18:クールル



 光の乱舞、音の洪水、絶えず生まれる興奮の息づかい。

 ここはゲームセンター。神経を昂らせる効果に満ちた仕掛けで満載の場所。

 いろんな遊戯台のなかには眼を疑うようなものも多い。

 とあるクレーンゲームのガラスケースには、景品の代わりに、三角座りをした女性の下半身が入れられている。

 青系のハーフパンツ。腿には網タイツ。靴は赤いパンプス。

 そして、上半身が無い。腰辺りで切断されている。切断面は血の滲んだ緋色だ。

 だれが欲しがるというのか。たとえアームでつかむことができても、穴を通らないから絶対に得ることはできないのに。

「………………」

「………………」

 ビビとアグロは無言でスルー。

 見なかったことにして立ち去る。振り返りもしなかった。


 二人はゲーセンの端っこにある粗末な喫煙所へ来た。

 プレハブ小屋に似たその一室にて、背広姿のアグロが紫煙をくゆらせていると、金髪の若い女が慌てたようすで飛び込んできた。

「どこぉ、どこなのぉっ! にょわあああああああああっ!! だれか、お願いしますううううっ!! うおおおおおおおっ!!!」

 少女というには大人びた外見。

 だが、大人というには幼稚すぎるしゃべり方なのが、ちぐはぐだ。

 女は気が動転しているようだ。直線にカットされた前髪で両眼がすっかり隠れている。

 背中には枯れ枝のような翼が生えている。タートルネックのセーターを着ていて、豊満な胸部を揺らしながらぜえぜえ喘いでいる。

 だが、彼女は、上半身しか無かった。

 文字通り、上半身しか無いのだ。

 横にいたビビは眼をまんまるくさせた。

「足が……無い!?」

 へそは見えているが身体は腰で切断されている。断面からはグロテスクな腸のごとき太いものが垂れている。腸というよりは背骨があるはずの位置だが、とても骨には見えない。

 ほかに五人ほどいた喫煙者一同にも戦慄が走る。何人かは手からタバコを落とした。いきなり飛んできた見慣れぬタイプの化け物に警戒する。

「あのっ、あのぅ……! ボクの下半身が見つからないんです! このゲームセンターで、眼を離した隙に、どっかに行っちゃいました! 盗まれちゃったのかにゃあ? 夜のうちに見つけないと大変なことになるんですうう! まーじでー!」

