

 何よりも、晴斗が美菜達の人柄と「専門性」に基づく理解を信頼してくれたからこそ、彼の告白を無碍にしたくなかった。

 そこで美菜と夫は、クリスマスの季節も兼ねて思い切った提案を出した。


 「こら! アラン! ジョン! 勝手にテレビを点けちゃ駄目じゃないの!」

 「だって、もうすぐ始まるもん!」

 「おばさん家のテレビでしか見れないの! いいでしょう?」


 暖炉で温まった居間で、プレゼントを見せ合ってはしゃいでいた子ども達の声に、美菜の意識は現在へ引き戻された。

 夫のステファンは日本好きなため、家のテレビに日本の番組を登録しているのだ。

 子ども達は、日本の国民的な人気アニメ『色えんピツちゃん』が大好きだ。


 「ごめんなさい、ミナ。子ども達が勝手に」

 「いいのよ、テレビくらい。懐かしいから、ミーナおばさんも一緒に見ようかしら」


 家のテレビを勝手に点けた子どもの無礼を謝る友人に、美菜は笑顔で応える。

 美菜の幼少期から長らく連載しているアニメに懐かしさも相まって、子ども達に付き合ってあげることにした。

 すると、子ども達も屈託のない笑顔を咲かせて擦り寄ってくれた。

 やっぱり、子どもは可愛らしくて好きだ。

 たとえ、純粋無邪気さ故の残酷さを、垣間見せる時があると、知ってはいても。


 美菜は子どもが好きだったが、子宝に恵まれなかった。

 不妊治療に力を入れていた時期もあったが、十年かけても実を結ばなかった。

 産婦人科医である自分ですら克服できないことは、世に幾らでもある、と身をもって知った。

 やがて、不妊治療のストレスで鬱状態に陥った美菜を見かねた夫は、諦めよう、と声をかけた。


 『――父よ、私に変えねばならないものを変える勇気を、どうしようもないものを受け入れる静穏を、そして、それらを見分ける洞察力を与えて下さい――』


 『ニーバの祈りの詩』を贈ってくれたステファンの存在は美菜の心の光となった。

 ステファンのような良き旦那に恵まれた自分を、幸せだと思う。

 たとえ、愛する夫との間に命を産めなくても、自分は母になることを決意した。

 出逢った患者達子どもたちの味方として。

 今までは、養子縁組からホームステイの留学生等を、何人か迎えては送り出してきた。

 最近は夫と二人きりで暮らしているため、親友の良き子どもである晴斗、その恋人の美天が来てくれたのは、純粋に嬉しかった。


 話に聞いた通り、美天は心穏やかで真っ直ぐな良い子だ。

 晴斗と惹かれ合ったのも理解できるほど、二人は似合っていた。

 だからこそ、晴斗から美天の話を聞いた時から、出来る限り、と夫と共に心から願った。

 当然ながら美菜とステファンは、美天のことを心配していた。

 ドイツを訪れた美天が、明るい表情を咲かせている様子に、二人は安堵した。

 美菜達が初対面の美天を温かく迎えたのもあるが、常に美天の隣にいる晴斗のおかげであるのは分かった。

 クリスマスパーティーへの招待も効果てきめんで、晴斗のプレゼント計画も功を成した。

 露台で仲睦まじく手を取り合う二人の朧な影を見守りながら、美菜は微笑む。


 「ミーナおばさーん。チャンネル直して! ジョージが変なボタン押したんだ!」

 「僕何も押してないよ!」


 『色えんピツちゃん』を映していたはずのテレビ画面は、唐突に変わったらしい。

 別の子の悪戯だと思った子ども達は、抗議した。

 言いがかりをつけられた年少の子どもは、負けじと反論した。

 美菜に助けを求めてきた子ども達に、直ぐ応じてあげた。


 「あらあら、大丈夫よ。これは緊急ニュース速報みたい。すぐに終わるから待ちましょう」


 画面が切り替わったのは、番組を変更したからではなく、日本のニュース速報を流すためだったらしい。

 美菜の説明を聞いて従順に待つ子どもや、番組が戻るのを催促する子どもに、美菜は隣で苦笑する。

 今頃日本もクリスマスから大晦日、新年に向けての祝いムードで盛り上がっているはずだが、こんな時でも何かしら起きる。

