巡楽師ディンクルパロットの日誌

灰崎千尋

王国歴584年より抜粋

白浪花しらなみはなの月 6日〉

 王都にも芽吹きの歌が聞こえてきたので、そろそろ旅立つことにする。


『読み書きのできる者は今後、口頭ではなく日誌によって業務の報告をするように』とのお達しなので、渋々ながら筆をとった。


 横笛はふところに、こまごまとした荷物を詰めた革袋と竪琴を背負い、腰から小さな太鼓を下げる。我ながらこの旅姿は節操のない芸人のようだが、いつどんな音が必要になるかわからないので仕方ない。イナゴの数を減らすには竪琴をかき鳴らすし、水の乙女たちと話をするには恋の歌で気を引く必要がある。

 全ての生き物は互いに影響し合って和声ハーモニーをつくる。それを聞き取れる人間だけが巡楽師じゅんがくしとなるのだが、その和声ハーモニーも均衡が崩れればが生じる。少しの不協和音は刺激になるが、意図しないズレが続けば害にもなる。そうしたを解決に導くために音を奏でるのが、私の仕事だ。


 巡楽師は数が少なく、あまり仕事の中身を知られていないので、一応書き記しておいた。吟遊詩人は自らの歌や物語を伝え広めるために歌うし、何より自由だが、私たちは国王の命を受けて、この国の調和のために歌う。巡楽師もまた役人のようなものなのだ。

 『トゼカステ人は産声うぶごえにすら旋律がある』という冗句じょうくがあるほど、音楽を愛し、音楽に愛された我が国だからこそ巡楽師が生まれるというが、他の国では魔女や呪術師がこの手の仕事をしていると聞く。いつか見に行ってみたいものだ。


 この猥雑わいざつ和声ハーモニーと共にしばらくおあずけだろうから、王都名物『ばち焼き』を食べた。太鼓のばちを模した細長い堅焼きの菓子に木の実が練りこまれていて、齧ればパリポリと小気味良い音がする。香ばしくてうまい。



白浪花しらなみはなの月 20日〉

 行程は順調。少し風が強いが、聞こえる音は朗らかだ。


 この日、『緑の海』と呼ばれる丘に着いた。

 見晴らしの良い丘に青草が生い茂り、その合間に白浪花しらなみはなの白が幾筋も通る。この花は線を描くように増えていくので、そのさまが海の白浪とたとえられているのだ。葉擦れの音は波に似て、しおの匂いの代わりに甘い香りが漂う。

 暦の名の通り、花の盛りのうちに来ることが出来て良かった。


 丘を下りていくと、荷馬車を引く若者に声をかけられ、彼の祖母への荷物を預かる代わりに次の町まで乗せてもらった。宛先は少し先の村だが、今回の通り道だ。


 若者が教えてくれた宿に入り、女将おかみ自慢の一品、一角羊イッカクヒツジの煮込みを食べた。ぶつ切り肉をじっくり煮込んでいるようでパサつきもあるが、香草の組み合わせが良く、うまい。




虹待魚にじまちうおの月 11日〉

 雨が続く。この山間やまあいの小さな村から動けずにいる。


 今日は村の子供から、遊び歌を一つ教えてもらった。生まれては消えていく流行り歌などを収集するのも私の仕事。

 訪問者の少ない村で、子供たちには始め随分警戒されたものだが、今では「ディンクルパロット、何してあそぶ?」と誘ってくれるまでになった。

 彼らにとっては、私の名前が面白いらしい。自分でも気に入っている。「ディン」と濁って勢いよく始まり、「クル」で舌を丸め、「パ」の破裂音を挟んで、「ロット」と舌の反動で歯の裏を打ち軽やかに終わる。口に出せば晴れ晴れとした気持ちになる響きで、とても良い。私の父が考えた名前なのだが、言葉の意味は全く無く語感だけというのがまた、私にぴったりだと思う。