 喫煙所にいた者たちは首を振った。眼も合わせずに、関わりたくなさそうに。

「ボクの下半身を見つけたら、教えてくださいっ! ……うあぁ……男の人に見つかったらヤダな……それだけはいやだなあ……」

「下半身なら見たぞ」

 アグロが言った。

 同時にビビも思いだしたのか顔を明るくさせた。

 少女はキョトンとしていたが、背広姿の大男を見上げて、頬を青ざめさせた。

「ヒエ……人生おわた……」

「終わったってなんだよ。赤いヒールをはいた下半身だったら知っている。あれは、きみの一部なのだろうか」

 少女はブンブン全力でうなずいた。

「それです、きっと! ウッ……!? ま、ま、まさか……あ……ヤってませんよねえ!? あ……あっ……やめてくださいですよ!? 変態がよ!?」

「姪がいるんだ。へんなことを言わないでくれ」

「下半身は、本当に好きな人にしか貸さないんですからね!?」

「姪がいるんだ」

 少女は枯れ枝みたいな翼を強く動かして、まくしたてた。

「あ、あ……どこで見たのか言えっ! い、言えぇぇい!! いえ、言ってください。お願いします! ……言えぇぇいっ!」

「下半身ならクレーンゲームのプライズにされていたぞ。アームでキャッチできてもどう見ても穴を通らないから、だれかに取られることもないはずだ。さあ、一緒に行こうか」

「このゲーセン内にあるんですね! ……イエェェイ!!」

 クレーンゲームの中までは盲点だったようだ。

 そこでビビと一緒に喫煙所を出た。

 音の洪水が戻ってくる。

 だが、目当てのクレーンゲームにたどり着いたとき、ガラスケース内はもぬけの殻と化していた。

 下半身が消えている。

「ここに下半身が正座して……いや、無いようだな」

 上半身だけの少女は、真夜中にレゴブロックを踏んづけたときのような声を上げた。

「あああああああああああああっ!! 無いじゃんか!! 騙しましたね!! あ、あ、悪魔~~~~!! ヒ~ンヒ~ンヒ~ンヒ~ン!! 泣!!! だろうと思ったよ!! フンだ!!!! 期待させといて、突き落として、泣いてる顔を見て、そんなに愉悦かぁっ!!?」

「たしかにさっきはあったんだがなあ」

 ビビも同調する。

「本当にあったのよ」


 そのとき、店内放送があった。

「紳士淑女の皆の衆! 今から《メガトンパンチ》の大会が始まるよ! 飛び入り参加もOKだ! 打撃に自信がある者、ストレスがたまっている者、だれかを殴りたくて仕方ない者、さあ集え!」


 ビビたちの目の前で大会会場が設置されていくと、見物客が続々と集まってきた。

 メガホンを持った店員が二人いた。赤と黒のタータンチェックのチョッキを着ていてズボンも同じ模様。

「さあ! 豪華賞品もご用意しているぞ、こちらだーーーーーっ!!」

 店員が天井を指さすと、天井がパカッと開いて、豪華賞品を乗せた四畳半の床がゆるりと降りてくる。

 ビビたちは眼を疑った。しかし金髪の上半身少女がいちばん驚いたのは言うまでもない。


 ☆ 豪 華 賞 品 ☆

・優勝……店員がそこら辺で見つけた謎の少女の下半身

・2位……超高性能の電動自転車

・3位……「世界の半分」

・参加賞……綿棒


 少女は両腕で頭を抱えた。

「ああっ!? ボクの下半身が優勝賞品にされているぅ!? 最悪食堂の最悪定食ーッ! ボクの下半身を返してッピィ! 第一問! ボクの下半身を不当に占拠しているのはどの国でしょう? ヒ~ン、返して!!!!! 泣!!!」

 少女は下半身に飛びついたが、店員二人がかりで止められた。

「だめだぞ、キミ! この賞品が欲しくば大会に参加して《メガトンパンチ》で勝つことだな!」

「ああああっ! 最悪定食おかわり~~~~~! どうみてもボクの下半身だろ~~~~ッ!!」

 ビビは呆然としながら豪華賞品を見つめていた。

「……いや、おかしくない? 優勝と2位の賞品、逆だよね?」

 アグロは言った。

「よく見てごらん。全部おかしいぞ」

 大会には、上半身少女だけでなく、二人も参加することにした。

 参加者名簿に名前を書くときに、少女の名前がクールルだと判明する。

 ビビはクールルに約束する。もし優勝して下半身をゲットできたら、クールルに渡してあげると。

 店員が布をかぶせた鏡台のようなものを運んできた。布を外すとそれはパンチングマシーンの台だった。

 生身の男が貼り付けにされている。腰より上だけが見えている。

 六つに割れた腹筋には的の絵が描かれていて、そこが打撃を与えるターゲットらしい。

《オレ様はキャプテン・ジャックだ! てめえのパンチを見せてみな!》

 おでこには電光板が埋め込まれている。身体もよく見ると何本もの電極に繋がれている。痛くないのだろうか。

 まずはトップバッターのビビが挑戦する。

 的を見据える。呼吸を整え、男の腹に拳をくり出す。

 ……パコァン!!

