第六章『聖夜の沈黙』①
「やあ。よく来てくれたね。また会えて嬉しいよ」
十二月二十四日・ドイツのクリスマス・イヴ――。
晴斗の両親とは、医大時代から仲の良い友人夫婦と顔を合わせた。
美菜・シュタイナーは、留学先のドイツで出逢ったステファン・シュタイナーと国際結婚した、和人女性だ。
現在は、夫婦で産婦人科医兼小児科医として働きながら、暮らしている。
晴斗がドイツ語も話せるなんて初耳だ。
美天は、高校時代の交換留学でオーストラリアに三ヶ月間、現地の学校で学んだ経験がある。
元から英語は好きで得意とはいえ、英語で上手に
普段から発話し慣れないはずのドイツ語で、夫妻と流暢に会話できている晴斗を、内心尊敬した。
「本当に大きくなったわね、晴斗君。しかも今回は、こんなにも可憐で素敵な恋人も一緒だなんて」
「そ、そんなことは・・・・・・」
「そうでしょう? 僕の”大切な女性”ですから」
「は、晴斗っ」
「ふふふっ。晴斗君は、あなたにぞっこんみたいよ? 美天ちゃん」
晴斗の恋人として紹介された美天は、シュタイナー夫婦に温かく歓迎された。
爽やかな笑顔を咲かせた晴斗が、美菜の言葉を臆面もなく肯定するため、美天は照れくさいが満更でもない。
何よりもよく耳にする可愛い、美人、自慢の彼女とか言うより、「大切な女性」だと紹介してくれたのは嬉しかった。
「二人とも来てくれて本当に嬉しいわ。美天ちゃんのことは、以前から晴斗君に話を聞いて、是非会いたいと思っていたの! 今回は好きなだけ泊まっていってね!」
「ありがとうございます、美菜おばさん」
「ありがとうございます。そこまでお世話になってしまって、本当によろしいのですか」
「ええ! 遠慮しないでちょうだい! それに明日のクリスマスの夜は、お家でお祝いするの。皆一緒のほうが楽しいわ。美味しい料理もたくさん作るから」
美菜は明るく気さくな女性、ステファンは物腰柔らかな落ち着いた男性。
共に話していると、安心できる雰囲気の人達だった。
シュタイナー夫婦の間には、子どもがいなかったことも相まってか、二人共に晴斗と美天を息子・娘のように温かく接してくれた。
今日のイヴは、美菜達の車で一緒にドイツの名所と近場のクリスマスマーケットに、最後の買い物巡り。
夕方からは、カップルに分かれてナイトデートをする予定だ。
翌日は昼過ぎから美菜達の友人一家も加わって準備をし、お家でクリスマスパーティーも開く。
こんなにもワクワクするクリスマスは、いつ頃以来だろうか。
クリスマスの由来と宗教的意味合いすら理解していない、子どもだった頃。
家族と一緒に豪華なケーキや御馳走、プレゼント、クリスマスツリーで無邪気にお祝いしていた時期もあった。
しかし昔とは違い、美天にとって今年のクリスマスは、特別で神聖な意味合いを持った。
「見えるかい美天。あれが『ローレライ伝説』にまつわる岩だよ」
青天の下に広がる、雪畑のクリスマスマーケットでプレゼントを買った。
昼食に、フルーティなホットワインと一緒にジューシーなカリーヴルストやほくほくの揚げじゃがいもで、お腹を満たした。
近場の広い食品市場では、巨大なガチョウの肉やヴルスト、袋詰めにされた山盛りナッツやじゃがいも、珍しい香草や野菜、香辛料等を眺めて買うのも冒険みたいで楽しめた。
買い物を済ませた後は、有名な観光名所のライン川を眺めていた。
ターコイズブルーに澄み揺れる川脈を挟む、ドイツの壮麗な街並みと雪化粧された緑。
クルーズ船に揺らされる中、晴斗の指差す方向を見つめる美天の瞳に、巨大な奇岩は映る。
「あれが、ローレライの岩・・・・・・すごく大きくて、何だか綺麗だね・・・・・・」