 泊めてもらっている家で、何度目かの三日月豆ミカヅキマメのスープをいただいた。冷たい雨の日も温まる。




虹待魚にじまちうおの月 25日〉

 山越えの最中、地の底から乱れた音が聞こえてきた。静謐せいひつ和声ハーモニーを濁らせる悲痛な声。まだ遠いが、それに怯えた者たちのざわめきが山中に広がっていた。

 私は横笛で『森の朝』を吹くことにした。鳥の声に始まり、葉を濡らす朝露、眩しく光る朝日を表す美しい曲だ。この混乱を収めるには、彼らの日常に近い音が必要だろう。

 この試みは成功し、山に棲む者たちは徐々に落ち着きを取り戻した。


 そして、私の音にこたえてくれる者もあった。

 女性の姿の精霊が一人、木陰から現れたので、先ほどの声に心当たりがないか尋ねてみた。しかし彼女は首を横に振る。


「これは木の根も届かぬ場所のこと。太陽の沈む方へ、二つの川と原を越えた先。さて、人の手に負えるものかどうか」


 そう答えられたので、「それを確かめるのも、私の仕事。ご協力を感謝します、緑深きかた」と礼を言って別れた。いま得られる手掛かりとしては十分だ。ちょうど西を周るつもりでいたのだし。


 夕陽鱒ユウヒマスの燻製を食べきってしまった。嵩張かさばるのでたくさんは持ち歩けないのが残念だ。軽く炙って川三つ葉を乗せ、黒パンに挟んで食べるのが特にうまい。




双頭蛇そうとうへびの月 3日〉

 ようやく『黄金原こがねがはら』に辿り着いた。広大な畑に麦が実り、一面が金色に染まっている。


『緑の海』の近くで預かった荷物も渡すことができた。

 道中でいたんでいないか心配だったが、若者から祖母への贈り物は無事のようだった。中身は一角羊イッカクヒツジの毛で織られたショールで、鮮やかな青が『黄金原こがねがはら』によく映える。

 ご婦人は顔をほころばせて、柔らかな毛織物を静かに抱きしめた。それを確認して立ち去ろうとしたところ、彼女はかすれた優しい声で歌い始めたのだった。


「ねむれ ねむれよ いとしい子

 広げた翼の屋根の下

 あたたかな大地のゆりかご

 いつか はばたけ いとしい子」


 聞いたことのない子守唄だ。懐かしそうに微笑むご婦人に、私は歌の詳細を尋ねた。


「火のお山の麓の、古い歌さ。あそこでも忘れられかけていたし、わたしもこの集落へ嫁いでしまったから、もう他に覚えている人もいないかもしれないね。でもわたしはなんだか気に入っていて、娘や孫によく歌ってやったんだ」


 私はその歌をもう一度歌ってもらい、しっかりと譜面に記した。

 不思議な子守唄だ。その旋律は赤子を寝かしつけるにはどこか勇ましさがあり、歌詞も雄大な広がりを感じさせる。

「火のお山」とは、ここからさらに西、国境近くの火山のことだろうか。当初のルートからは外れるが、精霊の助言とも合うので調べに行くことにする。


 大地を介して聞こえる、苦しげな声。地震ではないので人々はまだ気づかないだろうが、目に見える異変が現れるのは時間の問題かもしれない。


 領主の館が近かったので、挨拶と注意喚起を兼ねて訪問したところ、食事と寝床を用意してくれるというので、ありがたく世話になる。

 代わりに晩餐で何曲か披露した。どうやら古風な舞曲がお好みらしい。

 白髭牛シロヒゲウシのパイ包みも素晴らしかったが、やはり白パンは格別だった。黒パンのような酸味や雑味のない豊かな麦の香りと、もっちりふかふかの食感がたまらない。




双頭蛇そうとうへびの月 9日〉

 火山の麓の村は、不穏な空気に満ちていた。

 もはや誰の耳にも聞こえる地鳴り。みな怯えと混乱でちぐはぐな音をぶつからせていて、悪酔いしてしまいそうだ。これはの大元から解決しなければ。


 まずは村長に会った。私が巡楽師だと名乗ると、あれこれ話してくれた。

 十日ほど前、村では祈りの儀式をしたのだという。遠い昔、この辺りには嵐や怪物から人々を守る神がいたのだが、ある時を境に姿を消してしまったので、その無事と帰りを願うものだそうだ。今回も例年通りにおこなったはずなのに、その儀式以来、山がお怒りらしい。