「い……ったぁああっ!」

《ヘヘッ、いたくもかゆくもねぇぜ!》

 ジャックの額の電光板に《205.476㎏》と表示される。なかなか良いスコアだ。だがすぐに記録は塗り替えられるかもしれない。

「いいもん、ば……爆弾はすべてを破壊できるから……」

 その後、つぎつぎとほかの参加者もジャックを殴っていく。

 だが、新記録が出ようともみな渋い顔をしている。突出した挑戦者が現れていない。

《オレ様はキャプテン・ジャックだ! てめえのパンチを見せてみな!》

 ジャックは常に同じセリフを吐いているが、声音や調子は常に同じではない。微妙な差異が見られる。そのことをアグロは不思議に思った。

 ビビも気づいているようだ。

「機械じゃなくて、生身の男なのかしら。でも電極とか電光板が嵌めこまれているし……」

 続いてアグロの番だ。おれはそんなの武闘派じゃないぞ、とうそぶいている。

《オレ様はキャプテン・ジャックだ! てめえのパンチを見せてみな!》

 アグロは拳を叩き込む。

《825.469㎏》。

《今のは、けっこうキタぜ……》

 どよめき。

 新記録とともに、ジャックのセリフが変わったからだ。

 だが、そのときだ。

《今度はオレ様のパンチを受けてみやがれ!》

「……!?」

 予告なしにキャプテン・ジャックが襲ってきた。俊烈な右フック。まともには喰らわなかったが、回転しながらよろけて、尻から転倒した。すぐに立ち上がった。頬が切られて血が流れている。

