『明けぬ夜の煌めき』②

 ※ここからは、いわゆる「性犯罪/性的暴行を受ける様子とその苦痛」を「匂わせる」描写があります。

 直接的表現ではなくとも、苦手な方・嫌悪感のある方は、ずっと下を勢いよくスクロールした先にある「★★★星印の文章」から、話の流れは読めます。

 お手数をおかけしますが、何卒ご理解をよろしくお願いいたします。





 仄闇ほのやみの内側から見る世界は、暗く湿っぽかった。

 女の瞳に映る全ては、凍りついたように緩慢になり、止まっているようだった。

 否、止まっていたのは世界ではなく、己の心だったと理解するまで、時間を要した。


 『おいおい、静かに大人しくしておけよ』

 『めんどくせーから、口も手足も縛ろうぜ』

 『お前ら、しっかり押さえておけよ』


 イヤ――イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ――!!!


 女が頭で考えるよりも先に、本能は叫んでいた。

 凄まじい恐怖と嫌悪感は、全身の筋肉を暴れさせた。

 男数人に四方から取り押さえられたら、非力な女一人では到底敵わない。

 呆気なく捕らえられた女の手首は縄で固く縛られ、両足は左右から押さえつけられ、口には猿ぐつわ代わりにタオルを押し込まれた。

 それでも、四肢と頭を激しく振って抵抗したのも一瞬だけだった。


 『マジで動くな叫ぶなよ・・・・・・本気でブッ刺す』


 夏色の闇で閃いた光を瞳に映した直後、汗乾きのブラウスの前を、縦一直線に引き裂かれた。

 薄布の真下に広がる薄い表皮を擦った鋭い感触、ひりつく微痛から、カッターで切られたのだと認識した。

 暴れたら、もっと痛い思いをする。

 そう思い至った途端、頭の天辺から爪先の体、心臓から脳にかけて心も急速に凍結していった。


 一方凍った瞳で不安定に燃える光、浅く激しい呼吸から女を蝕む壮絶な恐怖を見透かす男達は、舌なめずりをして笑っていた。

 球体人形さながら動かなくなった自分へ、男達の手は触手のように無数に伸びてきた。

 薄布の残骸を乱暴に引き裂き、剥かれた女は一矢纏わぬ人形にされた。

 しかし、人形にはない繊細で瑞々しい肌の柔らかさ、新鮮な汗が溶けた女の甘い香り、可憐な曲線を描く肢体が震える様に、男は劣情と加虐心をそそられた。


 『ね・・・・・・ねぇ、さすがにやばいと思うよ、田辺く・・・・・・』

 『うるせーよ、。子分が俺に指図するなよ。高校時代のお前のキモい写真を今すぐ投稿してもいいんだぜ?』

 『! や、やめてよ! それだけは・・・・・・それだけは』

 『分かったならぐだぐだ言わずにカメラ回しとけ』

 『えー、マジでやるの?』

 『私、帰ろうかな・・・・・・』


 男達の異様な雰囲気に、田辺の背後に控えていた庵土竜も、不穏を察した。

 しかし、おずおずと進言する庵土竜を、田辺は脅迫で黙らせた。

 男達の暴挙を傍観していた女子陣すら、怖気付いたように準備室から後退していく。

 てっきり、脅かして痛い目を見せるだけだと思っていた。

 しかし、暴走し始めた田辺率いる男達を止める者は、いない。

 下手に庇って邪魔をすれば、代わりに自分がひどい目に遭うのだから。

 傍観組が息を潜めて見守る中、薄汚れた床に転がった女の肢体へ、男達は虫のように集り、無垢な肉を貪っていく。


 イヤ、イヤ、イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤ――!


 怖い、こわい、コワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワい――!


 気持ち悪い、きもちわるい、キモチワルイ、キモチワルいキモチワルいキモチワルいキモチワルい――!!


 助けて、たすけて、タスケテ、タスケて! タスケてタスケてタスケてタスケてタスケてタスケて――!


