第27話 謝っちゃおうかなぁ

 さっきから足の震えが止まらないのだが、それがだんだん大きくなってきた。


「帝妃様、先程は氷属性であの獣を氷漬けになさったではありませぬか。見事でしたぞ」


 クイルクが耳打ちした。氷属性っつったか? そういやさっきも言ってたような……。俺が優紀の獣人相手に出した氷のこと言ってんのか?


「帝妃様、ご記憶はお戻りにならなくても、お体の方が覚えておいでです。心配はございません。自然現象と言えど、要領は同じです。多分」


 ショボクレは反対の方から耳打ちした。近いので臭い。それに、多分、ってお前。他人事だな。


 俺は黙ってガラス越しに見える山脈の方を向いた。喉がカラッカラで、声が出なかったからだ。


 いやー、どうしよう。まさか異世界に転移(正確に言うと帰還)して早々、こんなに追い詰められるとは……。体が覚えている、と言われても何をどうすればいいのかわからん。せめて嵐を呼ぶ時のがわかればいいのだが……。どうしよう、逃げたい。


 その時、俺は思い出した。


 そういえば、ショボクレの話では、ここ聖堂の奥に移隠の儀を行う場所があるという。そこから移隠の儀をかませば逃げられるのではないか。しかし、奥を見るとそれらしき扉はない。何やら宗教的な絵が掛けてあるばかりだ。


 たばかったかショボクレ!と思ったが、よく見るとその絵は二枚に分かれている。二枚ということは、ひょっとしたら扉の片側と片側なのかもしれない。ダッシュで扉を開けてその向こうに行けば、移隠の儀ができるかもしれない。


 そして俺は根本的な問題に思い当たった。


 移隠の儀、やり方わかんねぇ。


 まだ習ってない。俺の記憶はまだこっちで言う隠界のものだ。こっちの世界のことなどほとんど何一つわからん。


 万事休す! 謝っちゃおうかなぁ、という考えがよぎった時だった。どうやって謝ろうかな、と思ったら、畑から俺が乗る龍車に向かって土下座のような仕草をした人々が浮かんだ。


 彼らの畑は獣人たちに荒らされていた。彼らの命とも言えるものが、蹂躙されていたのだ。そんな彼らが俺たちに頭を下げていた。何か、祈るようですらあったように思う。


 俺は、再び山脈を見据え、優紀の獣人をやっつけた時、氷を出した時と同じように両掌を向けて合わせた。体が覚えているというのなら、俺が思うままに動けばいいのではないか。特に策があるわけではないが、ええい、ままよ。動けよ、俺の体!


 するとどうだろう。何か、こう、「届いた」感じがする。そして、「集める」感じがする。正確に言うとそれもまた違うのだが、そんな感じがする。


 そして、湿ったような、痺れるような、圧を感じるような、そんな感覚が、遥か遠く、そう、丁度ここから見える山脈を越えた辺り、更にその上に、だんだんと、感じるのだ。


 手をかざしているが、手ではない。何かこう、ずっと遠くにある、でもそれは俺の感覚の範囲内なのだ。


 自分でもよくわからない。いや、全くわからない。ただ、覚えている気がする。


 それらの、俺が感じているものが、もうこれ以上押しとどめていられないくらいになっているのだが、まだだ、と思う。それもなんでだかはよくわからない。


 そしてそうしているうち、ここだ!と思う。俺は掛け声と共に両手を一気に勢いよく広げた。


「吹けよ風! 呼べよ嵐ッ!」


 すると、何かが一気に解き放たれるように、流れていくのを感じた。それは俺の体の外、遥か遠くで起こっているのだが、俺の中でも起こっている。何を言ってるかわからないと思う。俺が何を言ってるのかわからないのだから。


 ふと気付くと、山脈の向こうには暗雲が立ち込めている。山脈のこっち、つまり城や町や田園は晴れ渡っているのに。と思うと、山脈の向こう一帯が光った。日の光が霞むほどの明るさだった。あまりの眩しさに、思わず目を瞑った。


 それから三十秒ほど経ったろうか。音がした。例えて言えば、空気を折る、とでもいうような、そんな凄まじい音だ。山脈の向こうから聞こえたはずなのに、耳鳴りがしたほどだ。


 窓ガラスが激しく震える。割れそうなほどだ。塔も揺れてる。一瞬、地面が見えたような気がする。それがもう一度。更にもう一度。そして何回か続いた後、静かになった。


 気付くと、俺は肩で息をしていた。ちょっと疲労も感じる。あまりに静かなので、怖くなって後ろを振り向いたら、みんな、全員、足がすくんだようにしゃがみ込んでいた。勇猛なはずのクイルクもだ。中には伏している者すらある。


「お、お見事……」


 小太りが言った。やっとのことで、といった感じだ。


「お、おい、山で待機している衛兵たちに攻撃の狼煙を上げろ!」


「はっ……!」


 やせぎすがショボクレに命じた。ショボクレはおぼつかない足取りで聖堂を出て行った。


 山脈の方に向き直ると、山の向こうの空はまだ黒く、時折光っていた。



「お茶が入りました」


「あぁ、ありがとうございます」


 俺はソファにくつろぎながら、侍女(可愛い)が持ってきてくれたお茶をすする。うまい! お茶は龍車の中でショボクレが淹れたものと同じだが(こっちの世界では定番のお茶らしい)、淹れる人が違うと、更に格段に美味くなる。


 そのショボクレは目の前のソファに腰を降ろしている。クイルクもだ。お茶は二人にもふるまわれた。


 緊急事態に決着がついたので、事の次第の説明をしたいとのことだった。主に俺の力のことについてである。もっと早めに話して欲しかったが、龍車の中で俺が寝落ちしてしまったので出来なかったのだろう。寝ている帝妃様を起こすのは不敬なのだ。


 先ずは戦果の報告から始まった。我が軍は獣人連合軍……、いや賊軍を完膚なきまでに叩きのめしたという。聞けば、俺の起こした嵐で賊軍はほぼ壊滅だった。帝軍は最後のとどめを刺したにすぎなかったらしい。


 しかし、それ故こちらの被害はなかった、つまりゼロだった。これは何よりも喜ぶべきことなのかもしれない。


 ちなみに武器としては、獣人は主に刀や槍などの刃物による物理的な攻撃のみだが、帝軍はそれに加え、鉄砲や大砲があるようだ。そりゃフィジカルに勝る獣人相手に有利に戦いを進めることができるだろう。


 更にちなみに、こちらの世界の文明の程度としては隠界で言うところの中世といったところか(中世と言っても範囲は結構広いが)。電気はもちろんなく、蒸気すらない。


 戦果の報告が終わった後、ショボクレは俺の力についての説明を始めた。

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