第5話

 今朝から降り続いている雨のせいで、外に出られない浪漫は不満げに窓から外を眺めていた。落ちる雨粒、窓につく水滴、屋根を鳴らす音、浪漫は雨の風情も理解するが、外に出たい気持ちとは相反するものだ。腹いせに窓に肉球の跡をべたべたとつけてから店内の方へと行く、佐助がカウンター内で何かを拭いているのが見えた。

「佐助よ、何を拭いておる?」

 机の上に飛び乗って佐助が拭いていた物を見ると、それは古めかしい手鏡だった。

「それが今回の品物か」

「そうだよ、でもこの手鏡ちょっと変わってるんだ」

 そう言うと佐助は手鏡を浪漫の方に向けた。鏡には浪漫の顔が映っている。

「どこが変わっておるのだ?吾輩の素敵な顔が映っているだけではないか」

 浪漫がそう言った後、佐助は自分に鏡を向けて浪漫をちょいちょいと手招きする。浪漫が鏡を覗き込むと、そこには佐助の顔は映っておらず、覗いている浪漫の顔しか映っていなかった。

「この鏡は生者を映さない、浪漫さんみたいな妖怪や死者を映す鏡だ」

「ふうむ、不思議だ。しかしこれを求める客とは一体どんな者だ?」

「さあてそこまでは分からんね、まあ待ってみようじゃあないか」

 浪漫は鏡を見つめながら自分の髭の具合を確認する。それは商品だと佐助が咎めていると、店の扉が開かれた。

「いらっしゃいませようこそ月来香へ」


 店を訪れたのは背の高い男性だった。外の雨模様など構わないように傘を差さずに、着ているコートと帽子をずぶ濡れにしている。店の入り口でコートと帽子の水を払って、すぐ近くに置いてあるコート掛けにそれぞれ掛ける、そしてカウンターテーブル前の椅子に座ると話し始めた。

「ここが望む物が手に入るという店か?」

「まあ大体合ってます。この店の話を知っていると言う事は、ルールもご存知ですね?」

 佐助がそう聞くと男は頷いて言う。

「一見さん以外お断り、この店には一度しか訪れる事が出来ない」

「この店は確かにあなたに今一番必要な物が手に入りますが、それがあなたの望む物かは私には分かりかねます」

 そう言って佐助は手鏡を差し出す、物を確認すると、男は満足そうに言った。

「この品で問題ない、俺が望んでいた物だ」

「おい、ちょっといいか?」

 男に浪漫が話しかける、どうやら浪漫の存在も聞いていたようで、驚く事もなく「何だ?」と聞いた。

「お前、とんでもない悪霊が憑いているぞ、障りも酷いだろう、それをどうにかしなくていいのか?」

 浪漫の言葉に佐助が驚いた。男はそれとは逆に当たり前だと言わんばかりの態度のまま言った。

「この品物に纏わる話が対価だろう?今からその話をしてやる」


 佐助は浪漫にこっそりと耳打ちをした。

「浪漫さん、悪霊が憑いてるって本当?しかも質が悪いの?」

「そうだ、あ奴の顔をよく見て見ろ、血の気も引けていて青白い顔に目も虚ろだ。恐らく酷い霊障に襲われているだろう」

 そう言われて佐助がよくよく男の顔を見ると、確かに浪漫が言うような様子の出で立ちをしている。

「ちょ、ちょっと大丈夫なの?」

「お主には吾輩がいるから大丈夫だ。あの程度の霊など造作もない」

 浪漫がそう言うなら心配ない、佐助は改めて男に向き直って話を聞く。

「それで、その鏡が必要な理由は何ですか?」

「ああ、その前にこれを」

 男がそう言って取り出したのは名刺だった。名前は堤恵一つつみけいいち、職業はフリーライターと書かれている。

「俺は心霊系の記事を執筆して寄稿して稼いでいる。あんたの店を知ったのも、取材の最中に誰かから聞いたんだ、誰かまでは思い出せんが」

 月来香は取り立てて隠されている訳でもない、ただ酷く見つけにくく、必要な人の必要な時にしかその扉は開かれないというだけだ。

「俺はいつもの様に取材活動をしていた。心霊系のネタは足で稼ぐ必要がある、人と人とのやり取りの中にこそネタが生まれるからだ。俺はある水底に沈んだ村の噂を聞き、その周辺で聞き込みをしていた」

「水底に沈んだ村?」

「それ自体は霊とは関係なく、昔の大きな水害が原因だ。大雨で川が氾濫して、その村は一切合切が流されて、川の一部になってしまったらしい」

 治水技術がまだまだ未発達であった頃であればそうおかしい事でもないだろうと堤は付け加えた。

「俺が注目したのは水害の際、その村にはすでに人が誰も居なくなっていたという事だ。そして誰もその村に近づく事が出来なかったという話もあった。それが気になった俺はその村について調べ始めた。そしてある事件に辿り着いた」

