第26話 割とブラック

「え?」


 車の荷台には俺が氷漬けにしたあの獣人が運び込まれている。


「あの獣は帝妃様を暗殺しようとしたばかりか、隠界にまで帝妃様を追い、帝妃様のご帰還を妨げていたのでございます」


「え……!」


 俺は後部のカーテンを上げ、窓越しに荷台を振り返った。猫獣人はまだ氷漬けになっている。


 これが優紀か……。


 猫獣人は氷漬けにされて尚、牙を剥き、俺を睨んでいる。俺はたまらずカーテンを閉め、座り直し、右側の窓のカーテンを開けた。


 衛兵の列が見えた。前後に百人ずつ、護衛しているそうだ。更にその向こうには、色鮮やかな畑が広がっている。しかし、所々荒れている。


「賊軍の仕業です」


 俺の視線を察したのか、ショボクレがそう言った。


「我が軍が国境を固めてはいるのですが、何せ数が多すぎます。いくつかはその包囲網を掻い潜って中に入ってしまいます。そのせいで、生産は下がっています。それも奴らの狙いでしょう」


 こんなに綺麗な畑なのに……。ここまで育てるには時間も手間もかかったろう。それに比べて、破壊は一瞬だ。それにもめげずに、畑で働いている人たちが見える。


 彼らはこっちに気づくと、さっきクイルクがやったのと同じ所作で、地面に伏した。やはり、土下座のように見える。俺は、カーテンを閉じた。



「帝妃様、」


 声をかけられて目を開けたら、侍女(可愛い)がいた。どうやら寝ていたようだ。なんだかスゲエ疲れていたし、適度な揺れが気持ち良かったし、何よりソファの座り心地は最高だった。完全に爆睡していた。いびきはかかなかったろうか? 口を開けてはいなかったろうか? 帝妃としての威厳というものがある。


 しかし、車内にクイルクとショボクレはいなかった。車のドアは開かれている。どうやら着いたようだ。降りようとすると、左右から手が差し出された。


「お手を」


 クイルクとショボクレだった。差し出された手を取って車から降りたが、むしろ降りにくかった。それに、二人の手汗が気持ち悪かった。


 既に城の敷地内のようで、全面石畳である。さっきまでは山の中とか田園とか、カラフルな自然豊かなところだったので、寝て起きたらモノトーンの石の中だったから、ちょっと驚いた。


 車の後部にある荷台をちらと見る。優紀の獣人が氷漬けになっている。正確に言うと、もう優紀ではないのだろうが、優紀の中にこいつはいたのだ。


「帝妃様、」


 ショボクレが声をかけてきた。


「ご帰還後のところ大変申し訳ないのですが、帝妃様にはすぐにもやっていただかなくてはならないことがございます」


 俺は早速、城の中へ通された。前にも後ろにも長いお供の列を引き連れ、長い廊下と長い階段を繰り返し、いい加減疲れてきた時、長く細い橋に出た。


 その橋は随分高いところにある、と思ったら、この城の一番高い塔に通じている。塔の方が高いところにあるので、若干の上り坂になっている。見ると、横には同じ高さの塔がそびえている。


「あちらが帝妃の間でございます」


 俺の視線を察してか、ショボクレが教えてくれた。あの獣人が忍び込んだというあれか。とてもとても信じられない。


 途方もなく高い。下手すれば百メートルくらいあるかもしれない。それが垂直になってそびているのだ。


 下を覗き込むだけで目がくらむし、足もすくむ。俗に言う、ぞわぞわする、というやつだ。ここに忍び込むという発想が生まれたこと自体がびっくりだ。


「そしてこれから我々が向かうのが、聖堂でございます」


 この橋の先にある塔がそれらしい。その橋だが、屋根も壁もなく、手すりはあるものの、吹きっさらしになっている。その上、下から強い風が吹き上げてきている。吹っ飛ばされそうでめちゃくちゃ怖い。