 これだけではまだ何とも言えない。取り急ぎ避難は進めるべきだろう。私もできる限りのことはするが、もし噴火したなら、この村は近過ぎる。音楽には力があるけれど万能ではない。私ではこの村を守れないのだ。

 そう伝えると、村長はハッとした顔になり、村人たちに指示してくる、と出て行こうとした。それを少し引き止めて、黄金原こがねがはらで聞いた子守唄について尋ねてみたが、村長は古い歌だということ以外、あまり知らないようだった。


 私は一度村を出て、より火山に近い、岩がごろごろと転がる原野げんやまで歩いた。

 片足を二度、大きく踏み鳴らして合図をし、太鼓を叩いて、大地の小人へ挨拶する。彼らも困っているのか、今回はすぐに顔を出してくれた。


「おこってる」「りゅう」「ちのそこ」「こわい」


 わらわらと現れて、ポコポコと足を鳴らしながら、彼らは口々に言う。「何故、怒っている?」と尋ねたが、彼らはウーンと首を捻るばかりだった。そこで「私、竜、会える?」と訊いてみた。すると彼らはヒソヒソと相談しはじめ、私はそれが終わるのをじっと待った。


「りゅう、だいじ」「たすける?」「たすかる?」


 私はただ、「助けたい」とだけ答えた。彼らは顔を見合わせて、こくりと頷いた。


「つき、でるころ」「また、こい」


 そう言うや否や、彼らは姿を消してしまった。


 さて、竜に会うことにはなったが策はない。今や小型の飛竜ひりゅうしか見ることのない、伝説的な生き物。いったい私に何ができるだろうか。しかしあの声を聞くと、何もせずにはいられない。

 この顛末てんまつをちゃんと日誌に残せると良いのだが。


 村へ戻り、大事に取っておいた蜂蜜パンを食べて、夜に備えることにする。優しい甘さと柑橘の香りが、心を落ち着かせてくれる。




双頭蛇そうとうへびの月 10日〉

 いやはや、何から書いたものだろう。

 取り急ぎ、順に思い出していこうと思う。


 昨夜、再び火山へ向かおうとしたところ、見回りに戻ってきた村長に出くわした。私が「山の地底にいる竜に会いに行く」と伝えると、村長は息を吞んだ。

 かつてこの地にいた神というのは、巨大な竜の姿をしていたのだという。村長は「まさかずっとここに」「しかしそれならば何故」と混乱していたが、やがて「よろしく頼みます」と頭を下げた。


 昼間と同じく呼びかけると、大地の小人が何人も現れた。

 彼らは私をぐるりと囲み、独特なステップを踏みながら呪文を唱えだす。小さな足が一斉にドンと大地を震わせ、そのリズムは心音と呼応するように高鳴っていく。やがて私の体は、見えない鎧に包まれたように重くなった。守りのまじないだ。

 続いて彼らは、ステップに加えて手を叩き始めた。すると手拍子に呼ばれた土や岩が寄り集まって、みるみるうちに大きな蛇の形になる。

「いそげ」と追い立てられるままその背にまたがると、蛇は身を躍らせて地面に勢いよく突っ込んだ。蛇は土の中を泳ぐようにぐんぐんと進んでいく。小人のまじないのおかげで、息もできるし、石が肌を裂くことも無い。

 どれだけの深さを潜っただろうか。火山の中心へ近づいているのは、徐々に増していく熱と濁った音でわかった。蛇の頭は岩盤すらも貫き、必死にしがみついているうちに、開けた空間へ転げ出た。


 そこはぽっかりと空いた洞窟のような場所で、足元には赤々と燃えるマグマが広がっていた。その明かりに照らされるように、巨大な竜が窮屈そうに体を丸めていたのだった。

 私はしばし呆然とした。マグマの上に何か透明な層があるようで、蛇の背を降りても平気だった。小人の守りがあるとはいえ、暖炉の炎ほどの熱しか感じない。

 そんなことができるのはおそらく、目の前の竜だ。艶やかな黒い鱗に覆われた体が山のようにそびえ、その爪は鋭い。しかし見たところ翼は無く、その名残のような突起があった。この竜の発する音の悲痛なこと。