 堤の話が長引いて来たので、佐助はコップに水を注いで堤に渡した。それに礼を言ってぐいと一息で飲み干すと、続きを喋り始めた。

「その村には若く美しい女性がいた。両親と共に農家として働いていて、いつか村の男の誰かに嫁ぐ事になっていただろう、しかし彼女はある時、傷つきながら逃げ延びた侍を山で見つけた。彼女はその侍を匿って治療した。献身的な彼女の治療のお陰でその侍は回復した。大怪我を献身的に看てくれた女、しかも追っ手からも匿ってくれた。侍は恋心が芽生えその女性に気持ちを伝えた。女性もそれを受け入れて二人は恋に落ちた。だが、それが悲劇の始まりだった」

 堤は関係性が分かるように紙で絵図を書きながら説明を始めた。逃げていた侍はその村を治めている城と対立する敵国の将兵で、それを黙って匿っていたとなっては村は存続の危機になる。そしていずれは村の子供を産むはずの女は、剰えその将兵と恋に落ちたと言う。村長の決定で、侍を引き渡すように要求された女は、それを拒否して侍をこっそりと逃がした。女の勝手な行動に怒りを覚えた村人達は、彼女を徹底的に排斥した。彼女はそれで折れるだろうと思っていた村人達だったが、彼女が希望を捨てる事はなかった。定かではないが、彼女と侍の間にはもう深い関係を持ち、子供をその身に宿していると思われていた。村社会の和を乱す者は忌み嫌われる、小さな村なら尚更に存続に関わる事だからだ。村長たちはある夜、村の男共で女性を襲い乱暴を働いた。もう変な気を起こす事が無いようにとそう考えての事だった。しかし彼女の目から希望の光が消える事はなかった。その様子を快く思わない者がいた。村で一番力があり、その女性に恋していた男だった。どれだけ痛めつけようと折れない彼女に、その男は酷く嫉妬心を燃え上がらせて、ついには勢い余って女性を殺害してしまった。無念の死を遂げた彼女と、彼女の胎で生まれる事叶わなかった子供の怨念は、強く歪んで混ざり合って、女は悪霊へと変じた。

「それからその村の住人はすべて死に絶えた。老若男女問わずすべてだ。しかもその死に様は壮絶だったようで、突然苦しみだしたかと思えば、全身の血をすべて吐き出して絶命したり、昨晩まで元気だった人が、翌朝全身の骨が砕かれて木に吊るされていたという事もあったらしい、遺体をそのままにしておけないと、その村に入って行った者も例外なく無残な死を遂げて、誰にも手が負えなくなった村は、水に沈むまで誰も近づく事のできない村に変わったという訳だ」

 もう一杯水を貰って堤はそれを飲み干す。佐助は恐る恐る堤に聞いた。

「その村を滅ぼして、入る者さえも殺しつくしたのが、その女性の悪霊なんですか?」

「そうだ、そして今俺に取り憑いている」

 平然と言ってのける堤に、佐助は言った。

「その、お祓いとかしなくていいんですか?」

 佐助のその言葉を鼻で笑い飛ばした堤は、手鏡を自分に向けながら言った。

「冗談じゃない、俺は望んで彼女と一緒になったんだ。この手鏡が欲しかったのも、彼女の顔が見たかったからだ」

 浪漫が堤の前に出て言う。

「お前このままでは憑き殺されるぞ、それでもよいのか?」

「いいも何も、それが望みだよ猫又。俺は彼女と一緒にこの鏡に映るんだ」

 それだけ言うと、堤は何やら古い紙束を置いて、手鏡を受け取って店を出て行った。ふらふらとした足取りに、傘もささず揺ら揺らと歩いているその様は、まるですでにこの世の者とは思えなかった。


 びしょ濡れだった堤がいた場所を佐助は掃除している、堤が残していった紙を広げて見ていた浪漫は、その真意に気付き成程と呟いた。

「浪漫さん何か分かったのか?」

 濡れた雑巾を絞りながら佐助が浪漫に聞く、浪漫は前足をちょいちょいと動かし佐助を招き、広げた紙を見せた。

「こいつは堤の家系図だ。古くまでさかのぼるこんな物をよく手に入れたものだ」

「この丸印がされているのは?」

「恐らくこいつがその村娘と恋に落ちた侍であろう、年代が一致する。脈々と受け継がれてきた血筋を辿ると、先程の男の名前がある、あ奴は生き延びた侍の子孫という訳だ」

 浪漫が手を置いた先に確かに堤の名前があった。

「じゃあ堤さんが言っていた望みって」

「あの男の本心は知る由もない、取材を続けていく内に女に魅入られてしまったのかも知れないし、若しくはやっとの思いで再開を果たした二人が本気で結ばれたのかも知れない、だがもうどちらでもよい事だろう、彼は望みの品物を手に入れた。彼女と過ごす事の出来る大切な時間をな」

 今頃堤は鏡に映した彼女と何か話しているのだろうか、それともすでに鏡の向こうでお互いに手を取り合っているのだろうか、それは佐助にも浪漫にももう分からない事だった。

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