第6話

 その日はいつもとは逆に佐助が外へ出かけていて、浪漫が店番をしていた。とは言っても浪漫は店に居るだけで、特に何か出来る訳ではない、役に立つ時はとても限られていて、客に対しての冷やかしやからかいを楽しんでいる。佐助は本気で喋る置物の様に思っていた。

「浪漫さんただいま」

 買い出しを終えて店に帰ると、浪漫が玄関まで出てきて出迎えた。

「遅いぞ佐助、吾輩をいつまで待たせるつもりだ?」

「そんなに経ってないだろ、お望みの物買ってきてやったぞ」

 そう言って佐助は鞄から鰹節を取り出して浪漫に渡した。

「おほほ、これこれこれを待っていたんだ。よくやった佐助、褒めてつかわす」

 浪漫の偉そうな言い分を佐助が咎める間もなく、鰹節を咥えてとっととどこかに行ってしまった。どうしようもない奴だとため息をついて、買ってきた物をキッチンに並べる。牛乳に卵に砂糖、バニラエッセンスを置いた時に、浪漫が何処かから戻ってきた。

「浪漫さん、いつもいつも鰹節何処に隠しているんだ?」

「戯けが吾輩が財宝の在り処を言う訳なかろう」

「戯けは浪漫さんだ、俺は削ってもない鰹節はいらない」

 それでも浪漫は舌をべっと出して、言う気はないとアピールする。これ以上相手にするのも無駄なので、佐助は仕込みに戻った。

「何を作るのだ?」

 材料を見て浪漫が問いかけてくる。

「ミルクセーキだ。簡単に作れるぞ」

 卵で遊びだしそうな浪漫から急いでそれを取り上げて、卵を割って卵白と卵黄を分ける、ボウルに牛乳を入れ、そこに砂糖と卵黄を加え泡だて器で混ぜ合わせる。バニラエッセンスを少しだけ振り、かき混ぜて完成だ。

「何だ作業はそれだけか?」

「何だとは何だ、お客さんの品物だぞ」

 浪漫は思ったより少ない工程で出来上がってしまったので、つまらなそうにそっぽを向いて尻尾をだらりと下ろした。失礼な猫又目がけて輪ゴムを飛ばそうと佐助が狙いを定めていると、店の玄関が開く音が聞こえた。

「いらっしゃいませ、ようこそ月来香へ」


 現れた老齢の女性は、白杖を手にしていた。この店を訪れる客は必ず初めての場所になる、困ったようにきょろきょろと顔を動かしている。佐助が動こうとした時に、先に浪漫が老婆の足元へと向かった。

「ご婦人、吾輩の声は聞こえるかね?」

「え、ええ聞こえるわ」

「それはなにより、吾輩が席まで案内をしよう」

 そう言うと浪漫は白杖に尻尾を巻き付けた。少しずつ引きながら、こっちだ、そうそう、椅子が分かるかと声をかけながら、浪漫は老婆を席に座らせた。

「ご丁寧にありがとう」

「いえ、この程度お安い御用です」

 それだけ言うと浪漫は空いている椅子にぴょんと飛び乗った。

「月来香へようこそ、このお店は、今あなたが一番必要としている物が手に入るお店、ルールは一見さん以外お断りとシンプルです」

 佐助の説明を聞いて、老婆は困惑しながらも頷いた。

「私今日は久しぶりに散歩に出かけたの、そうしたら何だか懐かしい香りがして、気がついたらこのお店の扉を開けていたわ」

「そういうこともあろう、世は不思議で満ちている。ご婦人吾輩の手を握っていただけるかな?」

 浪漫が老婆の近くまで行き、手を差し出す。浪漫の手を握った老婆は、驚きの声を上げた。

「あら、あなた猫なのね?」

「より正確に言えば妖怪猫又である。名を浪漫と申す」

「この年になって、まさか本物の妖怪さんに出会えるなんて思ってもみなかったわ。それにとっても紳士的で素敵ね」

 浪漫は老人や小さな子供、何かしらハンデを抱える者には格別に優しさを見せる。普段客をからかったり冷やかしている姿とは比べ物にならない程に優しくて穏やかだ。

「私は松本梅子まつもとうめこって言うの、よろしくね素敵な猫又さん。そしてええと」

「店主の佐助と言います」

「ありがとう、よろしく佐助さん」

 一通り挨拶を交わして、佐助は本題に入る。

「それで松本さん、あなたに今一番必要な品物はこちらです」

 佐助は先ほど作ったばかりのミルクセーキをグラスに注いで、ストローをさして松本の前に置く、松本がそれを受け取るまで手で支えて、両手でしっかり握ったのを確認すると、佐助は手を離した。松本がそれ口にすると、驚きに歓喜の色が混ざった声を上げた。