「……おい、なんだこれは。説明できるのか、店員よ」

 二人の店員はただもうニコニコしている。

「まあ、ジャックにしても? 殴られる一方はイヤですからね?」

「そうそう、イヤですよね? だってジャックは、血が通ったサンドバックなんですから?」

 それを聞いて、残る参加者のほとんどが辞退した。

 たった一人をのぞいて。

 最終プレイヤーはクールルだ。

「ふっふっふ! パンチングマシーンにはコツがあるんだな~! わかってないやつしかいなくて激しくわろたよ諸君! んじゃ、ボクが優勝しちゃお! ワハハ!」

 クールルはアグロに微笑みかけた。

「おにーさん、あのね、やっぱり自分の手で優勝賞品をもぎ取りたいんだ。ボクが優勝しちゃって男のプライドとやらが傷付くかもだけど、そこんとこよろしく!」

 ジャックは血が通っているのだから気をつけて、といった忠告などまるで聞いちゃいない。彼女は行動を始めていた。

「パンチングマシーンのサンドバックは、『押し込む』ようにパンチすると、高得点が出る! だけどそれだけじゃない!」

 上半身だけのクールルは羽ばたきながらジャックから距離をじゅうぶんに取った。距離を取りすぎて逃げたのかとだれもが思うほどに。

《オレ様はキャプテン・ジャックだ! てめえのパンチを見せてみな!》

「オラッ! こわくないぞ!」

 初速から、速かった。

 スピードに乗る。彼女は意外な速さを見せた。加速をやめない。上半身だけが突っ込んでくる。

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 ミサイルのような頭突きを喰らわす。押し込むように。

《1440.940㎏》

 今日イチの結果が出る。どよめき。

「ワハハ! 頭を使っちゃだめってルールは書いてなかったし、距離も取っちゃだめとは言ってないっ!」

 両手を頭を押さえてふらつきながらガッツポーズをするクールル。

 しかしルールに書いていなかったとはいえ、頭を使うのはどうなんだろう。

 やっぱり、無効なのでは……という空気が一帯を支配する。

 だがキャプテン・ジャックの眼が光りだし、今までにないセリフを吐きだしたので、そんな空気は霧消してしまった。

《テメェ、ヨクモヤッテクレタナ……》

「ん、あれ……?」

《……テメエを、ナゲットにシテヤル!》

「ちょ、ちょ、うおおおおおぉぉぉおおいぃっ!!」

 ジャックが筐体を飛び越えてきた。生身のジャックの全身が現れる。

 彼は身体に付いていた電極を手で引きちぎり、咆哮をあげたかと思うと、そばにいた店員の首をパンチで吹っ飛ばした。

 即死した店員の首は二、三回バウンドして、フロアの端の女子トイレまで転がっていった。女子トイレから叫び声が上がる。

 蜘蛛の子を散らすように参加者たちが姿を消していた。

 逃げていないのはビビとアグロと、そしてクールルだけ。

 だがキャプテン・ジャックの真の相手はたった一人だ。クールルをギロリと見つめる。

《……テメエを殴らせろ》

「どどどどどどどどっどどうしよう! パンチングマシーンに襲われてまあす! ヒ~ンヒ~ンヒ~ン! お兄さん助けて!」

 ビビとアグロの二人が立ちはだかる。

「晩飯の前の体操にはちょうどいい相手だ」

「クールルちゃん、安心して! 私たちがなんとか止めてみせるから!」

 あとはもう二人がかりでジャックを叩きのめした。

 難しいことなどなにひとつない。ほとんど作業のような戦闘だ。

 それはまるで、優しいお得意様と簡単な世間話をするだけで仕事が完遂するルート営業のようだった。

「カタツムリの交尾って二時間かかるらしいですね」「それはすごいですな」

 と、いった具合に。

 それはともかく、ついにジャックは大の字になって気絶した。

 その顔をクールルが覗き込む。

「こいつ、血が通っているんだよね?」

 そして。

 クールルは床すれすれの高さまで降りてきて、ジャックの肩にかぶりついた。

 ガブーーーッ!!!

「……え!」

「……おい」

 いきなり歯が鋭くなり、肩を刺していく。どんどん食い込む。

 二人は見てはいけないものを見てしまう。

 その、前髪に隠された光る眼は。

 純粋な悪を表す、その二つの空虚。

 形容しがたいほどの冷徹な眼に、二人は背筋も凍る思いだ。

 一度とてまばたきをしない。開かれっぱなしの両眼だった。

「あ……」

 クールルが、キャプテン・ジャックの血を吸っている。

 喉を鳴らし、血を飲み込んでいく。

 ジャックの巨体が二度と起き上がらないようにマウントを取っている。

 血を吸っている方とは反対側の肩を、彼女の左手が押さえつけている。右手はジャックの左腕を押さえている。

 クールルの顔はジャックの首にこすりつけるように触れ合っている。

 一度ジャックの身体がビクンと大きくはねたが、彼女は豊かに膨らんだ双丘もつぶれんばかりに上から押さえつけた。

 死を悟ったジャックはもがき苦しみ抵抗したが、クールルは意に介さず上体だけの身体を絡ませて密着する。

 時間をかけて血を一滴残らず吸いつくすさまを、二人はワクワクしながら見届けていた。

「こっわ……写真撮ればよかった」

 ジャックはミイラのように干からびてしまった。

 マナナンガル、とビビはつぶやく。

「……マナナンガルね、そうでしょう? 深夜の衛星放送で見たことあるわ」

 クールルはだれにも視線を合わせず、静かにうなずく。

「そうか。マナナンガルか。どうりで見慣れないな、と」

 マナナンガル。

 南国に住む吸血鬼の化け物。

 女性の姿をしているが、上半身と下半身が分離できる。コウモリの翼を生やした上半身は、夜のうちに羽ばたいて移動し、近隣住民を襲撃しては血を吸うのだ。

 だが、そのとき下半身を隠してしまうと、上半身は下半身を探して惑うという。

 もしも日の出までに下半身を発見できないと、マナナンガルは死んでしまう。

 そんな伝説があるのだ。

 血を吸い尽くしたクールルは唇を手で拭い、二人に微笑みかけた。

 すっかり元通りの顔だ。

「あーおいしかった! ……ねえねえ! ところで3位の賞品の『世界の半分』ってなにか知ってる? そういう名前の焼酎なんだってさ! 酒かよぉ! ……え? もしかして、そっちのほうがよかった?」

 二人の耳に、ゲームセンターの喧騒が戻ってくる。



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