 人形に成り果てた肢体をガクガク揺さぶられる女は、凍結した脳内で繰り返し聞いていた。壊れた音楽機みたいな己の悲鳴を。

 女の肉に群がってくる汚らわしい虫どもの、喜びせる鳴き声を。


 『っ、ぐっ、ぇっ、あっ、ぁっ! はっ、ふっ、ん、ぐっ、うっ・・・・・・! んぐうぅぅ・・・・・・っ!』


 小さな灯火さながら保っていた意識の中、閉ざされた口扉の内側に反響した

 女のは、確かに聞き届けた。

 自分の胎内で悦び咽せる、獣物の産声を。

 女のは、確かに見届けた。

 身を裂く激痛を超え、自分の胎内で産まれ落ちたを。


 それはまさに、変わり果てた女の姿をしていた――。


 *




 ★★★


 時刻は、既に午後十時――寝室と一体になっている四畳半の居間に、紅茶の芳しい湯気は漂う。

 暫し静寂を震わせたのは、隣の壁越しに繰り返し奏でられるAemirのメロディ、そして互いの息遣い。

 俯いていても伝わってくるようで、美天は何だか怖かった。


 『どうして、マンションあの場所にいたの?』

 『あんな場所で、誰と何をしようとしていたの?』

 『答えてほしい』


 晴斗の沈黙は、不安と戸惑いに満ちた視線、声にならない強い疑問を発している気がして。

 青百合駅へ下車した美天の手を掴んだ人物は、晴斗だった。

 晴斗曰く、最近夜に手伝いに行っている診療所は王百合駅付近にあり、偶然遠くから美天を見かけたらしい。

 晴斗は慌てて美天を追いかけ、何とか同じ電車に乗ったのだ。

 それならば、同じ電車にいることを、ライクで知らせればいいはずだ。

 しかし、あえてそうしなかった晴斗の不自然な行動、先程から無言な晴斗に、美天は嫌な予感を抑えられなかった。


 「晴斗・・・・・・?」

 「、見たよ」


 普段と変わらない物腰柔らかな口調で、晴斗は答えた。


 「いつから・・・・・・?」

 「美天が知らない男性と一緒に話しながら、駅の改札を通った所辺りから」


 事実を淡々と述べた声は、静かに澄み渡っていた。

 しかし表情が見えないのも相まって、不自然に静穏な物言いは、かえって美天を不安へ追いやる。


 「っ・・・・・・晴斗! 聞いて! 私・・・・・・」


 口を突いて出るはずだった言葉は何だったのか、美天自身にすら分からなかった。

 必死の否定か言い訳じみた弁解か、もしくは。

 いずれも、破局を招く呪文にしかならなくても、とにかく美天は自分なりの誠意とけじめを訴えたかった。

 たまらず顔を勢いよく上げた美天が、懸命に唇を開いた所で・・・・・・止められた。


 「・・・・・・」


 静謐に澄み渡る声は、耳朶を優しく撫であげた。

 なだめるような物言いに、突き放されたと。


 終わってしまった――絶望に胸を締め付けられた束の間。


 「晴、斗?」

 「もう、何も言わなくていいんだ・・・・・・美天」


 抱きしめられていた――付き合う前に、一度だけ抱きしめられた時と同じくらい優しく、それ以上に力強いぬくもりを灯して。

 晴斗の肩に顎を乗せて抱き寄せられている美天からは、彼の表情が見えない。


 「何があっても、僕は君を信じている」


 それでも、晴斗が優しく微笑んでいるのは、慈しむような声から不思議と伝わってきた。


 「美天が僕のそばにいてくれるだけで、幸せなんだ」


 嘘偽りのない純粋な言葉。

 無垢な子どものように、真っ直ぐで飾りのない台詞。

 晴斗の愛情と優しさが、雪のように浸透していく感覚に、心臓は熱くなる。


 「だから、君が一人で泣いて苦しむのは・・・・・・君が僕から離れていくことだけは、何より耐え難いんだ」


 あまりに嬉しくて、幸せに震える瞳が熱くなる。

 どうして、あなたは、どうして、そんな――。


 「晴斗・・・・・・ちゃんと分かって、言っているの・・・・・・?」

 「分かっているつもり」

 「いいえ・・・・・・晴斗は分かっていない・・・・・・! だって晴斗は知らないでしょう!? を! 私がのかを!」


 初めて声を荒げた美天に、晴斗は一度言葉を止めた。

 代わりに抱きしめていた腕を緩め、美天の顔を静かに見つめた。

 背中に回された両手だけは、離さないまま。

 ようやく、晴斗と真っ直ぐ顔を合わせた美天は、彼を睨んでいた。

