学校卒業してうんぬん年、今となって読書感想文を書いてみた

雪月華月

第1話 宮沢賢治のやまなしを読んでみて

 子供の頃から何度も読んできたやまなしを読み、さまざまな解釈をWEB記事で見ましたが、私にとってこの物語は、宮沢賢治の心の中にある「うつくしい世界」を描いた作品ではないかと思いました。


 宮沢賢治は岩手を愛した作家であり、さまざまな作品で、美しい光景が描かれています。いくつかの作品に触れていますが、その中でも特出してやまなしは美しいなと感じてます。


 この美しさはどこから来ているのだろうと考えると、それはさまざまな記事でも書かれている、五月と十二月の対比がまずあげられます。カワセミがカニの兄弟の前で魚をとり、同時にクラムボンは死ぬという荒々しい事態、お父さん蟹が不安をなだめようとしますが、蟹の兄弟は不安を隠せません。逆に十二月は五月と違って、寝る時間になるほど深い夜に、やまなしが落ちてきて、それが美味しいお酒になること、イサドに行くことが語られ、楽しい結末を迎えます。特に十二月の光の描写は、まさに宝石のようで美しいです。


 五月の昼だろうが関係なく、自然の厳しい弱肉強食が行われ、十二月のお祭りのような実りの豊かさ、親子のやりとりの温もり。この対比が、宮沢賢治から、生み出されてから何十年経っていたとしてっも、人の心を引き付けるのではないでしょうか。


 同時に私がこの作品にとても惹きつけられるのは、美しい世界が描かれているだけではなく、温もりが宿っていることだと思います。昔読んだ本で宮沢賢治とその父親のことが少し触れられていたのですが、宮沢賢治とその父親は、信仰が違っていたことから、関係がいいとはいえませんでした。しかし父親は家父長制が強かった時代において、子どもの賢治を愛し、支えてきました。


 正直宮沢賢治は聖人かといえばそうでもなく、ダメ息子といえる面もあると思います。だけど父親と信仰や考えが違っても、父親の愛情が分からない人物ではない、とやまなしを読んでると感じています。

 ただ、蟹の親子のように、シンプルなやりとりができなくなるのも、また人間なのかなとも。


 宮沢賢治はやまなしを通じて、死と豊饒に満ちた自然を美しく描きながら、自分にとって「美しいつながり」も描いたのではと私は考えました。そしてこの温もりある美しい作品であるからこそ、ずっと残り続け、今なお私の心を惹きつけるのではないでしょうか。

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