 否、お祭り気分で浮き立っているからこそか。


 「やっぱり、最近は日本すら物騒になったね」

 「本当にねぇ・・・・・・あら、こんな痛ましい事件、クリスマスにわざわざ流すべきかしら」

 「どうだろうね」


 案の定、日本速報ニュースは、クリスマスに似つかわしくない「陰惨な事件」の内容だった。

 夫と共に小児科と産婦人科の医師として、多くの患者と向き合ってきた。

 それでも、やはり特に若い人の事件や死を聞くことに、心慣れる日は来ない。

 近くにいるステファンや友達も、テレビ画面に表示された大きな見出し、神妙な面持ちでニュースを実況する女性アナウンサーの言葉に耳を傾けている時だった。


 「!? な、何?」


 床を叩きつけたようなけたましい破裂音は、室内に響き渡った。

 音の衝撃からモノが割れたのだ、と気付いた。

 驚いた美菜と子ども一同は、勢いよく後ろを振り返った。


 「どうしたの!? 美天ちゃんっ」

 「怪我はないかい?」

 「美天、大丈夫? 落ち着いて」


 美菜達の視界に映ったのは、床にうずくまって震える美天、と足元に散らばったシャンパングラスの破片と水溜まり。

 隣には、美天の肩を抱き寄せながら心配そうに覗き込む晴斗の姿もあった。

 慌てて駆け寄った美菜とステファンから見ても、美天は尋常でないほど動揺している。

 隣から、晴斗が必死に優しく声かけをして宥めようとしている。

 しかし、今の美天には周りの声が届いていなかった。

 うっかりグラスを床に落としで割ったぐらいでは、ここまで動揺を示さない。


 「すみません、おじさん、おばさん。どうか、僕に任せてください」

 「分かった・・・・・・そしたら、客間を使うといいよ」

 「ありがとうございます」

 「晴、斗・・・・・・晴斗――っ」

 「大丈夫・・・・・・大丈夫だから、美天・・・・・・僕はここにいるから・・・・・・」


 ただならぬ雰囲気と晴斗の真剣な眼差しから、状況を察した美菜とステファンは、それ以上追求しなかった。

 夫のステファンに客間へ案内された晴斗、彼に横抱きに担がれた美天の後ろ姿を美菜は、沈痛な面持ちで見送るしかできなかった。


 一体どうしちゃったんだろう、美天ちゃん。

 さっきまで、晴斗君とあんなにも仲睦まじく、幸せそうに笑い合っていたのに。

 ドイツここには、美天ちゃんを「怖がらせるモノ」は存在しないはずなのに。

 それとも、親しい晴斗君すら気付かない、ほんの些細な何かが引き金となってしまったのだろうか。

 本人の中で大きな意味を持てば、ささいなことが心的外傷を呼び覚ますこと。


 精神・心療内科は専門ではない美菜とステファンでも、臨床経験上、その特性を熟知していた。

 今の美天にとって、最も必要で安心できる存在が晴斗である以上、彼に任せるのが妥当だ、と判断した。

 美菜は、ただ見守ることができないことに、もどかしさを覚えた。

 同時に、大切な親友の息子とその大切な彼女には、何としても幸せになってほしい。

 その手助けを、惜しみたくはない。

 美天と晴斗の幸福と平穏を祈る夫妻に、背を向けた晴斗は、腕に抱えた美天を見下ろす。

 愕然と見開いたまま虚空を彷徨う両の瞳に未だ映るモノを、晴斗も頭の中で共有して見つめていた。

 露台から室内へ戻った美天がグラスを落とす直前に見た、テレビ画面の文字とキャスターの台詞を――。


 『同級生だった男を殺害した後に、自殺――遺書見つかる』


 『十二月二十六日。行方不明で捜索願いの出ていた元・某会社員「(二十四歳)」は、で発見――』


 『十二月二十四日の夜・自宅でしたフリーターの男「(二十四歳)」が残した「遺書」に自白――』


 『双方は、同じ高校と大学の同級生であることが発覚。双方の事件との関連性は、調査継続中――』




 ***続く***

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