 とその時、竜が目を覚ました。派手な侵入だったので当然の結果だが、開いた目は妙に小さい。尻尾がぶんと振られ、その一撃で土の蛇が砕け散った。だが私の存在は把握しきれていないらしく、周囲を嗅ぐように頭を振り、牙を剥き出して低く唸った。

 そのとき私の口から、あの子守唄が自然と零れ出た。


「ねむれ ねむれよ いとしい子

 広げた翼の屋根の下

 あたたかな大地のゆりかご

 いつか はばたけ いとしい子」


 今こそ歌うべきだと、何故だか私には確信があった。そして実際、黒い竜は動きを止め、耳を傾けるように私へじっと顔を向けた。私は繰り返し歌った。竜へ届くように、なだめるように、寝かしつけるように。

 やがて竜は「嗚呼そうだ、思い出した。思い出したぞ」と確かめるように言った。


「しかしお前は火の山の匂いがしない。この歌を知るお前は誰だ?」


 そう訊かれたので、「私はディンクルパロット、この国を巡りながら音のを調律する者。旅の途中、この歌とあなたの苦しむ声を聞きました」と名乗った。「何があったかうかがっても?」と尋ねると、「長い話になる」と次のような話をしてくれた。


 この国ができるよりもずっと前から、竜は火山のそばに住んでいた。やがて人間たちがやってきて鬱陶しく思っていたが、不快な嵐を吹き飛ばしたり、縄張り争いで勝ったりするうちに、勝手に人間が崇めるようになった。だからといって竜が特別何かをしてやることもなかったが、退屈しのぎに人間を眺めてしばらく過ごしていた。そのうちに「人間はもろく、はかなく、愚かだ。わしとは何もかもが違う。それがどうにも愛おしい」と思うようになったのだという。

 だがある時、火山の噴火が近いことに気づく。村を守ることはできるかもしれないが、溶岩と灰で周囲は一度死に絶えるだろう。それに噴火は一度で終わりはしない。それならば、と、竜は自らが火山のくさびになることを選んだのだ。

「その頃にはもう、人は人の世で生きることを始めていた。古い神など忘れて生きれば良い、そう思っていた」と竜は語った。そして願いを込めた子守唄を歌い、人々が寝静まった夜、まだ翼のあった竜は火口に飛び込んで火山をも眠らせたのだった。

 だがこの竜は、脱皮を繰り返すことによって不老不死に近い力があった。そうして使わなくなった翼と目が退化し、記憶もまた薄れてしまった。ふと目覚めたとき、竜は何故火山にとらわれているのかわからなくなっていたが、人間の呼ぶ声は聞こえたのだという。そこで火口から出ようともがくも叶わず、当てのない恨みがつのうめいていたのだ。


「村人は避難させています。今ならば私の通ってきた道で共に出られるでしょう」


と提案したが、「これがわしの役目だ」と黒い竜は断った。粉々になったはずの土の蛇は、いつの間にか元通りになっていた。


「忘れろと思っていたのに、忘れたのはわしの方だった。世話をかけたな、人の子よ」


 そう言って背を向けた竜に、私はこう呼びかけた。


「次の儀式からは、あの子守唄を歌ってもらいましょう。あなたを呼ぶ声が聞こえたのなら、歌もきっと届きます。それがあなたの重荷にならないなら、ですが」


 しばらくの沈黙の後、竜は「頼む」とだけ言い、眠りについた。

 空気が澄んでいくように、清らかに整った和声ハーモニーが一帯に戻ってきた。どうにか一仕事終わったのだ。


 その後は来た道を戻り、報告をして回った。

 小人は無邪気に喜び、今回の対価は要らないと気前よく去っていった。

 村長は本当に竜が生きていたことに驚き、儀式に子守唄を取り入れるという提案を快諾してくれた。そしてこの後、私のためにうたげを開いてくれるらしいので、覚えているうちにこの日誌を書いている。


 正直なところ、今すぐ寝床へ横になりたい気持ちもかなりあるが、赤角鹿アカツノジカの串焼きを振舞ってくれるというので楽しみだ。


 それに、今はこの幸福感に満ちた和声ハーモニーをもう少し聴いていたいと思う。



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