五章

一歩一歩進む度、木が軋む音がする。廊下を進み、止めることなく歩み続ける。今度はもう眠ってやらない。お前らを見つけてやる。ここから出さないなら、首を絞めて殺してやる。

気がついたら笑っていた。着物が濡れているのか、時折ぐちょぐちょした音が足元から聞こえてくる。

数日間過ごしたせいだろうか。爪が凶器のように伸びている。ちょうどいい、これで拷問して吐かせてやろう。

笑いが止まらない。なんだか前よりも笑いやすくなった。口が大きくなり、歯も増えている。これ以上強くなれるのか。願ってもないことだ。もっと、もっと私を崇めろ。勝てないと理解して恐怖に慄け。跪け、崇めろ。そんな弱い子羊のような体など、今なら一突きで事切れるだろうな。私は弱いものが嫌いだ。なぜ戦わずして守ってもらえると思っている。人を傷つけずめそめそ泣くだけの人間が偉いのか。戦わない弱虫を守るんじゃない。そんなもの何の役にも立たない。

障子を爪で破って、襖に体をぶつけて吹っ飛ばす。出てこい。私には勝てないのだと教えてやる。とても気分がいい。私はこの力が欲しかったのだ。誰もが平伏すこの力を。もっと前から所持していれば、気に入らないやつを殺せたのに。それが憎たらしい。今から惨たらしく殺してやるから待っていろ。どんな命乞いも聞いてやらない。どんな言葉も届かない。だってほら、もう耳がこんな風になってしまった。天井を突き破りそうなほど立派な角だ。なんておかしいのだろう。こんなに愉快な体験はしたことがない。ああ気分がいい、気分がいい……。


どこかで嗅いだ匂いだ。確か祖父の家だっただろうか。幼少期はこの家で和服を着て過ごしていたような気がする。

それは本当に私なのだろうか。私の記憶なのだろうか。今となってはもう分からない。記憶がないなら責任を取らなくて良いのだろうか。許されるのだろうか。

体を動かせない不自由に息苦しくなる。相変わらず木目は渦巻いて、こちらを睨んでいる。こんなものにまで恨まれているのだろうか。

笑おうと思ったら口に布が噛ませてあった。キツく結んでいるらしく、頭の方では髪が巻き込まれて痛みを感じる。

目線を下げて体を確認すると、もう見慣れた着物をいつものように身につけていた。そういえば縄で縛られるのは久しぶりだろうか。初日以来だったか。

それを解く気にならず、しばらくそのまま畳の上に転がされていた。目的がもうない。向かいたい場所も、確認したい景色もない。

這いずり回っているうちに、障子が開いていることに気づいた。

――月だ。この世の全ての光を奪ってしまったのかと思うほどの強い銀色。それが顔を照らしていた。寸分の狂いのない満月は遠近感を可笑しくさせ、いますぐこの場に落ちてくるのではという気にさせる。

どうせなら消してほしい。しかしもうそんな願いを口に出すことすら虚しい。

やっと理解したのだ。本当の牢獄の意味を。私は気が狂わないのを強い事の証明だと、いつか思ったことがある。そんなものは無駄でしかなかった。こんな状況狂ってしまった方が良いに決まっている。

あとどのくらいだ。ここから出る条件などあるのか。なぜ私は死なないのか。こんなことはおかしいじゃないか。一滴も水を口にせず生きている。胸に手をやれば呼吸の為に上下しているのが伝わってくるし、鼓動も動き続けている。体をぶつければ痛みがある。走れば風を感じる。これほどまでに人間なのに、生きているのに何故だ。なぜ死なない。

私はもう既に死んでいるのか。ならもっと救いがない。ここが地獄だと言うのか。これが私の罰なのか。ここが私の地獄か。

誰かの罰を身代わりしているんじゃないだろうか。誰かと間違ってやしないか。そうだとしたら堪らない。そいつに同じ苦しみ与えなければ気が済まない。

じっと耳を澄ませていると、どこかから唸り声が聞こえてくる。まただ。もう何度も経験しているはずなのに、また恐怖心を感じる。一気に汗をかき、緊張で息が不規則になる。不安で頭がおかしくなりそうなのに、けしてそうはならない。

来る、今度こそこっちに……どうせなら食ってほしい。殺してほしい。絶対そうならないことは分かっているのに願ってしまう。頼むからここから出してくれ。終わらせてくれ。死なせてくれ。

バタバタと走り去る音。小さな笑い声。手形が障子にくっついて、消え、また見ると復活していて、また見たら消えている。

誰かが笑っている。頭の周りを回っている。嘘だ。そんなことは起きていない。子供達が殺そうとしてくる。箒や雑巾をぶつけてくる。いや、そんなことは……起きて、起きたのか。

見えない。前が見えなくなった暗くなって……蝋燭が髪を燃やしている。熱さを感じないのに痛い。心臓が痛い。もうすぐ死ねるだろうか。

ああ、また聞こえてきた。化け物だ。色んな化け物をくっつけた、子供達の工作のようなバカみたいな化け物。何が鵺だ。そんなものいない。いや、いる。ほら、そこに来てる。追いかけて殺してほしいのにできない。体が震え上がる。これが本当に私なのか。

永遠の牢獄は終わらない。それだけ、それだけははっきりと分かる。誰も私を殺してくれないことも。

誰も救ってくれない……。




地獄は続く。永遠に、永遠に、囚われる。無間地獄。いくら足掻こうとも、蜘蛛の糸は垂れてこない。



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膕館啻 @yoru_hiiragi

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