異世界逃走編

第37話 レティエヌ

 足音が全くしないので、相当近くに来るまで気付かなかった。


 四人いて、見たところ犬っぽい。狼かもしれないが、さして差はないだろう。


 一人が俺の髪を乱暴に掴み、持ち上げた。そのまま、半ば強引に立ち上がらせ、俺を殴った。殴られた時、すごく熱かったので、多分火属性なのだろう。


 その後、水、雷、氷と、順繰りにおまけ付きの殴る蹴るの暴行を受けた。四つの属性を揃えてグループを作ったのかもしれない。何のグループかは知らないが。


 ただ、属性攻撃は然程気にならなかった。多分、夜が明け、『新月の呪い』(俺が名付けた)が解けたからだろう。しかし、物理攻撃の方は効いた。


「おい」


 聞き慣れた声がした。攻撃が止んだので、声のする方を見ると、元優紀の猫獣人だった。


「無抵抗の奴いたぶって面白れぇかよ?」


「帝国の人間だぞ」


 一人の犬獣人が倒れている俺の髪の毛を掴んで、見せつけるように猫獣人の方に突き出し、答えた。すると、他の一人の犬獣人が、


「あいつ、レティエヌだ」


 と耳打ちした。俺を掴んでいる犬獣人はしばらく猫獣人を見ていたが、ややあって、俺を乱暴に離し、他の仲間を引き連れて、黙って行ってしまった。


「何で反撃しねぇんだよ? もう、力は戻ってるはずだろう?」


「さぁ……。何でだろう……?」


 猫獣人は溜め息を一発吐いて、俺に肩を貸し、水辺まで連れて行き、顔の腫れているところに水を当ててくれた。熱を持った患部に、水の冷たさが気持ち良かった。よく見りゃ服もあちこち破れていた。


 なぜだろう、猫獣人の手が患部に触れると、何かどっと安心感や情けなさみたいなものが体の内側から出てくるようだった。


「泣くなよ……。帝妃だろ?」


「泣いてない……。川の水だ……。それに、俺はもう、帝妃じゃない……」


「そうだったな。じゃ、やっぱり殺さないで正解だったわけだ」


 俺は、何も言えなかった。



 その後、どういうわけだか元優紀の猫獣人は、実家に帰るからお前も来い、と言ってくれた。


 この先どこにも行くところもなくやることもない俺にとっては非常に有り難かったが、なんせ俺を殺そうとしていた奴である。信用していいものかどうか微妙なところではあるが、元優紀である。正確に言うと違うが、優紀の中にいた人物である。そこにすがるように信じて、ついて行くことにした。


 そうとなれば聞かなくてはいけないことがある。


「お前、レティエヌっていうのか?」


「あぁ、そうだけど、何だよ突然?」


「お世話になるのなら、名前聞かなきゃいけないと思って」


「ふーん。律儀だな。さすが元帝妃」


 なんか引っかかる言い方だなぁ。まぁ、良い。


「律儀というか、利便性の問題だな」


「なるほど。じゃあ、お前の名前は何ていうんだよ? もう、帝妃じゃないんだろ?」


「あぁ、えーっと……。わかんねぇ」


「何だよ、それ。自分の名前わかんないのかよ?」


「あぁ……。まだこっちの記憶が戻ってなくて」


「やけに長いな。そんなに長いもんなのかね? まぁ、隠界に行くような奴はいないから基準がわかんないけど。城では何て呼ばれてたんだよ?」


「帝妃様、だな。そういや、名前で呼ばれたことなかったなぁ。……お前、俺の名前わかんない?」


「知るわけないだろ」


「だって、俺の命狙ってたんだろ?」


「名前までは知らねぇよ。それに、帝国のことは私ら獣人にはよくわからない。ま、もっとも、中心になって戦ってる奴らは知ってるかもな」


「お前、獣人連合軍の中心じゃないの?」


「あぁ。私は雇われただけだよ」


「雇われていただけか!」


「あぁ。それで食ってるからな」


 それであんなところまで忍び込んできたのかよ……。


「ゴルゴみてぇだな」


「何だそりゃ?」


「レティエヌはすっかり隠界のことは忘れたのか?」


「うーん、すっかりってわけじゃないけど、もうおぼろげだね」


「そうか……」


 そういや、クイルクとショボクレはすぐに記憶を取り戻していた。カテナの話では力が強い者ほど隠界の記憶が強く残るということだったけど……。


 そういやこの三人は最初はあれだけ俺にかしずいていたのに、最後は随分あっさりと見限ったな。仕方がないんだけど、なんだか悲しいというか悔しいというか。そういや、ロージはどうなっただろうか。


