第1話【なんか目覚めた件】

 旨い飯で腹を満たして、テレビを見ながら一家団欒の時間を過ごしていると、明日から夏休みだという安心感も相まって眠くなってきてしまった。

 いつものように、哲学やら宗教やらの難しげな問答に興じる父と兄の多嘉志を横目に、九時を回った頃には寝室に入り、ベッドに倒れ込むようにして気持ちよく眠りについた。



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 明け方の光にだんだん意識が戻り始める微睡みの中で、誰かが声をかけた。眠気のあまり声にすらなっていない返事をしながら声のする方を向くと、ぼんやりと霞んだ視界に映っていたのは、見慣れた家族の誰でもない、荘厳な模様の刺繍や黄金細工を施した深紅の長衣を身にまとった壮年の男性の姿だった。


「...え、誰ですか...。」


 思わず尋ねると、その男性は俺に向かって手のひらを突き出し、


「林田竜侍、しかして真名『ミランガ=リュウジ』よ。汝の前に道は指し示された。其方の力を目覚めさせん。能力名:【爬虫ラプトル】。」


 と、意味不明な文言を発し始めた。何が何だか分からないうちに視界は明るくなり、目覚ましの音と共に意識が現実に引っ張り戻された。



 ーーーーーーーーーーーーーーー



 土曜の朝という、学生にとって最も気分の良い時間。しかし、夏休みに入ってその特別感が失われたせいか、俺はイチゴジャムをめいっぱい塗りたくった食パンをもごもご噛みながら、熱帯夜明けのじめっとした暑さに少しイラついていた。

 なんだか意味の分からない短い夢を見た気がしたが、既にその記憶は曖昧になってしまっており、誰が出てきたか思い出すことすらおぼつかなかった。

 さらに、昨晩あんなに寝たというのに全身に覆い被さるように感じる謎の疲労感も、その夏休み初日に似つかわしくないイライラの一因になっていた。


「宿題終わらせる計画も立てたし、部活もやってないし。余った時間何しようかな...。」


 すると、俺の不機嫌に気がついたのか、母のまいが心配そうに声をかけてきた。


「竜侍、どうしたの。今日から夏休みだってのに、そんな不機嫌そうな顔して。」


「朝から暑いうえに、昨日変な夢を見てから謎の疲労感がすごい。」


「そう...。夏バテかな?一応、お父さんに見てもらいなさい。」


「そういや父さん、大学で医学の勉強してたことあったんだっけ。」


 父は博識で、生物学や医学の知識を中心に幅広い学問分野の知識を持っているため、ちょっとしたケガや病気の治療ならそこら辺の町医者より上手いのだ。もっとも、医師免許は持っていないため大がかりなことはできず、あくまで近所の頼れる救急箱扱いなのだが。


 俺は書斎で仕事をしていた父を訪ね、謎の疲労感のことを相談した。

 すると、俺が話し終わるかどうかといったところで、父を取り巻く空気が一瞬張り詰めたような気がした。何か重大な病気の宣告でもされるのかと一瞬怖じ気づくと、彼は俺の目をのぞき込むように俺を見据え、真剣な顔で尋ねてきた。


「...竜侍、もしかして今朝あたり、変な夢を見なかったか?」


「え。変な夢って。」


「なんか、赤と金の服着た短い顎髭のオッサンが、『おまえに能力をやろう』とか、『おまえの使命は何たらだ』、とか言う夢だよ。心当たりあるか?」


 そこまで言われ、俺は今朝の夢の内容をはっきりと思い出した。俺は慌てて夢の中で聞いた男の言葉を復唱し、何か知っているのかと問い詰めた。

 すると父は、カチンという音がきこえてきそうな程あからさまに怒り始めた。


「閻魔大王あの野郎ォォォ!!!なーにが『適任者を見つけた』、だ!!!めっちゃ近場から拾っただけじゃねえか!!!煉獄の王ならもうちょい気合い入れて仕事しろォォォ!!!」


 普段からはっちゃけたテンションになることが多い父だったが、今回のは一層すごかった。この部屋が完全防音仕様になっていて本当に良かったと思う。

 父は誰もいない方に向かってひとしきり吠えたけった後、コホンと一つ咳払いをして俺に向き直り、真剣な顔に戻って言った。


「竜侍。信じられないかもしれないが、お前は多分、何らかの異能力に目覚めたと思う。...正直これ以上異能力者が増えるとは思っていなかったが、増えてしまったものは仕方がない。お前に能力を授けたのは十中八九、閻魔大王っていうあの世の王様であって、お前が見た変な夢は彼が下した天啓だろうな。おそらく、能力や使命の説明に関しては追って連絡があると思うから、これから怪しい夢を見たら即刻メモって俺に報告してくれると助かる。」