山岳と言っても過言ではない巨石の大きさに、美天は驚嘆を零す。
真近で見上げていると、岩の醸し出す神秘的な空気に、何とも不思議な気持ちを覚えた。
隣では、ステファンと晴斗の二人がローレライ岩について、簡潔に説明してくれた。
昔、ライン川を漕いでいた船乗りがこの巨岩の近くを通りがかると、多くは沈んでしまった。
それは、岩影から響いてくる
現代では、地理的条件や川質等の原因が、多くの船乗りを沈めたのは通説だ。
「だとしたら・・・・・・ローレライが歌っていた理由は、何だったんだろうね」
ほんの少し恐ろしくも美しい伝承に心惹かれたのか、美天の瞳は切ない憧憬に煌めいていた。
難航路として名高い川にそびえる岩山に、妖精が実在したならば、何を思うのか。
ただ純粋に、歌が好きだったのか。
それとも、船乗りの人間を川の藻屑へ帰して悪戯していたのか。
もしくは・・・・・・寂しかったのか。
「僕なら喜んで誘惑されたいな」
「どうして? 川に沈められるんだよ?」
満更でもない微笑みで話す晴斗に、美天は不可解だとばかりに首を傾げた。
すると、美天の言いたいことを分かっているような。いたずらっぽい眼差しで答えた。
「分かってる。でも、僕だったら何としても沈まないようにする。そしたら、最初は友達になりに行く。ローレライが美天だったらね」
ローレライへ注がれた晴斗の甘い眼差しの奥には、美天一人だけが映っていた。
晴斗の台詞は冗談でありながらも、天真爛漫な子どもらしい本気さを匂わせていた。
不思議と胸が熱を帯びていくのを感じた美天は、いたたまれなくなる。
「晴斗ってば、もう・・・・・・でも、私だって・・・・・・あそこ晴斗がいるなら、頑張って沈められないように、ちゃんと耳栓と浮き輪対策でもしておく」
「あはは。まいったなあ。さすがの僕も、その発想はなかったよ」
照れ隠しに壮大なシャレを返した美天に、晴斗は屈託なく笑った。
晴斗にそんなつもりは毛頭ないが、少しばかり馬鹿にされた気がした。
美天は頬を赤らめて拗ねて見せたが、晴斗とローレライを写す瞳は、どこか嬉しそうに緩んだままだった。
仲睦まじく話す若き二人を、シュタイナー夫婦は遠目で微笑ましく眺めていた。
*
十二月二十五日・ドイツのクリスマスナイト。
「メリークリスマス――!!!」
朝から始めた準備を終え、夕方に招待客が揃った所で、シュタイナー家主催のクリスマスパーティーは歓声で幕を開けた。
彩りに煌めく可愛らしいサンタやトナカイ、りんご、天使、キャンディステッキ、くつした等を飾ったツリーの下には、プレゼントを詰めた白い袋が置いてある。
豪奢な刺繍のクリスマスカラーのクロスが敷かれた食卓には、手作りの御馳走が並べられた。
爽やかな香辛料や香草の風味がきいたヴルストやガチョウの丸焼き、ほくほくじゃがいもの揚げ料理、肉々しいムール貝のスープ等を作った美菜達を、美天も手伝った。
ドイツのクリスマスケーキは、あえて三日前から寝かせることで、味を馴染ませた手作りのシュトレン。
洋酒香る
粉砂糖でたっぷり雪化粧した生地は、芳醇で香ばしく、濃厚な甘さが染み渡って美味しかった。
「晴斗からのプレゼント、開けてみてもいいかな?」
「あ、待って・・・・・・そしたら、ちょっとこっちおいで、美天」
サンタ衣装のステファンから、各自に用意されたプレゼントを配られた後、美天は晴斗へ無邪気に問う。
晴斗からのプレゼントを最後に開封しようとする美天の手を止めた晴斗は、彼女を
雪闇の対岸に灯るクリスマスの煌めき、地面に降り積った白雪を一緒に眺めながら、二人は言葉を交わす。