 え、ここ本当に通るの?と思ったが、みんな静々と橋を渡って(正確に言うと)いったので、従わざるを得なかった。俺、帝妃様なのに。


 肝を冷やしきりながら橋を渡り、塔の中に入ると、既に十人くらいのおっさん……、いや、お爺さんたちが集まっていた。


 皆、豪勢なお召し物を身につけている。形的には、十二単を小振りにして動きやすくした、という感じ。それぞれ、紫、緑、赤などの派手な原色をイメージカラーのようにあしらっている。ひょっとしたら色で身分を分けているのかもしれない。


 各人、いかにも「わしは偉いぞ」感を醸し出している。背の高いのから低いの、痩せぎすから小太りまで、色々な種類の爺さんを取り揃えているが、「偉そう」という点で一致している。そして、なんとなく物々しい雰囲気だ。


「おお! 帝妃様! ご帰還、お待ちしておりました」


 小太りで中背の爺さんが寄ってきた。


「この度は大変な災難を……。なんともお労しい……」


「帝妃様、ご帰還早々申し訳ないのですが、早速お勤めの方をお頼み申し上げしたい次第でございます」


 背の高い、やせた老人が寄ってきて、そう言った。


「お勤め……?」


「事は急を要しております! 何卒……」


 小太りが後を継いだ。


「天上様、帝妃様はまだご記憶の方がお戻りになられていないようなのです」


 ショボクレが爺さんたちに耳打ちした。


「何?」


「しかし、お力の使い方はお体の方が覚えているようではありますので……」


「うむぅ、そうか……。ならば、賭けてみるしかあるまい」


 なんか、えらい切羽詰まった感じだが、大丈夫だろうか。そして、そこに間違いなく俺が絡んでくるようだ。全く状況が把握できない上に、何をやらされるのかわからない。緊張で気持ち悪くなってきた。


「帝妃様、」


 小太りが俺を呼んだ。


「あ、はぃ……」


「あちらに見えますのが……」


「あ、ちょっとごめんなさい」


「はっ……!」


 俺は小太りに背中を向けた。


「お……、オエッ!」


 一発、嘔吐えずいてみた。ほんの申し訳程度に楽になった。


「帝妃様ッ! 大丈夫ですか? もしやお体の具合が……」


「い、いえ……。ちょっとだけスッキリしたので大丈夫です」


「そうですか……」


「申し訳ございませんが、今は少々ご無理でも、お力をお使いいただかなくてはならない状況です」


 ノッポのやせぎすも声をかけてきた。帝妃なのに、割とブラックな扱いだな。


「あちらに山脈が連なるのがご覧いただけますでしょうか?」


「はい」


「これから戦場となるのが、あの山脈の向こうに広がる平原となります。今朝、伝令の報せによりますと、賊軍が既に大挙して集まっているそうです。その数、数千」


「全く、急にどうしたというのだ……。昨日まではここまでまとまった兵力を集めたことはなかったではないか……!」


 やせぎすが悪態を吐く。


「お迎えの狼煙を見たのかもしれません。それで、帝妃様がご帰還なされたことを知り、慌てた賊軍は一気に片を付けてしまおうと、集まったのかも……」


 小柄な爺さんも会話に加わった。


「畜生どもにそんな頭が回るなど……」


 これは、体型が限りなく球体に近い爺さんだ。


「帝妃様、状況としましては、今申し上げました通り、山脈の向こうには賊軍が参集しております。我が軍も急ぎ向かっており、現在は山越えをしているところであります。そこで、我が軍が到着する前に、嵐を以て賊軍の数を削っていただきたいのです」


 小太りがとんでもないリクエストを出してきやがった。嵐だあ? そんなもん起こせるわけないだろう。常識で物を言え。


「帝妃様、この国を、お救いくださいませ!」


 爺さん連中が全員、例の土下座に似た所作をした。やめてくれよ、あんた達もういい大人なんだから、俺なんかに頭を下げないでくれ!

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