17:激闘!中華っていいよね編III



「……そんなん、たまるかッ!!」

 少年はあらん限りの声をふりしぼった。

「ア……ゥア…………」

 突如、眼球が裏返り一回転する。

 歯はむき出しだ。首は垂れ、全身が不規則に震えだす。まるで壊れかけのゼンマイ仕掛けの人形のように。

 空間の明滅。光、闇、光、闇と入れ替わる。

 空間中の闇が少年に集まり、黒々としたおぞましいオーラに包まれる。

 幼虫がさなぎのなかで一度全身を溶かすように、彼もまたぼろぼろに腐蝕して、うずき、燃え爛れる。

 しかし生まれ変わったとき、そこに瑰麗なる少年の精霊が顕現している。

 抑えきれない新しい暗黒のエネルギーを放射させていた。

「……無駄なあがきはやめるのだ」

 だがミーランは金縛りにあったように動けない。戸惑いが顔に浮かぶ。が、気合いで動き出すのも時間の問題だ。

 少年の肩甲骨のあたりから無数の半透明の触手が這い出てきた。

 それらに誘われるように、銀に近い無彩色の長髪が逆立ちする。髪は膨張し、滝のように伸び上がり、指の尖った掌をもつ禍々しい腕に変化する。

 巨大な腕はミーランの双肩に降りかかる。

 彼は眼をつむり、顎を上げ、高らかに、しかし音もなく呪文を詠唱する。呪力が解き放たれ、乱舞する解読不能の文字がミーランの頭に入りこむ。

「なに……これ……変な言葉が、頭の中に、入ってくるのだ……」

 堪えきれず叫び出す。

「いやあ! なに、これ……あたま、が……溶ける溶ける溶ける……! いや……」

 高笑いが朗々と響き渡る。

「ククク、アハハハ」

 かすかなる微笑を湛える。

「呪うのは得意だぜ」

「呪いなんかに……私は、負けないのだ……!」

 そのとき部屋の空調が目を覚まし、谷に棲む獰猛な獣のような低いうなりをとどろかせた。

 冷えていく空間の中、ミーランは謂れのない吐き気に胸を押さえた。

「ふん……これが呪いなのだ? ゲロを吐くくらい、どうってこと、ないのだ」

 膝をつき、嘔吐する。

 彼女の口から黄褐色の吐瀉物が飛び出し、床にぶちまけられた。

 そしてミーランの身体が、凍ったように動かなくなった。

「それで、ゲロと人格が入れ替わった気分はどうだ?」

 いままでミーランだった物体は微動だにしない。彫像のように固まったままだ。膝をついたまま、眼がうつろで、完全に中身は空っぽだった。

「あっ、こっちじゃなかったか。アハハ」

 少年は爽やかな笑顔で吐瀉物を見下ろす。

 吐瀉物は、うねうね動いている。

「うそ……私がもう一人……? なにを……されたの……?」

「自分をよく見てごらん。ゲロが今の、お・ま・え」

「まさか! いや……! なんで!? も、戻して……ッ!」

「だから、呪ったのさ。《人格転移》という方法でね。滅多にできない技だから、思う存分愉しんでくれよな」


 人格転移。

 それは限られた条件下で発動する、現在のウィジャに執行できる最強の呪いのひとつだった。


「なんですって! 元のからだに戻して!」

 吐瀉物は泣き叫びながら、その体をもち上げようとする。

 だが流動体なので、当然満足には動けず徒労に終わる。

「臭い……! 私の体……どうして……ッ!」

「それが貴様の食べたものさ。いまの体が臭くて吐き気がするなら、吐いちゃえば? ま、ゲロがゲロ吐くワケないんだけどな~。アハハッ」

「ひどい……! なんてこと……!」

 吐瀉物がウィジャに飛びかかろうとした。が、うまくいかなかった。

「うわ、きったねー。掃除用具どこ? 汚いし処理してやろうかな~」

「いや……処理しないで! ねえ、戻して、こんな体いやだ!」

「でもなー? ここ食品を提供する場だもの、いつまでもゲロ置いとけねえじゃんか」

「……お願い! もうだれも傷付けないって約束するから! ぜんぶ謝るからお願いします! 元に戻して!」

 ウィジャは腹を抱えて笑った。

「ゲロに頼まれてもな~? 信用できないな~?」

「うそ……こんなからだじゃ、もう二度と故郷の親に会えないってこと? 友達にも会えないの? 鍋も振るえないし、花を活けたりもできないってこと?」

 少年はしんみりとした表情でうなずく。

「できないよ。だってゲロだもん。ゲロに手足は無いし、顔も無いんだよ。声は出るけど、その姿で家族や恋人に会ったって、だれもお前だって信じてくれないねえ! アハハハハハ!」

「ねえ、そっちの体は、どうなるの!?」

 吐瀉物は本体の身体を気にしているようだ。いままで魂のあった器。まだきれいなままの四肢。

「適切に埋葬されるんじゃない? 知らんけど」

「いや! 私、そっちに戻りたい! 今すぐ戻して!」

「うーん……お前の態度次第では、考えてやってもいいかな……」

 彼は、踊り疲れて伏せている旅の仲間たちを引きずって、(そのときだけはいまにも泣きそうな顔をして)部屋の壁ぎわに寝かせた。

「……待って、帰らないで! お願いおねがい! さっきから私の声が聞こえているのは貴方だけなんだから……! ねえ、なにか方法があるんでしょう? 元に戻る方法が……!」