先ず、晴斗が美天からの贈り物を開けていく様子を美天は、甘い緊張を胸に見守った。
「わあ・・・・・・綺麗だね。もしかしてこれは、クリスマスマーケットで? いつのまに」
「美菜さんと二人で巡っていた時に見つけたの。晴斗にあげたいなって思って」
ローレライ観光の前に立ち寄ったクリスマスマーケットで、密かに買ったものだ。
最初、美天と美菜、晴斗とステファンの二組に別れて巡った。
美天も美菜に案内されながら、一緒に家族や友達へのクリスマスプレゼントを選ぶのは楽しかった。
『ドイツのクリスマスマーケットは、家族や大切な人へのクリスマスプレゼントの調達と交換をする場所として始まったのよ。晴斗君に素敵な贈り物を買いましょう』
プレゼントは開けてからのお楽しみというサプライズを演出するために、美菜とステファンは粋のある計らいをした。
瞳を甘く輝かせた晴斗は、美天からの贈り物を雪明かりにかざしてみる。
ドイツ職人による精巧な作り、宝石によらない輝きは見事だ。
「でも、ごめんね。本当は時計やペンとか、もっとちゃんとしたものを贈れたら、よかったんだけど・・・・・・」
「そんなことない。僕は時計やペンよりも、こういったものが好きだから。美天がくれるものなら、何だって嬉しい。それに、星は願いの象徴だ」
冷静に考えれば、晴斗は他の男性とは少々型破りな趣味があったのを、今更思い出した。
美天の不安は杞憂だ、とばかりの屈託ない答えに安堵した。
プレゼント選びに付き合ってくれた美菜に、また後でもう一度感謝を述べたかった。
訳あって有り金が少なく、大人の男性向けの高価な品を買えない美天を、美菜は励ましてくれた。
『大切なのは、贈り物に込めた想いよ。美天ちゃんが晴斗君を想いながら選んだものなら、晴斗君は何だって喜ぶわ』
星は願いを叶える象徴だと教わった美天は、星を選んだ。
晴斗の願い事が叶いますように、と。
クリスマスの飾りの意味を知っていたらしい晴斗は、星に込めた想いを受け取ってくれた。
「ありがとう、美天。今までもらった贈り物の中で一番嬉しいよ・・・・・・ずっと大切にする」
「大袈裟だよ、晴斗ってば」
「大袈裟なものか。美天が僕を想いながら選んだくれた貴重なものだ」
「そこまで言われると、恥ずかしいよ・・・・・・じゃあ、晴斗からの贈り物も開けるよ・・・・・・?」
美天からの贈り物を想像以上に気に入ってくれた晴斗に、安堵と微笑ましさを覚えた。
照れ隠しに、晴斗からの贈り物へ眼差しを集中させた美天は、丁寧に開封していく。
片手のひらに収まる四角い包みは、小さいわりには重みを感じる。
真紅の包みから姿を現した、雪色の紙箱の蓋をそっと開けた瞬間、美天は歓喜の溜息を零した。
「可愛い・・・・・・! これは、
「そうだよ。美天に似ていたから。気に入ってくれるといいな」
蓋には、小さな双子の天使が紺碧の星空を翔る絵が描かれている。
精巧な造りと愛らしいデザインに、美天は一眼で魅せられた。
「似てるだなんて・・・・・・でも、本当に素敵・・・・・・私、すごく気に入った。ありがとう・・・・・・晴斗、嬉しい」
「ふふ、喜ぶのはまだ早いよ。蓋を開けてご覧?」
悪戯っ子らしい微笑みを浮かべる晴斗に、美天は首を傾げた。
クリスマスらしい素敵な仕掛けでもあるのだろう、と察した美天は、晴斗の企みに乗ってあげた。
期待に胸を踊らせながら、自動演奏箱の蓋を丁寧に開けた。
すると、予め
自動演奏箱の中央では、夜空の星々に囲まれて回り踊る双子の天使。
可愛らしい陶器の人形を見つめる美天は、言葉を失った。
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