「そろそろ村だ」


 レティエヌがそう告げた。そういや、獣人の村ってどうなってるんだろう。すげえ興味がある。やはりイメージ的には穴とかに住んでる感じだが、どうだろうか?


 隠界ではアナグマが巣作りの名人とかで、そのアナグマが捨てた巣穴をキツネとかタヌキとかが利用するという。非常に住み心地が良いという話があるが、獣人も居住性抜群の洞窟とかを作ってるんだろうか。いや楽しみだ。


 さっきまであれだけ気分が沈んでたのに、我ながらノー天気である。


「あ、お前はここで待ってろ」


 レティエヌが突然そんなことを言いやがった。なんだコノヤロー、人がせっかく気分を立ち直らせたというのに、それを折るようなこと言いやがって。


「何でだよ」


 俺は抗議するようにそう言ってやった。


「お前、その格好で村に行くつもりかよ」


 自分の格好を見下ろしてみると、服はところどころ破れていて、あられもない格好になっている。しかも俺が着てるのはネグリジェだ。


「しかも、お前は帝国人だ。そんなお前が村に行ったら、どうなるかわかるだろ」


「……わかった」


「じゃ、ちょっと待ってろ」


「うん……」


「さっきみたいに襲われたら、今度は反撃しろ。したくなければ……、まぁ私には関係ないか」


 そう言い捨て、レティエヌは行ってしまった。



 幸いにして、ティラノサウルスみたいな二足歩行の巨大な龍が近くを通った(物陰に隠れていたら見つからずにやりすごせた。ただ、あの龍を見れたのは正直嬉しかった)以外は、特に何事もなく時間が過ぎ、やがてレティエヌが帰ってきた。


「悪い。遅くなった。ちっくショォ、あいつら、渋りやがってヨォ。どんだけ苦労したと思ってんだ……」


 どうも、報酬の額が思ったほどではなかったらしい。でもそれは俺を隠界に閉じ込めることへの報酬だということへと思いが至ると、思うところはあった。


「ほらよ」


 俺に渡したのは服だった。着てみると、それは巨大なパーカーといった服で、全身がすっぽりと入る。


「こうすりゃ顔も隠れるだろ」


 そう言ってレティエヌはフードを被せた。色は茶色なので、よく言えばジェダイの戦士、悪く言えばザコキャラの魔導師みたいだ。


「よし、これで村へ行けるな」


「バカ言ってんじゃねぇ。村になんか行けるか。お前は帝国人なんだぞ」


「だからこれ買ってきてくれたんだろ?」


「獣人ナメんなよ。お前らと違って私らは鼻が効くんだ。そんなもん着てても一発でバレるぞ」


「じゃあ、なんでこれ着なくちゃいけないんだよ」


「そんなんでも、ないよりマシだからだ。それに、いずれ役に立つんだよ。じゃ、行くぞ」


「行くって……どこ行くんだよ?」


「この先にある川沿いさ。その川沿いに、私の実家を目指すんだよ。その方が都合がいいんだ」


「どういったところが都合がいいんだ?」


「隠者の家は川沿いにあるからさ」


「隠者って何?」


「うーん、言ってみれば、木とか、森とか、川とかとぉー……、あ! あと谷とかさぁ、あ、湖もあるな。そういう、なんつーの? なんかさ、どーんとしたもの、っていうかさぁ、あるじゃん? そういうのとひとつになってぇー……」


 話が長い上に感覚的、というか野性すぎるので俺が要約する。全く、こいつが優紀の中にいたことがよくわかった。


 隠者とは、要は修行僧みたいなものらしい。自然との合一化を図り、そのため一切の文明からは離れ、山の中で暮らしているという。日々、自然に感謝し、極力自然の形を変えないよう暮らしているのだそうだ。

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