第23話 悪夢襲来

 眠りに落ちてからどのくらい経っただろうか。いや、そもそも眠ってなどなかったのかもしれない。

 暗闇の中で横たわる俺の耳に、かすかに届いたのは誰かの声だった。


『――は――うだ――』

「ん……?」


 俺に呼びかけているような、そんな感じがしてうっすらと目を見開く。相変わらず視界は薄暗い。掛け布団がかかっているにしては、やけに身体が重たくて、違和感を覚えた俺は頭を横に向けて目を見開いた。


「うっ!?」


 手首に枷をはめられ、その枷に鎖がつながっている。寝る前までいた、割り当てられたばかりの寮の私室の風景ではない。イーウィーヤに召喚されたばかりの時に目にしていた、モンデュー王国国内の某所、石造りの地下室。

 誰かが俺を、縛られた俺を取り囲んでいる。その中から一人、歩み出てきたのはモンデュー王国国王のフレドリクだ。身をかがめ、ぐいと俺に顔を近づけながら威圧的に彼は言ってくる。


『貴様は不要だ、なのに何故この場にいる』


 不要。確かにあの時も彼は俺にそう言ってきた。相変わらずあの国では俺は役立たず扱いなんだろうが、だとしたってこうして真正面から言われるとむかっ腹が立つ。

 言い返したくて身を起こそうとするが、腕も脚も動かせない。完全に拘束されているようだが、胴体までも縛り付けられたかのように身動きできなかった。


「っ、うっ……!!」


 それどころか、声も出せない。かすれたような音しかのどから出てこなかった。

 これはおかしい。現実だとしてもあり得ない。だとしたら夢か。

 そうこうする間にも、フレドリクは俺に容赦なく、間近から言葉をぶつけてくる。


『貴様は何の役にも立たない。何の成果も生み出せない。何を遺すことも出来ない』

「っ……!!」


 言いたい放題だ。ここまで言われるとさすがの俺だって黙っていたくはないが、ここまで言われてもなお声が出ない。

 と、そこで別の声が割り込んできた。俺を取り囲んでいた人物が輪を狭めるように近付いてきたらしく、次々に言葉を投げつけてくる。


『ほんとお前ってダメなやつ』

『役立たず』

『就活に失敗した落ちこぼれ』

『ごくつぶし、出ていけ! 二度と家に帰ってくるな!』


 口を開く人物の顔は暗くて見えない。見えないが、俺はその声をよく知っていた。

 地球にいた頃に俺と関わりのあった友人。バイト先の上司。専門学校の先生。俺の、父親。

 ああ、こいつらもか。こいつらも俺を役立たずだと、何の価値もない人物だと断じるのか。今ここで、こうして生きて、価値を見出され始めた俺を。

 腹の奥が熱を持つ。心の奥に澱んでいた無力感と諦めまでもが、いよいよ怒りに転換され始めた。言い返さねば。今声を上げないでいつ上げる。


「っ、ぅ、ぉ――」


 その心が、俺の声帯を震わせる。かすれたように息が漏れていたのどから、声が溢れ出す。


「俺は――!!」


 腹の底から、俺は叫んだ。周りの奴らも、声も、全部吹き飛ばすように。

 次の瞬間、縛られていたように動けなかった俺の身体が弾けるように跳ね上がった。同時に視界がバッと明るくなる。


「っぁ!?」


 目を見開く。視界に映った空間はなお暗い。だが見知った、シンプルで飾り気のない自室の天井だ。先程まで視界に映っていた石造りの壁とは全く異なる。

 周りには誰もいない。この部屋には俺だけしかいない。そのはずだ。


「はぁっ、はぁっ……ゆ……」


 吐く息は荒かった。全身が汗にまみれている。胸に手を当て、震える身体を抑えるようにしつつ、息を整えてから確認するように俺は言った。


「夢?」


 夢。夢だ。先程まで見ていたあの光景は、やはり夢だ。

 ほっと息を吐き出す。夢でよかった。あの光景が現実だったとしたら、やりきれないなんてものではない。


「……」


 ベッドから身を起こす。枕元に置いていたスマートフォンを手に取り、画面を表示させると時刻は午前2時5分。まだまだ深夜だ。今まで何の気なしに使っていたが、どうやらこのスマートフォンの時刻表示はこっちの世界に問題なく対応しているらしい。