 またウィジャは笑顔に戻って平気なふりをした。

「ひとつだけ助かる方法があるんだけどな~、どうしよっかな~? アハハ」

 もったいぶった言い方。

 彼は平気なふりをしてゲロと話し続けた。

「そうだ。俺の愛人になって、忠誠を誓って、一生えちえちに添い遂げるって約束するなら、助けてあげてもいいぜ?」

「そうします! なんでも……なんでもしますから!」

「でも、ゲロに言われても信用できないよなあ?」

 ウィジャは吐瀉物を踏みつけた。

「ありがとな。今日初めておまえに感謝する。おまえのおかげで、軽蔑という大切な感情を思い出すことができた。だからさ、『なんでもする』なんて言うやつはきらいだね」

 何度も何度も踏みつけた。力の限り踏みつけた。

「いた……いたい! バラバラになっちゃう! ちぎれる、いや、いやああああああああああああッ!」

「きったね……靴に付いたんだけど?」

「なりますなりますなります! 忠誠を誓います! この姿はいやです!」

「本当だな? マジのガチでえちえちに毎晩俺に添い遂げるんだぞ? ……誓う?」

 手を差し伸べる。

「はい……誓います! 心を入れ替えて、あなたに一生忠誠を誓います!」

 マジで言ったよ、とウィジャは引き気味に呟く。

 そして、その言葉を待っていたとばかりに優しく微笑んだ。

「やっぱり、やーめた」

「え……?」

 吐瀉物が動くのをやめた。

「だって俺、レンアイとかって興味ないし~?????」

 口角を一気に上げて、にんまりとご満悦。

「……!?」

「男だの女だの興味ないし~? だれかと皮膚だの粘膜だのこすり合わせることのなにが楽しいのかわかんないし~??????????」

 声音に興奮を隠しきれない。

「だからさ! 最初から! 助けるつもりなんてなかったんだよ!!!!! 貴様は、このままずっと、ゲロのままさ!! 残念だったな、ギャーーーーーーーーーーーーーーーーハッハッハッハ!!!!!!!」

「わ、わああああああああああああああああああああああああッッ!!!」

 不定形のミーランを、げしげし踏みつける。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!! 泣け、泣け、泣き叫べええ!!!! たのしいたのしいマジでたのしいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!! 初対面の年下に忠誠を誓うんだって!!!! イヒヒヒヒヒヒヒッヒヒヒヒヒヒヒ!!!!!!! なんで???????????? なんでってなんで?????????? なんでかわかんないけどめっちゃたのしいいいいいいいいいいいいい!!!! ソーランソーランハイッハイッ!!!!!!!!!!!! ウヒヒヒッ!!! アハハハハハハ!!! アハハッハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!」

 吐瀉物のミーランが空気を含んで白濁するまで、少年は歯をむき出しにして舌から涎が垂れるほど興奮しながら、足蹴にし続けた。

「って……おいオラァッ!! そういえば、さっきから変な語尾止まってんぞ!!!!! 『のだのだのだ~~~』って言えよバ~カ! 貴様のアイデンティティだろ忘れんなっ!」

 だけど声はもう帰ってこない。

 で。

 それから。

「はい、冷静になりました。皆さん、ミーランは俺が倒しました」

 急に改まった。

 満身創痍の仲間のために、回復薬かなにかを調達してこなければならないだろうか、とウィジャは浮足立った。

 ところで壁際に安置しておいたはずのジャコたちがいない。ほかの旅の仲間も姿を消している。

 困ってしまった。いったいどうしたことだろう。

 唖然としてキョロキョロしていると、くすくすと、だが敵意のない笑い声が聞こえてくる。

 反対側の壁際に、いつの間にか円テーブルが用意され、そこを囲んでよく知る旅の一行が坐っていた。

 白い陶製のカップで温かいタマネギスープを飲んでいた。

 アグロはわざとらしく上下にぽん、ぽん、と拍手した。

「おい小僧、派手にやったじゃないか。煙草を切らしていたせいで不覚をとったものの、おまえのおかげで助かったよ。恩に着るぜ。さ、こっちへ来て、おれたちの精神性と同様、気高く澄みきったタマネギスープを喫するんだな」

 ビビはチャイナドレスを着て給仕していた。台車にタマネギスープ入りの寸胴鍋を乗せて運んでくる。

「スープはまだ厨房にあったわー。どんどん回復しましょうね!」

 フィズィはスープに口をつけて、カップを置いてから言う。

「きみってさ、興奮したらソーラン節を歌うんだね。そういうところ嫌いじゃないよ」

 そして、ジャコもすっかり元気だ。

「このお姉さん、ウィジャくんのことすごい褒めてたよ。いい顔してるって。よかったね。皮肉だと思うけど」

「おい……見世物じゃないぞ! いつ回復して立ち上がったんだ!」

 途端に腹の虫が鳴った。

「トホホ……経験値よりも中華が欲しいぜ」

 彼らはいつ息を吹き返したのか。

 そのことについて、ウィジャは考える。

 ミーランが吐瀉物にされた時点で、無理やり踊らせてしまう能力から解放されたのかもしれない。

 ヒマワリング某が一時的に神経を麻痺させるだけで、致命傷にはいたらなかったおかげでもあるかもしれない。それで隙を見てうまく立ち回ったのだろうか。

 だけどビビは、ウィジャのためにカップに湯気の立ち昇るタマネギスープをつぎながら、こう言った。

「食べ物への執着のせいよ。注文した中華料理が来なかった。それで中華を待ち望む気持ちが高まって、『ああ、ここでまだ死ぬワケにはいかない』って思えたのね、きっと。だから、すべては中華のおかげ……なーんてね。えへへっ」

 カップを差し出す。

 ウィジャはカップを受け取った。

「おまえはビーフカレーだろ」




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