「え、ちょっと待って。」


「何が?」


 さも当然のように話を進める父に、追いつかなくなっていたツッコミがようやく出てきた。


「いや、いきなり異能力とか言われても訳わからんよ。どこぞのJKまぞくじゃないんだから。もうちょい詳しく説明してよ。」


 すると父は、さっきまでの勢いを失って返答を渋った。やはり冗談なのではとも思ったが、父は難しげな顔をしながらボソッと、


「...うーむ、これくらいなら教えても問題ないか。もしお前が今の俺の話を信じるっていうのなら、極力人のいないところで試して欲しいことがあるんだ。」


 と言って、俺にいくつか耳打ちした。...いやここ、完全防音仕様なんだが。



 父に言われた通り俺は、夜に不良のたまり場になっているだけの寂れた公園の遊具の陰に隠れて実験を始めた。実験といっても、することは簡単。いわゆる瞑想だ。

 父曰く、体の中を透明な何かが流れているのをイメージし、脳内イメージだけでなく触覚や嗅覚といった五感でもそれを感じることができたら、異能力が備わっている証拠らしい。そう言われてみれば、なんだか体の中で何かがもやもやと燻っているようにも感じた。

 俺は外界の一切を遮断するかのように神経をとがらせ、心を落ち着かせてただひたすらに、体の中で燻る謎の感覚を追い続けた。最初こそ半信半疑で始めただけだったが、気がつけば外は涼しくなり始め、東の空に高々と照っていた日は西に傾き始めていた。

 空腹を告げる腹の音に急かされてハッと我に返り、その日は特に何事もなく終わった。




 しかし、事態が急変したのはその翌日だった。

 俺は昨日と同じように、瞑想をしようと公園に赴いた。まだ例の異能力の件を信用したわけではないが、もしそんなものが本当にあったら面白そうだ、という一種のロマンのみで続ける気になったのだった。

 課題のこともあったので、できるだけ午前中だけで終わらせて続きはまた明日やろうと決め、早速瞑想を始めた。


 ところがどうしたことか、瞑想を始めるや否や、まるで昨日とは体が別物のように感じるのだ。昨日は、何か燻ってるな-、くらいにしか感じられなかった体内のモヤモヤが、今日に至っては、まるで落ち着いた静河のように秩序ある流れとして感じられるのだ。

 俺が動揺すると、途端にその流れも秩序を失って乱れる。だが、心を落ち着けるとすぐに、無風の部屋に漂う線香の煙の如く綺麗にまとまるのだ。

 それを繰り返すうちに、だんだんとその流れを意のままに操れるようになってきていた。強めたり弱めたり、流したり止めたり。

 その謎の流れを制御する感覚が楽しくて、気づけば今日も、日が落ちるまで瞑想に没頭してしまっていた。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーー




 三日後、今日も今日とて俺は瞑想に励んでいた。

 この頃になると、例の異能力のことなどすっかり忘れて、むしろこちらの方が本題になってしまっていた。

 そしていつものように日が暮れるまで瞑想に夢中になっていると、遊具の向こう側で何やら話し声のようなものが聞こえた。


 あたりはすっかり暗くなっており、誰かが遊びに来るような時間ではなかった。俺は遊具の陰から出て、声のする方に目をやったのだが、今思えば、この状況に対してあまりに警戒心がなさすぎたと言えよう。

 そこで俺と目が合ったのは、何やら中くらいのジュラルミンケースを交換している二人の若い男であった。


 しまった、と思うより早く、男のうちの一人が素早くポケットに手を入れた。状況を考えれば、そこから何が出てくるかは最早想像に難くない。

 案の定、そこから出てきたのは小型の拳銃だった。男がためらいなく銃口それをこちらに向けると、パシュッ、という乾いた音と共に体が後方に突き飛ばされた。


 違和感を感じたのは、その時だった。

 弾は確かに俺の胸に命中したはずなのに、傷はおろか、痛みすらなかった。ただ、硬くて小さいものが当たった衝撃だけが感じられたのだった。


 平然と立ち上がった俺に向けて、もう一人の男も拳銃を取り出し、二人がかりで俺に何発も発砲した。

 が、俺の体には依然として傷一つ付かない。発砲されるたびに服に穴が空いて、そこに衝撃が来るあたり、銃は本物とみて間違いないようだった。

 そして十発あたり撃たれたところで、男たちは恐れをなしたのか、そのまま逃げ帰っていった。


 何だったのかと思って穴の空いた服をよく見ると、その穴から見えていたものに、今度はこちらが驚愕する番だった。




「...何だ、これ...!」



 破れた服からのぞいていたのは、公園の街灯の光を反射して鈍く光る、深紅の鱗であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る