 ベッドサイドの壁に設置された、部屋の電気のスイッチに触れる。あまり明るくなりすぎないよう最小限の明るさに調整しつつ、俺はベッドから降りた。


「はぁ……やなもん思い出した。水――」


 汗もかいたし、喉も乾いた。こんなに嫌な夢を見た後は、水を一杯飲んでさっぱりするに限る。

 確かテーブル下にコップがあったはず、棚の扉を開けて陶器製のコップに手を伸ばしたところで、俺は気がついた。


「あ」


 そうだ、この部屋には水道がない。トイレもない。寮内の共同トイレは場所を教えてもらったが、飲料に使っていい水ではなかったはずだ。

 というかそもそも、水道を使う必要がないことを思い出す。


「えーと、水生成、水生成」


 水生成のスキルを使っていくらでも飲料水を生み出せることにようやく思考が至った。ぐっと手を握り、そのまま飲めるきれいな水をイメージしながら手を開くと、手の上に浮かぶのは球体の水だ。

 この水をテーブルの上に置いたコップの上に持っていくと、コップに触れた水は形を失い、どぱっという音とともにコップに入っていった。テーブルにこぼさずに済んだのはよかった。


「よし……よかった、このスキルあって」


 うまく扱えたことにホッとしながら、コップを手にして口につけた。陶器製のコップはうっすらと冷たい。キンキンに冷えている水ではなかったが、程よく冷たい水が俺ののどを通り過ぎていった。

 やはりこういう時に、水を飲むと安心する。ほうと息を吐いて、コップをテーブルに置いてから俺は天井を見上げてつぶやいた。


「役立たず……なぁ」


 役立たず。

 俺はこっちの世界に召喚される前、いろんな人からそう言われてきた。

 学校でも、バイトでも、家の中でも。役立たずと言われ続け、それでも必死にあがいて、生きてきた。

 そんな俺が、何の因果かイーウィーヤに召喚され、同じように役立たずと放り出された先で、ここまで重宝されている。何がどう転ぶか、分からないものだ。


「はぁー。なんつーか、分かんないもんだよな、人生」


 ガシガシと頭をかきながらそうつぶやく。捨てる神あれば拾う神ありとも言うし、人生山あり谷ありとも言う。何がきっかけで輝くか、分からないのが人生だ。今まで一度も輝くことのなかった俺の人生、ここでようやく輝き始めた、と言ってもいい。

 とは言え、過去は消せない。投げかけられた言葉も消せない。忘れようとしていたけれど、忘れられるものではなかったらしい。


「あーでも、くそっ、あんな夢見た後じゃ寝れねーや、目が冴えちっ――」


 あんな悪夢を見た後で、すぐに眠れる気はしなかった。もう一杯水を飲んで、トイレにでも行こうか、と思ってテーブルに置いてあったコップに手を伸ばした矢先、俺の個室の呼び鈴が鳴る。


「ん?」


 誰かが来たようだ。こんな時間に?

 不思議に思いながら扉の方に行くと、扉の向こうから俺に呼びかける声がした。


「マコト、どうした」

「レオナールさん?」


 声の主はレオナールのようだ。随分心配そうに声をかけてくる。上級部員用の寮からすっ飛んできたのか、かすかに息が上がっているのも聞こえた。


「そうだ。眠れないのか? 大声が上がったと総務部から通知が飛んできたぞ」

「え、マジっすか」


 呼びかけられて、はっとした。どうやら夢の中で叫んだ時に、一緒に声が出ていたらしい。それがきっかけでアラートが上がって、総務部からレオナールに通知が行ったのだろう。俺の監督者は彼である以上、当然の流れだ。

 起こしてしまったらしい。申し訳ないという気持ちが持ち上がる。


「すんません……ちょっと、その」

「いや、気にするな……よければ、入ってもいいかな?」


 謝る俺に、レオナールは遠慮がちにそう言ってきた。断る理由はない。扉を開けると、やはりそこにはレオナールの姿があった。寝巻き用のゆったりしたシャツにズボン、室内履きのような布製の靴。やはりというか、寝起きでそのまま飛んできたらしい。

 はっきりと目に入ってきたレオナールの姿に、ようやく俺は安堵の息を吐くのだった。

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