「ああ、懐かしいわミルクセーキね。とても美味しい、母がよくおやつに作ってくれたのよ、これはその味にそっくりね」

 松本は喜んで、あっという間にミルクセーキを飲み干してしまった。

「ごちそうさま、とても美味しかったわ。それにすごく懐かしい気持ちになれた。幸せな気分で一杯よ」

「ありがとうございます。何よりのお言葉です。それでお代なのですが、こちらも少々変わっていまして、松本さんのこのミルクセーキに纏わるお話を伺う事が対価になっています。お聞かせ願えますか?」

 松本は「変わってるのね」と言った後、あまり面白い話は出来ないと思うと前置いて話し始めた。


「私の母はよくおやつを手作りしてくれたのよ、自分がお菓子作りが好きだったのもあるけど、私が喜ぶ顔が見たかったと教えてくれたわ」

「素敵なお母様ですね」

 佐助の言葉に浪漫もうんうんと頷いた。

「ありがとう。私はそんな母の作るおやつの中でも、ミルクセーキが一番好きだったの、母はあまり手がかかる物じゃないって、少しだけ不満げだったけど」

 そう言って松本はフフフと笑う、母の顔を思い出して、思わず笑いが込み上げた。

「それでも私がねだるものだから、母はよくミルクセーキを作ってくれた。不満げな母と違って私は嬉しくてたまらなかったわ。簡単な作業だから、その内手伝わせてくれるようになって、ミルクセーキだけじゃなく、色々なお菓子を母と一緒に作ったのよ」

 洋菓子に和菓子、様々な種類のお菓子を一緒に作ったと言う松本、その過程で母から沢山のレシピを教わったと語った。

「私が結婚して、子供が出来て、私もその子供に出来るだけ手作りのおやつを沢山作ってあげたの。母がくれた手作りおやつが大好きだったから、自分の子供にもしてあげたかった。そうしたらこれがまた可笑しくて、私の子もおやつの中でミルクセーキが一番好きだって言うの」

 松本は楽しそうに笑い声を上げて話す。その様子を、佐助も浪漫も同じく楽しい気持ちで見守った。

「何だか嬉しかったわ、母から私、そしてその子供に絆が受け継がれていく様で、とても嬉しかった。母は、残念だけど老衰で亡くなったわ、寂しいけど仕方のない事よ」

「生あれば必ず死が訪れる、母君は立派に生きたのであろう」

「ありがとう浪漫さん、そう言って貰えると嬉しいわ」

 一間おいて、松本はふうとため息をつく。

「私の目はね、最初から見えてなかった訳じゃないの。目の病気でね、見えなくなってしまったわ。でも私それも仕方ない事だと思うの、だからそれほど落ち込むことなく受け入れたわ。だけど、見えなくなってしまって、母が写っている写真とかが見れなくなってしまって、私の記憶からいつか消えて居なくなってしまうんじゃないかって、最近そう思うようになったの、そしたら怖くて、少し塞ぎ込んでしまったわ」

「そうだったんですか…」

 佐助の声色が少し暗かったのを察した松本は、笑顔で佐助に話しかけた。

「佐助さん、ありがとう。とても感謝しているわ、あのミルクセーキを飲んだ時、思い出の中で母に出会えた。母はいつだって、私の記憶と心の中に生きていたのね、いつだって会う事ができるのよ、私、それを教えてもらったわ」

 松本が手を差し出す。佐助がその手を握ると、松本はそれを両手でしっかりと握りしめて、もう一度お礼を述べた。

「浪漫さん、あなたにもお礼を言わせてね」

「目は見えずとも、あなたは確かに今を見つめて生きておられる。吾輩こそ出会えてよかったと心から感謝する」

 浪漫が松本の手元にすり寄り、松本は手探りで浪漫を撫でた。気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らして、触れ合った。


 松本を店の外まで付き添って見送り、別れを告げる。松本はもう一度礼を述べて、しっかりとした足取りと杖捌きで、ゆっくりと帰って行った。

「おい佐助、吾輩もそのミルクセーキとやらを飲みたくなったぞ」

「そう言うと思って材料は多めに買っておいたよ、作ってあげるから一緒に飲もうか」

 佐助と浪漫は店の中へと戻る、月来香の玄関の扉は閉まり、また次の客が訪れるのを静かに待っている。

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