 今まで美天自身が決して表には出すまいと抑えた、負の感情。

 憎悪と怒りに燃える眼差しで晴斗を射抜きながら、美天は心の内をほとばしらせた。


 「私はね、晴斗を裏切ろうとした! 否、裏切ったんだよ!」

 「・・・・・・」


 無言で見下ろす晴斗は、否定も肯定もしない。


 「大学時代の同級生の部屋を借りて! 男友達を紹介してもらって・・・・・・その人から、お金をもらおうとしていたんだよ・・・・・・?」

 「そうみたいだね」

 「当然ダダじゃないから、その見返りは・・・・・・分かるでしょう!?」

 「そうだね」


 晴斗の静穏な口調は、決して生返事や誤魔化しではないと感じた。

 ありのままの事実を冷静に理解し、容認している態度だ。

 しかし、波紋一つ浮かばない透明な眼差しは、美天の動揺と困惑を増長させた。


 「なら! どうして! あなたは私の家にあがって、私を抱きしめているの・・・・・・!? あなたがすべきことは、私をと怒り罵って! 二度と顔も見たくないと言って、立ち去ることでしょう!」


 今この瞬間、晴斗の真摯な優しさが、疑念に濁ってすらいない澄んだ瞳が、恐ろしくてたまらない。


 「僕はそんなことを望んでいない」


 晴斗の純真な愛情、陽だまりの言葉に、幸福で咽び震える心が罪深くて。

 あまりにも幸せで、畏れ多かった。


 「分かったでしょ!? 私がどんな女で何をしたのかを」


 罪を許されること、全てを受け入れられることに、おぞましい幸福を覚える。


 「でも、


 核心を突いた口調、美天の本心を見透かす微笑みで、指摘する晴斗。

 今度は直ぐに否定できなかった美天は、ついに言葉を失った。


 「僕は、これからも美天と一緒にいたい。初めての感情なんだ・・・・・・誰かと一緒にいて離れたくないと感じるのは、美天だけなんだ」


 力無く俯く美天を、晴斗は再び抱きしめた。

 今度は息苦しくなるほど力強い腕に包まれ、美天の瞳に涙が浮かぶ。


 「こんな、私でいいの・・・・・・?」

 「僕は美天がいいんだよ」

 「いつかきっと・・・・・・ううん、絶対、晴斗のことを傷つけて、失望させる時が来るよ・・・・・・?」

 「そんな日は来ないよ」


 蜘蛛の巣さながら張り巡らせた予防線の糸を、晴斗はことごとく断ち切っていく。


 「本当に・・・・・・嫌わない? ずっとそばにいてくれるの?」

 「ああ、僕を美天のそばにいさせてほしい」

 「たとえ、私がか知っても・・・・・・そう思える?」


 差し伸べられた光に目が眩むも、壊れる恐怖で頑なになっている心の手は、未だ掴もうとしない。


 「美天の過去は、まだ知らない。だろう?」


 晴斗が示した揺るぎない事実に美天はハッと息を呑んだ。


 「美天も僕の過去を知らないけど、僕を好きになってくれた。それが何よりの証だよ・・・・・・」


 言葉として奏でられた晴斗の想いは、悲しみの網を浄火し、傷ついた心には雪のように優しく澄み溶けていく。


 数年前とは、違う――今まで想像すらできなかった。


 男の悪意と欲望の餌食にされた末、処女でありながら邪欲に堕ちた自分。

 裏切られた憐れな恋人に罵倒されても仕方のない罪に穢れた。

 まさか、こんな女を優しく抱きしめてくれる人がいるなんて。


 「たとえ、美天が美天自身を嫌いでも、僕は美天が好きだ――」


 悲嘆に濡れた瞳へ降りる唇が囁く想い。

 白百合の花びらのように清らかなぬくもりに、浄化されていくよう。


 「――晴、斗っ」


 もう、この人しか考えられない。

 抱きしめてくれる温かい手を、もう離したくない。

 躊躇や恐怖よりも先に、両手が広い背中を抱きしめ返した。

 言葉よりも、涙は克明に物語る。


 たとえ自分を許せなくても、晴斗だけは変わらない。

 自分や他人を信じられなくても、晴斗だけは信じる。

 晴斗だから、信じられる・・・・・・。


 「晴斗・・・・・・晴斗、晴斗っ・・・・・・晴斗ぉ・・・・・・っ」

 「――」


 堰を切ったように泣きじゃくりながら晴斗を呼ぶ。

 

 長らく迷子だった子どものように震える美天を、抱きしめる晴斗は、柔らかく微笑んでいた。



 ***続く***

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